これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

2016 今年の漢字

2016年12月15日 22時05分05秒 | エッセイ
 2016年の漢字は「金」。
 またかよ……。
 漢字は星の数ほどあるのだから、もっとバリエーションを豊富にしてほしい。
 さて、私にとっての今年の漢字は何だろう。
 うーん。
 「文」ではないだろうか。
 教員の世界では、文章が書けないと損をする。昇進試験には大概論文がつきものだし、「私はこんな取り組みをして、こんな成果を上げた」と申告するのも文章でだ。熱心で面倒見のいい先生なのに、文章力がないため、過小評価されている同僚を知っている。
 逆に、5時にはさっさと帰り、授業は手抜きの連続でも、それなりの論文を書けば昇進試験の合格率は高い。いや、決して私のことではないが。
 今年は4月から12月まで、論文や会議録、計画書などの提出に悩まされた。昨日も、大きな会議の記録を整理したばかりである。エッセイであれば、「〇〇は自分の発表が終わると、すぐさま寝に入った」とか、「××は、メモを取るふりをして内職を続けた」などと茶化すこともできるが、会議録ではそうもいかない。面白くない内容を淡々と書き連ね、キーボードの一部になった気持ちで進めないと、とてもやっていられない。
「やっと終わった!」と解放感を味わっても、何日か後には次の作文が待っていて、エンドレスである。
 書いている本人が「つまんね~」と思っているのだから、他人が読んだら「クソつまんね~」となるに違いない。モノ書きのはしくれとして、屈辱以外の何物でもないが、仕事だからやるしかない。
 


 そういえば、3月に卒業生を送り出して以来、学級だよりを書く機会がなくなった。
 月ごとの予定や日常の気づきに加えて、余ったスペースには作った料理や、出かけた場所を写真つきで書き込んでいた。毎日の学級日誌でも、生徒の感想にコメントを返したりして、自由度が高かった気がする。読んだ生徒が「クスクス」と笑ってくれると、「また明日も頑張ろう」と思ったものだ。
 もう担任を持つことはないかもしれないな……。
 ちょっぴり淋しいけれど、ますます増える「文」の攻勢に耐えていかなければ。


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コメント (8)
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