どちらかといえば、私は右寄りだ。
しかし、原発に関しては違う。次代を担う子供たちのためにも、早くなくなってほしいと願う。署名やカンパには協力してきたが、他にも何かできることはないかと考えていた。
そこに登場したのが、「さようなら原発10万人集会」である。
危ないことや、難しいことはできない。だが、集会に参加するくらいなら、ぐうたらな私にもできそうだ。前もって、職場の仲間に「参加します」と宣言し、怠け心に負けないようにした。
そして迎えた、7月16日、海の日。
なんといっても、10万人である。会場は大混雑となるだろう。集会は1時からだが、12時半には着くように家を出た。
それでも遅かった。代々木公園駅には多くの乗降客がいて、「脱原発」「NO NUKES」の文字を踊らせた、Tシャツ姿の人々が目立つ。トイレにも精算機にも長蛇の列ができ、これから始まる大イベントを前に、決意を固めているように見えた。
階段を上がって駅から出ると、歩道がすでに渋滞している。私の前には「長野」ののぼりを掲げたグループがいて、同じ方向に向かっていた。イベント会場に近づくにつれ、混雑はさらにひどくなり、日傘が差せないうえ、周りを人に囲まれ、景色も見えなくなった。
人ごみは苦手だが、今日ばかりは別だ。反原発を叫ぶ人の集まりなのだから、多ければ多いほうがよい。足を踏まれたり、押されたりのトラブルがあっても、集会という連帯感のためか、口論などには発展しなかったようだ。
「こんにちは~!」
「こんにちは」
各地の教職員組合が集まる一角に、どうにかたどり着き、仲間と会うことができた。
こちらはメイン会場ではない。だが、トイレに行くにも、人をかき分けて歩かねばならないほどの混雑だ。それもそのはず、方々で目にするのぼりを見ると、岡山、大阪、新潟、奈良、兵庫、埼玉、神奈川、群馬、千葉、福岡、大分、山形、宮崎、滋賀、茨城、北海道、福島などの教職員組合が参加しているとわかった。
日本各地から、この集会のために、たくさんの方が上京されている。なんと素晴らしいことか。
自分が今、この場にいて、全国から集まった方々と、反原発の願いを共有できることに感動した。
「こんにちは! これから、『さようなら原発10万人集会』を開会いたします」
元気な女性の声が、スピーカーから響いてきた。ステージが見えないのは残念だ。続いて、坂本龍一氏や大江健三郎氏、広瀬隆氏などが、かわるがわるマイクを握って語りかける。著名人たちの、「日本の未来」への思いがひしひしと伝わってきた。
5月で90歳を迎えた瀬戸内寂聴氏も、この猛暑の中、駆けつけたようだ。もっとも、会場内の半数以上がシニア世代であることを考えると、孫や子が安心して暮らせる社会になることを願い、集まったのだろう。
とりわけ、印象に残っているのが落合恵子氏である。
短く、わかりやすいメッセージが多く、心に響いてきた。
「命よりも、原発を選んでしまったのです」
「私たちは、共犯者をなることはできない」
「戦うことを、人間の誇りといたしましょう」
近くにいた初老の紳士は、何度も大きな声で「いいぞ!!」とエールを送っていた。彼だけでなく、あちらこちらで「そうだ!」「そうだ!」と叫ぶ人がいる。きっと、落合氏の耳にも届いたことだろう。
集会のあとはパレードだ。
「原発いらない」
「再稼働反対」
「子供を守ろう」
などのシュプレヒコールを繰り返し、渋谷方面に進んでいく。地元・東京は最後尾となるため、まずは他県を見送った。
富山大学の大きな旗は、爽やかな風にあおられ、魚のように泳いでいた。
福島大学は怒って当然だ。
準備のよい団体は太鼓を叩き、「野田はNOだ」などと書かれた幕を用意して、にぎやかに行進する。これがデモの心得らしい。
「私もね、一応用意してきたのよ」
同僚は、加工したうちわと鈴を取り出した。慣れている人は違うと感心する。
結局、パレードを終え、解散したのは4時半過ぎだった。
イベントの途中で、司会の女性が「今日は17万人もの人が集まりました」と報告すると、場内からは大きな拍手が起きた。だが、警察の発表では、半分以下にされていた。
あの日は、酸欠になるくらい、たくさんの人が代々木公園にいたのだ。
ニュースでヘリからの映像を見たら、蟻のように、無数の点が広がっていた。
本音をいえば疲れたけれど、代々木公園を埋めつくす、点のひとつになれたことをうれしく思う。
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
しかし、原発に関しては違う。次代を担う子供たちのためにも、早くなくなってほしいと願う。署名やカンパには協力してきたが、他にも何かできることはないかと考えていた。
そこに登場したのが、「さようなら原発10万人集会」である。
危ないことや、難しいことはできない。だが、集会に参加するくらいなら、ぐうたらな私にもできそうだ。前もって、職場の仲間に「参加します」と宣言し、怠け心に負けないようにした。
そして迎えた、7月16日、海の日。
なんといっても、10万人である。会場は大混雑となるだろう。集会は1時からだが、12時半には着くように家を出た。
それでも遅かった。代々木公園駅には多くの乗降客がいて、「脱原発」「NO NUKES」の文字を踊らせた、Tシャツ姿の人々が目立つ。トイレにも精算機にも長蛇の列ができ、これから始まる大イベントを前に、決意を固めているように見えた。
階段を上がって駅から出ると、歩道がすでに渋滞している。私の前には「長野」ののぼりを掲げたグループがいて、同じ方向に向かっていた。イベント会場に近づくにつれ、混雑はさらにひどくなり、日傘が差せないうえ、周りを人に囲まれ、景色も見えなくなった。
人ごみは苦手だが、今日ばかりは別だ。反原発を叫ぶ人の集まりなのだから、多ければ多いほうがよい。足を踏まれたり、押されたりのトラブルがあっても、集会という連帯感のためか、口論などには発展しなかったようだ。
「こんにちは~!」
「こんにちは」
各地の教職員組合が集まる一角に、どうにかたどり着き、仲間と会うことができた。
こちらはメイン会場ではない。だが、トイレに行くにも、人をかき分けて歩かねばならないほどの混雑だ。それもそのはず、方々で目にするのぼりを見ると、岡山、大阪、新潟、奈良、兵庫、埼玉、神奈川、群馬、千葉、福岡、大分、山形、宮崎、滋賀、茨城、北海道、福島などの教職員組合が参加しているとわかった。
日本各地から、この集会のために、たくさんの方が上京されている。なんと素晴らしいことか。
自分が今、この場にいて、全国から集まった方々と、反原発の願いを共有できることに感動した。
「こんにちは! これから、『さようなら原発10万人集会』を開会いたします」
元気な女性の声が、スピーカーから響いてきた。ステージが見えないのは残念だ。続いて、坂本龍一氏や大江健三郎氏、広瀬隆氏などが、かわるがわるマイクを握って語りかける。著名人たちの、「日本の未来」への思いがひしひしと伝わってきた。
5月で90歳を迎えた瀬戸内寂聴氏も、この猛暑の中、駆けつけたようだ。もっとも、会場内の半数以上がシニア世代であることを考えると、孫や子が安心して暮らせる社会になることを願い、集まったのだろう。
とりわけ、印象に残っているのが落合恵子氏である。
短く、わかりやすいメッセージが多く、心に響いてきた。
「命よりも、原発を選んでしまったのです」
「私たちは、共犯者をなることはできない」
「戦うことを、人間の誇りといたしましょう」
近くにいた初老の紳士は、何度も大きな声で「いいぞ!!」とエールを送っていた。彼だけでなく、あちらこちらで「そうだ!」「そうだ!」と叫ぶ人がいる。きっと、落合氏の耳にも届いたことだろう。
集会のあとはパレードだ。
「原発いらない」
「再稼働反対」
「子供を守ろう」
などのシュプレヒコールを繰り返し、渋谷方面に進んでいく。地元・東京は最後尾となるため、まずは他県を見送った。
富山大学の大きな旗は、爽やかな風にあおられ、魚のように泳いでいた。
福島大学は怒って当然だ。
準備のよい団体は太鼓を叩き、「野田はNOだ」などと書かれた幕を用意して、にぎやかに行進する。これがデモの心得らしい。
「私もね、一応用意してきたのよ」
同僚は、加工したうちわと鈴を取り出した。慣れている人は違うと感心する。
結局、パレードを終え、解散したのは4時半過ぎだった。
イベントの途中で、司会の女性が「今日は17万人もの人が集まりました」と報告すると、場内からは大きな拍手が起きた。だが、警察の発表では、半分以下にされていた。
あの日は、酸欠になるくらい、たくさんの人が代々木公園にいたのだ。
ニュースでヘリからの映像を見たら、蟻のように、無数の点が広がっていた。
本音をいえば疲れたけれど、代々木公園を埋めつくす、点のひとつになれたことをうれしく思う。
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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)