これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

叔父を見送る

2009年10月22日 23時44分32秒 | エッセイ
 2年前、母方の叔父が脳梗塞で倒れ、危篤状態に陥った。
 ちょうど、姉が結婚式を控えていたので、かなりのバッドタイミングである。
「結婚記念日と、叔父の命日が同じになったら困るわね……」
 姉は難しい顔をしていたが、叔父はどうにか一命を取りとめることができた。それから2年、運よく小康状態を保っていたけれども、ついに先日亡くなった。

 正直言って、私はこの叔父が好きになれなかった。
 仕事もせずに家で酒を飲んでは、品のない大声で愚痴や悪口を繰り返す男である。妻である叔母とはケンカが絶えず、別居していた時期もあった。
 叔母は器量よしで通っていたが、めっぽう気が強く、稼ぎの悪いダンナを手厳しく罵った末、金属製のバケツを投げつけるような性格だ。しかし、叔父が倒れてからは優しくなり、献身的な介護を続けていたらしい。

 通夜に参列するため、何年かぶりに袖を通したブラックフォーマルは、思っていたよりもブカブカだった。20代の初めに買ったものだが、出産を機に痩せてしまったものだから、まるで借り着のようである。しかも、ジャケットには、いかつい肩パットが入っているものだから、アメフト選手に見えないこともない。私は鏡を覗きこんで苦笑した。
 新しいのを買おうかしら……。

 姉と待ち合わせて斎場に行くと、叔父の息子、つまり私の従弟が出迎えてくれた。彼は私と同い年だが、喪主を務めるらしい。今、私の両親は健在とはいえ、いつまで元気でいるかはわからない。やがて訪れるであろう親の死が、一歩近づいた気がして不安になった。
 まもなく、母が那須から駆けつけた。その日は叔母の家に泊めてもらう約束をしていたようで、大きな荷物を抱え、丸々とした腹を揺らしてやってきた。母は、お通夜であることよりも、久々に親族に会えた喜びのほうが大きかったらしい。お悔やみの言葉もそこそこに、ニコニコしながら話に夢中になっていた。
「砂希は枝豆持って行く?」
 どうやら、親族に枝豆をおすそ分けしようと、那須から収穫してきたようだ。
 この母親にTPOは通じない。さぞかし、長生きするだろう。

 定刻になると、女性のお坊さんが入場してきた。初めて見るので新鮮に感じる。瀬戸内寂聴さんのように剃髪しておらず、長い髪をお団子にまとめて、お経をあげていた。女好きだった叔父が、喜ばないはずもない。これは、いい供養になりそうだ。
 すべてが終わったあと、姉は「仏様の顔が見たい」と言った。従弟は快く受け入れ、棺の窓を開けてくれた。
 そこには、予想以上に安らかな寝顔があった。生前に法事で会ったときの顔が、そのまま目を閉じて眠っていた。
 従弟が誇らしげに言った「きれいだろ」という言葉を聞いたとき、あらためて、叔父の子煩悩だった一面が蘇ってきた。
 働きに出ないことはあっても、子供への愛情は惜しまない人で、料理を作っては食べさせ、一緒に遊び、運動会や旅行などのイベントのたびに8ミリで撮影していた。

 叔父はきっと、家族といられる時間に幸せを見出す人だったのだろう。
 ようやく、長年抱えていたわだかまりがなくなった。

 どうぞ安らかに……。
 合掌。



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コメント (16)
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