これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

SDカードの実力

2008年11月23日 20時20分36秒 | エッセイ
 親の勧めで免許だけは取ったけれども、私は車の運転が苦手だ。
 父の車を車庫入れでぶつけ、ドアをへこませたこともあるし、ノロノロ運転で後続車に煽られたのに、全然気づかなかったなんてこともある。
 とりわけ、18年前の勤労感謝の日は忘れられない。

 自宅でのんびり過ごしていたら、夫から電話がかかってきた。
「アキレス腱を切っちゃって車の運転ができないんだ。悪いんだけど、俺の代わりに家まで運転してくれるかな?」
 体育教師だった夫は、その日の部活指導中、左足のアキレス腱断裂というアクシデントに見舞われた。学校まで車で来たのはいいけれど、置き去りにするわけにはいかないから、私を呼んだというわけだ。
 当時夫が乗っていた車は三菱パジェロのロングボディー。しかも、オートマではなくマニュアル車である。
 それまでに、夫の車を運転したことは一度もなかったから不安だったが、やるしかないので引き出しの奥にしまい込んでいた免許を引っ張り出し、彼の学校まで駆けつけた。

 正門にはパジェロと夫と、たまたま来ていたらしい顔見知りの先生たちが集まっていた。
「お待たせしました! じゃあ、連れて帰りますので」
 私がにこやかに挨拶をしたのに、先生方はやけに暗い顔だった。
「奥さん、運転大丈夫なの?」
「ええ多分。見てください、SDカードも持っているんですよ」
 今はデザインが変わったようだが、私はSafe Driver を意味するSDカードを見せた。

 運転していないのだから、事故も違反もなくて当たり前なのだが。
 しかし、彼らの表情は変わらない。義経と静御前が吉野山で離ればなれになるときのような、今生の別れといった面持ちである。
「でも、事故ったらどうしよう~」
 場を和ませようと笑顔で言ったのに、シャレにならなかったようだ。誰一人として笑わないどころか、うつむいたり目をそらしたりする者もいた。

 なによ、なによ、バカにして~!!

 突如、私のファイティングスピリットに火がついた。何が何でも無事に帰宅してやる! と誓った瞬間だった。
 運転席に乗り込んでシートの位置を調整した。助手席に座った夫は、ひたすら無言だ。
 時刻は午後7時過ぎ。とっぷり日が暮れていたが、ライトのつけ方くらいはわかる。ギアをローに入れ、ゆっくりとパジェロを動かした。
「じゃあ、失礼しまーす! お世話になりました~!!」
 運転席の窓から私が挨拶すると、彼らも生気の抜けた表情で、これも義務といわんばかりに手の平を左右に振った。

 目白通りに入ればよいことは知っている。西武池袋線の踏切を越えたところで信号に引っかかった。青に変わったので発進させたが、ギアをセカンドに入れたときに、足元からガリガリガリという奇妙な音が聞こえてきた。
「なに? 変な音がするよ」
 とっさに疑問を口にしたら、夫がため息とともに答えた。
「……ギアがトップに入ったんだよ」
「えっ、マジ?!」
 クラッチを踏み込んで、ギアを入れなおした。今度はセカンドに入ったようだ。耳障りな雑音がなくなった。
 その後も、気を抜くとすぐにガリガリしてしまう。パジェロのヤツ、私をナメて言うことを聞かないのだ!
「なによ~、この車、バカなんじゃないの?!」
 私がふくれると、夫は静かに反論した。
「手に変なクセがついているんだろ。もっと丁寧に扱わないと」
 ふ~んだ。
 言い返す余裕がないので、私は心の中で舌を出した。
「そろそろ右の車線に入って」
 夫の指示が出た。
 ゲッ!! 私は車線変更がキライだ。ウインカーを出すのは簡単だが、右の車線に車があったら面倒である。
「ねー、後ろ、車が来てる?」
「そんなの、自分で確認しなきゃ。ドライバーの責任だよ」
 なによ、ケチ。父も母も見てくれたのに。
 幸い、ミラーにはそれらしきものはなく、目視してもOKである。祝日の夜は空いているからよかった。地獄で仏とはこのことだ。
 今のうちに、と急いでハンドルを切ったら、夫の体がグラリと揺れた。
「うわっ、急ハンドル切らないで!!」
「ああ、ゴメンゴメン」
 ほんのちょっとハンドルを曲げればよかったのか。次はそうしよう。
 谷原交差点を右折し、新大宮バイパスを目指した。
 その間も、ガリガリ、グラリの連続だったが、埼玉県は私のホームグラウンド。ここまでたどり着くと、気持ちにかなり余裕が生まれた。
「ねぇ、もうすぐだね~。思ったより簡単でよかったよ」
 気分よく話しかけたというのに、夫の返事はドライアイスのような冷気を帯びていた。
「まだ着いてないだろ。おしゃべりしないで、集中、集中!!」
 ちぇっ! どんだけ信用してないんだよ。
 
 その後、一回エンストしたものの、どうにかこうにか我が家に帰ることができた。駐車場に車を停めたときの喜びといったらない。私は達成感で歌いだしたい気分だったが、夫は腰が抜けたように、しばらく立ち上がれなかった。

 今、私はゴールド免許を持っている。
 私の運転で、誰か一緒に那須まで行きませんか~?



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コメント (9)
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