これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

うちでの小づち(番外編)

2008年06月27日 22時35分16秒 | エッセイ
 願いが叶う、欲しいものが手に入るといった幸運な偶然を、私はずっとエッセイにしたいと思っていた。もちろん、望みが叶わなかったときのほうが多いから、成功したときの喜びはひとしおで、うれしかったからだろう。
 ただし、フットレストもピアノもエアロバイクも、中古品を通り越して廃棄間近のオンボロばかりだ。新品はないのか、新品は!
 意味ある偶然は必然だ、と聞いたことがある。自分の心が成功を引き寄せるとも。
 しかし最近では、それだけではないと思い始めている。
 昨日、職場で、ミスを指摘された同僚がどんな反応をするか当てっこした。ある人は「とぼける」と予想し、またある人は「逃げる」だったが、私は「逆ギレする」と答えた。そして、くだんのミスを追求したら、本当にその同僚は居直り口汚く反論したのだった……。
「人を見る目があるね~!」と絶賛されたが、これは勘だ。瞬間的に答えが脳裏に閃くときは、当たることが多い。一種の予知能力なのだろうか。逆に、一生懸命考えて、迷いながら答えを出したときはハズレてばかりいる。私のコンピュータは精度が悪いが、カンピュータはなかなかのものだ。
 つまり、これまでの『うちでの小づち現象』は、動物的な直感を駆使して結果を先取りしたことにより起きたのではないだろうか。あらかじめ未来がわかっていれば、それに見合った行動が取れる。ピアノを弾いたときも、不思議なくらい楽観的だった。何の根拠もない安心感を感じるときは、幸運な結果を予知しているせいなのかもしれない。
 残念なことに、不幸な結果となる場合もある。こういうときは、イヤな予感がしたり、気分が悪くなったりするものだ。そして、不幸はさらなる不幸を呼ぶことが多く、ツイていないときはとことんツイていない。
 でも、そこでジタバタしてはいけない。恐ろしいくらいにツキから見放されたら、それもまたエッセイのネタになると思えばよいのだ。
 どんなときでも主体的でいられること、それが私の理想。
 人の一番の望みは、なりたい自分になることなのかもしれない。



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