これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

うちでの小づち(1)

2008年06月21日 20時52分24秒 | エッセイ
 まだ娘が幼かったとき、通勤や保育園への送迎に自転車を使っていた。
 ある日、職場から帰ろうとして、自転車の後部座席に違和感をおぼえた。何かが足りないような気がする……。
 あっ、左のフットレストがない!
 娘を乗せる座席のフットレストが、左だけきれいさっぱりなくなっていた。朝はついていたから、走っているうちに落としたのだろう。そういえば、フットレストなしで子供を乗せている人をよく見かけるけれど、あれはこんな風に、いつの間にか脱落してなくなったというわけか。
 困ったなと思った。ミキはトロい子なので、ぼんやりしてスポークに足を巻き込まれてしまいそうだ。早く元通りにしないと危ない。
 最初に私がしたことは通勤路のチェックだ。朝来た道をゆっくり戻り、路肩に落ちているものを確認したけれども、それらしいものはない。保育園の駐輪場にもない。ということは見つかりそうもない。
 週末になったら新しいのを買うか……。
 翌朝、ミキには足に注意するよう言い聞かせ、保育園まで乗せた。それから職場に着き、自転車置き場に向かった。自転車を止めて周りを見ると、まるで発信器が点滅しているかのように、私が必死で探しているものが視界に飛び込んできた!
 あった、あった!! こんなところに!
 同僚である尾崎さんの自転車の前かごに、私がなくしたフットレストが無造作に突っ込まれていた。きっと駐輪場に落ちていたのを、誰かが拾って彼女のかごに入れたのだろう。あきらめないで探せば、意外に見つかるものなのだと感動した。
 しかし、それを手に取り目を近づけてみると、私のものだという確信がなくなった。キズが目立ち、結構古いもののようだ。直接聞いて確認してみなくては。
「ええ、あれは私のです。荷物が振動で飛び出さないように、使わなくなったフットレストを重しがわりに使っているの。ひったくり防止にもなるでしょ」
 尾崎さんは、不用品の再利用をしていたのだった。やっぱり私のフットレストは行方不明のまま……。脱力した私を気づかうように、彼女は続けた。
「でも、使うのなら差し上げますよ」
 かくして、私はフットレストを譲り受けたのだった。
 なくした翌日に、他の人が同じものを持ってくるとは、単なる偶然とは思えない。しかも、同じ左足用ではないか。単に重しとして使うだけなら、形の違う右足用でも事が足りたはずなのに。
 意味ある偶然のことを『シンクロニシティ』というようだが、この言葉は舌を噛みそうでいま一つ馴染めない。
 むしろ、一寸法師が鬼退治をして手に入れたとされる『うちでの小づち』のほうがピッタリくる。この小づちを振れば、欲しいものがすべてゲットでき、望みが何でも叶うのだ。今回欲しかったものは使い古しのフットレストだから、ちょっとショボいけれども、念ずれば通じるという現象に意義がある。すべてが思い通りになるわけではないが、願いが実現できるように努力し、それが実現したときの達成感・満足感は、生きていく上で酸素や水くらい大切なものだ。
 誰でも、うちでの小づちは持っている。ただし、使いこなせない。今回はたまたま運がよかったが、この先、振れることがあるのだろうか。
 尾崎さんに、お礼としてハロウィンのお菓子をあげた。ちょうど、そういう時期だった。たしか彼女には女の子が2人いるはずだから、とびきり可愛らしいものを選んでみた。きっと喜んでくれるだろう。
「あら、もらっちゃっていいんですか」
 まったく予期していなかったのか、尾崎さんに包みを渡すと遠慮がちな言葉が返ってきた。
「私はいらないものをあげただけなのに、こんなにステキなものが返ってくるなんて。こういうのを『ガラクタ長者』っていうのかしら」
 まあ、貴女も昔話派だったのですか、尾崎さん。



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