富岡町の震災日記 「桜里園(オリオン)」

福島県富岡町は原発事故により町民は避難中。一部地域は解除、故郷に戻る町民も。桜の町の復興が叶うまでの日々をお伝えします。

夜の森の秋

2023-11-10 20:52:37 | 一時帰宅
11月7日(火)、
夜の森地区の「まちづくりワークショップ」会議に
出席のため、守谷市を朝6時半に出発。

常磐道を北上し、いわき市付近で雨が強く降ってきましたが、
富岡町に入ると不思議と雨が上がり、天候が回復。
自称、晴れ女の本領発揮しました。(笑)

震災前に仕事で大変お世話になった知人が
富岡町に帰還して暮らしているので、
久しぶりにお顔を見に訪問。
新しく設置した薪ストーブと
美味しい玉ネギとトマトのスープと、コーヒーで
お迎えしてくれました。

午後からの会議前に
新しくオープンしたお店でお土産を買いました。
通称:桜通りと呼んでいる近くに
富岡町の米粉を使用したバームクーヘンのお店です。
「ヨノモリ バーム ハウス」

桜並木トンネルが紅葉の見頃を迎えていました。
JR夜ノ森駅前の銀杏の木も見事な黄色に黄葉してましたよ。

会議は旧二小跡地のトータルサポートセンターにて開催。
多くの参加者がいらっしゃってて、
久しぶりに顔を合わせる方も。
生け垣のドウダンツツジの紅葉のグラデーションが
夜の森地区の秋をいっそう感じさせてくれました。

故郷の豊かな自然に触れ、リフレッシュして帰路につきました。
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お墓参り

2023-09-24 19:34:24 | 一時帰宅
昨年10月末に、郡山市で復興住宅にて
一人暮らしをしていた義母を
茨城県守谷市に連れてきて、
私たち長男夫婦との3人生活をして約11ヶ月。

今年の4月には、桜祭り開催時に花見とお墓参りに
義母を連れて行きました。
7月の義父の命日は平日であったのと猛暑で断念。
8月のお盆期間中は、主人曰く、自宅で仕事がある。
とのことで、また断念。
さすがに9月のお彼岸にはお墓参りに行かなくてはと、
1週間早くではありましたが、9月16日より一泊で
故郷のお墓参りへ。

16日(土)に富岡町内のお墓へ、お花とお線香とお水を持って。
郡山市より義母の妹夫妻と姪っ子が合流。
5ヶ月振りの再会でした。
町内のおそば屋さんにて昼食。
ゆっくりとおしゃべりしたいとの要望で
義母さんを妹夫妻に預けて、私たち長男夫妻は別行動。
郡山市内のホテルへ移動しました。

私は主人に頼んで、私の実家のお墓参りへ行きました。
富岡町の西側の川内村の毛戸地区に実家のお墓があります。
標高300メートルから400メートルの高地にあり、
小学生の頃には1メートルの大雪も降ったことがありました。
富岡町から川内村に向かって進み、途中で右折…
約4㎞hくらい、舗装はしてありますが山道を上って行きます。
私一人では、10歳まで生まれ育った家とはいえ…
怖くて中々、足を伸ばせませんでした。
実家の両親は足腰も弱くなり、体調も年々悪くなっており
守谷市から4時間かかるお墓参りは、もう無理です。
今回、実家の家周りの写真と、裏山にあるお墓の写真を撮影し、
一番気にしている、実家の父に見せる事が出来ました。

うっそうと夏草が生い茂り、家のあった場所までは
たどりつけませんでしたが、
裏山のお墓は、共同墓地ということもあり、
一旦は避難指示で避難していた住民の皆さんが戻っていて、
綺麗に草刈りもされていて、
私も久しぶりにお墓参りが出来ました。


川内村から288号線経由で郡山市へ移動。
ホテルに一泊し、午前中は同級生の避難先で顔出し。
一年ぶりにしたおしゃべりは楽しい時間でした。
妹夫妻へ預かってもらっていた義母さんを
お昼前にお迎えにいき、ゆっくりと守谷へ帰ってきました。
思ったよりも義母さんは疲れが出ずにすみました。
また、お墓参りには行けそうです。
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夏の名残りと秋の足音…

2022-09-11 19:01:08 | 一時帰宅
2022年9月10日(土)
避難先の茨城県守谷市を朝10時に出発。
主人がお仕事の打ち合わせで、富岡町周辺の事業所に行くと
言うので、運転補助になればと一緒に同行。
思っていたより常磐道を走る車が多く
行動制限がない現状を感じました。

13時30分から打ち合わせ、私は車中で待機。
ほどなく現場確認が終了し戻ってきた主人と、
自宅が解体され更地になっている我が家へ寄りました。
5月の連休に除草剤をまいていましたが、
その除草剤はどこへいってしまったのかと思うほど
雑草が1メートル近く繁っていました。
私の実家の敷地へも寄りましたが、
実家はもっと酷い状態で、ススキなども勢力を伸ばしてました。

第二小学校跡地に、今年3月に開園した
特別養護老人ホーム「桜の園」にも立ち寄り
パンフレットを頂き、帰路につきました。
旧第二小学校からJRの鉄道を越え通称「三橋」を渡り
下千里を高速道路方面へ移動。
今年3月の福島の大地震で道路下の水道管がまた壊れて
道路が破損してました。
道路右手に突然、向日葵畑が出現!
思わず写真を一枚…夏の名残り、
綺麗に咲いた向日葵の花々は、確かに、
ここ富岡町にも人がいる、生活しているという人の気配が感じられて
とても嬉しくなりました。

少しUターンして、二人で久しぶりのお墓参りも。
枯れた供花やお墓まわりの雑草を除去…
お彼岸が近いので、来られなかった子どもや孫達の分まで
お参り出来て良かったです。

高速道路のならはPAではススキの穂が…
故郷は、秋の足音が近づいてきていました。
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自宅解体開始…

2019-12-22 22:23:34 | 一時帰宅
震災から8年9ヶ月…
帰還困難区域内の自宅家屋がいよいよ解体されます。
11月中旬から家屋内に残されてた荷物の撤去がはじまり
約一ヶ月かかって畳やサッシなども無くなってました。

(庭から茶の間を見る)(玄関)
震災当時、中学2年生だった次女が同行、
15歳以下だった為になかなか自宅には帰れず
この日は3回目の一時帰宅。
久しぶりの自宅を見て、大きな家だったのだと感じたようです。
最後の家の姿をみられて良かったとも言っていました。
次回訪れる際は、更地となっていまね、きっと…
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もうすぐ解体です…

2019-07-31 22:56:19 | 一時帰宅
6月に解体の為の現場立会いをしました。
敷地内外、塀、庭石、植木、古井戸、水道の箇所のほか、
家の内部では、エアコンの数、室外機、プリンター、タンス、
机、冷蔵後などなど、解体をするための、
いろいろなチェックをしました。
あれから一ヶ月、7月15日に荷物の整理するために
もう一度一時帰宅をしたのですが…

6月とは違って、梅雨の時期…
家の中は泥棒さんが裏の窓から入ってそのままの為、
湿気が入ってジメジメ状態。
地震でできた建物の亀裂からは雨水が8年半の間しみこみ、
玄関の天井は腐り始めてきました。
なんとも言えないのは「臭い」です…
動物が入ったので土だらけ、梅雨の雨に濡れた家は
「部屋干しの洗濯物の臭い」が充満していました。
小さいハエも発生し始め、次回の一時帰宅が最後かも…
もう我が家の中に入るのは限界と感じて帰宅しました。
子どもたちが作った作品を写真に収めて…

除染済みの庭には「赤麻(あかそ)」が生えてました。
煮出して染めると赤系の優しいピンク色に染まります。
持って帰って染めるわけにはいきません。残念ですが…

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虫干し

2018-10-16 23:36:32 | 一時帰宅
震災から7年半…
先日の一時帰宅時に自宅より運び出したもの…
それは、長男の鎧飾りと、三人官女…
五月人形の破魔弓と剣、台座や屏風はあきらめました。
大きくて飾る場所や収納を考えると難しいですね。
鎧飾りは、漆塗りの台座の箱にすっぽり収まるので
これだけはどうしても持ってきたかった!

雛飾りのお内裏様とお雛様は3年前に運んでましたが、
当時はアパートだったので、実家に預かってもらってました。
来年の3月は、久しぶりに三人官女との対面が実現。
しばらく虫干しをしてから収納する予定です。

子供たちが生まれた初節句に実家の両親が
孫の健やかな成長を願い贈ってくれた品々です。
これからも大切にその想いを繋いでいきたいですね。
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9ヶ月ぶりの一時帰宅

2018-10-10 21:46:08 | 一時帰宅
2017年(H29)の12月に一時帰宅してから
9ヶ月ぶりに一時帰宅しました。

庭のみが除染され、7年半もほったらかしで
伸び放題だった木々は根元から伐採されてました。
でも「生命」って素晴らしい!
切り株から新芽が伸びていました。

家の中に入ると、玄関の天井が長年の雨漏り
抜け落ちてました。晴天なのにポタリポタリ…
茶の間の天井には動物が住み着いているらしく
排泄物の重みで、これまた抜け落ち始めてました。
カレンダーは震災の年の3月のままです。
昨年、家中のすべてのドアを締めて帰ったはずなのに
今回も家中のドアが開いてました。
ドロボーさんが侵入していたようです。
本当に残念なことです…

台所はこのとおり!壁に並んでいた冷蔵庫も
荒らされてました。
イノシシの足跡が絨毯にくっきり!
出られなくなって、客間のサッシのガラスを
突き破ったようです。
近隣で解体作業していた業者の方が、
その穴をベニヤ板で塞いでくれてました。

両隣の家はすでに解体がすんで更地に。
かつて田んぼだった場所に、ぎっしりと太陽光発電が
並んでいるのを見ながら、高速道路で帰路につきました。



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100冊のアルバム

2017-12-11 19:09:39 | 一時帰宅
12月9日(土)4年ぶりくらいに
一時帰宅しました。
帰還困難区域内の自宅には、緊急事態を考慮し、
1人で立ち入ることが出来きません。
今回は2月に結婚式を考えているらしい
次女の為に、持ち出せていなかった
アルバムを持って来るのが第一目的。

4年ぶりの自宅には、泥棒が侵入していた痕跡。
加えて動物の侵入も…
閉めて帰ったはずの家中のドアが開けられていました。
本当に悲しいことです。

100冊のアルバムは我が家の宝物です。
近年はデジタルカメラで撮影していますが、
当時はフィルムを使用していました。
少しずつですが、大量な写真をコンパクトに
整理整頓していこうと思っています。
とりあえず、持って帰ってこられて良かった…

避難先への帰路の途中、いわき市で知人と会食。
ラトブ内1階のクリスマスツリーで待ち合わせ。

いわき駅前のけやき並木は、さくら色の
イルミネーションがキラキラ…

やっぱり福島は寒かったです!

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解体立ち会い

2017-02-08 21:42:19 | 一時帰宅
2月3日(金)から始まっていた実家の解体…
月曜日火曜日は強風だったので、今日、行って来ました。

富岡町の西側の山々が白っぽく見えていて、
やっぱり福島は寒いのだと実感!
(会津や中通りで雪が降っていると、
 雪が西風に乗って、東側の浜通りの山々を
 白くけむるように包む様子を
 地元では、「雪がふっかけている」といいます。)

家の解体作業は、
妹親子が住んでいた実家の隣の家から進んでました。

ほぼ半分以上が解体されてましたね。
実家の家は、ベランダとサッシが外されて
家の中の荒れている様子がわかりました。

分別しながら少しづつ進めていくそうです。

たくさんの想い出が詰まった家の最後…
1時間くらいじっと眺めてきました。
何ともいえない、せつない時間でした。
でも、行って良かったです。
本当の意味でのお別れが出来ました…
庭の紅梅が満開でした。
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解体打合せ

2016-12-20 23:33:09 | 一時帰宅
12月19日月曜日
実家の両親と3人で富岡町へ…
実家の家は倒壊の危険があるということで
早ければ来年1月中頃に解体することになり、
その現場立ち会い打合せをしました。

家の中には冷蔵庫やエアコンが何個あるのか…
ピアノ、机、灯油、タンス、物置は撤去。
庭の塀は残す事にしました。
庭木は重機の邪魔になる部分は切るそうですが、
撤去は出来ないとのことなので…

ただ、驚いたことに…
植えてあったボタンの花が3株、
樹齢70年は超える咲き分けのサツキが
誰かに盗まれていました。
悲しいことです… でも、母は、
「誰もいない庭に植えられているより
誰かが観てくれる庭に持っていってもらったんだから」
と…そっと呟いてました。

震災後に一度も剪定をしていない八重咲きの梅と
母が大好きな「わびすけ」が蕾をつけていたので
何枝か折って持ち帰ってきました。
本当はいけないのかもしれないけど…
避難先の家の玄関で、しばらくの間
両親達の目を楽しませてくれるでしょう。

八重咲きの梅は、55年前に
結婚の記念に植えたそうです。

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特例宿泊開始

2016-03-22 20:31:31 | 一時帰宅
2016年3月17日(木)から23日(水)まで
富岡町の避難指示解除準備区域と
居住制限区域の両区域にて
富岡町では初めてとなる特例宿泊が実施されてます。
これまでは、夜間宿泊が認められていませんでした。
お彼岸の今回は、30世帯53人の申請があり、
初日は7世帯13人が宿泊したそうです。

4月6日からの花見シーズンと、
4月29日からの大型連休期間中にも
特例宿泊が実施予定だそうです。
いずれも特例宿泊受付センターに電話した後、
「特例宿泊のしおり」が世帯主に送付されます。
当日は、富岡町保健せんたーにて
必ず個人線量計を受け取り、帰宅日にはそれを返却。
受付コールセンターに電話で報告する事になってます。

本来認められていない住民の宿泊ですから
いろいろな手続きは仕方ないですね。
こうした手続きがなくても、宿泊出来るようにと
願っております。
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年間30回になりました。

2015-09-03 09:03:45 | 一時帰宅
帰還困区域への一時立入が年間15回から
30回になりました。
住民からの要望があったそうです。
私どもは福島県外へ避難していますし、
仕事や子供の学校などありますから
なかなか頻繁に一時帰宅するのは厳しいですが、
いわき市や郡山市など、福島県内で避難生活を
おくっている方々は、月1回程度の一時帰宅では
家の片付けも管理も難しいでしょうね。
とりあえず、また一歩、良い方向へ前進でしょうか…

でも、こうなってくると、我が家の庭も家の中も
今までみたいに放っておく訳にはいかないですね。
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私物整理無事完了!

2015-08-25 21:59:41 | 一時帰宅
なんとかゴミと資料の仕分けが出来、無事帰って来ました。
10時半に富岡町の現地到着。お昼を挟んで終了したのが2時半。
照明はつくけど、エアコンがつかなくて…
比較的涼しい日でしたが、もう汗だくでした。
また眼底出血すると怖いので、水分補給はしっかりしました。

帰り道、実家の様子を見に行くと
庭に綺麗な百合が咲いていました。
全壊判定の実家はまだ除染をしていません。
近隣の家は除染が終了し綺麗に整地されてますが…
解体対象なので庭のみの除染が出来ずにいます。
11月頃に解体をするようです。
その前に家財賠償の為の室内写真を撮影しなくてはなりません。

そして一時帰宅の際にどうしても寄りたかった場所に…
双葉警察署裏の公園に設置された被災車両に
手を合わせてきました。
震災の際、富岡町を襲った大津波で警察官2名が殉職されました。
町民の方を非難誘導していて津波にのみ込まれました。
1名の方は後日沖合30㎞で発見されましたが、
もう1名の方はまだ行方が分かってません。
この日も、愛知県警から応援にきていた警察官の方が訪れ、
手を合わせていらっしゃいました。

帰りは、高速道路のパーキングで休憩するたびに
15分位ずつ、仮眠をとりながら、
4時間かけてゆっくり帰ってきましたよ。
とにかく疲れました~。翌日は腰が痛くて痛くて…
またぎっくり腰になったかと思っちゃいました。
でもこれで一区切り、少し気持ちがスッキリ!



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私物整理

2015-08-22 13:24:42 | 一時帰宅
これも一時帰宅というのだろうか…
当時勤務していた建物の中に入るというので
昨日、日帰りで行ってきました。
机周辺の私物をゴミと持ち帰る物とに分別作業…
4年半も使っていなかったのだから
全部処分しても支障はないはずなんだけれど…
それでも捨てるとなるとやっぱり悩みました。

桜をキーワードに活動していた「桜の富岡」委員会の
活動記録の写真や資料も運び出しました。
今はデジタルカメラですが、当初の記録はフィルムカメラ!
時間があるときにそのうちデータ化しておこうと
思ってたけど震災になっちゃって…
置き場所を考えると、コンパクトな資料にしなくてはね。
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一年ぶり…

2015-05-18 21:16:10 | 一時帰宅
一年ぶりに帰還困難区域の自宅へ、一時帰宅しました。
平成27年4月中旬から、
前日の20時までに、電話を入れれば、
一時帰宅が可能になりました。当日の電話ではダメですが…
一年間で15回までの条件付きです。
昨年は、自宅内にネズミの侵入があって大変でしたが、
ネズミよけの薬剤の効果があったのか、
あまり変わりありませんでした。
少し雨漏りがひどくなって、湿気が強まってはいましたが、
一安心…一安心…

設計図の図面を探しに行ったのですが、結局見つからず、
15時になってしまって、断念して帰ってきました。
そして気になっていた裏の倉庫においていた
7段飾りのお雛様の箱をチェックすると…
無残にも、ダンボールの箱がネズミにボロボロにされてました。
赤い毛氈もズタズタに…震災前年からだから、5年もそのまま…
三人官女や五人囃子達には申しわけなかったけれど、
お内裏様とお雛様と雪洞だけを、持ち帰ってきました。

病気がちだった長女の健康をずっと見守ってきれくれていた
大事な大事なお雛様です。
現在は、新築した実家の両親宅のリビングの出窓で、
久しぶりの虫干しをしてもらってます。
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