あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

日航亭大湯 閉館・・・

2024-01-13 10:13:08 | 熱海

泊まりがけではなく

平日の昼間にフラっと東海道線に乗り熱海まで

健康ランド的なものではなく

ひなびた建物だが泉質はさすが熱海と思わせる

温泉が手軽に味わえる日帰り入浴を気軽に満喫。

ちょっと贅沢をしてうまい寿司屋で魚とビール

ほろ酔い気分で駅に戻り再び東海道線の人となる。

いや、帰りは新幹線こだま号でワープのごとく戻るのもよいか。

そんな過ごし方も熱海の楽しさで好きな休日の楽しみ方だった

 

「だった」

 

温泉地熱海は宿は多くとも立ち寄り湯が少ない

かつて福島屋旅館でたばこ銭程度の金額で塩素臭の無い

温泉を味わえたのだがご存知の通り今は無く。

熱海に行く回数は減っても福島屋旅館近くの

日航亭大湯がその代わりとなっていた。

少し高いが石鹸、シャンプー、ドライヤーが備え付けられ

入浴後はゆっくりくつろげる広間があった。

しかし、昨日の事

三島での新年会に行く前に日航亭大湯に入ってから、と思い

営業時間を調べると

11月で閉館した事を知った。

【公式】日航亭 大湯 | 熱海日帰り温泉 (amebaownd.com)

 

10年以上前に福島屋で日帰り湯館主さん達の寄り合いがあって

何故か私も混ぜて頂き日航亭大湯さんの主さんとお話しする機会があったが

「温泉施設の維持はお金が掛かる」と話しておられたのだが。

 

という事は

前述の熱海日帰り旅は出来なくなった、という事か。

熱海駅前温泉浴場は手頃だが出た後にくつろぐ事が出来ない。

福島屋も日航亭の良さは入浴後にくつろぐ時間もセットだったのだから。

湯上り後のまったり感は大切だ。

知る人ぞ知る?ような町内浴場は駅から遠いので気楽に、とはいかない。

 

昭和がまた一つ消えた

というより

熱海がまた一つ遠くなった

 

昨年6月に訪れた際に撮影 これが最後となってしまいました。

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三菱シルバーピジョンC-35の事

2024-01-06 22:03:46 | (旧車)

実家の押し入れでコルトの部品を探していると懐かしい銘板が出て来た

三菱シルバーピジョン 製造年1953 車輛型式C-35

 

あのスクーターだ・・・

こんな事もあったな

 

幼稚園生の頃だったか

小学校低学年の頃だったのかは思い出せないが

休みの日の昼間に杉並区梅里にあった父の実家に2人で行く事があり

何故だか父はコルトのリアシートを外して家を出た。

実家に着くと今までは気付かなかったシートカバーのようなものに覆われた

オートバイがあった。

錆だらけで不動な状態だったのは子供でも一目瞭然といった状態であった。

父からレバーだかを触るように言われて動かすとオレンジ色の部品が飛び出してきた。

昔のウインカーはこうだった、という事と「アポロ」という名前を知った。

「この錆付いたオートバイを持って帰る為にコルトの席を外していたのか」

とにかくコルトの影響で幼少期から古いモノが大好きだった私は

家に古いオートバイが加わるんだ!と思い大喜びだった。

自宅へ戻るとそのオートバイは物置の隣へ置かれて私は友達が来ると

飛び出るアポロ(ウインカー)を誇らしげに見せたものだった。

錆てボロボロだけど何でも直してしまう父の事だから

これも直して父が乗るのだろう、と勝手に思っていたのだが

一向にその気配は無かった。

 

ある時、気が付くと「アポロの付いたオートバイ」は消えていて

鉄の塊が一つ残っていた

 

私の知らぬ間にあのオートバイは父の手によって解体されていたのだ

どうして壊しちゃったの?

父に尋ねると直すつもりは無く父の実家では処分が出来ないから

こっちに持ってきてバラシて処分する為にも運んできたのだそうだ

それでも食い下がるように

「直せばよかったのに!」

と訴えるように言うと

『フレームも腐りどうしようもない』

と返ってきて

お父さんでも直せないモノがあるんだ、という事を初めて知った。

成長して思い返すと別に直して乗ろうと思った懐古趣味でも全くなく

子供にそんな事を言われる筋合いもなかったろうに。

その後、残ったエンジンだけはそのままにされて

私が何したかというと

あろうことか穴にジョウロで水を入れて回転部分を動かすと水が噴き出てくる

というのが面白くて遊んでいた。

そしてそれもいつか消えていた。

 

もう少し大きくなるとあれはオートバイではなく「スクーター」で水を入れていたその穴はプラグ穴だった事を知る。

エンジンに水を入れる、とはなんて事を私はしていたのだろうと思ったのだった。

 

そしてなんであのスクーターのエンジンだけを残しておいたのかと父に尋ねると

お前がエンジンに興味を持つと思って残したのだけど

気付いたらジョウロで水を入れられていた

と笑われた

父の願い通り?にその時に機械に興味が出ればコルトの維持も

もっと違ったものにとなっていただろう

結果私は「クルマ好きのメカオンチ」となっている。

 

それから一度だけそのスクーターに乗る父のモノクロ写真を見た事があった。

リアシートには父の妹さんが乗っており東京近郊のダムへドライブに行った際の

ものだった。

「実家から職場までの通勤用にと中古で買ったけど何度もチェーンが外れた」

運用期間はあまり長くは無かったようだ。

息子と違いあまりモノに執着しないんだな、と思っていたのだが

20年程前に物置からそのスクーターのマスコットマークと銘板が発見されて

わざわざ記念品のように残しておいた父の意外性に驚かされた。

これを小さな額に入れて飾るのもいい、と思いながら

私自身すっかりと忘れていた二輪車の思い出だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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