あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

あのときのシウマイ弁当

2021-08-09 16:38:56 | ヨコハマ

ヨコハマ産まれでヨコハマ育ちの私が「横浜名物は?」と聞かれたら迷わず挙げるのが

崎陽軒のシウマイ弁当です。

駅弁として日本一だと思うその理由は観光客ではなく地元の人が頻繁に買っていく駅弁なんて

他にあまり無い。あったとしても数量が違い過ぎだろう。

食事にしても酒の肴としても言う事無しな逸品!

その日は実家の母から仕事帰りに京浜デパートの地下で崎陽軒の弁当を買って来てと依頼があった。

たまにはシウマイ弁当ではなく別なものを、と思い赤飯とチャーハンを選んだ。

会計が済み受け取ろうとした時にチラシのような広告が目に入った。

1964年のシウマイ弁当復刻版。

大げさなようだが「心の中で」奇声を上げていた。

『これだよ、これぇえええ!! 僕が食べてみたかったのはこんなシウマイ弁当なんだよおお!!』

 

動揺し、これに変更したいと思っても支払いは終わった後。

幼少期で覚えている崎陽軒シウマイ弁当は小学1年の頃に祖父の葬儀の際に火葬場で出された

黄色い掛け紙の弁当だった。その前にも食べているのだろうが何故かこの時に黄色いシウマイ弁当が記憶に残っている。

いつだったろう

サクランボのシロップ漬け?がアンズに変わったのは

そうなるとかつてのシウマイ弁当の中身は変わってきたのか?

鶏のから揚げではなくエビフライの時もあったな

 

簡単に撮影が出来る現在と違い駅弁の中身を撮影している人も見当たらない。

なので過去のシウマイ弁当の中身を知りたかったし機会があれば崎陽軒にかつてのシウマイ弁当を

復刻して欲しいと嘆願したかった。

 

翌日、夜食にしようと出勤前に売り場に行ったが見事に売り切れ…

その翌々日の休みに2店を巡っても売切れで「入荷待ち」の札。

次の入荷は13:30から14:00頃との事だ。それだけ売れている、というのは嬉しいものだ。

 

やっと入手しました。

オレンジがかった現在の掛け紙と微妙に違う黄色い掛け紙の「色」

以前はもっと色が違ったと思っていたがやはり変わっていたのだ。

こちらが現在☟

そして復刻版☟

 

調製の日付はあえて東京五輪の文字を入れずに1964.10.10とあるのがいい。

左下には「崎陽軒」ではなく

 

「横浜駅」の文字が泣かせる

昭和38年の東海道ロードマップには横浜駅の目印にシューマイビルが記されていたほど

駅前にあった旧崎陽軒ビルはシンボル的な役割だったのだろう。

左下の横浜駅前案内図拡大

東京タワーみたいなマリンタワー。昭和感に溢れています。

 

龍のイラストも今では赤いが昔は違ったのね。龍自体も変わっている。

 

青い水晶玉の中には常にヨコハマを象徴する建物をイラストにしてきたが

この頃は今では高層ビルに埋まってしまった感のあるマリンタワーがそびえ立つように描かれ

隣の船は氷川丸だろうか。真ん中は神奈川県庁と横浜税関かな。

古いクレーンを付けた船舶が多く描かれているのは海運が盛んだった当時を物語っている。

一番右の銅像のようなモノはなんでしょう?

先にご紹介した横浜駅前のかつてのシウマイビルです(たぶん)

ペンギンのように見えるのは

屋上にあった「ひょうちゃん」のネオンサインだと思います。

細かいマニアからすると左の「毎度ありがとうございます」の文字の脇に

御願い 時期柄なるべくお早目に~ 国鉄構内営業中央会員、崎陽軒の社名下には住所と電話番号が…と

ツッコむ方がいるかと(いないか)

それでは紐を解き開けてみましょう

そういえば昔のオシボリは白フチでオレンジ色の紙袋に入っていた。昔、実家に大量にあったのだが

捨ててしまった事を今頃後悔しています。駅弁にオシボリを付けたのは崎陽軒が初と聞いています。

現行品と比べると

シウマイの数が一つ少ないし色が地味です。

横浜蒲鉾のカマボコが赤くなく白一色でアンズのオレンジが無いだけで華やかさがまるで違う!

 

卵焼きの黄色も無いか

カマボコの赤って華やかだったんですね

 

「1964年に思いを馳せ、当時の内容を再現したシウマイ弁当。「きんぴら蓮根」「豚天」「セロリの塩漬け」「福神漬け」「大根漬物」といった、“あのとき”のおかずが復活しました。」

崎陽軒のHPより転載

食べた感想は唐揚げと甘い玉子焼き、甘酸っぱい杏子が好きなので現行品に軍配を上げます。

あと華やかさの大切さを痛感。

それでも1964年の駅弁を食した、という幸福感に満たされました。

昔の時刻表を見ると当時の商品や値段を見るにつけ

どんな内容だったのだろう、と想像していました。

昭和39年10月の時刻表の駅弁案内

当時は¥150でした。

 

さて、昭和39年のシウマイ弁当にタマゴ焼きが入っていない理由ですが

昭和38年にこのような出来事がありました。

 

 

 

たまご焼きの火入れが足りなかったようです。

それがあり一年後の昭和39年にも玉子焼きは入っていなかったのではないでしょうか。

崎陽軒さんには触れられたくない出来事でしょうがこれも歴史の一コマとして載せてみました。

あのときのシウマイ弁当は9月5日まで販売されます。

明日の遅番の前にまた買うつもりです!

崎陽軒のサイト

 

 

 

コメント (8)
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