あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

ニューイヤーミーティング参加します。

2007-01-27 07:49:50 | (旧車)
28日にお台場でニューイヤーミーティングという旧車イベントが開かれます。
http://www.jcca.cc/event/2007/newyear/newyear.html
過去に10年程コルトで参加していましたが去年は不参加で今年も出ないつもりだった。(だって参加費が¥13000もするんですもの)
が、今年はなんて三菱車がコンクール対象!
イベント始まって以来の出来事にdebopacerさんに相談した所「多くの三菱車が集まるに違いない!出てみよう」
ということになりエントリーしました。送られてきたゼッケンは「3」
かなり頭の番号だが気になるコルトシリーズは?
過去に同型のコルトが来た事は殆ど無い。
横浜で開かれていた時代にニューコルト1200が一台。
相模ナンバーのコルト11F(イレブン)。
4年程前に四角目のニューコルト1500が和歌山県から参加。
位だった。
今年はなんと50台の三菱車が参加するそうです。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大分旅行 13 ゼロ戦と戦艦大和

2007-01-23 18:34:56 | 
秋田書店の子供向け文庫みたいなタイトルになってしまいました。
(思えば従兄弟の家にあったその本で私の趣味が決まってしまったんだな)

広島駅のホームで0形新幹線を見送った後は猛ダッシュで呉線の乗り場へと走りました。これを逃すと予定が狂うので必死。
列車に乗るとすぐに扉が閉まり危ない所でした。

車窓から瀬戸内海が見えたので「この空と海に日本海軍の飛行機や船が」と妄想。

呉駅に着きショッピングセンターを抜け右を見ると



いきなり本物の潜水艦がデ~ンと・・・
そういえばテレビニュースで陸揚げの様子が流れていたがこんな場所だったとは・・・
2007年4月オープンの「海上自衛隊呉資料館」だそうな。
しばし唖然・・・。
潜水艦って大きいんですね。

広島での目的地は「大和ミュージアム

遠いから行きたいけど訪れる機会はないな、と諦めていましたが行けるなんて









展示されている大和の模型は実に細かく出来ていた。

それもよいのだが資料コーナーにあった伊藤長官の制服や
大和から引き上げられた遺品の数々に胸を絞めつけられる思いだった。

特に「靴」

靴は亡くなられた乗組員が直に履いていたもの

いろんな思いが交錯し泣きそうになってしまった。

映像や資料がとても多くもって見ていたいのだがここでの滞在時間は2時間しかない。

次の目当て「ゼロ戦」へと向かう。
(「ゼロ戦」「零戦」と呼び名はあるが私は「れいしきせん」と読んでいます)


零戦62型
琵琶湖に不時着水した機体を引き上げて京都の嵐山美術館に四式戦(キ84)と共に展示されていました。
その時の展示中、座席内の計器をかなり盗まれたと聞く(怒)
閉館後、キ84は知覧へ。零戦はゼロパーク?という所に移ったそうな。
そして現在はこの大和ミュージアムに展示されています。
この度の展示で奇麗に修復された事が嬉しい。
(それにしても最近まで「63型」と言われていましたが62型だったんですね。これにも諸説あるみたいなので省略)


この斜め後ろからの眺めが好き
あぁ、これに白浜芳次郎さんや坂井三郎さんが乗っていたのか
とか
これに乗って亡くなった方、この戦闘機を見送った整備員の気持ち等を想う



時間が足りない・・・ここなら一日中いられます
表にも出てみたい

判りづらいが実物大の大和の大きさが記されている桟橋
見たいな~!!

お土産コーナーに4式射爆照準器のレプリカが売っていた。
実に欲しいが値段がデジタル一眼が買える位だったので断念

他にも海軍カレーやコーヒー、ラムネ、缶詰等があり食指が動いたが
まだ旅の途中なので荷物を増やす訳にはいかない。
旧軍関係が好きな方に何か買って行きたかったが迷ってしまう。

仕方ないので「自分の土産」のみ選んだのがこれ↓



98式射撃照準器の1/3モデル。
これなら値段も手頃なので記念になる(通販でも買えるが《笑》)。

「海上自衛隊呉資料館」がオープンしたらまた訪れたい。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大分旅行 番外編 0系新幹線の事故

2007-01-17 23:03:22 | 60年代
前回、昭和41年4月25日に発生した「0系新幹線の事故」を取り上げましたがinomamoさんから

子供の頃に本で読んで以来、国鉄の過失による新幹線の死亡事故はゼロだと思ってました。意外でした。


とのコメントを戴いたのでこの事故の「その後」を載せる事にしました。
(参考記事)昭和41年4月26日朝日新聞


この事故の翌日26日に逮捕者が出ています。


逮捕記事の詳細はこちらをご覧下さい↓
昭和41年4月27日神奈川新聞
(画像は修正しております)

華やかな「夢の超特急」新幹線の陰にも痛ましい事故があったのですね


追伸
この事故の前にも1000系試作電車で「新幹線初の自殺事故」が起きています。

昭和39年2月27日神奈川新聞

(これがA、B編成どちらだったのかは不明)

・・・頼まれてもいないのにこんな事を書いているから大分旅行の記事が終わらないんだなぁ・・・







コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大分旅行 12 0系新幹線と姫路市営モノレール?

2007-01-13 23:26:49 | モノレール
前回、ビュッフェの事を取り上げて調べてみると大阪の交通科学博物館に保存されてい
4両の新幹線の内のビュッフェ車は営業当時そのままに保存されているそうだ。
http://www.jijoweb.com/tx5e1.html
↑公衆電話も残してあるなんて素晴らしい!
もし私が特別展示時に、さまひさんと訪れたら聖徳太子の一万円札を振りかざして電話の順番を争うんだろうな・・・(分かる人《以下略》)

さて、
一号車の席に戻るとまもなく姫路駅に停車とのアナウンスが流れた。

ここで降りる訳ではないが姫路の名所といえば「姫路城」だろう。
一瞬だが見る事が出来れば幸いだ。

おお!見えた!城だー!


姫路博覧会跡のお城である!(画像は数年前に訪れた時のもの)
姫路城って西洋チックなんですね
この公園から見える景色が本当に良いのだ。


判りづらいが一枚目の画像の真ん中に姫路モノレールのレールが見える。

『東のドリーム交通モノレール、西の姫路市営モノレール』と呼ばれるそれです。
本当は新幹線が姫路モノレール軌道の上を通る時の一瞬に「ロッキード式」の特徴である「レール上の鉄レール(新幹線と同じとの話し)」が見えたのだが撮りそこなってしまった。

姫路には今も廃線となったレールが半分以上残っている。(下の画像は2003年撮影)




姫路モノレールについての詳細はここをご覧下さい↓
http://www.geocities.jp/charger60up/


途中、どこかの駅で超特急の通過待ちがあったので車外へ出てみた。


反対のホームには短くなった100系が通過待ちだった


08:43 こだま629号は広島駅に到着した。


終点の博多駅まで乗っていたいのだが広島でも訪れたい所があるので本当に残念だが0系とお別れとなった。

いつまで0系が現役でいられるのだろう?
出来る事なら高度経済成長時代の象徴のような列車を1編成、動態保存して欲しいと願ってしまう。(無理だろうけど)

運転手を交代した0系は雨の中尾灯を輝かせ博多へと走って行った。




おまけ?

だいぶ前に古い新聞を読んでいて見つけた新幹線の事故車両


前回の記事に載せた試作電車1000系は東海道新幹線開業後に試験車両として改造されて活躍した事は知られておりますが昭和41年に事故にあっていた事はあまり知られていないようです。
画像を見ると256㌔達成を記念した三角のプレートが見えます。

興味のある方はこちらをご覧下さい↓ ↓

昭和41年4月26日読売新聞

今回は0系のお話しなので載せてみました。





コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大分旅行 11 60年代の象徴!!0系新幹線

2007-01-09 16:44:56 | 
未だに去年の旅行の続きを書いておりますが
年は明けて2007年 本年も宜しくお願いいたします。

11月26日 新大阪のホテルを朝05:45に出て新幹線に乗る為駅に向かった。

ここまで日記を書いていて周囲から
「なんで大分に行くのにわざわざ大阪へ行ったの?」
と聞かれる。

もちろん新世界での食事が目当てだったが大阪で一番の目的はこれです


60年代高度成長時代の象徴とも言うべき
0系新幹線

(上の画像は試作車B編成。一灯故の目つきの悪さがステキ
わざわざ試作車の画像を貼ったりしているから書くのが遅れるんだよなぁ・・・

それに乗る為でした。
東海道新幹線からはとっくの昔に引退しておられますが山陽新幹線では本数は少ないものの「特急こだま号」として健在です。
数年前、姫路へ行った時に走る0系を見て以来乗る機会を探しておりました。

バンコク行きが無くなった今回こそそのチャンス!
と、0系乗車を企ておりました。

しかし、そこからが大変で私には何時の「こだま」に乗れば0系が来るか分りません。
少し前なら『時刻表を見て全席2列のこだまを探せば良い』
と言われておりましたが調べると0系は更に本数が減ったうえに
100系でも『全席2列』があるらしい、との情報を得ました。
 「『15分新大阪始発のこだまは0系』だと聞いていたら100系だった」
と情報も錯綜。友達に聞いたりしましたが結果判らず。

いいや、前夜のうちに新大阪駅に行って駅員さんに聞いてみよう♪
と軽く考えていたが実際に駅行って尋ねてみるも
「ここでは判りませんので」
と、更に別の所にもその場で電話問い合わせしてくれましたが
「う~ん、やっぱり判りません」でした。
でもJR西日本の駅員さんありがとうでした(涙)

こうなったら始発の06:12から0系が来るまで待とう、と決意し駅の階段を上がったら銀色の屋根の新幹線が・・・

先頭車に行ってみると・・・

「まるいヒカリのボンネット♪」と歌われた


念願の0系じゃないですかぁ~

あぁ、生きている0系(涙)
私が0系新幹線に乗ったのは中学三年の修学旅行の時でした。
その後も新幹線に乗る機会はわずかにあったが「0系に乗った」事は覚えていません。

接する機会があったのは

青梅鉄道公園や

神田の交通博物館(前頭部のみ)



大阪の交通科学博物館
だけでした。


博物館に収まっている初代新幹線が生きて動いている!





普通の人にはただの新幹線かもしれないが私には感動ものなのだ!

どうやらR62編成と呼ばれる車体らしい。

先頭の1号車の一番前の席に座る。
ここに座ると運転席から「チン!」と速度指示?信号の音が聞こえてくるからだ。

運転席と客席デッキにある「窓」を覗いてみると

昨日見たばかりの運転席が少し見えた
↓(交通科学博物館、保存車の運転席)

運転席に座ると『青木君、倉持だ』と声が聞こえてくるようだ(判る方だけ分って下さい)

新大阪06:12発 こだま629号は定時出発した。
車体から伝わってくる微かな振動、流れる車窓、走行音

0系が走っている・・・

感無量だった

ようやく落ち着いて車内を見ると始発という事もあって車内はガラガラ
普通車なのに2列でユッタリとした席

↓青梅鉄道公園にある初期型新幹線車内

目を閉じると

「犯人が死んだ~、犯人が死んだぞ~!!」
と、おせっかいな声が太鼓の音と一緒に聞こえてくるようだ(判る人だけ《以下略》)


デッキにはオリジナル塗装時代の写真が!


プレートを見ると昭和59年製造と書いてあった。
昭和39年の車体で59年製造とは三菱デボネアみたいだ

ビュッフェを示すマークが時代を感じさせ高得点♪


扉を開けると・・・



そんな訳なくて↓こんな状態でした。東海道開業時の姿ですしかし色使いがステキだ。



もちろん現在は営業しておりません。電子レンジやコーヒーメーカーが残る。



0系新幹線に「速度計」が今でも残っているとは思わなかった↓


やはり200キロ到達時には「バンザイ!」をするべきなのだろうか?
初期はアナログメーターだったが現在はデジタル化。
それでもあるだけで嬉しくなる。
さて、朝食にしよう

車内販売も無いのであらかじめ新大阪駅でサンドイッチとコーヒーを買っておいた。
弁当を選ばなかったのはビュッフェでの食事はサンドイッチとコーヒーが似合いそうだと思っての事。


つづく

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする