「カラマツの下の花畑」・・・・♪

軽井沢での子供時代に作った落葉松の下の花畑ーー心は今も~!「草花」「99歳の軽井沢物語」「葛西スケッチブック」ほか。  

清川 妙『心はいつも育ちざかり 』<朝日カルチャー・湘南教室 講演会のご案内>

2005-05-29 | 花笑み日和(清川 妙先生のこと)

  清川 妙 講演会 心はいつも育ちざかり   7394024 

 講師: 作家 清川  妙 

講座の内容: 年を取るって楽しいこと!年は重ねても、 心はいつまでも育てつづけることができます。 好奇心を持ち、 喜び上手の心でいきいきと生きたい。 そんな心の育て方を具体例をもとにお話しします。

期間・曜日・時間: 9月17日土 13:00~14:30

受講料(税込み): 1回 会員 2,620円一般 3,150円 

お問い合わせ:朝日カルチャーセンター湘南(藤沢ルミネプラザ9F)        
         TEL.0466-24-2255

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芝生や草地の小さな花 <ニワゼキショウ>

2005-05-19 | いとしき草花たち


 5-6月、日当たりのよい芝生や草地を観察していると、思いがけない楽しみに出会うことがあります。昨年のこと、青い小さな花の群生を見つけ、目を見張りました。
 その花の名は、ニワゼキショウ(庭石菖)です。花の大きさは一センチぐらい、草丈十五センチほどでしょうか。青い小花がたくさん、ふわりとレ-スをかけたように広がっていました。ところどころに、赤紫色の花も混じっていて、とてもきれいです。摘んできてコップに差しておくと、翌日は、もう萎み、つやつやの玉実(さく果)になっていました。一日花ですが、つぎつぎと咲きます。
 草姿が石菖(サトイモ科)に似ていることから、付けられた名だそうですが、アヤメ科です。北アメリカ原産の帰化植物で、明治時代に渡来し、今では都市近郊のいたるところに野性化しています。青や紫の、筋の入った六弁の淡い色で、花の中心部の黄色とのコントラストも愛らしく、なるほど、アヤメの姿をしています。
 初夏から夏にかけて日当たりのよい草地には、小さな花々の世界が織りこまれています。つんつんとよじれた花穂を立てて、ピンクのモジズリが咲きだしたり、マンテマが風船のような袋を付けていたり……。
 朝顔、ヒマワリ、芙蓉、サルスベリと、夏を彩る代表的な花の華やかさは、ないけれど、可憐な花を愛でるのも、この季節のささやかな喜びです。
 
さて、芝生で出会ったニワゼキショウですが、翌日、花好きの友だちを誘って見に行きましたら、跡形もありませんでした。何と刈り取られていたのです。とてもがっかりしました。こうした花は、あまり手入れの行き届いたところで見るのは無理です。管理の少し緩やかなのがいいようです。 今年もまた、草地や芝生でニワゼキショウの青いレ-スが見られるかもしれません。

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みどり色の手紙

2005-05-19 | 日常の小さな喜び&こころ便り
何かしら? 郵便受けのスペースいっぱいを覆う緑色。
それは見たこともない、30センチもある大きな葉っぱでした。
なんと、片面には120円の切手まで貼ってある!

「この気持ちをどのように伝えたらいいのかと考えた時、私の18番の定形外の手紙に、今出始めた秋田の若葉になりました」

厚紙に色を塗って葉脈まで描き込んである手作りはがきから、あふれるほどのお気持ちをいただきました。

先日、『心はいつも育ちざかり』(清川 妙著・あすなろ書房刊)の、読者の方からの問い合わせに、返事を書き、ほんの小さなお手伝いをした。ただそれだけのことだった。
Aさん、ありがとう! 秋田はもう桜若葉の美しい季節ですか。
あなたのつかんだチャンスの前髪が、楽しく実を結ぶように祈っています。
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83歳のときの、 ”母のゆめ”  

2005-05-16 | 99歳Umeさんの軽井沢物語

 

2004年8月11日 (水)            
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「 やってみたいこと
  
   ①水泳(泳げるようになりたい)
   ②自転車にのれるようになりたい
   ③スキー
   ④徳川美術館に行きたい 」
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ノートをめくっていたら、「83歳になる母のゆめ」
というところに行き当たった。

昔、スケートは、楽しんでやったことがあるから、スキーもおもしろそう! だけど、これは、今からではちょっとむりかもしれない。(去年、足を骨折したので。)
一番可能なのは、水泳。これならできる気がする。

という。

その頃の母は、好奇心旺盛で、気が充実していた。
その後、事故にあったり、骨の老化などで、このうちの、どれも実現しないまま、今に至ってしまった。
せめて、徳川美術館ぐらいは、つれていってやればよかった。

年を経てからの一年一年は、失っていくもののスピードが速い。
”思いたったら、すぐに”が、キーワードだ。

90歳になったって、やっぱり、気持ち次第。
残された出来ることを最大限、楽しんで、元気にやっていってほしい。
「さいごまで、いかに生きたか」
わたしたち後に続く者へ残す、なんてったって、一番の、お手本なのだから。

”90歳になったumeさんのゆめ” ぜひ、聞かせてね。

          ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




学校にプールのない時代の、山国に育ち、まったく泳げなかった私は、「母のゆめ」を聞いてから、一念発起し、水泳をはじめたものだ。あやしい息継ぎながら、何とかクロールができるようになった。

2004年8月2日 (月) 自転車       <90歳・Umeさんの軽井沢物語>14
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近所の子供たちは、自転車遊びに夢中だ。
しかし、その自転車をもっているのは、たったの一人、
その子のまわりを男の子たちは・・・

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貧しいながら、子供たちもどうにか育って、来年は、一番下の男の子が、
小学校へあがる。
近所の5-6人の男の子のうち、子供自転車を持っている子がいて、その子
(自転車)を中心にして男の子たちが、道いっぱいに飛び回ってあそんでいる。

その頃、主人は仕事で足を傷め、軽井沢の病院に1ヵ月ほど入院していた。
主人の弟が、見舞いがてらに、初めて我が家にやってきた。
きっと、山の、兄の家の暮らしにびっくりして帰ったことと思う。
3日ほどしてその弟から、子供用の自転車が届いた。
もう、友だちの自転車にくっついて、飛び回らなくてもいいのだ。
大喜びで、のりまわしている。
トテモトテモ手の届かない品を送ってくれた義弟に、本当に感謝した。

さて、来年の入学に合わせて何とか用意をしなくてはと、またまた一つふえた心配をかかえていると、よくしたもので、近所の人が、働き口の話をもってきた。

その頃、進駐軍から、ホテルや旅館が、ぼつぼつと返還されてきていた。その旅館
で、働いてみないかと声をかけてくれたのだ。
給料も定まっているし、照降なしだ。毎日というのが気に入ったし、転職することにした。

2004年8月1日 (日) 働く        <90歳・Umeさんの軽井沢物語>13
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収入は同じなのに、子供は4人に。

とにかく家の近くで、働いてみることにした。

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同じ区に、土建やさんがあって、何時も40人くらいの人が通ってきている。
その中に女性もひとり働いていた。
いつも、鬼ザルに入れた石ころや砂を、手元へ運んだり、
片付け仕事をしている。
私にも出来そうなので、早速そこで働くことにした。
仕事はあまり苦労ではなく、家から近いので、よかった。
初めはちょっと恥ずかしかったが、とにかく勇気を出して、そこでしばらく
働いた。
石ころを鬼ざるで運ぶことや片付けはよかったのだが、地鎮祭のときは、
見ているほど楽ではなかった。
若い人たちが通るたび、面白い言葉に節をつけて歌ったり、冗談ばかり歌にしてまあまあ面白いしごとだったが、自分に与えられた綱さえ歌に合わせて引っ張ったり放したりすればいいものの、力を入れないと自分の綱がたるんでしまうのだ。いわゆるヨイトマケで、おおきな木の根っこを、12人くらいで、引っ張るのだが、これが意外に重たい。ドスンドスンと3日間、それをした。

2004年7月29日 (木) Umeさんの軽井沢物語について       <moegi>
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Umeさんに越し方を書いてもらっていますが、
つまるところ、
戦後からの「貧乏物語」!
今の豊かさの、土台部分を必死に作ってくれた世代なのですが・・・。

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Umeさんは当年90歳。S市の某老人病院にいます。
思うにまかせぬ現身を、少しでも生きる張り合いを持ってもらいたいと思って、すすめたのが、この日記です。
疎開して住み着き、80余歳までを過ごした軽井沢の思い出を、書いてもらっています。
病院へ行ったとき、書いたものを受け取り、UPしては、プリントアウトして届けています。どうぞ応援してくださいね。

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上の日に我が恋初めし

2005-05-15 | 日常の小さな喜び&こころ便り
君帰す朝の敷石サクサクと雪よりんごの香のごとく降れ   
             白秋


 この歌に出会ったのは、高校生の頃。若者向けの雑誌で読み、大好きになった。まだ深い意味も思わず、「サクサクとりんごの香のように降る雪」のロマンチックな情景と調べのよさに、単純に反応しただけなのかもしれない。
 
ラグタイムさんのブログの一文、「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花サク・・」に寄せられたコメントを見て、思い出した。
 
今、本棚には、昭和18年発行の歌集『牡丹の木』(ぼたんのぼく・河出書房刊・第二刷)がある。30年以上も前、荻窪の古本屋で買ったものだ。白秋の死後、木俣 修編纂で、最晩年の歌四百十九首が載っている。背も表紙もヤケ、ぼろぼろに近い本だが、捨てられない。
昔の本はみなそうであったが、奥付には白秋と捺された丸印の検印が貼られていて懐かしい。2刷りの発行部数、5000部を、関係者の誰かが一枚一枚捺したのである。 (「牡丹の木」については、別に書きたい。)
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