ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

ビオン(祖父江典人訳)『ビオンとの対話-そして、最後の四つの論文』1998・金剛出版

2024年06月10日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

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 またまたビオンさんの本です。

 ビオン(祖父江典人訳)『ビオンとの対話-そして、最後の四つの論文』(1998・金剛出版)を再読しました。

 こちらもなかなか難しかったです。

 2割くらいは理解できたでしょうか。

 やや心許ない理解ですが、じーじなりに印象に残ったことを一つ、二つ。

 まず、投影同一化について。

 人が好まない自分自身の部分は、その人の外部に存在しているように感じられる、ビオンさんはそう解説します。

 なかなかわかりやすい説明だと思いました。

 次が、キーツさんの負の能力(消極的能力)について。

 知らないことに耐えることは難しい、と述べ、人は見たり聞いたりしたくないものは、打ち切りたい、と説明します。卓見です。

 あと、今回、気がついたのは、ビオンさんが、人は思い出すことができないことは、忘れることもできない、と述べている点。

 ここは、意識化の重要性やトラウマの扱い方などについて考えるポイントになると思われました。

 最後は、面接において、大事なのは現実や事実を尊重し、それらを観察すること、をビオンさんは強調されます。

 面接では、冷静に、細やかに、目の前のことを大切にすること、そして、今、ここでのできごとを大切にすることの重要性などを再度、教えられたように思います。

 さらに、今後も読み重ねて、実践と照らし合わせ、理解を深めていきたいなと思いました。    (2018. 11 記)

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 2021年2月の追記です

 負の能力(消極的能力)について述べているところで、知らないことに耐えるのは難しい、ということから、人は見たり聞いたりしたくないものは打ち切りたい、とつなげているところは重要だと思います。

 知らないこと、わからないこと、あいまいなことに人は耐えがたく、そのせいで、見ないことにしたり、聞いていないことにしたがる傾向があるということを指摘しているのだと思われます。    (2021.2 記)

 

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ビオン(松木邦裕ほか訳)『ビオンの臨床セミナー』2000・金剛出版

2024年06月09日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

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 ビオンさん(というのもなんか変なのですが、ビオンと呼び捨てにするのも失礼なので、ビオンさんと呼びます)の『ビオンの臨床セミナー』(松木邦裕・祖父江典人訳、2000・金剛出版)を再読しました。

 ビオンさんのご紹介も初めてでしょうか。

 なかなか難しい本で、うまくお伝えできるか、やや心配です。

 もっとも、じーじの尊敬する藤山直樹さんでも、ビオンさんは7割くらいしか理解できていない気がする、と、ある本でおっしゃっていますので、じーじなどは1~2割がいいところかもしれません。

 本書は、ビオンさんのケース・スーパーヴィジョンを紹介している本で、なかみはなかなか深いです。

 おそらく、経験のある人ほど、学べることは多いと思いますが、じーじのような初学者にはうわべを理解するだけで精一杯、しかし、それでもそれなりに勉強になると思います。

 今回、印象に残ったことをひとつ、ふたつ。

 一つめは、ビオンさんがよくおっしゃいますが、セッションはすべて初回セッションである、ということ。

 このことは本書でも、何度も何度も繰り返し強調されています。

 同じ内容を、今日は昨日ではない、とも表現されています。

 二つめは、これも有名な言葉ですが、記憶なく、欲望なく、理解なく、という精神分析についての言葉。

 一つめとも関連しますが、今、ここで、に集中することの大切さを強調されています。

 ビオンさんは、大切なのは今、起きていること、私たちが何かできるのは現在だけ、とも述べておられます。

 三つめは、キーツさんの言葉を引かれていますが、シェイクスピアさんは確かさに性急に到達しようとせず、あいまいさに耐えられた、と述べている点。

 ここでもキーツさんが出てきて驚いたのですが、それがさらに、あのシェイクスピアさんが原典らしく、びっくりです。

 じーじは今、ようやく古本屋さんで購入したキーツさんの書簡集を読んでいる最中なのですが、さらに遅まきながらシェイクスピアさんも読まなければならないのかもしれません。

 年を取ってもどんどん忙しくなりそうで、今でもくたびれきっているじーじにはうれしい悲鳴の今日この頃です。    (2018. 11 記)

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 2021年夏の追記です

 じーじはこの時、初めてビオンさんーキーツさん-シェイクスピアさんのつながりを知ったようです。    (2021.8 記)

 

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村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』2002・新潮文庫-喪失、希望、再生を描く

2024年06月09日 | 村上春樹を読む

 2022年初夏のブログです

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 昨日のブログにかえるくんのことを書いたので、かえるくんが出てくる(!)村上春樹さんの短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2002・新潮文庫)をかなり久しぶりに、おそらく15年ぶりくらいに読む。

 年のせいか、小説を読むスピードが遅くなってきた最近のじーじにはめずらしく、六つの短編を一日で読んでしまった。

 もったいない。

 再読が遅くなってしまったのは、この短編集の中で、じーじが一番好きな「かえるくん、東京を救う」のあらすじをなんとなく覚えていたせいだが、他の短編はまったく中身を忘れていた。

 昔、飲み会で、この本の話が偶然出て、同僚の若い女の子が、わたしは「蜂蜜パイ」が好きです、といい、じーじは、「蜂蜜パイ」はたしか淋しいくまさんのお話だったよな、そういうお話が好きなんだ、ふーん、という程度に聞いていたが、今回読み返してみると、すごい恋愛小説でびっくりした。

 あの子はこんなすごい恋愛小説が好きだったんだ、と今さらながらに見直したが(?)、じーじの記憶がまったく当てにならないことを改めて想い知らされてしまった。

 他の「UFОが釧路に降りる」「アイロンのある風景」「神の子どもたちはみな踊る」「タイランド」の四作もすばらしい。

 いずれも、例によって、あらすじは書かないが、生きるうえでの偽善、喪失、断念、希望、再生、などなどが、一見軽妙な文章の中で深く描かれている印象を受ける。

 読み手の人生と相まって、いくらでも広がりと深まりを感じさせてくれるのではなかろうか。

 今ごろ褒めるのもなんだが、いい短編集だ。

 今度はもっと早めに再読をしたい。     (2022.6 記)

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 2023年5月の追記です

 本書の「蜂蜜パイ」が好きだという女の子が神田橋條治さんの大フアンで、神田橋さんの研究会で自分のケースのスーパーヴィジョンをしてもらったことがあるという。 

 勇気があるというか、うらやましいというか、すごいお話で、優秀な後輩の成長が楽しみだ。     (2023.5 記)

 

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かえるくんを眺めながらの公園カウンセリングは、こころもぴょんぴょん元気になります

2024年06月08日 | カウンセリングを考える

 こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で,じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリング,訪問カウンセリング,メールカウンセリングを新潟市と北海道東川町(夏期)でやっています。また,面会交流の相談・援助もやっています。

 公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリングは,屋外で行なう個人カウンセリングや親子・夫婦の家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,お近くの公園や自然の中で,ゆっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間は1回50分3,000円で,隔週1回,あるいは,月1回などで行ないます。

 訪問カウンセリングは,屋内で行なう個人カウンセリングや家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,ご自宅やお近くの屋内施設で,じっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間などは公園カウンセリングと同じです。

 メールカウンセリングは,メールによるカウンセリングや心理相談で,1週間に1往信で行ない,1往信700円です。

 面会交流の相談・援助は,相談はご自宅などで行ない,1回50分3,000円,援助はお近くの公園や遊戯施設,あるいはご自宅などで行ない,1回60分6,000円です。

 カウンセリング,相談・援助とも土日祝日をのぞく平日の午前10時~午後3時にやっています(すみません、年寄りなもので、夕方や週末のお仕事が難しくなってきました)。

 じーじのカウンセリングは,赤ちゃんや子どもさんがご一緒でもだいじょうぶなカウンセリングですので,お気軽にご利用ください。そういう意味では,深くはないけれども,現実の生活を大切にしたカウンセリングになるのではないかと考えています。

 料金は,低めに設定させていただいていますが,月収15万円未満のかたや特別なご事情のあるかたは,さらに相談をさせていただきますので,ご遠慮なくお問い合せください。

 ちなみに,消費税には反対なのと,計算がややこしいので,いただきません。

 お問い合わせ,ご予約は,メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

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 かえるくんを眺めながらの公園カウンセリングは、こころもぴょんぴょん元気になりますよ。

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 そういえば、村上春樹さんの短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2002・新潮文庫)に、「かえるくん、東京を救う」というすてきな小説がありますね。      (2022.6 記)

 

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山本コウタローとウィークエンド「岬めぐり」を聴きながら-臨床の難しさと厳しさに思う

2024年06月08日 | ひとりごとを書く

 2018年のブログです

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 「青春のフォークソングス名曲集」という口にするとちょっとはずかしくなるCDアルバムを聴いていたら、山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」が聴こえてきて、つい聴き入ってしまいました。

 この歌には思い出があります。辛い思い出です。

 じーじが大学を卒業して、家裁調査官に採用された40数年前、採用後すぐに東京の研修所で同期が全員集まって3か月の研修を受けました。

 昼間は、心理学や精神医学、教育学、社会福祉、法律などの勉強でみっちり(?)、夜は、みんな貧乏だったので、研修所で安いお酒をのんでは、いろいろなことを議論していました。

 そして、酔いがまわってくると、当時はまだカラオケが出てくるまえで、伴奏なしで大声で好きな歌を歌っていました(隣近所から、うるさい、と苦情が来ると、みんな少しだけ小さい声で歌うようにしていました)。

 そんな時に、ある寡黙で気持ちの優しい同期が、この歌をいつも歌っていました。

 この歌が本当に好きらしく、酔うといつも歌っていたのを覚えています。

 そして、研修が終わり、同期は全国に散って、各地で実務の勉強に入りました。

 しばらくして、冬に入った頃、衝撃的な連絡が入りました。

 いつも、「岬めぐり」を歌っていた同期が自殺をしたというのです。

 詳しいことはわかりませんでしたが、仕事のことで悩んでのことだったようです。

 家裁調査官の仕事は、他の臨床の仕事もそうですが、精神的に悩んだり、苦しんだり、おち込んだりする仕事ですので、そういう危険性は常に潜んでいるのですが、それにしてもあの優しい同期が…、とショックでした。

 真面目な人ほど悩み、苦しむ仕事で、なんとか生き延びているじーじなどは、どこかで手を抜いたりしているにちがいありません。

 そんな反省をいつもしています。

 「岬めぐり」を聴くと、いつも笑顔でほほえんでいた、優しい同期の姿を思い出します。

 かれの分まで、泥にまみれてでも生きていきたいと思います。              (2018 記) 

 

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北方謙三『檻』1987・集英社文庫-男にとって大切なものは何かを問うてくる哀しみにみちた小説

2024年06月08日 | 小説を読む

 2021年初夏のブログです

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 北方謙三さんの『檻』(1987・集英社文庫)を久しぶりに読みました。

 先日、北方さんの『煤煙』を読んでしまい、恐れていたとおりに(?)、北方ワールドにはまってしまいました。

 もっとも、『檻』は北方さんの小説の中でじーじが一番好きな作品。

 忘れん坊のじーじにはめずらしく、まだあらすじをぼんやりと覚えていたので、後に取っておいたのですが、今回、読んでしまいました。

 いい小説です。ラスト、不覚にも久しぶりに泣いてしまいました。

 あらすじは当然書きませんが、感想を書くのもなかなか難しい小説です。

 男の生きかた、男の友情、度胸、暴力、仕事、愛情、などなど。いろんなテーマが内包されています。

 それらが北方さん特有のスピード感のある、かつ、奥深さを伴った文章で表現されます。

 男なら憧れるような登場人物が何人か出てきます。

 アウトロー、刑事の一人も含めて、アウトローの世界です。

 いろんな意味での暴力を否定しませんので、男女差別ではありませんが、女性には少し理解しにくい世界かもしれません。

 言ってみれば、オスの世界。優しい、平和主義の女性は眉をひそめるかもしれません。

 しかし、男の生きざまというやつは、本能に支えられている部分もあるので、きれいごとではすまないのも事実でしょう。

 勁さがあっての優しさなのかもしれません。

 と、まあ、いろんなことを考えさせられる小説です。

 しかし、文句なしにいい小説です。幸せ!      (2021.6 記)

 

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いつもクライエントのそばにいるということと,いつもクライエントにより添うということ-カウンセリングを考える

2024年06月07日 | 心理臨床を考える

 たぶん2012年ころのブログです

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 ある研究会で,一人のカウンセラーのかたが,自分はクライエントに携帯の番号を教えて,いつでも連絡が取れるようにしています,と話していました。

 すごく熱心だな,と思いました。

 一方で,でも少し違うのではないかな,とも思いました。

 いつもクライエントと連絡が取れること,が,いつもクライエントのそばにいること,と同じかというと必ずしもそうとはいえない気もします。

 ましてや,いつもクライエントにより添うこと,とはまた違うような気がします。

 さらに,そのことがクライエントの自立に繋がるか,ということになると,さらに難しい問題となります。

 カウンセリングの目標がクライエントの精神的な自立や成熟だとすると,最終的にはクライエントがカウンセラーに頼らなくてもいいようになることが課題となります。

 それにはクライエントがカウンセラーを「内在化」して,自分のこころの中のカウンセラーと対話ができるようになることが大切になります。

 精神分析では,毎日の面接と週末のお休みのリズムが大事だと言われています。

 週末,治療者の「いない」時にいかに患者が自分の「内的な」治療者と対話ができるか,がポイントになります。

 一般に,心理療法において,治療者やカウンセラーのお休みは,彼らの健康を守ると同時に,患者やクライエントの自立の契機として重要な意味を有していると思います。

 考えがまだまだ深まっていませんが,これらのことはとても大切なテーマではないかと思います。

 簡単には正解は出ないと思いますが,今後,さらに考察を深めていきたいなと思います。      (2012?記)

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 2020年12月の追記です

 今も考え続けている大きくて、奥深い問題です。    (2020. 12 記)

 

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立原正秋『春の鐘(上・下)』1987・新潮社-「美」に生きる男の一つの生きざまを描く

2024年06月07日 | 小説を読む

 2023年初夏のブログです

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 立原正秋さんの『春の鐘(上・下)』(1987・新潮社)をかなり久しぶりに読む。

 1987年の単行本であるが、じーじが大学を卒業して、家裁調査官になって2年目、こんな小説を読んでいたんだ、と思う。

 もともとはその前年に日本経済新聞の朝刊に連載された小説らしいが、こんな色っぽい小説(?)を朝刊に連載した日経もすごいと思う。

 あらすじは例によってあえて書かないが、美術の専門家が主人公。

 美術に没頭するあまり、妻がついていけず、夫婦仲が破綻する。

 子どもにはいい父親である主人公の悩みは深まるが、夫婦の修復は難しい。

 そんな時に、目の前に現われた薄幸の女性。

 陶芸家の娘である女性とのつきあいが深まり、先の見えない関係が続く。

 読んでいると、この先がどうなるのか、どきどきしてしまう。

 それを救うのが、奈良や京都の仏像やお寺の美しさ。

 読んでいるだけで、こころが豊かになる。

 いい国に生まれたんだな、と改めて認識させられる。

 結末は少し哀しい。

 その先も心配になる。

 しかし、筆者はあえて書かない。

 余韻のあるおとなの小説だと思う。     (2023.6 記)

 

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西丸四方『彷徨記-狂気を担って』1991・批評社-時代に流されない真摯な精神科医に学ぶ

2024年06月06日 | 精神科臨床に学ぶ

 2019年初夏のブログです

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 西丸四方さんの『彷徨記-狂気を担って』(1991・批評社)を再読しました。

 西丸さんはドイツの伝統的な精神医学であるシュナイダーやブロイアー、ヤスパースなどの本を翻訳されたかたで、松沢病院や信州大学病院などで精神科臨床にあたられたかた。

 その見識と実践はすごいです。

 偉い先生なのですが、飾りが全然なくて、いつも本音で語られている印象で、そのざっくばらんさは魅力です。

 幻聴についての考察など、オリジナルな発想で、とても興味深い検討がなされていて、じーじももう少し考えてみたいと思うところが多々ありました。

 また、精神科臨床の実践がとてもていねいで思わずうなってしまいます。

 トイレのたれ流しで、トイレットペーパーを集めてしまう患者さんについて、細やかにその日常行動を観察し、それまで誰もが気づかなかった不潔恐怖に気づき、ていねいな対策を講じた結果、患者さんの症状はなくなります。

 たんに精神病の症状だと皆があきらめていたことがらを解明するその姿に感動します。

 このような細やかで、ていねいな診療がいくつか紹介され、本当に感心させられます。

 他にも、東京裁判で東条英機の頭を叩いた大川周明さんの治療体験や精神病になった医学部の学生さんの治療経験など、西丸さんならではの経験も披露されます。

 いずれも真摯でていねいな精神科治療の実践例であり、経験の少ないじーじなどには宝の山のようです。

 こういう先達がおられることを誇りにして、少しでも近づけるよう努力していきたいと思いました。     (2019.6 記)

 

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深田久弥編『峠』2022・ヤマケイ文庫-なんとも贅沢な峠紀行の名作たち

2024年06月06日 | 随筆を読む

 2022年初夏のブログです

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 山と渓谷社から深田久弥さん編集の『峠』(2022・ヤマケイ文庫)が出たので、ゆっくりゆっくり味わいながら読んだ。

 なんとも贅沢な峠紀行の名作たちである。

 執筆者は、田部重治、伊藤秀五郎、若山牧水、藤島敏男、寺田寅彦、小島鳥水、尾崎喜八、中村清太郎、小暮理太郎、藤木久三、冠松次郎、武田久吉、などなど、明治から昭和初期までの山歩きで名高い人々。

 山にはあまり詳しくないじーじでも、思わずため息が出てくるほどの豪華な顔ぶれである。

 そして、その人たちが、山ではなく、人里により近い峠を旅した紀行文が集まっていて、より親しみを感じる。

 例によって、中身にはあまりふれないが、じーじのお気に入りの文章を一つ、二つ。

 一つめは、伊藤秀五郎さんの「北見峠」。

 伊藤さんは北大教授などをされた登山家であるが、ここでは、当時、駅逓が置かれていた北見峠の老夫婦との交流がとても温かい文章で綴られていて、心地よい。

 じーじは以前、この文章を伊藤さんの本で読んで、先年、車で北見峠を訪れたことがあるが、今では車もあまり通らないこの峠の素朴なたたずまいはなかなか感慨深いものがあった。

 二つめは、若山牧水さんの「金精峠」。

 牧水さんは歌人で有名だが、『みなかみ紀行』などの山歩きの文章もたくさん書いていて、じーじが大好きな人。

 じーじと一緒でお酒が大好きで(?)、すぐに呑んでしまうが、山歩きは健脚で、じーじがびっくりするほどの山歩きをしている。

 歌人だけあって、文章がきれいで、読んでいてこころが軽くなるというか、気持ちよくなるような気がして、楽しい。

 総じて、ここに挙げた人たちは、みな文章がうまいし、味わい深い。

 読んでいると、今の日本とはかなり違いがあるような感じがする。

 経済的には貧しかったのかもしれないが、軍国日本になる前の素朴ないい時代だったのかもしれない。

 他にも、よい作品が目白押しである。

 時々、読み返していきたいと思う。     (2022.6 記)

 

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