ポンタの菜園日記

千草台園芸サークルの萩台農園で、気ままな野菜作りの日々をつづった日記です。

ポンタの東北紀行 最終回 (浦戸諸島 桂島)

2012年02月07日 | 東北紀行

ポンタの東北紀行  最終回 (浦戸諸島 桂島)>

旅の最終地の浦戸諸島 桂島に上陸した。浦戸諸島は松島湾の入り口に点在し、今回の津波のエネルギーを吸収して松島地区の被害が大きくなるのを防いだいわば防波堤となってしまった地域だ。運よく港が湾の内側にあったため、地盤沈下や施設の損壊はあったものの定期船は比較的早く運行を再開できたようだ。

今日の宿をお願いしたペンション鬼が浜さんのところは、太平洋側に面しているものの高台にあったため津波の被害から免れて、営業を再開している。

 

 

 

 [高台に建つ白いきれいな桂島のペンション鬼が浜さん]

 

 

 

 

 

 

 

 

 [沢山の絵画が心を和ませてくれる]

 

 

 

 

 

 

 [部屋もおしゃれで,ベットルームとリビングの2部屋構成で広い…ひとりじゃもったいないなぁ…。]

 

 

 

夕暮れまで少し時間があったので、近くの桂島海岸に散歩に出る。島からも松島の島が見えて本当にいいところだ。

 

 

 

 

 [海も松島らしい風景が広がる。]

 

 

 

 

 

 

   [広々としてきれいな桂島海岸…]

 

 

 

 

 

 

 

 

 [近づくと、海岸にもまだまだ津波の爪痕が…]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 [そしてカメラを陸地側に向けると、そこは一面瓦礫の山が広がる…海岸を囲むようにあった40世帯ほどの集落は壊滅してしまったとの事です…]

 

 

 

 

 

   [避難を呼びかけたであろう島内放送用の拡声器も・・・無残な姿になったまま…]

 

 

 

一時間ほどの散歩だったが、とても美しい島だけに…本当に残念な思いでいっぱいになった。まだまだ復興には時間がかかりそうだが、この美しい島でみんなが笑顔で暮らせる日が来てほしいと心から思う…ペンションに戻り、ポンタ一人のために作っていただいた夕食をいただく。

 

 

  [牡蠣のマヨネーズソース、牡蠣のお吸い物、カモのテリーヌ、カモのロースト、地元のアイナメ・マグロ・甘エビのお刺身、イクラと山芋・わかめの酢の物、ホタテ煮物、サツマイモの甘露煮、果物、サラダ…どれも美味しかったです。]

 

 

 

今日は早々に休み、明日は少し早起きをして桂島を軽く一回りしようと思っていたら…なんと目覚めると一面の銀世界でした。予報では雪が少し降ると言っていたが、予報以上の大雪になったようだ。

 

 

 

  [一晩で雪国に変身!朝日が美しい。]

 

 

 

 

 

 

 [桂島に雪が積もるのは数年ぶりで、本当に珍しいとの事だそうだ。]

 

 

 

 

 

 

 [ハイキングコースは新雪で覆われ道もわからないほど。ポンタも何度も方向感を失い、行ったり来たり…最後には、ペンションに電話をして方向を確認しなければならなかった…]

 

 

新雪の中の無謀な散策もなんとかペンションのオーナーが迎えに来てくれて、遭難は免れました…(^_^;)

帰路は浦戸諸島の定期船で、桂島から野々島、寒風沢島、朴島と回り塩釜港へと向かい、家路に着いた。

 

 

 

 [浦戸の島々はもちろん、松島の松が雪をかぶった姿は大変貴重だそうだ…ラッキー!]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   [牡蠣?海苔?島と島の水路に広がる養殖棚。]

 

 

 

 

 

  [美しい風景が広がる中、各島の港付近には必ず大きな瓦礫の山があった。島々には焼却設備がないので、船で本土に運ぶためだという…]

 

 

 

 

 

 [朴島の港にあった牡蠣の養殖用のホタテの貝殻。みんな頑張ってるんだなぁ…(^O^)/]

 

 

 

今回の旅行は、気仙沼からスタートし被災地を回りながら東北在住の知人に会う事や応援しているうらと海の子再生プロジェクトの皆さんの激励を目的にしていた。

被災地を巡って感じたことは、まだまだ復興には相当時間がかかるだろうということと、その中で頑張っている人達が沢山いたこと、そして人間は本当に強い、必ず復活させるだろう…ということを感じた旅だった。

そしてもう一つ、これを見ていただいた方にお願いしたい事は、ぜひ東北に旅をしてください!ということです。被災地で芽生えた復興商店街や自力で再開したお店も、ペンションや旅館もお客さんが来て初めて希望が膨らみます。

百聞は一見にしかず…ポンタのように被災地の状況を見ることでもいいですし、被災していない中尊寺などの観光地巡りでもいいと思います。「復興は、観光から!」という現地の想いに応えることが、我々にできる復興支援のひとつだと思いました。

頑張れ東北! 頑張れニッポン! 人間は素晴らしい!

(^O^)/ポンタ


ポンタの東北紀行 第四回 (仙台・塩釜・松島)

2012年02月04日 | 東北紀行

<ポンタの東北紀行 第四回 (仙台・塩釜・松島)>

三日目は仙台の知人の車で仙台の被災地を回り、塩釜、松島と回る予定だ。
若林区・宮城野区の海岸寄りの被災地を廻るが、仙台平野で平らな土地が多いためかなり奥まで津波が押し寄せたようだ。
現在は瓦礫のほとんどは片づけられ、ただただ広い空き地が続いていた。

 

 

 

    [元の街並みを知らない者にとっては、何もない埋立地にしか見えない風景だ。本当に広い範囲が被災したんだなぁ…と実感する光景だ。]

 

 

 

 

 

 

 

  [今回の旅行で初めて知ったのだが、震災当時仙台の中心部周辺にいた人たちは地震で電気やガスのライフラインが一斉に止まったため、ほとんどの人が海岸部が大津波で甚大な被害を被ったことを翌日の新聞を見るまで知らなかったようだ…(^_^;)]

 

 

 

 

 

 

  [凄まじい津波のパワーを感じる…]

 

 

 

 

続いて塩釜市に向かう。今回の旅の目的の一つに、以前このブログでも紹介させていただいた「うらと海の子再生プロジェクト(http://www.uminoko-saisei.net/)」の塩釜市場にある事務所に訪問する事があった。

震災直後、代表の小泉さんの「浦戸諸島の漁師自身が自主的に進める漁業再生にご協力を…」という呼びかけに賛同して全国から1万人を超える賛同者が支援をして、牡蠣の養殖では前年比で50%を越える回復を達成できたという。
ただ、ここまでくる道のりは本当に大変だった事を伺っていたので、ぜひ陣中見舞いを…という思いがポンタにあったのだ。

 

 

  

[プロジェクト事務所のある塩釜魚市場]

 

 

 

 

 

 

 

 

 [小泉代表と事務局メンバーの皆さん…]

(写真を取り忘れてしまい、年賀状の写真を使わせていただきました。)

 

 

 

事務所の訪問を終えて昼食にはぜひ牡蠣を食べようと浜田漁港に向かう。

浜田漁港は塩釜と松島の間にある小さな漁港でここで水揚げされた牡蠣をその場で食べることができる牡蠣小屋が1軒あった。観光客は松島にある牡蠣小屋にほとんどが行くようで、ここは穴場的な場所だそうだ。

 

 

 

 [美しい港だが、港の中にはまだ水没したままの漁船が残っていた。]

 

 

 

 

 

 

 

 

  [港に水揚げされた新鮮な牡蠣を食べられる牡蠣小屋]

 

 

 

 

 

 

 

 

 [牡蠣は10個で1000円。食べ放題2000円。もちろん食べ放題を二人分頼んだら…80個ほどの牡蠣を一気に鉄板に乗せてくれた。]

 

 

 

 

 

 

 

 [大粒の牡蠣で、ポンタは38個、知人は50個ほどを食べて…お腹が牡蠣で一杯になってしまった。]

 

 

 

今日は浦戸諸島の桂島に渡る予定だが、少し時間があったので松島遊覧船に乗って塩釜港に向かうことにした。

 

 

 

    [松島の遊覧船乗り場。ここでも奥の細道の碑があった。松尾芭蕉の足跡がいたるところにあるなぁ…]

 

 

 

 

 

 

 

 [松島を巡るこの観光船も第三芭蕉丸という名前だ。]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抜けるような青空の下で松島の素晴らしい景色を十二分に堪能し、マリンゲート塩釜に到着。今度は市営汽船に乗り換えて、本日の宿泊地である浦戸諸島の桂島に向かう。

 

 

 

  [こちらは塩釜と浦戸諸島の島々を結ぶ定期船。買い物帰りの人や学生も乗っていた。]

 

 

 

 

 

 

 

  [塩釜港をあとに、一路桂島へ…]

 

 

 


ポンタの東北紀行 第三回 (平泉・中尊寺)

2012年01月31日 | 東北紀行

<ポンタの東北紀行 第三回(平泉・中尊寺)>

午前中に気仙沼の被災地を車で回ってもらい、今日は仙台に夕方までに入ればいい状態になった。途中一ノ関を通るので被災地で亡くなった方のご冥福を祈る意味も含めて、急遽中尊寺にお参りに行くことにした。

一ノ関駅からはJR東北本線で盛岡方面に2駅の平泉駅に行くか、一ノ関駅前からタクシーでも3000円ぐらいでいける。

 

 

 

  [世界遺産認定を受けて、新しく改装したJR平泉駅。]

 

 

 

新しくなった平泉駅前からは徒歩で約20分、市内循環バスで10分ほどで参道の入口に着く。参道の登り口から200mほどは登攀用のロープがあるほど急な坂道で前日降った雪が残っていて結構大変だった。

 

 

 

   [中尊寺の参道入り口]

 

 

 

 

 

 

   [足の悪い人などのために、車で急坂の終わる地点までいけるようになっている。] 

 

 

 

最初の急坂が終われば、あとはそれほど坂はきつくない。参道の途中にいくつかお堂があり、せっかくなので一つ一つお参りしながら本堂に向かう。

 

 

 

 [急坂を過ぎれば、なだらかな杉木立の参道が続く…]

 

 

 

 

 

 

 

 

 [途中にある見晴らし台からは、素晴らしい景色が広がっていた。今日は風もなく、あまり寒さは感じない。]

 

 

 

 

 

 

 [雪の中の弁慶堂…風情があっていい感じでした。]

 

 

 

 

 

いくつかのお堂を越えていくと、右手に中尊寺本堂の門が現れる。門をくぐると松の前庭を携えた立派な本堂が現れた。

 

 

 

 [中尊寺本堂の正門]

 

 

 

 

 

 

 

 

 [力強い屋根の形と松の優しい中庭がマッチして、非常に美しい本堂だ。震災で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りしてきました。]

 

 

 

 

 

 

 

 [同じく中庭には獅子脅しと鐘つき堂がバランス良く配置されていた。]

 

 

 

本堂を過ぎて、峰薬師堂・不動堂・大日堂・阿弥陀堂などを回ると有名な金色堂がようやく現れる。ただ、外から見えるのはコンクリート製の覆堂で本当の金色堂は覆堂の中にあるため外からは見ることはできない。

 

 

 

 [金色堂は撮影不可なので写真はないが、上屋根を除いてすべて金箔と瑠璃で装飾された仏像とお堂はさすがに美しい。]

 

 

金色堂の隣には中尊寺と縁の深い松尾芭蕉の銅像があり、その奥に旧来金色堂を覆っていた木造の旧覆堂があった。

 

 

 

 [現在のコンクリートの覆堂よりも断然風情があっていいのになぁ…などと思うのはポンタだけか…(^_^;)]

 

 

 

 

 

ここで参道はUターンしてもとに戻ると、そこには重要文化財の立派な野外能楽殿を持っている白山神社の鳥居が目に入って来た。

 

 

 [国の重文になる前までは、能の名家野村一門の練習場としても使われていたという。]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  [現在でも年に1回、この屋外舞台で野村一門の能が演じられているとの事。]

 

 

 

 

 

 

  [150年以上の歴史の重みを感じる舞台だ。]

 

 

 

 

白山神社にもお参りをして中尊寺の参道の戻ると、ちょうど金色堂の前にあたる中庭のような場所は雪景色の中庭のようで本当にきれいだった。

 

 

 

 [石灯籠に雪が積もり、立派な和風庭園。本当にいいタイミングできたなぁ…]

 

 

 

帰り道の参道脇にお蕎麦屋さんを見つけたので、さっそく門前ソバ?をいただいて、仙台に向かうことにした。

中尊寺は初めて訪れたが、杉木立の参道も威厳があり、風光明媚で立派なお堂が沢山あるなかなかいいお寺だった。ポンタ的には金色堂よりも本堂がやはり一番良かったかな。(^O^)/

 


ポンタの東北紀行 第二回 (気仙沼 2)

2012年01月30日 | 東北紀行

<ポンタの東北紀行 第二回(気仙沼 2)>

気仙沼の二日目は朝から晴れて、きれいな日の出を見ることができた。

 

 

 

 [ホテルから見た気仙沼港の日の出。大島の亀山の方角から日が昇る。]

 

 

 

せっかく早起きしたので、震災から復旧したばかりの露天風呂に行くことにした。このホテルは地元の人達にも500円で温泉を解放しており、温泉のロビーには仮設の人達など沢山の人のお礼の言葉が張り出してあった。

 

 

  [眼下に港が広がる露天風呂。地元の人達も時々ここで心身ともに癒されているのだろうなぁ…復興支援の形には本当にいろいろな物がある…と、感慨にふけりながらのいいお湯でした。]

 

 

 

食事を済ませ、迎えに来てくれた知人とまず南気仙沼に向かう。この地区はほぼ全域が平地であったため、津波に大きく呑み込まれ、地元の人でも南気仙沼の駅がどこにあったのかさえわからない位の甚大な被害を受けた。

 

 

 

 [南気仙沼地区に入ると、そこにはどこまでも何も無かった…]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  [転々と残る鉄骨だけの建物が、津波のとてつもないパワーを感じさせる…]

 

 

 

 

 

 

  [言葉が、出ない…]

 

 

 

 

 

 

 [震災から10ヶ月。津波に残された海水に小魚が繁殖したのか…渡り鳥がえさをついばんでいた…衝撃的だ]

 

 

 

続いて、港の北側に当たる浜町・錦町地区に向かう。ここは鹿折川沿いの細長い三角州の形をしているため、奥に向かって津波にくさびを打ち込まれたように、やはり広い範囲が被災した。

 

 

 

  [ 「鹿折唐桑駅」のバス亭には、電車ではなく大型船が横たわっていた。 ]

 

 

 

 

 

 

  [水産加工工場が沢山あった地域だが、大型の建物以外はほとんど流され、漁船が打ち上げられたままだった。]

 

 

 

 

 

 

 [一軒だけ取り残されたように残っていた民家。しっかりしたコンクリートの土台が、津波に耐えたようだ。]

 

 

 

 

 

 

 [家はすべて流されてしまった中で、真っ白な土蔵だけが残っていた。この周辺も砕石を積み上げて道を作っていたが、未舗装のまま。]

 

 

 

ふと、被災地の写真を取る枚数が時間の経過とともに減っていくのに気が付いた。どこにカメラを向けても、空き地・瓦礫・壊れた建物…とファインダーのなかの風景が同じというのが理由ではない。

元の街並みをまったく知らないポンタでも、その場所で生活していた人達の様々な名残り・吹き抜ける風・匂いなどを通して目の前の見えない街並みが五感で感じられるような奇妙な感覚を味わっていた。

震災当時の瓦礫の山はだいぶ片付いて、基礎だけの空き地が目立つ。復興はまだまだ先の事かもしれないが、遠い昔ただの草原や空き地だったこの地に人々は家を建て町を作り上げた…またいつの日か、きっと人間はこの地に沢山の人が行きかう街並みを作り上げるだろう…人間てすごいなぁ…などという感慨にふけっていたためだ。

 


ポンタの東北紀行 第一回 (気仙沼 1)

2012年01月27日 | 東北紀行

1月22日~25日にわたって、東北方面に一人旅に行ってきました。

気仙沼、仙台、松島、塩釜、浦戸諸島と昨年の震災で大きな被害を受けた地域や、新たに世界遺産認定を受けた平泉・中尊寺まで足を延ばしての旅になりました。

大震災の被災地の現状やこれから東北旅行に行かれる方の参考になればと、簡単な紀行文と写真を気の向くまま3~4回に分けて掲載したいと思います。

<ポンタの東北紀行 第一回(気仙沼 1)>

1月22日(日)小雨の千葉を出発。新幹線で宇都宮を過ぎると、雪景色が徐々に濃さを増していく。岩手県一ノ関駅で新幹線を降り2両編成の大船渡線に乗換て約1時間半、手前の新月(にいつき)駅まであった雪がいつの間にか消えて気仙沼駅に到着。

大船渡線と言っても、気仙沼から大船渡間は震災の被害で線路はまだ寸断されており、気仙沼が終着駅となっている。

 

 

 

 [駅付近は高台にあるため津波の直接被害はないようだった。]  

 

 

 

 

気仙沼港を見降ろす高台にある気仙沼プラザホテルに入る。このホテルは高台に位置しているため津波の被害にあわず、震災直後は避難所として提供された。5月に一部一般営業を再開しているが、その後も主に復興業務の作業員やボランティアの人達の宿泊所となっているようだ。部屋の窓から気仙沼港が一望出来た。

 

 

 

 [カーフェリーが航行して平和な港の日常風景に見えるが…真ん中の島のような神社の右手奥は、建物が津波で流されて空き地が目立つ。]

 

 

 

夕暮れまで少し時間があったので、窓から見えた気仙沼港に足を運ぶことにした。

ホテルを出て歩き始めるとそこには震災の爪痕がいたるところに残っていた。道路に溜まった砂、折れた街灯、波打つ敷石、曲がりくねったガードレール…港についても桟橋はほとんど水没したままだった。

 

 

 

 [地盤沈下で、水面が岸壁と同じ高さだ。こんなに危険な場所なのに、立ち入り禁止の表示やロープは一切張られていない…これは市街地に入っても同じだった…そう、ロープを張るなら町中に張らないといけないからだ…。]  

 

 

 

 

 

 [以前の桟橋はすべて水没したまま。被害のひどかった南気仙沼地区から移設された急造のフェリー桟橋だけが稼働しているようだった。]  

 

 

 

 

 

 

 [気仙沼港の象徴であったであろう「港町ブルース」のステンレススチールと石でできた碑も無残な姿に。]  

 

 

 

港の前に広がる商店街や繁華街に足を踏み入れると、さらに悲惨な光景が目に飛び込んでくる。遠目で見たときは津波に耐えた街並みが残っているいように見えたが、近くで見る限り人の住めるような建物はほとんど無いようだった。

 

 

  

 [気仙沼港の市街地…]  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 [地盤沈下で町全体が沈んでしまったため、元の道路の上に砕石を盛って50㎝~1mほど高くし、車が通れるようにしてあった。]  

 

 

 

写真はせいぜい90度程度の範囲しか写らないが、人の目は150度位までの広い範囲が一気に目に飛び込んでくる。「ゴーストタウン」という言葉で更迭された復興相がいたが、その言葉以外の言葉が見つからない…

ただ、街中は悲惨な風景ばかりではなかった。飲食店が集まった気仙沼復興市場や昨年年末にオープンしたいろいろな商店が集まった復興商店街など、港町の復興が一歩一歩始まっていた。

 

 

 

 [復興の象徴として地元の飲食店の人達が集まって真っ先に作られた復興市場。何も無くなってしまった港町で、地元の人はもちろん、工事関係者や旅行者の憩いの場になっている。]  

 

 

 

 

 

 [復興商店街には、床屋さんや肉屋さん、ピアノ教室などいろいろなお店が50件ほど参加しているという。ポンタもコロッケ屋さんでお勧めのカボチャコロッケを揚げてもらい、コーヒーと一緒にいただいた。美味しかったです。]  

 

 

夕暮れが迫りあたりが徐々に暗くなってきた時、町中で一か所明りが灯ったところがあった。明りに引き寄せられるように歩いて行くと、営業中の旗がたなびく一軒の食堂が目に入った。ここにも頑張っている人がいる…少しだけホッとした気持ちになり食堂に入る。

 

 

 [ 「食堂 やまと」 さんは、周囲のビルのおかげで比較的被害が少なかったため急いで改築し、町の復興を願って営業を再開したという。気仙沼名物のふかひれラーメンがとても美味しく、心まで温かくなった。]  

 

 

 

ホテルへの帰り道に再び港を通ると、ほとんど街灯が無い中でカーフェリーの明りだけが眩しいほどに輝いていた。

 

 

 

 [一瞬きれいな夜景写真だが、手前の折れ曲がった手すりが痛々しい。]  

 

 

 

明日は地元の知人が気仙沼市内でも被害の大きかった南気仙沼や北側の浜町方面を案内してくれる予定だが、この1~2時間でもうポンタの胸はいっぱいになってしまっている。果たしてどこまで正視できるか…