めいぷるアッシュEnnyの日々是好日

お里

お里には通い慣れたもので山中のずい道なんかは
苦にならず、今日の御嶽山はどうかな?と横目で見ながら走り高原の食堂でお蕎麦とそこから少し走った所でソフトクリームを食べて目指すお里に到着します。またこの季節は路肩で販売しているトウモロコシが美味で生でかじると、うわっ!旨い!と口の中で一粒一粒の皮がはじけて甘さが広がります。

開田高原のビューポイントにて
ルーク君と、頂上が見えない御嶽山と蕎麦の花


お里は旧中山道宿場町木曽福島、ここまで来れば
もう直ぐ。

とても有名な「木曾路はすべて山の中である。」の
書き出しで始まる島崎藤村の夜明け前。
未だに完読していません(._.)この前文は久しぶりに
読みました。


「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。 東ざかいの桜沢から、西の十曲峠まで、木曾十一宿はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間に、埋もれた。名高い桟も、蔦のかずらを頼みにしたような危い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降って来た。道の狭いところには、木を伐って並べ、藤づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫が旅行を困難にする。そのたびに旅人は最寄り最寄りの宿場に逗留して、道路の開通を待つこともめずらしくない。

 この街道の変遷は幾世紀にわたる封建時代の発達をも、その制度組織の用心深さをも語っていた。鉄砲を改め女を改めるほど旅行者の取り締まりを厳重にした時代に、これほどよい要害の地勢もないからである。この谿谷の最も深いところには木曾福島の関所も隠れていた。」

と、木曽福島が出てきます、当時に思いを馳せる事ができます。

向かって左からリンクス、ルーク、めいぷる、アッシュ、イーデン、フレイ元気です!

みんな血縁関係、血縁関係がないのは人間のみ。

お里は冬はとても寒そうですが、夏は比較的涼しい。
都会と比べようがないほどコイケル達には良い環境。

めいぷる、アッシュの父-母犬がこの地にいる訳で
常日頃癒されている自分としてはリンクス、イーデン、メリー親戚縁者にはこれからも元気にいて貰いたいと願うばかり。

お休みなさい。






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