Sweet pea

何気ない日々・・・だけど毎日が発見
そんな日々の出来事をゆるゆると

一枚の葉書

2018-02-16 | family
外出先から帰宅した私の目に飛び込んで来た
一枚の葉書

いつかこの葉書を受け取る日が来るだろうと
漠然とは思っていた

けれど、それはまだまだずっと先のことだと
なんの根拠もなく信じていた私

何年も前からMちゃんが、こういうものを
用意していることは知っていて

葉書の値段が変わったから2円切手を
貼り足したわ〜と
笑いながら言っていたのはついこの間の
ような気がしている


おまけに昨年また変更があったから
またさらに10円切手が貼り足してあった

葉書の裏面には、当方◯月◯日に他界しました
という報告
長いお付き合いのあれこれと、
感謝の言葉が書かれていた

自筆の葉書で、日付は投函してくださった
義妹さんが書かれたものと後で知る

差出人の住所は冥土市芒ケ原町
彼女らしいジョークのつもりなのかな

私にとって第二の母のような存在だったMちゃん

3月で85歳になるはずだった

年末に電話でおしゃべりした時は
元気そうな声だったし
病院に行く必要があれば連絡すると
言っていたのに・・・

彼女の意思を尊重すれば、この葉書一枚で
納得するべきなのだけれど
一人暮らしの彼女がどんな最後を迎えたのか
それがわからないことが
私にも他の知人や私の家族にも
大きな石を抱え込んだような
そんな日々が続いた

数日経ってようやく義理の妹さんに連絡がついて
3週間ほどの入院で穏やかに召されたこと
最後の時には義妹さんがそばにいてくれたこと


そんなことを聞くことができて
ようやく安堵した

それでも、もっと私にできることは
なかったのか?
誰にも会いたくないと全ての人を拒んでいた
この一年
それでも無理やり押しかけた方が
よかったのではないか?

とことん付き添って見送った母の死は
受け入れることができても
何もできなかったMちゃんの死は
多分私の中でいつまでも小さな破片となって
残るような気がする

無宗教、お墓もいらないと
ずっとそう思って来た

でも葬儀というものは逝く人を見送る
残された人が納得するための儀式なのだと
今回のことであらためて感じた。

義妹さんと2人の姪御さんに見送られて
旅立ったMちゃん

今頃は私の両親ともあちらの世界で巡り合い
また楽しく暮らしていると信じたい

コメント (6)
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