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「でにをは」別口入力・三属性の変換による日本語入力 - ペンタクラスタキーボードのコンセプト解説

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4大サブスクでも配信されていない!幻の作品アーカイブしてくださいよ、ねえ

2021-03-26 | 番外編の番外編

皆さん動画配信サイト、楽しんでいますか?
私はちょっと横着者で、PC作業をしながらタブレットを脇に置いて、「ながら見」をしながら楽しんでいます。
まあでもつい引き込まれて気づいたら画面を凝視していたりするんですけどね。
音声も好みが変わって字幕より吹き替えを選択することが多くなってきました。
いろいろなスタイルでその人にあった鑑賞法を模索していくのもいいでしょうね。

さて、最近地元のTSUTAYAが閉店するという知らせを聞いて何ともさみしい限りなのですが、
観賞本数は映画ファン的にはちょびちょびくらいの程度ではありますが音楽や映画は常に身近な存在であり続けてきており、
数々の作品との出会いを彩ってくれたTSUTAYAさんには感謝の気持ちで一杯であります。

そこで今回はブログの趣旨から少し寄り道をして(今回というより、またかよという声も(^^;))
私の至らないリサーチ力を駆使(?!)しまして、機会があったら観てみたい、幻の作品群のリストをまとめてみました。
動画配信サイトのラインナップは時々刻々と変わるものですので動向も流動的ではありますが
2021年3月時点で4大動画配信サイト(amazonプライムビデオ、U-NEXT、Netflix、Hulu)でなかなかお目にかかれなさそうな作品をあげていきたいかと思います。
勢いで書いた記事ですので検証が甘い面も多々あるかとは思いますがその時は修正加筆もしていこうと思いますのでどうぞご容赦ください。
まずは一覧を見ていった方が早いと思いますので以下に列挙します。

【アニメ他】
・あにゃまる探偵キルミンずぅ▶(ほのぼのアニメなのにあのマクロスの河森正治が原案なんだよ)
・天使のたまご▶(押井守のレアなOVA)
・イッパツ危機娘▶(大人のワンダフル枠アニメ)
・30歳の保健体育▶(最終回結構感動するらしい)
・楽しいムーミン一家▶(誰もが知る名作なのに)
・宇宙戦艦ヤマト▶(昭和のTVシリーズのほう)
・クレクレタコラ▶(チャージマン研があるならこれもぜひ)

【ドラマ】
・NIGHT HEAD▶(カルト的人気を誇る超能力SFドラマ)
・西遊記▶(1978堺正章主演)
・三匹が斬る▶(人気根強いコメディ時代劇)
・ごくせん▶(第1シリーズ)
・木更津キャッツアイ▶(宮藤官九郎のテイストを味わいたい)
・花より男子▶(伝説のイケメンドラマ)
・コンフィデンスマンJP▶(ドラマ版)
・六番目の小夜子▶(恩田陸原作のNHKドラマ)
・ゴールデンタイム▶(2012韓国医療ドラマ)

【映画】
・バタフライ・エフェクト▶(レンタル屋行っても貸し出し中率が異常に高い)
・宇宙人王(ワン)さんとの遭遇▶過去記事(言葉に関する映画やアニメ・ゲーム・小説・テレビ番組・文物)でも紹介済み
・千年女優▶(今敏監督作品で唯一遭遇率低いレアもの)
・大林宣彦「転校生」▶(1982)(リメイクじゃないほう)
・大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇▶(おバカムービーなのか、マジなのか)
・乳酸菌飲料販売員の女▶(僕もヨークル飲みたいです)
・うなぎ▶(今村昌平監督作品、国際的評価も高い)
・狂い咲きサンダーロード▶(猛り狂う魂、石井聰亙監督作品)
・川本喜八郎「死者の書」▶(折口信夫の原作を人形劇化したもの)

【バラエティ】
・料理の鉄人▶(フクイサーン、は既にワールドワイド)
・亀田音楽専門学校▶(今の時代結構需要あると思う)
・音楽の正体▶(1993)(著作権の問題さえクリアできれば、音楽考察バラエティの原点)
・カノッサの屈辱▶(この頃のフジテレビ深夜バラエティの熱量の高さよ)

【演劇・歌舞伎】
・破壊ランナー▶(Youtubeで無料配信されてはいるのだけれどもっと高画質で見たい、作・演出/西田シャトナー)
・ワンピース歌舞伎▶(まさかのamazonプライムにあった)


以上、趣味も趣向もバラバラではありますが皆様のお眼鏡に適う作品がございましたら入手困難ではありますがぜひご覧になって下さい。

ここで臨時ニュースです…

劇場アニメ『映画大好きポンポさん』2021年6月4日公開決定!!!

pixivで盛り上がっていたのをリアルタイムで見ていたのでこれはうれしいニュース。
Let's 掘り出し!ステイホームでも、たまには劇場でソーシャルディスタンスを保ちつつ観に行くのもいいでしょう。
映画ライフはまだまだ続きそうです。

 

<2021.4/1追記事を投稿しました>

第2弾:ASMRもいいけどスラムダンクもね

第2弾記事です。良かったらこちらものぞいてみてくださいね。

 


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日本語をリンガ・フランカにしようなどとは虫のいい話、もっと自分から乗り込め!

2021-03-06 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解

数年前ある調査で、「Twitter上で日本語は2番目に多い言語」だというニュースを知ったときは「なんだ、日本語もなかなかやるじゃないか」とにわかに浮かれたものですが、
まあ何といっても世界の文化・通商において圧倒的な存在感で躍り出ているのは紛れもなく英語-イングリッシュだという事実は揺るぎのないものでありますね。
しかし中国語のように絶対的な人口数があるわけでもないですし、ラテンアメリカ地域に広く使われているスペイン語のような土台があるわけでもないです。
世界の片隅のほんの一部、オタクカルチャー・サブカルチャー領域でニッチに広がる、あくまでマニア向けの需要の受け皿として日本語がささやかに息づいている、という程度の認識であります。
ただ日本語の話しことばに関して言えば発音は簡単でありますし、変化の多い格を助詞の付加で簡単にあらわせる、時制、冠詞、女性名詞男性名詞などのややこしさとも無縁など非母語とする学習者にもとっつきやすい要素は多分にありますし、動詞も規則的あるいは数が比較的少ないなど利点はいろいろあります。
国際言語になれるかどうかは別として、ポテンシャルは結構あるのかもしれません。ただし書き言葉ともなるとこれは難しいでしょうね。

共通語とも言われるリンガ・フランカは、「フランク語」、「フランク王国の言葉」を意味するイタリア語に由来し、
それから転じて、共通の母語を持たない集団内において意思疎通に使われている言語のことを指すようになったのだそうで、現在においてその地位にあるのはもちろん英語であります。
近年のテクノロジーの進歩でポケット翻訳であるとかWeb翻訳は日ごとに進化していますし効率的な学習教材プログラムもニーズが高まっています。
なので外国語学習や理解の敷居は下がってきているのかもしれませんが言語を文字通り血肉化するためには不断の反復鍛錬が欠かせないものとなっているのは相変わらずです。

…そこへきてこのペンタクラスタキーボードを掲げるブログ主ぴとてつにおきましても、国際化の波にどう対処していくのか、その真価が問われる局面であることをもっと自覚しなければなりませんね。
テキスト営み・言語営みはこのコロナ時代にシフトしたとしても依然としてその重要性は増すばかりであります。
入力インターフェイスであるとか物理キーボードの大きな枠組みもユーザーの多様なエクスペリエンスを満たす懐の深さをもっていなければただの面白ガジェットに終わってしまう顛末になりかねません。
大事なのは、普遍性。普遍性とは世界と人間との関わり。それがもっとも端的に表れるのは個々の生活場面よりも実は立場の転換を暗に内包する世界設定・レンマ設定に依って立つ広い視野が必要なのではないでしょうか。
例えて言えば昔のパソコンにはアプリケーションよりも何よりも果たして役に立つかどうかもわからないBASIC言語が標準で搭載されていたことを引き合いに出してみますと、
物事の草創期には用途も輪郭が見えていなかった手探りの中で、こうしたBASICのような抽象的、そしてシステム包括的な足がかりをまるでそれがアイデンティティであるかの如く秘蔵していたものであります。
入力機構の草創期にあってもまずは大風呂敷から。その精神が、ひいては目先のコンセプトを超越するバッファの源泉となるかも知れないのです。

ペンタクラスタキーボードは新しい入力機構として、もっぱら日本語利便性に最適化してオペレーションをおこなう目的で各種のコンセプトを磨いてきました。
しかし同時にアルファベットだけは排除できずにむしろ独自の液晶スクリーンを鍵盤部中央に据え、領域的にも処理的にも特段のリソースを割いて物理配置を固めていくに至りました。
日本語はすでに漢語はもちろん英語やフランス語、ラテン語などからも数多くの外来語を取り入れており表記的にも原語を尊重して綴りや付加記号に至るまで忠実にカタチを重んじるお国ぶりがあります。
それは商品名や音楽グループなどの名前、作品名などに巧みに取り入れられ先進イメージやオシャレなニュアンスを出すのに一役買っています。
つまりこのテキスト中心時代においてさまざまな語感デザイン的な仕立ての利便性に対する配慮を、入力機構はその要請に十二分に応えていく使命があるのです。外国語はそのまさに本丸であります。

幸いにしてキーボード盤面のタッチ液晶部の表示レイアウトは常に自由配置、可変の文字入れ替えが可能、詮ずる所、文字の刻印の制限を受けないという最大の特徴があります。
これを英語アルファベットだけにとどめておくのは実にもったいない話です。
目下のところこのブログではペンタクラスタキーボードのコンセプト改定を大がかりに進めているところでありますがこうした英語以外の外国語に対するアクセシビリティについてももちろん大きなテーマに設定しておるところであります。
どのようなものになるのかはまだ思案中ではありますが、タッチ液晶部のパネルに「第2言語」への切り替えをおこなえるボタンを設置し、日本語の作成文中にちょこちょこコラージュ的に外国語のつづり字を適宜挿入できるようにする仕組みを考えています。
日本語はもともと表記において外国語字種混在のテキスト生成を好みますし、かなクラスタやでにをは別口入力につないで打鍵していけば字種の切り替えを特に意識することなく移行しつつ構文解析においても未知語ではありますが御せないほどの解析上の困難を生じさせる問題はありません。
これの延長上で、外国語だけにはとどまらず「顔文字作成パレット」にもなるパーツ構成のセットであったりだとか、
「ORβIT」「AᗺBA」「TЁЯRA」などのこだわり表記に対応できる「くせ文字対応パレット」のセットであるとかもカスタムプリセットしていけば良いのです。さらには
「コマンド ⌘」「リターン ⏎」「縦三点リーダー︙」「削除記号(*)」などのシステムまわりの特殊記号であるとかもそれ目的用のパレットを作ってやってユーザーのさまざまなニーズをシンプルな方法で実現できるバリエーションなども視野に入れています。

さて、話はまたリンガ・フランカに戻りますが、書き言葉を考慮に入れますと日本語がそのようなイニシアチブを握るなどということは懐疑的に受け止めています。
そもそも21世紀的趨勢においては旧来のリンガ・フランカのような覇権や威信などの世界観は協調と相互理解の文脈である今の情勢にはなじまないものでしょう。
私たちにできることはむしろもっと異文化のエッセンスを大胆に取り入れる事、入力機構が意思を伝達する身体の拡張ツールとして血肉化しようというこのフェイズにおいてもよりもっと引き出しを増やすことを選択する事であります。
考えてみれば日本人は古来から外国の文物を適切な距離感で受け止め、理解し、咀嚼し、アレンジして、自家薬籠のものとして独自に発展させてきた長年の叡智があります。
21世紀のテキストコミュニケーション隆盛のこの時代にもこういった知恵をうまく継承し、あらたなリンガフランカの様式、有り体に申しますと
「リンガ探究心フランカ」
を目指していけば良いのだと考えます。
つまり自己を標準とするのではなく世界の諸言語をこちらから乗り込んでいって探究してしまえばいいという能動的な在り方である…これが新たな理想形であります。

私なども日常でtwitterの検索などにも時折外国語つづりのテキストをよく見かけますが、あれはスマホからコピペして貼り付けているんでしょうか、それとも他言語IMEを導入しているのでしょうか?
ペンタクラスタキーボードの活躍シーンを彩る「ZOSIデバイス」ならば標準でこういった多言語混在環境を整えてありますので気軽に、存分に多国籍談義に花を咲かせることが可能になるかも知れません。
やれ情報発信であるとかインフルエンサーであるとか騒がしい世の中ではありますが、案外こういった井戸端談義的なものに自在にアクセスできる安心感を担保している
…このことが「リンガ探究心フランカ」のスタイルを開花させる重要なカギになるかも知れませんね。

今後も、ペンタクラスタキーボードの典型的使用シーンをもっと掘り下げて、想定を現実のものに一歩でも近づけていけるよう模索していきたいと思います。

 


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接頭語「お」のつく言葉は例外的にイ万(名詞属性)で処理してみてはどうか(本来接辞モノはハ万の役割なのだが…)

2021-03-05 | 変換三属性+通常変換のシステム考察

接頭語「お」は日本語の敬語体系に属しており、尊敬語、謙譲語、美化語に関係している、とありますが
ありふれているようで実は特殊な接頭辞「お」は、三属性変換のハ万の変換においてもとりわけ異彩を放つ存在であります。
大体の接頭辞においては頻出する「非」「未」「脱」などのようなものから
「プチ--」「猛--」「なんちゃって--」「名ばかり--」などのように典型的接辞単位から適用拡大してハ万の取り扱いに含めたものも種々あります。
これらは後続の言葉に意味属性、語彙属性、指向性属性などを与えるに足る「実質性」を持っていると言えます。
翻って敬語接頭辞「お」は語に丁寧さ、尊敬概念を付加するものの実質的な意味の展開には微々たる意味を付加するに留まったままです。(しいて言えば「お役所」「お義理」みたいに批判性や自嘲性のニュアンスをもたらすことがある、という例くらいでしょうか)
これはハ万で想定するところの接辞の語彙展開とは趣を異にするものであり、むしろ待遇コミュニケーション/立場位相の領域で判断すべきことでありハ万で本来的にこなしていく変換操作の対象とは一段違うものとして扱ったほうが適切ではないか、との視点が出てきます。
要するに接辞がらみの語を変換指定するハ万の中でも「お」だけは特別のものとして一種破格の扱いを持ち出そうという「例外処理」に関しての提案が今回の記事の骨子になります。

「お」に後続する品詞/よろづのタイプとしては、
おヒゲ・おベンツなどのような単純名詞に「お」がつくものもあれば、お守り・お通しのように動詞連用形に前接するものの全体として一個のまとまった名詞として確立されているものもあります。
こちらをタイプAとしておきます。これらはほぼIMEの辞書データに(たとえ連用形由来のものであっても)一個のイ万の単語として登録されているだろう類のものであります。(おケーキのようなお+単純名詞のものは類推容易とみなす)

対照的に、イ万(名詞)ではなく動作様態をあらわすもの あるいは イディオム起点語として動作語を導出するもの…つまり名詞的でない、ロ万に属すると解釈されるものも「お」がらみの語がいくつか見られます。
動作様態としては
お振込み・お届け・お初・おかんむり
などがあり、
イディオム起点語としては
お眼鏡(にかなう)・お鉢(が回る)・お定まり(の長話)
などがあります。
こちらをタイプBとしておきます。こちらもどちらかというと一個のロ万の単語として辞書登録されている見込みの高いものたちであります。
大事なことは、先のタイプAの語は三属性イ万(名詞)で取り捌くのは当然のこととして、こちらのタイプBのほうは今回の「お」がらみのものでありながら様態性が強いと判断して三属性ロ万(用言/イディオム起点)で取り捌くというものであります。よってイ万の含みはもっていません。

そして最後に、主に尊敬語の用例においてはたらき、動作様態の中でも大体の場合において定型の構文を作ってパターン化の度合いが強いものをより抜きます。
これらをタイプCとしておきます(タイプBとの微妙な違いに注意)
系統立てて整理してみると
・お持ちですか・お望みですか・お嫌ですか(だです系)
・お書きになる・お帰りになる・お召しになる・お寄りになるお持ち(--になる系)
・お話しする・お呼びさせていただきます(サ変派生系)
・お褒めいただきまして・お招きいただく(いただき系)
・お含みおきください・お手間おかけします(その他雑多構文系)

これらタイプCの語は活用用言であるので単体の語として切り出すというより基本形からの活用変化バリエーションとして捕捉される類のものであるので辞書マッチングで検知されるという図式の成り立たないものである公算が強いものたちであります。
こちらのほうは微妙なニュアンスはありますが三属性のとり捌きとしてはあえてイ万(名詞ではないがそれでもイ万カテゴリに所属あるいは兼務)に依拠する構えを取っていこうと思います。
辞書検知性の低いのも相まって、普段の通常変換でこのような「お」付きの語形変化についていくのはどうやら難しいだろう、混線要因にもなりそうであるし例外パージの意味合いも含めてイ万の職能を持たせた方があとあと都合が良いだろうとの期待感からこのような措置に致しました。
このようにするのには利点もあります。
たとえば同じ字面で複数の解釈があるパターン、
お先⇔お割き(タイプAとタイプCとの対立)が現れた時には「お割き」を出したいときには変換属性兼任、変換キーのハ万とイ万を押下遷移するふるまいをさせることで両方を満たす「お割き」が固有手段で出せるということ
お餅⇔お持ち(タイプAとタイプCとの対立)も上記同様に、
お便り⇔お頼り(タイプAとタイプCとの対立)のときには変換キーのロ万とイ万を押下遷移させてたどり着く算段(お頼りを出したい)、
お造り⇔お作り(タイプAとタイプCとの対立)

さらには適切な例ではないかもしれませんが
お感情⇔お勘定(タイプAとタイプBとの対立)これは「おかみさん、お勘定!」といったようにロ万かつ辞書登録もありそうなのでという流れをとる
劣り⇔囮⇔お取り(ロ万専業と[イ万とロ万兼任のもの]と[タイプC:イ万とハ万兼任のもの]との対立)
であったり
お宅⇔オタク(イ万とロ万との対立)を使い分けたり
多少やぼったいのですが
お菓子⇔犯し⇔お菓子(イ万専業とロ万専業と[ハ万とイ万兼任のもの]との対立)なども兼任や押下属性遷移などのシステムを運用して上手くさばけそうです。

また、さらに発展形の用途としては辞書に登録されていなさそうな
・おメールいたします
・おイッキなされる
・おチョイスで
・おググりください

なども、既定の各イ万/ロ万属性あったとしても、バイパス兼任的にイ万を噛ませる、あるいは接辞なのでハ万もひと噛みする、などの味付けをほどこして立体的に展開していけば、属性遷移という面倒はあるもののピンポイントで目的の語を浮かび上がらすことができ、通常変換でネックとなる「お」接辞語を避けながら候補導線分離を進める事ができて一石二鳥であります。
一応個々のレアケースなども今後精査していかなければなりませんが果たしてうまく機能するでしょうか?投資の意味も含めて検討のまな板にのせる価値はあるかと思います。
何より「お」がらみの検知は通常変換からパージされているのでこうした「お」がらみ語でありながら未知語までを含む厄介なパターンをとりあえず通常変換では心配しなくてもいい、というメリットがあります(もちろんその分デフォルトでの分解能は少し物足りなくなるが)。
そして一度三属性を通して変換確定したものは前後の用例配列も格納したうえで学習されますから(学習後は通常変換で出てくる)通常変換で出てこないことをことさら憂慮すべきほどのリスクは除去できるかと期待しておるところです。

以上が接頭辞「お」にまつわる例外処理の提案概要であります。
なお、「お」に似たような機能を持つ「御」についても触れておかねばなりません。
一般に、[原則的に『お』は和語に付き、『御』は漢語につく」との慣用ルールがあるそうですがこちらのルールを観照していきますと「御」のほうは先程のメインの「お」の場合に比べるとタイプ分類に基づく見通しを立てていくのはどうも難しそうであります。
なぜならば漢語は一般に品詞属性・語性のはっきりしないものが多く境界的でもあり横断的でもある特質を多分に持つからであります。
和語には活用やイディオム連綿性などが比較的特徴的である意味与し易いのでありますが漢字は同音衝突もありますし解釈候補が爆発してしまう複雑性をもっているのです。
なのでここはデカルトの箴言「困難は分割せよ」を援用いたしまして、分解能の対象を、

「御」と「誤」の分離だけにひたすら注力する方針を立てる

ことといたします。(流石に後半バテてしまったのか、という話は内緒です)
御と誤にまつわる誤変換は枚挙にいとまがなく、接頭辞「ご」のふるまいを精査していくと結局のところはこの「御」と「誤」の分解能を高めることに帰着する問題なのかというのも皆さまご納得して頂けることと思います。
例としましては

・御アクセス/誤アクセス
・ご記入/誤記入
・ご当選/誤当選
・ご登録/誤登録

などがあります。
三属性変換のさばきとしましては、

接辞「ご」を含む語:イ万専業 あるいは イ万/ハ万兼任(ケースバイケースで)
接辞「誤」を含む語:もっぱらロ万専業(結合相手がロ万の素性に結び付くかどうか不明の場合はロ万/ハ万兼任で)

このように処理していけばいいかと思います。
さて紙面も尽きてきましたので今回はこのへんにいたしまして筆を納めたいと思います。
このアイデアをもって、三属性変換の取り回しに少しでもプラスになっていければ良いのですが…。まずはこの方針でやっていきましょう(^^;)

 


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界王様もおったまげな言語学

2021-03-02 | にほんごトピック

東映アニメーション制作のテレビアニメ「ドラゴンボール超(スーパー)」のオープニング曲、「限界突破×サバイバー」(歌唱:氷川きよし)
曲中において何かフックのある歌詞がでてきてうなってしまったので、今回はここを掘り下げてみたいと思います。
問題の歌詞は

退屈は 石になる 重くて落ちちゃう前に♪

の箇所であります。

退屈は石になる の言わんとするところは、英語で言うところのBecome a stone(~になる)なのか、If you are bored(条件文)なのか、
日本語はこういうところが助詞の含みで言い表そうという傾向があるため額面通りの論理構造をハッキリさせるのが苦手な言語と言えるかもしれません。
検証のためこちらの対偶ロジックに当たる

熱中は ポップコーンになる♪

なるものをひねくり出しましたがどうもピンときませんね。
文法的にはこれはウナギ文(僕はうなぎだ)の一種なのでしょうか?あるいはコンニャク文(コンニャクは太らない)?
カキ構文(カキ料理は広島が本場だ)にも通ずるものがありますね。

たとえば

当日(いきなり言われると)は意固地になるよ、そりゃ

みたいに時の提題がマクラにくる場合は割と安易に成り立ちそうですが

ダメな時は意固地になる
キレる程冷静になる

みたいに時や条件を導く句がきても一般的に成り立ちそうです。
退屈や熱中にもそのような含みが隠されているのかもしれませんね。

そもそも退屈という字面からして動作性の名詞という機能なのかあくまで動作・様態の概念なのか
何か漢語熟語になってくると品詞性の境界が曖昧になってくるのも解釈が分かれる原因につながっているのだなあ、と感じざるを得ません(これは外来語やカタカナ語にも言えますね)。
こんな奥深い考察を呼び起こすのも、作詞の森雪之丞氏の言語センスが卓越しているということに尽きると言ったところでしょうか。言葉の化学変化は面白いものですなあ。

以上、今回はプロの作詞家が垣間見せる日本語文法論に刺さるような言葉のマジックを魅せてくれたことについての考察でした。

 


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