オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【学生時代の講義要項】発掘した。そして思い出した日々。

2024年03月08日 00時00分00秒 | オズマの考える教育問題


引き出しの奥に埋まっていた。34年前の記憶とともに。

 学生時代のものはあらかた捨ててしまった。家を建て直すときに,高校・大学の教科書・ノート類は全部捨てた。

 だが,講義要項と学生便覧,さらには教育実習ノート(活動報告書)が残っていた。いや,思い出したのだ。

 さっそく開いてみよう。


4/23は教育実習説明会だったのか。バイトを終えて関越を高速で向かった記憶がある。

 4年次は週に2コマのゼミナールが必須だっただけで,それが火曜日11:00~15:00。それ以外は,実家の電気店アルバイトだった。

 個人的には「実家から金貰ってどうするんだ」という思いがあり,近所の出版社でのアルバイトを続けたかったが,それを辞めて実家を手伝うことになった。

 週4日のバイト生活だったと思う。火曜日・金曜日(これは釣り研究会の部活)に大学に行き,週イチで水郷に通い始めていたから,そう,たしかに週4日のバイトだった。

 それよりも,専門教育科目の内容がいまでも頭に浮かんでくる。


お亡くなりになった先生も多くなったはず。


これだよ,代数学同演習。大学に入って一番感動した授業だった。

 この講義の前評判は,なかなか単位をくれないと・わかりにくいとのことだったが,3年次に自分と友人,合計10名足らず(定員120ぐらいだったのに)が毎週マジメに授業を受けていた。

 その理由は,講義冒頭で「-1×-1=1の証明をやります」という実に「数学的に」美しい話だったのだ。これが出来たら大学に行った価値があると思い,マジメに授業を受け,「群・環・体」をいつもイマジネーションしながら,毎週のように先生には質問をしたし,友人達とも帰宅時の電車でも議論していた。

 そして,後期の11月頃にようやく「ヤッタゼ」と「-1×-1=1の証明」が出来たのだった。単位認定が厳しいという教授だったが,毎週最前列で質問しまくり,けして寝ない(面白いので寝ない)まじめな生徒だった(これは自慢できる)ので,結局A判定をもらった記録がある。


この先生はわかりやすいようで判定に厳しかったかも。

 まったく逆に,自分に「解析学の才」がないことを痛感させてくれたのがこの先生。非常に懇切丁寧に,何度も解説してくれるのだが,自分は理解が進まない。理解が半端だと前に進めないからかなり苦労した。

 それでも,やはり最前列かつ毎週寝ない出席だったし,あざとく「オズマと申します!なんて名前を売って(10名足らずではあったからみんな仲良く名乗っていた),単位はB判定だった。ちなみに,C判定がギリギリセーフの単位認定である。

 『数学ゴールデン』を読むと,この学生時代を思い出すのである。高校生のときに「数学科進学なんて,教師しか職業ないぞ」と言われたが「就職のために勉学を選びません」とキッパリ高校教師や補習塾の先生に反論して受験した。

 なにより,学費を出してくれた両親に感謝である。この貴重な4年間の体験は,その後社会人になってもずっと活かされた。いや,いまでも「仕事なんて,結局因数分解じゃないかと考えてしまうし,「なんとかして同類項を探そう」なんて口癖になっている。

 教育の無償化は「やる気のある生徒」には意味があるだろうが,そうでないなら無意味でしかない。自分はマジメに勉強していたので無利子の奨学金を月3万円借りることが出来たが,その返済を当然義務と感じて仕事を頑張った。お金にはそういう面もあるということだ。

 なお,教育実習活動報告書はあまりにも稚拙なので公開できない。稚拙というレベルどころか「20歳そこそこの学生くんだり」が,まあ偉そうに書いていた。これで単位がもらえたから不思議だが,当時問題にした「教育自習費用」という名の2万円自己負担(1万は大学,1万は高校)に激しい憤りを書いていたのが,やはり自分なのかと思ってしまった。

 数学は楽しいし,役立つっすヨ!


【共通テスト】追試を受ければよい,というものではない!

2024年01月14日 00時00分00秒 | オズマの考える教育問題


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https://news.goo.ne.jp/article/hokkoku/region/hokkoku-20240113134444

 共通テストが始まった。古くは共通一次,センター試験として実施され,すでに40年以上の歴史がある。

 関東地方でもどういうわけかこの時期になると悪天候になり,1/13の夕方17時現在,東京でもみぞれ(雪)が降ってきた。

 問題なのは被災地への対応である。

 一部に「追試験を受ければよい」という意見があるが,入試分析をしたことも見たこともないど素人の意見だ。まったく受験生の心理にたっていない。

 追試験は,本試験よりも難しくなる傾向がはっきりある。その難しいであろう追試験を,しかも被災地域の受験生が受けるとしたらどうだろう。

 僕だったらプレッシャーでおかしくなるかもしれない。いま考えれば「大学入試ごとき」と思えるのだが,18歳にしてみれば18歳のプレッシャーがあるのだ。自分自身,いざ大学受験となったあの18歳のとき,最初の30分間に思考が止まった記憶が明確にあるだけに。

 それにしても,SNSというよりXか,正直「デタラメ」情報ばかりに感じる。地震をいまだに「人工地震」と言い放ち野放図に「拡散」されるし,関東大震災のときにあった「外国人による略奪」なども拡散されているようだ(僕自身は何度も書いているようにアカウントさえないので見ていないが...)。

 いまこそ,SNSには「正常化へデジタルトランスフォーメーション」しないといけないと感じる。言論統制でなく「言論の自由」を守るということには,責任も義務も伴うのだから。


【PISA・日本の読解力3位に】まったく無意味な比較をして一喜一憂。本質を捉えよ!

2023年12月07日 16時24分05秒 | オズマの考える教育問題


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/nation/kyodo_nor-2023120501001371

 これは単なる時事報道に過ぎない。

 比較検証するならば,同じ子供たちに・同じ問題で・同じ環境で解かせないと「条件が異なる」ので数学的に正しくない。

 生物学的にも,子供の年数経過による進化・深化・老化もあり得るので,単純な比較をすべきではない。

 なにより慎まなければならないのは,こうした結果に一喜一憂することだ

 代表例を上げよう。

 公文式では,高校数学の微分積分計算を,早くて小学生でもできるようになる。計算が得意になるということ自体は悪くないと理解する。

 しかし残念ながら,けして本質を学ぶわけでなく,「公式当てはめ演習」をするだけである。置換積分・部分積分も,たしかに「公式当てはめ」なら解ける。

 だが,こうした小学生に「数」の概念を説明させたり,間違っても「実数の連続性」(そもそも大学の範囲だが)について述べさせることも,理解させることも難しいのが実情だ。

 その結果が,中学生以降になると急に理数系科目嫌いになる傾向からも明らかである。

 もっとも,僕自身も「実験結果を強要される」理科が大嫌いだった。理論でなく結果のみが重要という無意味な学校方針に,高校生ながら若干の抵抗をしていた。平たく言えば,「実験結果はうまく行っている人の結果を借り」,期末テストなどでは暗記して公式当てはめ演習を繰り返し,得点だけは確保した。

 ひねくれた子供(だった)は自分だけで十分だと思う

 エジプトでは「特別活動」を採り入れた旧日本式教育が積極的に採用されて結果を上げているようである。他,新興国でも同様の動きがあり,どうやら富裕層にもてはやされているようだ。


NHK「クローズアップ現代より」

 「特別活動」の本質は「人間性形成」である。わかる・答のあるものでなく,わからないものをなんとか調整する「非認知能力」がAI時代を生き抜くのに必要だし,実社会はまさに「人間性」で仕事が動いていく。

 「特別活動」にしろ教科教育にしろ忘れてはいけないのが「本質はなにか」を意識して実践することだ。

 数学でしか語れないが,高校数学では「2次方程式の解の判別式」がある。この本質は「2次方程式を二次関数に読み替えて」「二次関数のもつ軸での対称性」に着目し,「軸がx軸正負のどちらに属するか」で判別する,というものだ(絵があればわかりやすいのだが,ここに描く技術がない)。だが,実際は「判別式」が独り歩きして暗記事項になっている。

 どんな科目でも本質はある。どんな趣味にも,どんな遊びにも

 釣りで言うなら「自然と会話する」のが「飽きの来ない楽しみ方」だと思う。だから僕は原則管理釣り場に行かない。人との会話自体を嫌わないが,競う釣りに興味がない。どんなに困難な結果でも「揺るぎない自然に翻弄される感覚」こそ日常にない感覚であり,終生大事にしたいから,僕は野釣りに拘っている(くどいが,けして釣り堀や管理釣り場での釣り自体を責めているわけでもないし,親しめる人にとっては積極的に親しむ場所だと思う)。

 結果に一喜一憂しても仕方ない。大学まで「多子無償化」(3人以上)なんて無策が出ているが,誰もが大学に行けばよいという時代ではないし,職業選択の自由もあり,そもそも職業に貴賎などない。

 政府やその関係者,御用学者の意見にはいつも首を傾げる自分がいまもこうしてあるが,「目先の結果が出ない」理屈への理解を得るには艱難辛苦を伴っている...。

 バドジズデジドダ


【DDTの生物濃縮】ノーベル賞受賞していたとは! 高校教科書では教えてくれない真実。

2022年11月28日 00時00分00秒 | オズマの考える教育問題

 NHKを見ていたら,僕でも知っているDDTの歴史を放送していた。

 なにより感慨深かったのが,DDTでノーベル賞を受賞していたこと

 そして,「生物濃縮」という言葉を僕は高校生物で習っていまでも記憶に残っているのだが,その恐ろしさが暴かれていく。

 父や母のように,昭和10年代生まれだと,この写真のようにDDTをふりかけられた記憶もあるという。

 とにかくシラミやらなにやらすごかったそうだ。

 詳細は番組でも紹介しているが,生物濃縮の恐ろしさは水俣病,イタイイタイ病で日本でも認知されている。

 懸念するのは,被害者救済の問題でなく,科学の運用の仕方である

 戦後,とくに日本は科学万能主義に陥っている。いまは,そこにインターネット万能主義が蔓延っている。

 そこで聞き直したい・見直したいのがこのアニメ「ミクロイドS」である。

 ミクロイドS~OP~(ミクロイドS)ED~(ヤンマだアゲハだマメゾウだ~アップテンポ盤)~(SE付き)~フルHD



 歌詞に「こころを忘れた科学には 幸せ求める夢がない」というくだりがあるが秀逸だ。作詞者は,やはりの阿久悠である

 そう,DDTはまさに「こころを忘れた科学」だったのだろう。いや,開発者に悪意はなかったが,検証が不十分だった。

 なにより,ノーベル賞を授与させてしまったことが最大の失敗である。

 最後に,万能主義などという「原理主義」はあり得ない,ということを再確認させてくれたとてもよい番組とNHKに感謝する


【共通テスト試作問題公表】それでも学力格差は拡大しつづける!

2022年11月10日 08時19分38秒 | オズマの考える教育問題


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https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/life/20221109-567-OYT1T50220

 歴史から学ぶことが多いのは,この共通テスト・センター試験・共通一次である。

 新しいことが導入されるたびに「時代にあった」「これからの未来に適合した」といった美辞麗句が並べ立てられた。

 しかしながら,実際の「学力差」は拡大し続けている。

 わかりやすくいえば,昼間から渋谷で歩いている高校生風の生徒と,そうでない生徒とはっきりわかれている。

 『ドラゴン桜』で示したのは,あくまでマンガの理想。東大合格というわかりやすい目標こそ,受験指導としての目玉だからだ。

 どんなに時代が変わっても必要なのは「客観的にみる力」「そのための基礎力」だと思う。

 COP27が「CO2排出権取引」会議であって,けして「環境会議」でないこと。

 外来生物法が「てつかずの自然などないのにあたかもあるかのように錯覚させること」「交付金目当て」であること。「里山主義」など原理主義でしかない。

 共通テスト改革が「文科省の仕事」であること。仕事のための仕事なのだ。

 このようなことを見抜いていたら,別にどうなっても「変わらない」。

 激しい腰痛から「椎間板ヘルニア」になったが,きっかけはおそらくブースター接種。

 いつの時代も,「主観を排し」「数値で見て」「客観的に」判断できるようにしておきたい。


【共通テスト流出】デジタル機器の一切持ち込みを禁止/通信を遮断/学歴偏重社会ではないのになぜ?

2022年01月27日 08時26分08秒 | オズマの考える教育問題


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/nation/kyodo_nor-2022012701000034

 ついに日本もこういう時代なのかと思う。

 受験人口は僕の世代で約200万人近い。しかし,いまは100万人台。大学定員は多いままだから「どこへでも入れる」ようになるはず,だった。

 当初から指摘されたように「有名大学」にだけ生徒が集まる傾向は変わらない。医学部の入試倍率などまさに気狂い沙汰。

 入試不正に対しては,なんといっても物理的に遮断するほかない。

 怪しい雑誌(具体名はあえて記しません)をしばしば熟読しているが,そこには非常に有益な情報が載っている。

 通信機器などいくらでもある,ということだ。

 通信機器に対しての対策は,電波の遮断が一つ。さらに,通信機器だけがもっている「部品」(知っていてもあえてかきません)を探知機ですべてチェックする。

 それにしても,こんなインチキをして入試に通ったとしても何ら意味がないのではない

 同じ土俵で闘うからこその入試。実社会もその連続である。

 勉強や学歴だけで人生が決まってしまうと教えているのは誰なのか。

 「何を学んだか」「どう過ごしたか」が重要な学生生活ではないのか。

 僕の出身大学は,僕の受験生時代に偏差値が高い方ではなかった。最初に英語の試験があって「楽勝」と思いきや,数学ができなかった。

 いや,緊張して手も頭も働かなかった。そして30分経過したとき俯瞰すると,出来そうな問題があった。そこから手をつけ始めて,個人的には「75点」は得点できた,と思った。

 合格発表は雪の日で父と見に行った。合格していたとき,とにかく嬉しかった。その後,いろいろな大学を受けたがもはや緊張感がなくなってしまって,滑り止めに一つ受かっただけだったので,最初に受かった大学に行った。

 人生は大学で決まるわけではない,というのが実社会での経験である。僕よりはるかに学校歴の高い人などいくらでもいる。東大なんぞいくらでもいる。東大博士課程もいる。しかし,同じ職種である。そこにあるのは実力勝負のみ

 いまでも「闘い」の連続である。だが,まずは正攻法。姑息な技は実社会の「知恵」であり,入試で使用するものではないだろう。

 話が長くなったが,共通テストの自己採点集計が出きったあとに,なんとも残念なニュースである。

 教育とはなにか

 あらためて考える日々となっていく。


【大学共通テスト】いまのところ想定範囲内ですかね。

2021年01月17日 17時31分13秒 | オズマの考える教育問題


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https://news.goo.ne.jp/article/ntv_news24/nation/ntv_news24-805029

 まあ,個人的には想定範囲内。読解力を求める問題が増えるのはよいことでしょう。

 公的には,役所の文書をやたらと読み込む作業がありますが,これがとにかくわかりにくい。

 役所言葉というのは「本質を最初に書く」ということがなく,自分でまとめあげないとダメ。

 気がついてみれば,高校生の頃には「板書を見ないで,頭の中で整理して書く」訓練をしていました。板書を写す作業なんてなんの勉強にもならないって,なぜかわかったのは補習塾のお陰です(いや,両親のおかげです)。

 別にそれで有名大学に入ったわけでもありませんが,細かい知識よりも重要なのは「与えられた条件をもとに考え抜く」ことでしょう。

 実社会はその繰り返し。

 要は,やっと入試が実社会に追いついてきたということでしょうか。

 さて,1/18からまた仕事ですが,ついに壊れてしまった膝

 階段昇降がヤバイです。お風呂掃除もヤバイです。

 とにかくしばらく医者に通います。まいった...


【9月入学論・共通テスト「改造」】翻弄され続けた受験生...っていうのは「造られた姿」では?

2020年06月21日 13時17分19秒 | オズマの考える教育問題


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASN6M7758N6MUTIL03B

 こんな報道があっても,進学校の生徒は「だからあ」と冷めた目で観ているだろう。

 進学校では,高校2年までに3年分履修してしまう現実がずっと続いている。3年のときはひたすら「受験対策」だけ。

 したがって,進学校においては「履修遅れ」は当てはまらない。

 大学進学率も100%ではない。理論値として「全員入学」できる時代になっているが,5割強の生徒が進学して高止まりしている。

 みんなが大学に行く必要はないし,みんなが高卒である必要もない。同じ人生を歩むわけではない

 しかし,コロナは自然現象であり平等に生じている。

 コロナだからって特別の配慮しても,生徒の実力が変わるわけではないでしょう

 間違っても追試をアテにしたり,「発展的内容が出題されない」とマトモに受け取らないこと。

 いままでも,東大は思い切り指導要領を逸脱というか「問題文を読めばわかるだろ」と出題し続けてきたわけで,これが2021年度だけ変わるかといえば,それはないでしょう。

 教育は国家100年の計,というではないですか


【金八語録・人間のふれあいの中】熱い時代だった1980年代。WEBカメラ設定完了。

2020年03月30日 22時20分17秒 | オズマの考える教育問題

金八語録 第二シリーズ 21 人間のふれあいの中で我々は生きてるんです



 志村けんがコロナで逝去したし,伴ってか都知事の緊急記者会見が開かれた。

 緊急事態宣言はそうそうできないという僕の読みとは異なり,スーパーにはまたしても殺到したという家族の話。「だろう」が「だ」になるデマの恐怖。コロナも怖いがデマの流布はいつになっても収束しない

 無論,コロナに対して楽観できる状態でなく,僕としてはいつでもWEBで仕事ができるようにWEBカメラを取り付けた。Youtube投稿にも向いているそうだが,面倒くさい動画編集なんてしないから安心してほしい。

 さて,そんな折になぜかこの映像がオススメになってきた

 何十回再放送で見ただろうか。DVDも持っているが,再生回数は「あしたのジョー2」に比べてガクンと落ちる。

 それにしても1980年代である。生徒が熱かった。自分もその一人だったのかもしれない。校内暴力とまではいかないが,ケンカやらとっくみあいやらやたらと多かった。僕もやけくそになって濡れ雑巾を投げたことがあり,廊下の窓ガラスが割れて,往復ビンタと正座1時間ぐらいもくらったっけ

 でも,当時の中学に体罰が悪なんて観念はなかった。生徒である僕らもわかっていて覚悟ができていたように思う。シンナー・タバコ・酒をやる奴だけとはつきあわないよう距離を保っていたけど。

 金八語録というより,小山内美江子語録のように思えてしょうがない。脚本家のパワーを感じる。教育論を感じるのである。演出と出演が相乗効果を産んで,こんなシーンが出来たのだろう。

 さて,自分が東村山音頭を踊るのは,いま流行の「WEB飲み会」だ。スカイプを使ってやってみる。まさかデンセンマンみたいに「はるかニューギニアの発電所から電線を通って」やってくるはずのないコロナだから,とにかく準備を万全にしよう。

 まあ,意外とそういうときにPCが死亡したりするんだが(笑),いざとなればスマホでもできる時代である。 


【大学入学共通テスト「記述式問題」見送り】下村博文の野望は潰えたか?

2019年12月14日 20時36分15秒 | オズマの考える教育問題

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https://news.goo.ne.jp/article/nhknews/nation/nhknews-10012212641_20191212

 自分の過去記事を見てみる。週刊新潮がすっぱ抜いた記事だが,実に通じない。

 誤報として通じないのでなく,知らない・興味がない,である。

 自分としては,政治家の思惑で入試制度変更など許されるものでないと考えるだけに,温度差は大きい。

 もっとも。

 僕はデジタルネイティブ世代のように24時間スマホ臨戦態勢ではない。

 「スマホで人生が変わる」とか大騒ぎしすぎだと思う。ホリエモン,実はアタマどうかしているんじゃないか。ああ,あれは「同じことを何度も違う媒体で言う」商法だけどね。

 スマホなんて,ある程度便利になったかな,という程度。メールがLINEになり,カメラ性能が向上したこと。

 まあ,使いみちっていうのがありますがね。

 ともかく下村博文の野望は潰えた...ということにしておこう。


【共通テスト記述式問題,年内に結論】ベネッセへの天下りが暴かれているのに,まだ懲りない!

2019年12月07日 16時16分58秒 | オズマの考える教育問題

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https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20191206k0000m040311000c

 記述式での共通テストに大いに問題があることは,何度も書いてきた。

 下村博文が関わりだしてから急転したこと。

 下村博文の強烈な学歴コンプレックスが産み出したのが「共通テスト」だと。

 なにより,ベネッセ子会社に多くの天下りがいるという事実がある。

 学力ではなく,結局「金と名誉」のために,教育課程は変更されてきた歴史がある。

 いさぎよい「中止」をすべきである。

 それとも,年内にベネッセにいる天下りを一気に退職させて,とかげのしっぽきりでもしようという考えか。

 そもそも,30年あまりほぼ問題なく運営されてきた「センター試験」を変える必要はない。

 PISAの学力試験でどうのこうのという人もいるが,「主体的・対話的学び」を文科省は生徒に身につけてほしいわけがない。

 僕は子供の頃から偏屈で「親や学校の言っていることがすべて正しいわけではない」と,感情の入らない「数学」が好きになった。

 そもそもは,現代文であれ論文であれ「感情」など入らない。客観的に読むだけである。

 リミットまであとわずか。ここで止めないと,まずもって国民「感情」が許さないだろう。


【小6誘拐・女児の悩み利用か】小学生とはいえ12歳以上ということは...。

2019年11月25日 21時53分41秒 | オズマの考える教育問題

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https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/nation/kyodo_nor-2019112501001094

 家族の見解である。この問題,すんなりついていく小学生も問題なのだ。

 見知らぬ男についていく女子生徒。12歳。

 35歳と12歳の組合せ。親子のようで微妙だ。

 35歳に「ロリコン癖」がないかどうかが問題だし,12歳に「お父さんコンプレックス」がないかどうかも問題。

 こういう事件が起きると,一方的に男性ばかり責められるが,SNSで女子が反応していることが問題だ。

 つきまとわれたのではない。ついていったのである。誘われて怪しまずについていった。

 12歳の女子は,同世代男子よりも遥かに「オトナ」である。

 35歳はそれも計算していたかもしれぬ。

 下衆な話になれば,要は「オトコとオンナ」の関係があったかもしれぬ。

 そもそも,12歳の女子にスマホを無制限で使わせるってどういうことなんだろう。

 スマホで必要な機能は,せいぜいLINEと電話,メールだろう。おっと,ラインもメールも「ダイレクト」につながっちゃうか。

 38年前の12歳は,スマホどころか腕時計すらなかった。時計がなくても「日が暮れたら帰宅」だからだ。

 この種の問題,とにかく男性だけ悪者にしても解決はしないと思う。

 心が寂しいんだろうな。矢口先生の時代と比べてもしょうがないが,やっぱり寂しいんだろう,心が。

 問題は,そういう「疲れる心」がどうしてなのかを,専門家ではない人にも「わかりやすく・簡潔に」説明することも重要,ということである。


【共通テスト・悪の枢軸】下村博文とベネッセの密約...だけではあるまいて!

2019年11月14日 18時20分28秒 | オズマの考える教育問題

 以下,『デイリー新潮』よりそのまま転載する。ただし,特別重要な箇所はゴシック色付きで修飾します。

%====転載開始

 欠陥を指摘されても準備の遅れが露呈しても、文部科学省がかたくなに見切り発車しようとした、大学入試共通テストの英語民間試験活用。萩生田文科相のおかげで欠陥がわかりやすく伝わり、見送られたが、そもそも問題は、入試改革が某企業ファーストであることにあった。

 教育現場の大混乱を受けて、全国高等学校長協会が見送りを強く主張していたが、良くも悪くも、事態を動かす力はむしろ失言のほうが強いらしい。だが、和歌山大学教育学部の江利川春雄教授は、

「強行するよりはよかったにせよ、遅きに失した」

と、こう苦言を呈する。

 「大学入試には2年前予告のルールがあります。入試制度を変更する場合は、2年前までに告知するのが前提とされ、2020年度の入試であれば、18年度のうちに告知をしておかなければならないのです」

 導入を見送るなら、本来は今年3月までに決める必要があったというのだ。一方、個々の大学は一刻も早い告知を意識していたとみえ、たとえば、東京大学は昨年3月10日、英語民間試験は「合否判定に用いない」と発表した。ところが、ひと月余りのちの4月27日、一転して「使う方向で検討を始めた」と公表したのである。

 その間になにがあったのかについて、さる政府関係者は耳打ちする。

 「下村博文さんが東大の五神(ごのかみ)真総長と幹部を自民党本部に呼びつけ、“センター試験廃止は教育再生実行会議で決まっている”“これ以上、遠藤(利明)さんを困らせるな”と、叱責したと聞いています。大学への金銭的プレッシャーも仄めかされ、幹部は蒼ざめて帰っていったそうです」

 この件を「100%ない」と否定する文教族の下村代議士は、13年1月、第2次安倍内閣の諮問機関として教育再生実行会議が設置された当時、文科相兼教育再生担当相としてこの会議を先導していた。また遠藤代議士も、自民党の教育再生実行本部長として、英語民間試験導入を盛り込んだ教育改革案を、安倍総理に提出していた。

 ちなみに、大学入試センターが認定した民間試験は、日本英語検定協会の「実用英語技能検定」やベネッセコーポレーションの「GTEC」をはじめ、6団体の7種類。当初は7団体だったが、7月にTOEICが離脱していた。さらに細分化すると22種類になる。

 「それぞれ目的も内容も異なる試験の結果を、セファール(CEFR、ヨーロッパ言語共通参照枠)という一つの規格に落とし込んで測るなんて、土台無理な話です。たとえれば、50メートル走とフルマラソン、走り幅跳びの結果が共通の規格では測れないのと同じことです」

 江利川教授はそう言い、今回の決定について、

 「萩生田大臣が会見で“自信をもって薦められない”と口にしたのは、率直な気持ちだったのでは。この入試改革は延期ではなく、中止しかありません」

と、きっぱり語る。それにしても、全国の高校の現場からも、個々の高校生からも悲鳴ばかりが聞こえてくるこんな「改革」が、なぜギリギリまで推し進められてきたのだろうか。

 京都工芸繊維大の羽藤由美教授は、

 「今回の入試改革をさかのぼれば、安倍内閣のもとで13年、教育再生実行会議が第4次提言を公表したことに端を発します。このときの文科相は下村さんで、それ以来、すべては“民間ありき”でズルズルと話が進んでいきました」

と指摘。文科省担当記者が補って説明してくれるが、そもそも、英語民間試験は教育界からでなく、産業界から湧いた話だった。

 「13年6月、“大学の英語入試への民間検定試験の活用をめざす”という内容が盛り込まれた、第2期教育振興基本計画が閣議決定されました。ただ、そこに至るまでの前段があります。13年2月、楽天の三木谷浩史会長兼社長が、自民党の教育再生実行本部で“英語ができないため日本企業が内向きになって、世界の流れに逆行している”と指摘、大学入試にTOEFLを導入することを提言しました」

 すると、それを受けるかたちで翌3月に、

 「遠藤本部長の下、実行本部がまとめた教育改革案に“TOEFLを大学入試に活用する”という内容が組み込まれました。続いて5月には、教育再生実行会議が、“TOEFLなどの民間試験の活用”などを含む提言を安倍総理に提出し、翌月の閣議決定につながっていきます」

 また、実行会議では、

 「“TOEFLは問題が難しすぎるから、ほかの試験を活用するべきだ”という意見が出されました」

 こうしてGTECなども認定の対象になったのだが、ともかく、民間への“払い下げ”を主導したのが、塾や予備校業界から受ける献金により、たびたび問題視されてきた下村氏であった

 ただし、下村氏とタッグを組んだ感のあった楽天について、江利川教授は、

 「楽天社員の葛城崇さんが、14年から2年間、文科省初等中等教育局国際教育課に出向して、読む、書くのほか、聞く、話すを加えた英語4技能化のキーパーソンとして、英語教育改革に従事していました」

と話すが、週刊誌にそのことが報じられると楽天は失速。その後、急速に食い込んだのがベネッセコーポレーションで、

 「入試用に認定された民間試験のうち、ベネッセが主催するGTECが、大勢の受験生を集める試験になるのではないかと、最有力視されていました」(同)

 だが、ベネッセについて深く覗く前に、子供たちの一生を左右する入試改革が、いかに民間主導で進められていたか見ておきたい。文科省関係者が言う。

 「各民間試験とセファールの対応関係を決めるための文科省の作業部会は、メンバー8人のうち5人までもが、GTECのベネッセや、英検の日本英語検定協会など、民間試験を実施する団体の幹部職員でした。民間試験をどう測るかも、民間企業にお伺いを立てて決めているんです。また、作業部会の主査は、日本英語検定協会主催の試験TEAPの開発者の一人、上智大学の吉田研作教授で、主査代理である東京外大の根岸雅史教授や、部会員でやはり東京外大の投野由紀夫教授は、共にベネッセのHPにGTECの推薦者として名を連ねています

 ベネッセ関係者が目立ってきたが、この程度にはとどまらないという。

「14年12月、中央教育審議会会長として“民間資格・検定試験の活用”という方針を打ち出した安西祐一郎氏は、GTECをベネッセと共催している進学基準研究機構(CEES)の評議員でした。教育再生実行会議委員だった武田美保氏もCEESの理事。元民主党参議院議員で、14年に当時の下村大臣に招聘されて文科省参与に就任、15年から18年まで文科相補佐官を務めた鈴木寛氏は、ベネッセグループの福武財団の理事です。文科省とベネッセグループは一心同体で、“第二の加計疑惑ではないか”という声も聞こえます

 そう語る文科省関係者によれば、個別の大学にもベネッセ関係者の天下りが増加中だという。

 「たとえば、大阪大学高等教育・入試研究開発センターの山下仁司教授は、ベネッセでGTECの開発統括を務めた人。旧帝大で阪大だけが英語民間試験を必須としていたことと、関係があるといわれています」

 もはや受験生ファーストでなく、ベネッセ・ファーストの入試改革が進んでいたようにさえ見えるが、そうなった背景を教育ジャーナリストが説明する。

 「14年に発覚した個人情報漏洩事件で、ベネッセは250億円を超える特別損失を計上。また事件を機に主力の“こどもちゃれんじ”や“進研ゼミ”など通信教育の会員が減少したため、一刻も早い業績回復が急務とされていました。その点、入試に英語民間試験が導入され、毎年、仮に20万人の受験生がGTECを選ぶことになれば、1回7千円として1人2回受けるとして、黙っていても28億円の売り上げが加算されます。そのうえ、GTECを受ける子は当然、GTECを作っているベネッセの問題集を買い、通信添削も受けておこう、ということになるでしょう」

 だが、それだけではない。

 「ベネッセの営業マンは全国の高校を巡回し、模試や教材を売っていますが、高校にすれば買わざるを得ない状況にあるのです。ベネッセは8月には、大学入試共通テストに新たに導入される記述式問題の採点業務を、61億円で落札しています。加えて英語民間試験でも、GTECの受検者が多ければ、入試に関する情報をもっているベネッセの教材を、高校が無視できるはずがないのです」

 さらには、大学にもプレッシャーをかけていた、と打ち明けるのは、某大学関係者である。

 「ベネッセは大学に、合格者のGTECのスコアが何点だったとか、他大学との併願状況がどうだとか、受験生情報を売りさばいています。実際、私学の担当者は、そういうデータを見て受験日を設定したりしますが、特に併願情報については、ベネッセは1学部につき350万円で販売しています。教育に関わる企業の倫理として認められるものでしょうか。リクナビが企業に学生の情報を売って問題視された件と、どう違うというのでしょうか」

 ベネッセに聞くと、

 「スコアデータは個人が特定できないもの」

 「志望動向を350万円で販売している事実はない」

と答えるのだが。

 また、別の大学関係者が語るには、

 「世界大学ランキングを発表する『タイムズ・ハイヤー・エデュケーション』誌を有するTES Globalの国内総合パートナーで、各大学にランキングの上げ方を指南しています」

 入試が牛耳られ、大学は弱みを握られ、ベネッセに逆らうのは、高校にとっても大学にとっても困難だったという。それがいまは頼みの綱が失われ、株価も急落した。しかし、

 「下村氏は見送りが決まってからも、まだ入試改革をあきらめていません。自民党内の部会では、国が英語民間試験の導入を私学助成金で支援することまで仄めかしています。導入しなければ助成金をもらえないのか、と大学側は受けとりかねません」(羽藤教授)

 絆は強いようだが、「甘い汁」は、未来を担う受験生を犠牲にして吸い上げられるものだと、業者も政治家も、どこまで認識しているのか。教育さえ利権の対象にする姿勢は、醜聞が噴出する安倍内閣のタガの緩みと、無関係ではあるまい

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 自分は,萩生田大臣には御礼をいうほかない,とあらためて思う。

  1. 「身の丈」発言のおかげで問題喚起された。
  2. 教育問題に興味の薄い層にまで訴求した。
  3. 結局,共通テストでの民間試験採用は延期にはなった。
  4. 英語4技能以上に問題の多い,記述式採点についても,ようやく語られた。

 これら「実績」は萩生田「身の丈」発言がすべてのきっかけ。持論は展開していたが,ようやく僕の主張も「ありていな」主張になってきた。

 週刊誌が政治を変えるという事実がここ何年も続いている。

 権力と闘う「決意」は,誰にでもある。

 各大学・受験生・高校は,上記の一連「パワハラ」に屈することなく,「生きた学習」を,いままさに起きている事象から真実を掴み取ってほしい。


【英語民間試験に延期論】今更か? 

2019年10月30日 22時21分10秒 | オズマの考える教育問題
 
 政治家のおもちゃでしかなくなってきた「共通テスト」。
 
 もう,「共通テスト」もやめちゃおう。「センター試験」の方がいいって。
 
 平均点50じゃ,選抜できないよ。

【共通テスト・身の丈発言へ非難】これでは,萩生田大臣をスケープゴートにして本質をそらすだけ!

2019年10月29日 22時08分44秒 | オズマの考える教育問題
 
 リンク先の記者がなかなかよいことを書いている。さすがに元々の放送局の,というところであり,その通りだ。
 
 「身の丈にあった」の何がおかしいのだろうか 偽善が通る世の中でないことは,僕は中学生のときには知っていた。偏差値という基準で「身の丈」を思い切り知らされたものだ。
 
 しかし,偏差値も身の丈も,ともに「尺度」でしかない。尺度なくして実力を他と比較することなどできない。バス釣り大会ではないので,「みんな同じ土俵で」闘うことができない以上,必要なのは「数学的に正しい偏差値」であり,ともなう「身の丈を知る」体感だろう
 
 野党の非難は,「共通テストへの英語民間試験導入の是非」であるべきなのに,見事に萩生田大臣非難にすり替わっている。これでは,萩生田大臣をスケープゴートにして,ことの本質「共通テストへの英語民間試験導入の是非」が語られない
 
 とはいっても,現実には「民間試験を採用しない」大学も多くある。つまりは「身の丈にあって」大学を選べるのだ。そもそも,現在は受験人口より大学入学定員が多いので,理屈では「全入時代」だが,身の丈にあった選択をして大学進学率は5割とちょっと,というわけである。
 
 萩生田大臣の発言そのものは,自分はまさしく当日TVを見ていた。ああ,なるほどちょっと気分が高揚しすぎているかなとは思ったが,彼の文部科学行政への熱意自体は感じられたし,特段不快でもなかった。
 
 繰り返しになるが,このニュースは「萩生田大臣をイジメてスケープゴートにする」だけでしかない。
 
 格差社会というが,僕の少年時代の1970年代からずっとある。小学校では「クルマのある家庭」「個室のある家庭」「六畳一間に3人が暮らす家族」を実際に見てきたし,子供ながらに「ああ,お金があるんだな」と思っていた。ズバリ格差社会であり,大学に行っても「親の金でクルマを買ってもらう」なんて人も居たわけである。
 
 いまに始まった問題ではない格差。格差には,単に是正するよりも正しい認識が必要。そして正しい認識による改善への具体的な行動と方策が必須である。しかし,これも綺麗事でしかないと思う。書いた自分が空々しい
 
 野党の「非難」にばかり同意していると「批判」できないオトナになってしまう,と高校生諸君に伝えたい日々である