ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

毛の長い革の袋を作る

2016年01月31日 10時02分00秒 | 皮細工

・・・板バネを使った口金具を使って袋を作った。
    この金具は昔から、あったもので、「ばっちん金具」と云ったように覚えている。
  
  

  女性はチョットしたものを入れる「こぶくろ」をたくさん持っているようなので、奥さん用に作ってみた。

  長い毛のある毛皮を袋にミシンで縫って、口金を付ければよいだけなので、短時間で作れるのでトライしてみた。
  
  やってみた、分かったことは毛が長い革を二枚縫い合わせるのは意外と難しい。
  家庭用ミシンでは、下送りがかからなくてかなり苦労して縫い上げた。

  何でもやってみないとわからないことが多い。

  
  
  
完成した袋に、ばっちん金具に挟んで、メモ帳を半分入れた状態の写真

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大阪人と京都人

2016年01月30日 08時24分42秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・私は大阪の生まれです、したがって、表記の分け方では、大阪人だと思います。
  しかし、今は、名古屋の尾張地方に長く住んでいるので、生粋の大阪人とは言えないかもしれない。

  子供のころから、「京都のぶぶ漬け」とか「箒を逆さにしてホウカムリさすと帰れの印」と云う京都独特の考え方は聞いていた。
  つまり、京都人は訪問者が長居していると、食事時になると、接待する気もないのに「ぶぶ漬けいかがですか」と愛想をいい、その気になると、帰った後、その人がいない所でぼろくそに、けなされる、とか、
  訪問者が話し込んでいると、戸の陰に、早く帰れと云うまじないの箒を逆さにしてホウカムリさして立て掛ける、など、私たち大阪人は、何故か、子どもの頃から陰湿な京都人と云うイメージを聞かされていた。

  昨日、放送されていたテレビ番組「秘密の県民ショウ」ではその、大阪人と京都人のお互いが、私が知ってたように、お互いをよく思っていない対立関係を、両都市の色々な人にインタビューして、面白おかしく放送していのを見て、私は子どものころの前記の記憶を、改めて思い出していた。

  私は、大阪でも京都の少し近い場所の生まれ・育ちなので、京都人の知人もいて、日頃の付き合いはあったが、そんなところも有るかなー、と云う程度であった、
  しかし、年をとって、改めて考えてみると、確かに、京都人は大事なことでも、はっきりと云わないことが多いと感じる。
  日本人は「ハイ」と「イイエ」をはっきりしないと云う特徴を外国人からよく言われているようだが、まさしく京都人は日本人のはっきり言わない人達の最右翼であるような気がする。

  京都に嫁入った娘に、一度、その辺の事情を、詳しく聞いてみたいものだ。

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女性が人間の基?

2016年01月29日 07時13分33秒 | 動物

・・・新聞の記事に気になった文章があった。

  「生命の基本形は女である」と、生物学者の話である。
  38億年の生命進化の歴史の内、最初の30億年は男性は必要なく、女性のみの存在だったらしい。
  進化の途中で、遺伝子の使い走り役として、男性が現れたそうである。
  何億年も昔の話なので、話半分ではあるが、何となく、それらしく聞こえる。

  そもそも、この世の中の男子と女子は対等の存在であるにも拘らず、私の身の回りを見ても、日本全体においても、女子の方が、寿命が長いことに、私はかねがね、それは何故なのかと云う疑問を持っていた。

  新聞記事の文章によれば、「男子は生物の基本形を逸脱し、もともと、存在しなくても良かった性だった」からかもしれない事が、その理由らしい。
  男子としてはショックな新聞記事の文章ではあった。

  

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女性用バッグの製作

2016年01月28日 07時25分22秒 | 皮細工

・・・誰からも、作って欲しいと云う言葉もないが、私には時間があるので、本を見て、デザインが、いいなーと思った女性用のバッグを作った。

  使わないで、作るだけなので、大きさは1/2のサイズで作りました、 従って、12センチ×15センチ×5㎝の大きさです。
  金具は付けていませんでした。
  バッグのカブセを本体にくっ付けるのは、磁石のホックを使いました。

  

  バッグのカブセを開き、磁石のホックが見えるように写真を撮りました。

  

  バッグの後ろには、小物ポケットが付いています。

  バッグの提げ手以外の皮は、ミシンで縫いました。

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私の家事手伝い

2016年01月27日 08時16分10秒 | 暮らしの出来事

・・・定年後は私も家事の一部を、仕事として、毎日やっている。

  洗濯物を干すことなどは、最初抵抗があったけれど、いまは抵抗なくやっている。
  やってみて分かったことであるが、私の方が家事作業は、向いているようです。
  
  今、朝日新聞の「門」と云う小説を読んでいるが、その中の主人公は大学中退の下級官吏であるが、小説の時代、つまり明治時代中ごろ、日本の中流階級は3DKくらいしかない狭い家に住みながら、女中さんを、家事手伝いとして、雇っていたようである。
  戦後、日本では、私の知っている限り、家に、家事手伝いとして、人を雇っている家はあまり、見かけなくなった。

  話は変わるが、香港に旅行した時に、日曜日の繁華街の公園で、休日を過ごすフィッリッピン人の住込みの家事手伝いさんをたくさん見かけた。
  日本と、収入が変わらない、香港の中流層でフィリッピン人の住込みの家事手伝いを普通に雇っている、社会の構造が、日本と違うのを知って驚いた。

  日本の家庭は他人を家に入れる習慣はないので、日本では家事手伝いを雇うような社会には、今はならないとは思うが、日本の女性が、大半、社会で働くようになると、香港のように、外国人の家事手伝いの雇用が、制度として、国で認められ場合は、日本でも、香港のような社会になるかもしれない。
  家の家事作業をしながら、そんなことを考えた。

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レモンスライスのケーキ

2016年01月26日 05時44分33秒 | 料理

・・・我が家の庭で収穫したレモンがあるのと、買い置きしてあったみかんが痛み始めていたので、これを利用したレモンスライス載せのケーキを作った。

   

   上の写真は、卵三個とバター25グラム、砂糖50グラム、薄力粉90㌘に、ドライフルーツのラム酒漬け80㌘を入れて作ったスポンジケーキです。

  上に載せるレモンスライスはレモンを3個と小さいミカン5個を外の皮だけを除いてジューサーで砕いた汁と、砂糖を50グラム合わせた液に、約30分漬け込んだ後、弱火でアクを取りながら30分煮込んだものをスポンジケーキにたっぷりと載せた。

  

  スライスして煮込んだものを載せた、オレンジケーキはあるがレモンケーキはあまり見かけない。

  私が、作ったこのケーキは、とても酸っぱくて、表面皮部分は少し固く、ホロ苦いが、全体としては癖のある、病みつきになる味のケーキに仕上がりました。

  レモンの在庫がある間はまた、作ろうと思っています。

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寒い朝、外での活動は注意して

2016年01月25日 07時10分03秒 | エッセイ

・・・老人になると、早起きするようになる、
  そして、朝から、今日1日でやるべきことを、
朝のうちに終わらそうと頑張る。

   同じ年齢の友達に、朝、起きる時間などを質問すると、大体同じようなパターンで生活しているようです。
   私は早朝、起きて、活動するときに、気を付けていることがある。
   気温が上がる10時ごろまでは、出来るだけ、外に出て活動しないことです。

   また、朝、一番にその日の体調をチェックします、項目は 体重、血圧などです。
   その理由は、私の親父が早朝、外に出て重いものをもって、脳卒中になったので、遺伝的資質から、とくに血圧測定結果には注意しています。

   私の場合、暖かい季節は血圧は125くらいの最高血圧が、この時期、朝、起きたときは145位の時が、しばしばあります、ちなみに、今日の起床時の血圧は135でした。
   この冬は暖かい師走に比べて、寒くなった最近は血圧が10以上、上がっています。
   特に朝一番はさらに、10以上高い。

   それにつき加えて、人の五感、特に、寒さなどの肌感覚が、年と共に、鈍くなってきています。

   年寄りは、やむ終えずやる、外での力仕事は風のない、暖かい日にするように心がけたいものです。

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音楽の起源

2016年01月24日 08時25分22秒 | 日本古代史

・・・音楽の起源は、インタネットでいろいろあるようですが、
   
  古代の音楽と云われるもの、例えば、日本の雅楽などを聴いていると
  それは風の音の様でもあり、動物の遠吠えの様でもあり、波の音の様でもあると感じることが多い。
  また、中世の田植え歌などを聞いていると、人の喋りや労働するときの掛け声のようにも聞こえる。
  和太鼓も最近よく聞きますが、人の感性と自然が調和するようなリズムを刻んでいるように思います。

  私は、上の様な事を、音楽のルーツではと考えますが、
 下に、インタネットの音楽起源説と考えられている諸説の代表的なものを転載しました。

いくつか挙げてみます

まずは労働起源説です
人間は農業でも狩猟でも古代より集団を形成していました
集団の中で共同作業を行う過程でかげごえをかけて作業を行っていました
そのかけごえが音楽の起源となった説です

次に言語起源説です

会話におけるイントネーションやアクセントが感情とともに強調されたときに、自然に生まれる抑揚が音楽となったのではないかという説です

進化論的起源説というのもあります

性的興奮を高めるためのリズムや歌、踊りがあったが、人類の発達とともに直接的な求愛行動のみを目的としたものは下等で原始的なものとして扱われたため、民謡などが生まれたとされる説です

最後にリズム起源説です

リズムは身体運動を自然に誘発します
踊りを踊る際に伴奏として音楽が必要であったために生まれたものとする説です
これは労働起源説と似ているところがあります
音楽の起源については、多くの人が考察しています

世界中で音楽は古い時代からあったということが分かっています

・メソポタミア文明はは世界で最も古い文明ですが、遺跡から楽器を演奏している人々が記されたレリーフが発見されています
・古代エジプトでは紀元前3000年ごろから儀式や祭りのときに音楽が利用されてきました
ピラミッドからも様々な楽器が発見されていますし、楽器演奏の様子も壁画に残されています
象形文字で書かれた楽譜のようなものもあります
・ギリシャでも紀元前1000年ごろから音楽が奏でられていたことが分かっています
また、哲学、文学、体育とともに教育の面でも音楽が重んじられていました
音階やリズムの種類が整えられ、西洋音楽の元となっています
・その後も西洋では楽譜が発達し、教会の音楽を中心に発達していきました

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橿原神宮の参拝

2016年01月23日 06時38分35秒 | 

・・・神武天皇陵の近くにある、橿原神宮に行ってきました。

  

  記紀の中に、初代天皇と書かれている神武天皇をまつるために、住んでおられた宮の候補は、幾つかの候補があったのですが、最終的に、今の地に1890年に作られた新しい神社です。 

  

  しかし、建物は近代に建築されたものであるが、明治政府が作っただけに、敷地も広いし、建物も壮大です。
  本殿の門の右端に今年の干支の猿のおおきな絵馬がかかっていました。

  

  絵馬のかかっている門の中から、立ち入り禁止の境内を通しての本殿の様子が上の写真で、前の庭は左右の回廊が全体を、取り囲んでいる広い庭です。

  

  望遠レンズで、本殿の中を撮影すると大きな鏡を見ることが出来ました。

  橿原神宮の所在地は県のスポーツセンターと奈良県立橿原考古学研究所と付属博物館がある森に囲まれたとても静かな一角です。
  勿論、この地を訪れた、私のおおきな目的は橿原考古学研究所の付属博物館の見学でした。

 

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人生を充実させるために

2016年01月22日 07時36分14秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・新聞から得た知識による、「人にとっての情報とは、消えること」だそうです。

  もう少し解説するとインタネットや本や新聞にあるのは知識であって情報ではない。
  生き物にとって、「あったものが無くなる、無かったものが現れる」のが情報だそうです。

  そのことから、私が、思ったのは、「年をとって日時が立つのは早いものだ」、という感覚は、時間の経過に比較して、前記の情報量が少ないために、時間の経過の認識がすくないために、フト、時間の経過を考えた時に、自分が思っていたより時間がたっている事に気が付き、「年をとって日時が立つのは早いものだ」、と思いいたるのです。
  即ち、自分の身の周りに「あった物が無くなったり、なくなったものが在ったりする」変化が、時間の経過ほど無いことが理由らしい。

  それらのことから、より充実した日々を送るためには、毎日、自分の目で見る、目の前の景色を変えることである、と私は思った。
  少ないですが、外に出かけたり、会合に出かけたりして、目の前の景色を変えることもあるが、
  その前に、朝食を食べる、場所を変えたり、身の回りの、空間を変えたりすることが目の前の景色を変える事になり、年をとってからの生活で、大切かもしれない。
  結果的には、人生を充実させるためには、毎日の生活に、些細なことでも、目の前の景色の変化を持たせることを常に努力することが、大事なようだ。

  

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大雪の半日でした

2016年01月21日 07時23分49秒 | 歳時記

・・・今年初めての雪が降りました、積雪は約10センチでした。

  それも、私が起きた6時前の時は黒い地面が見えるくらいだったのが、約一時間足らずで、一面の銀世界になっていました。
  こんなに、一時的に雪が降ることは、当地では珍しいことです。

  しかし、その雪も午後には、太陽が出て、街中から、雪が見えなくなりました。
  来週の月曜日には、また、大雪が降りそうなので、困ったものです。

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神武天皇陵

2016年01月20日 07時12分25秒 | 日本古代史

・・・堺市にある、両親の墓参りの途中に、橿原市にある神武天皇陵を参拝してきた。

  

  天皇陵は関西一円にたくさんあって、私は、そのうちのいくつかを、今までに参拝してきた。

  特に、実在の天皇の初代と云われている、崇神天皇陵や、今の天皇の直接の祖先と云われている、継体天皇陵、大きな規模で有名な、仁徳天皇陵なども、見てきたが、それらの御陵とは比べられないくらい、神武天皇陵の墓前の広場や墓の前の鳥居は立派でした。
  周囲にある、宮内庁の現場事務所の建物も、とても立派で、普通の天皇陵が簡単な現場事務所程度であるのに比べるとトテモ立派な和風の建築物がありました。

  神武天皇は神話上の天皇ですが、古事記、日本書紀には初代の天皇と書いてあるので、皇族方は、ご先祖様の墓と云う理由で、成人の報告をされる。
  今年、三月に、秋篠宮家の佳子様が成人の報告で、この御陵を、お参りされたと知っていたので、新聞やテレビで、派手に報道されるので、そういう時のために、この御墓の見かけが立派なのだと納得しました。
  

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初瀬街道

2016年01月19日 07時07分32秒 | 日本古代史

・・・両親の墓参りに名古屋から堺市の墓地に行った。

  伊勢湾岸道路から、名阪道路、初瀬街道を通り、橿原市によって堺の墓地まで、行ってきました。

  一般には名神・新名神・近畿自動車道を通っていくとコースがあり、時間は短くて快適ですが、
  今回は古代史と所縁のある初瀬街道を通って行きました。

  

 上の写真は 橿原の博物館にあった初瀬街道をとって奈良盆地に行く場所のジオラマです。
 手前の名張市からくる道で、右端の山間の道が初瀬街道です、
 上の開けたところが、奈良盆地の東南の桜井市で、箸墓古墳や、巻向き遺跡があります。

  

  初瀬街道は上の写真のように古代を感じる、山間を縫って走る道です。

  

  街道の終わりは、山合いから前方の奈良盆地に出て来る高台からの下り坂です。

  古代、ヤマトの国はこの初瀬街道を通じて伊勢、尾張、三河、武蔵などの東日本とつながっていたのを考えると感慨深いものがあります。

  今回の私は、尾張の国から、倭の国へ向った旅でした。

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辛いと熱いはhotで同じ?

2016年01月18日 07時37分36秒 | 暮らしの出来事

・・・英語で「辛い」と云うのはhotと云うのはみんな知っている。

  しかし、香辛料が効いている辛さはspicyと云って区別するらしい。
  因みに塩辛いはsoltyですが、ワサビの辛さはwasabi spicy、カラシ(mustard)の辛さはtongue-burning spicyと云うらしいです。
  従って、人間の味覚としての辛いと云う味はhotと云うのが正しいと思う。

  私は、「辛い」と云った食事などのシチュエーションを見てなくて、ただ単にhotと聞くと「熱い」と云う状況を頭に思いうかべる。
  日本人にとって、辛いは味覚で、熱いは肌の感覚で随分違うように思うが、
  実は、人間の五感で、辛み成分カプサイシンの受容体と、温度を感知するのと同じ受容体だそうです。

  あながち、英語のhotと云う表現が、日本語の「辛い」と「熱い」と両方の意味を表すのには、感じる受容体が同じと云う理屈がその理由であったのかもしれません。

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時間厳守

2016年01月17日 08時12分24秒 | 暮らしの出来事

・・・私は比較的、時間を守る方である。

  会社勤めをしている時は会議や、会社訪問などでは当然のこととして、約束の時間の五分前には席についていることが、常であった。
  今も、遅れないように、事前に、用意をすることは普通にしている。

  しかし、私の周りにいる女性は前もって、時間を見計らって刻限を守ろうとする、姿勢が余り無いように見える。
  そして、私の友達からも同じ事を聞く、「女性と一緒に出掛ける時は刻限が守れなくなり、遅刻することがある。」
  女性側の言い分を聞くと、色々とおっしゃるが、納得した理由を聞いたことが無い。

  テレビなどで、外国人の日本での生活の感想を放送しているのを聞くと、電車の時刻表も含めて、刻限を守ることについて、一番びっくりすると云っている。

  そのことから考えると、私の周りの刻限にルーズな女性型の行動は、グローバルに考えると普通で、かえって、私たち日本の男性が、時間に正確なのは特殊な行動なのかもしれない。

  私の知っている限りの中で、一番、時間を守ることを実行しておられたのは、高名な学者であった、私の知り合いのS先生であった。
  先生に時間厳守のお話を聞くと、「人と待ち合わせだけでなく、講義に行くときも、全ての行動で、逆算して、起きるときから、予定の30分前に行動する」とおっしゃっていた。
  会社にこられて御目にかかる時に、泊まっておられるホテルに、お迎えに行くと、必ず約束時間の30分前から、ロビーで待っておられた。
  待ち合わせが、先生にとって、気が置けない目下の教え子の集まりで合っても、30分前に来られて、誰よりも早く一番に待っておられた。

  私は、そこまでの時間厳守を見習えなかったが、その行動には尊敬の念はもっていた。

  

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