いいもの見ぃ~つけた!

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これは凄い!「すごすぎる珍ルート」近鉄特急

2024-06-09 10:52:21 | 独断と偏見

 なんとも凄い!というしかない特別ルートで走る列車がある。鉄道ファンならずとも乗ってみたいと思わせる。

 近鉄特急が「すごすぎる珍ルート」で運転へ 阪神なんば線も通る!7月に1日限定

 阪神電鉄と近鉄、阪神ステーションネットは2024年6月6日、「近鉄特急で行く!阪神・近鉄車庫巡りツアー」を開催すると発表しました。実施日は2024年7月14日(日)です。このツアーでは近鉄特急が珍しいルートで運行されます。

 このツアーは、阪神なんば線開業と阪神・近鉄の相互直通運転開始から15周年を迎えたことを記念する企画で、阪神の尼崎車庫、近鉄の五位堂、名張、高安車庫を貸切列車で巡ります。甲子園駅~尼崎車庫間は阪神の1000系、尼崎車庫~五位堂検修庫~名張車庫~高安車庫~大阪上本町間は近鉄特急の22600系が使用される予定です。
 旅行代金は大人1万5000円(小児1万円)。小学生と保護者の親子参加限定となります。申込みは、6月10日午前10時から阪神ステーションネットのWEBサイトで開始するとしています。

*https://trafficnews.jp/post/133119 より

 「車庫」巡りはできても、車庫で乗り換えや、洗車機体験など、滅多にできないことばかり。

 明日午前10時からなので即完間違いないことでしょう。

 残念ながら小学生の子どもがいないから乗れないけど(笑

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<伝統野菜> 鹿児島 親くい芋 -追記あり-

2024-06-09 09:13:54 | 伝統野菜

 「親くい芋」

 由来など
 屋久島町安房地区の在住の方によると,「親くい芋は戦前からあるさといもの一つで,12月に収穫して正月料理(煮物:子芋より親芋を食べるのが特徴)として食べていた」,「終戦後,屋久島に疎開先から帰って来たときには菜園に親くい芋が栽培されていた」とのこと。
 作物の特徴・特性
 草勢は直立性で草丈は低い。親芋を大きくして食しているのが特徴で,しっとり感のある芋で,泥臭さがなく,淡白で何の料理にでも合うタイプの里芋である。
 味や料理法
 正月に出されるお吸い物,煮物など
 栽培カレンダー ○:は種,■:収穫
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

■  ■  ■ ○  ○               ■  ■

■  ■  ■ ○  ○               ■  ■

■  ■  ○ ○  ○               ■  ■

*http://www.pref.kagoshima.jp/ag06/sangyo-rodo/nogyo/nosanbutu/dentou/oyakui.html より

 

 「親くい芋」

 【生産地】屋久島町

 【特徴】里芋の一種。草勢は直立性で草丈は低い。親芋を大きくして食すのが特徴。親子兼用種で、茎色は青茎、芽は淡橙色、形状の良い子芋、孫芋がつきやすい。

 【食味】しっとり感のある芋で,泥臭さがなく,淡白。

 【料理】正月に出されるお吸い物,煮物など。何の料理にでも合うタイプの里芋

 【来歴】屋久島には戦前から栽培されていたとされる。正月に「親くい芋」を親芋丸ごと煮て食べる習慣が残されている。

 【時期】11月~3月

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/46-kagoshima#index_FkyWzHuy より

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< 郷土料理 > 茨城 海藻よせ

2024-06-09 09:07:55 | 郷土料理

 「海藻よせ」

 主な伝承地域 鹿嶋市、行方市

 主な使用食材 海藻、醤油

 歴史・由来・関連行事
 「海藻よせ」は、茨城県鹿嶋から千葉県・銚子に至る鹿島灘沿岸で食べられている郷土料理である。鹿島灘は、親潮と黒潮がぶつかる潮目であるため、さまざまな海の幸に恵まれている。日本一の水揚げ量を誇る銚子港では、魚のほかにも海藻も豊富にとれる。その中の一つが、「海藻よせ」のメイン食材となる、コトジツノマタやツノマタである。
 コトジツノマタは、潮間帯の岩上に付着する、高さ20cm程度の海藻である。規則正しく、二又に分枝しながら成長していく。その枝のかたちが琴の弦を支える琴柱に似ていることから、この名がついたといわれる。火にかけるととろみが出て、冷ますと凝固する特性を生かし、古くは石けんや接着剤として使われていたという。
 年末になると、銚子から商人が正月用にコトジツノマタを売りにきたことから、おせち料理に「海藻よせ」がつくられるようになった。

 食習の機会や時季
 南東部の鹿行(ろっこう)地域(鹿島郡の「鹿」と行方郡の「行」が名前の由来)では、正月に欠かせない料理である。さっぱりとした味わいなので、味が濃い調理が多いおせち料理の箸休めとして重宝されている。

 飲食方法
 コトジツノマタをしっかり洗って汚れを落とした後、沸騰したお湯に入れ、とろみが出るまで煮る。とろみが出てきたら、型に流し、冷やしてかたまったら食べやすい大きさにカットしていただく。磯の香りを存分に楽しめるさっぱりとした味わいなので、醤油に加えて、カツオ節やねぎ、唐辛子をのせて食べる。また、「海藻よせ」のアレンジとして、細かく刻んだ人参やごぼうを一緒にかためることで、食べた時の風味や食感の違いを楽しむこともできる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 鹿行地域では、現在でも年末になると、おせち料理としてつくる家庭が多い。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/kaisoyose_ibaraki.html より

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<B級ご当地グルメ> 福島 喜多方ラーメン

2024-06-09 09:02:11 | B級ご当地グルメ

 「喜多方ラーメン」

 喜多方ラーメン(きたかたラーメン)とは、福島県喜多方市発祥のご当地ラーメン(ご当地グルメ)である。

 2006年(平成18年)1月の市町村合併前の旧喜多方市では、人口37,000人あまりに対し120軒ほどのラーメン店があり、対人口比の店舗数では日本一であった。札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられている。

 特徴
 スープは醤油味の透明な豚骨スープが基本で、あっさりした味わいである。豚骨のベースと煮干しのベースを別々に作り、それらをブレンドしたものを提供する店もある。醤油味がベースだが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別である。 麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、幅は約4mmの太麺で、切刃番手は12番および14番が使われる。独特の縮れがあり、食感は柔らかい。具はチャーシューを大き目(または多量)にのせるのが特徴だが、ねぎ、メンマ、なるとなど一般的な構成である。

 否定派からはインパクトや特徴が無いという声もあり、良くも悪くもオーソドックスなタイプのラーメンである。

 歴史
 1927年(昭和2年)、「源来軒」創業者の潘欽星/藩欽星(ばん きんせい)(1905年~1994年)が、中華麺に近い「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが原点である[5]。その味は市民生活に浸透していくこととなった。潘は中国・浙江省出身で、大正末に日本で働こうと渡航してきて、喜多方で中華麺の製造・販売を始めた。

 その後、潘の「楽天支那そば」作りのノウハウを継承する人間が増え始め、「満古登(まこと)食堂」「坂内(ばんない)食堂」など市内の多くの「食堂」が「支那そば(中華そば)」をメニューに出すようになった。このような流れから、現在も市内の多くのラーメン店が「○○食堂」という屋号を使っている。

 喜多方市の観光の原点は「蔵」から始まる。市内の写真館「金田写真荘」の金田実が四季を通して蔵の写真を500枚ほど撮り、その写真展を東京で開催したことで「蔵のまち喜多方」が浸透した。そのような流れの中、1975年(昭和50年)NHKが『新日本紀行』で、蔵と人々をテーマにした「蔵ずまいの町 福島県・喜多方市」を放送したことで、喜多方を訪れる観光客が年間5万人から1983年(昭和58年)には20万人に急増した。

 一方で観光収益の増大のためには、観光客の滞在時間の増加が課題となっていた。1982年(昭和57年)頃、市の商工観光課の職員は、団体の観光客の滞在時間増加を図るため、団体客のための昼食場所を探し始めたが、市内の日本料理屋には団体客を受け入れるスペースなどがないことから、ラーメン店に目をつけ、団体客用の昼食場所として観光業者に紹介を行った。

 市が紹介したラーメン店は「まこと食堂」であったが、1杯数百円の安い値段の店を昼食場所に紹介することに一抹の不安もあったことから、民放の関係者を「まこと食堂」に連れて行き、意見を聞いたところ「まこと食堂」のラーメンが特徴的であるとのことから、民放のテレビ番組に取り上げられることとなった。1983年には福島県観光連盟の仲介で、日本交通公社(現JTB)の雑誌『るるぶ』で観光宣伝を仕掛け、PR記事の1ページ分に喜多方ラーメンが紹介され、更に、NHKなどでも取り上げられたことから、喜多方ラーメンが全国的によく知られるようになった。

 「まこと食堂」は時代の流れと共に後継者がいなく2023年9月末日にて閉店した。

 老麺会

 1987年(昭和62年)、喜多方ラーメンがブームとなり一定の知名度を確立したことを受け、食堂(ラーメン店)・製麺業者・市・商工会議所が参加した、ラーメン関係業種懇談会が開催された。同会にて、ラーメン店のレベルアップ、伝統(太麺、平打ち、縮れ麺)の継承等を目的として「ラーメン会」の組織立ち上げが検討され、1987年3月4日、喜多方市の観光PRの一環として同業者団体「蔵のまち喜多方 老麺会(くらのまちきたかた らーめんかい)」が発足した。発足当時は任意団体であったが、活動の強化を図るため、2005年(平成17年)8月に協同組合へと組織変更されている。

 喜多方市内(駅前、市役所、北町、三津谷、上三宮、熱塩加納周辺)に存在する店舗のうち、店先に「蔵のまち喜多方 老麺会」と描かれた紺色のノボリを設置している店舗が「老麺会」に所属している店舗であり、2015年10月時点で45店舗が所属している。

 老麺会では不定期に『老麺会まっぷ』を発行している。これは老麺会に加盟する店舗を地図にまとめたものであり、観光PR用として老麺会に参加する店舗等において無料配布されているほか、老麺会の公式サイトにてPDFファイル形式でダウンロードすることが出来る。

 商標登録を求めた訴訟
 地域ブランド確立のため、老麺会は2006年に創設された地域団体商標制度に基づき、「喜多方ラーメン」の商標登録を目指したものの、特許庁は商標登録を認めないとの審決を行った。これを受けて、老麺会は審決取消しを求めた行政訴訟を提起した。

 しかし、2010年10月に、第1審の知的財産高等裁判所は、老麺会への喜多方市内のラーメン店の加入率が低いこと、喜多方市外でも既に普及している名称であることから、「喜多方ラーメン」が老麺会とその加盟店だけの商品・サービスとして広く認識されているとはいえず、特許庁審決を妥当であると判断し、取消請求を棄却する判決をした。上告受理の申立てを行ったものの、2012年1月31日に最高裁判所第三小法廷が上告不受理決定を行ったことから、老麺会の請求を棄却した知財高裁の判決が確定し、商標登録できないこととなった。

 代表的な店

 喜多方市外に出店している店もある。

 源来軒(喜多方ラーメン発祥の店)
 まこと食堂(喜多方ラーメンとして紹介された最初の店)
 坂内食堂(喜多方ラーメン坂内・小法師の母体店的存在)
 まるや(初代老麺会会長の店)
 喜多方屋(都内初の喜多方ラーメン専門店)
 あづまさ(蔵屋敷 喜多方ラーメンの店)
 観光施設や派生商品
 日本三大ラーメンに数えられる喜多方ラーメンにちなみ、ラーメン館といった喜多方ラーメンの土産店も市内には存在する。持ち帰り調理用ラーメンのほか、せんべいなど近い風味の菓子類などが販売されている。2014年には喜多方ラーメン専用のミュージアム、ラーメンミュージアムが完成。ラーメン神社も併設されている。

 ご当地グルメの喜多方ラーメンバーガーも存在する。これを提供している道の駅喜多の郷ではこのほか、スープで米飯を炊いた「ラーメン丼」、麺を生地にした「ラーメンピザ」などがメニューにある。

*Wikipedia より

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うまいッ! NHK「ツルンとしたのどごし じゅんさい~秋田県・三種町~」

2024-06-09 08:51:56 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「ツルンとしたのどごし じゅんさい~秋田県・三種町~」 2016年05月29日

 番組内容
 初夏の味覚、ジュンサイ。野趣あふれる風味とプリプリした歯ごたえ、そしてツルンとした独特の喉越しが特長だ。見た目の美しさから「食べるエメラルド」とも称される。日本一の生産量を誇る秋田県三種町を訪ね、ジュンサイの知られざるおいしさの秘密に迫る。さらに地元の町役場ではジュンサイの魅力をアピールするため、去年から料理コンテストを開催。男子高校生が考案した「ジュンサイパイ」など数々のアイデア料理を紹介する。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201605290615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「じゅんさい」

 ジュンサイ(蓴菜、学名: Brasenia schreberi)は、スイレン目ハゴロモモ科に属する多年生の水草の1種である。本種のみでジュンサイ属 (学名: Brasenia) を構成する。純菜や順才の字が充てられることもある。

 水底の地下茎から水中に茎を伸ばし、そこ生じた葉を水面にを浮かべる浮葉植物であり、また水上に花をつける。若い茎や葉は粘液質を分泌し、これで覆われた若芽を吸い物や酢の物の食材とする。世界中の熱帯から温帯域に散在的に分布し、水温が一定のきれいな池沼に生育、また栽培されている場合もある。

 名称
 中国植物名は、蓴菜もしくは蓴[3]。和名であるジュンサイの名は、漢名の「蓴(チュン)」がなまった「ジュン」に、食用草本を意味する「菜(サイ)」をつけたものに由来するとされる。ジュンサイは、蓴菜、ヌナワ、ミズドコロなどの呼称でもよばれる。古くは「蓴(ぬなわ、ぬなは)」とよばれ、『古事記』や『万葉集』にも記述がある。ヌナワは「沼の縄」の意で、沼に生える葉柄が細長く、あたかも縄に似ていることに由来する。 またヌナハともいい、「ヌ」は「ぬめらか」、「ナ」は「菜」、「ハ」は「葉」を意味する。ミズドコロは、茎がトコロ(ヤマノイモ科)のつるに似ていることに由来する。

 日本ではその土地でよばれている地方名も多く、ナメリグサ(滋賀県)、ヒルメシハナ(栃木県)、ヌルリ、サセンソウ(岡山県)、コハムソウ(新潟県)、ヌルクサ、オモヒハ(東北地方)などがある。

 なお、「花蓴菜」はアサザまたはミツガシワ (ミツガシワ科) を、「犬蓴菜」はアサザを意味する。

 特徴

 ジュンサイは多年生の水生植物であり、水底に根を張り水面に葉を浮かべる浮葉植物である。太い根茎(地下茎)は底泥中を横にはい、節から根と水中茎を伸ばす。一般に地下茎は、形成されたばかりのときは白色で、その後は淡緑色、濃緑色、黄褐色へと変化して肥大する。根は黒色で1節で50本以下であることが多いが、こぶ状を呈する古い節部では200 - 300本になることもある。若い根は白色で数本程度である。

 根茎は越冬し、また水中茎の先端の芽が養分を貯蔵して肥厚し、親植物から離脱して越冬用の殖芽となる。水中茎は細長い円柱形で径2 - 5ミリメートル (mm) 、下方ほど太くなる。茎には節が多数でき、下方の節から茎を分枝する。水中茎は淡緑色から濃緑色で、生長が旺盛なものほど太く粘質物が多い。

 春(4 - 5月ごろ)になると越冬した地下茎の一部から発芽し、茎から細長い葉柄をもつ葉を互生する。夏期となると葉が水面を覆うようになる。葉は基本的に浮水葉であり、葉柄は長さ5 - 100センチメートル (cm) で紅紫色、葉身の裏面中央付近につく (楯状)。葉身は全縁で切れ込みがない楕円形、長さ 5 - 15 cm、幅 3 - 8 cm、表面は艶のある緑色、裏面は紫色を帯びることが多い。葉脈は放射状。ハスの葉より小さく、水上には出ない。最初の数枚の葉は水中にある沈水葉であり、長三角形から楕円形、小型 (3 - 6 × 1.5 - 4 cm) で薄い。茎や葉柄、葉の裏面には分泌毛が存在し、水中にある部分は分泌された粘液質で覆われている。

 日本での花期は6 - 8月、葉腋から生じた紅紫色の花柄(長さ 4 - 15 cm)を水面上に出して、先端に1個の花をつけて開花する。花は基本的に3数性であり、放射相称の両性花、直径 1.5 - 2 cm ほどである。同花被花であり、花被片は長楕円形、紫褐色から暗赤色、10 - 20 × 2 - 7 mm、内外2輪に3枚ずつ配置する。外花被片 (萼片ともよばれる) より内花被片 (花弁ともよばれる) の方がやや長く幅が狭い。雄蕊(雄しべ)は12 - 24個、長さ約 1 cm、花糸は細長く、葯は赤色で外向する。雌蕊(雌しべ)は6 - 24個が離生し(離生心皮)、柱頭は線状で小毛が生えている。雌しべはそれぞれ子房内の背軸側に胚珠を2 - 3個つける。花は早朝に開いて夕刻に閉じて水没する。この開閉運動を2日間続けたら水中で結実する。雌性先熟であり、開花1日目は雌しべが成熟した雌性期、2日目は雄しべが成熟した雄性期となる。風媒花であると考えられている。

 果実は袋果状の非裂開果であり、長さ 6 - 15 mm、宿存性の花柱は細く尖る。果実内の種子は1 - 2個入り、褐色、楕円形で 2.5 - 4 × 2 - 3 mm。染色体数は 2n = 72, 80。

 一般にジュンサイの繁殖は、春季に水底で越冬した地下茎の節から分枝した茎が垂直に伸びてくる、または地下茎先端部の水平方向への伸長、あるいは水中茎から分枝した斜走茎から発生した根が接地したり、波風で切り離されて浮遊した水中茎から発生した根が浅瀬などに接地することで行われる。

 分布・生育環境

 北米から南米、東アジアから南アジア、オーストラリア、アフリカの熱帯から温帯域に散在的に分布している。日本では北海道から琉球まで報告されているが、水域の富栄養化などにより減少し、既に絶滅した地域もある。

 自然池沼や古い灌漑用ため池で、水深1 - 3メートル (m) の水域に群生する。水質が中性からやや酸性で腐植質 (底に植物遺体など有機物が堆積している)、または貧栄養から中栄養の淡水の池沼に生育する。

 生育条件として、泥の深い古い池沼で、清水であることがよいと古くからいわれている。自生する自然池沼や灌漑用ため池は、水田近傍の山林側、平野部の低地、水田地帯の上流部などに位置している。それらは、自然湧水や渓流水の流入があり、水底はやわらかい泥に覆われ、その深さは1メートルを超すこともある。また、周囲は山林で日当たりが良く、風の影響を受けない環境のところが多い。その他、標高800メートルを超える高原地帯にも自生していたり、自然池沼で増殖している事例、河川干拓地で栽培されている事例などもある。稲作水田を改造したジュンサイ田は、秋田県、青森県、福島県、茨城県などの各県でみられる。

 保全状況評価
 ジュンサイは日本全体としては絶滅危惧種等に指定されていないが、下記のように地域によっては絶滅のおそれが高く、また既に絶滅した地域もある。絶滅・減少の要因としては、池沼の開発や水質の富栄養化等があげられる。以下は2022年現在の各都道府県におけるレッドデータブックの統一カテゴリ名での危急度を示している。

 絶滅種: 埼玉県※、東京都※、神奈川県、沖縄県
 絶滅危惧I類: 茨城県、千葉県、徳島県、愛媛県、長崎県、熊本県、宮崎県
 絶滅危惧II類: 栃木県、新潟県、奈良県、鳥取県、鹿児島県
 準絶滅危惧種: 岩手県、富山県、石川県、福井県、長野県、静岡県、滋賀県、島根県、香川県、大分県

 人間との関わり
 主に春から夏にかけて、水中にある透明なゼリー状の粘質物が付着した幼葉(新芽、若葉)や茎などを摘んで食用とする。汁の実や三杯酢などにして食べられており、あっさりした味で、独特な風味と感触が珍重されている。古くは『万葉集』の歌にも詠まれ、7世紀にはすでに利用されていた。自然環境のものを採取、利用されてきたが、1970年代からは栽培も行われ、瓶詰め品などが市場にも出回っている。また、茎葉部や果実は解熱、よう疽の薬用になるといわれている。野生のものは減ってきたが、小舟やたらいに乗ってのジュンサイ採りは、夏の風物詩にもなっている。

 食用
 ジュンサイは世界各地に広く分布しているが、食用にしている地域は中国と日本くらいである。粘液質に包まれた若芽と幼葉を食材として利用し、主な旬は、6 - 7月とされる。春、最初に芽吹く1番芽が最も質がよいとされる。9月ごろの3番芽まで採取できる。花期では、幼葉のほか、花芽とその茎も含まれる。日本に自生していた認められる野菜の種類は極めて少なく、その中でもジュンサイは日本原産の野菜として認められるものの一つである。採取された幼葉はその大きさにより大型(長さ5.5 cm内外)、中型(長さ4.0 cm内外)、小型(長さ2.2 cm内外)に分けることができ、一般に中型が多く、それに大型・小型が混じり、小型で粘質物の多いものほど高価で珍重される。

 ガラクトマンナンを主成分とするゼリー状の粘液質で覆われた若芽 (若い葉や茎) はぷるんとした独特のぬめりがあり、日本料理で食材として珍重される。つるんとした喉ごしを楽しむのが身上で、葉の部分はシャキシャキした歯触りとわずかに水草特有の香りがある。葉が小さいものほど味がよく、新鮮なものほど美味しいと評されている。茹でたものを瓶詰めにすれば保存できるが、取りたてのものと比べると味は格段に落ちる。

 味は淡白で低カロリー 、ポリフェノールを含む。98パーセント以上が水分で、含まれている栄養素が極めて少ない。ゼリー状の粘液質は多糖類で、食物繊維の一種である。それら食物繊維が比較的豊富で低カロリーであることから、腸内の清掃やダイエット効果が期待されている。ただし、頻繁に食べる食材でもないことから、効果について取り立てて特筆すべき要素はないという見方もされている。

 下ごしらえに熱湯にさっとくぐらせて冷水に取り、水気を切って使われる。高温で長時間加熱すると、特有のぬめりの感触を楽しめなくなってしまう。産地以外では生のものは手に入りにくく、茹でたあと瓶詰めや袋詰めにして市場で売られており、加熱済みなので水洗いするだけですぐに利用できる。日本では、食材として以下のように調理される。

 酢の物 - ぬめりが落ちないよう軽く水で洗い、沸騰した湯に通し、冷やしたものを三杯酢で和える。
 和え物 - わさびあえ、とろろあえ、酢味噌和え、からし和え、おろし和え。
 煮びたし
 汁の実 - 吸い物、みそ汁、すまし汁
 うどん、そば、そうめん
 鍋料理、茶碗蒸し
 天ぷら - 水分をよく取り、天ぷら粉をつけて揚げる。
 塩漬け - 塩漬けにして保存し、随時、塩抜きして食べる。
 中国では胃潰瘍など胃腸病の病後によいとされ、スープとして食される。

 栽培
 水が豊富な地域において、沼地や水田を掘り下げたものを利用して栽培される。日本全国の自然池や灌漑用ため池などに自生しているものを採取して利用されてきたが、自然環境の変化による水質汚染などの影響で天然物が激減し、水田などを転用したジュンサイ田による栽培が増加している。最初の栽培は、昭和後期の米の過剰生産によってイネの生産調整が行われたのを機に、1970年(昭和45年)に秋田県山本郡山本町(現:三種町)の農家によって始めたものである。清らかな古い湖沼でなければ良く育たないといわれ、生育する湖沼によって品質が異なる。5 - 8月ごろに3 - 4回収穫され、収量は6 - 7月にピークを迎える。

 一般に春の水温10度程度のころから葉・茎部分の生長がが始まり、その後食用部分の幼葉が形成され採取が始まる時期が水温15度程度である。初夏の水温が15度を超えると生長が旺盛になり、水温20 - 25度あたりで採取最盛期を迎える。表面水温が30度を超えると、雑草が繁茂し、水質は汚濁して病虫害の発生も活発になることから生長に悪影響が出る。水質は通常の灌漑用水で支障はないが、酸やアルカリ、塩類、過剰窒素、生活排水の混入があると栽培に悪影響を及ぼす。ジュンサイ田に蔓延る主な雑草に、アオミドロ(藻類)、ヒルムシロ(ヒルムシロ科)、イヌホタルイ(カヤツリグサ科)、タヌキモ(タヌキモ科)があり、水田除草剤の使用はジュンサイも著しく生長が阻害されてしまうため、手取り除草が行われる。ジュンサイを食害する病害虫としては、トラフユスリカ(ハエ目)、マダラミズメイガ(チョウ目)、ジュンサイハムシ(甲虫目)が知られる。また、コイ、ソウギョ、ライギョ、ザリガニ類、カモ類による食害もあり、これら生き物を放たないように対策が図られている。

 苗の植え付けは6 - 7月に行われ、3年目以降の6 - 8月に若い葉を収穫する。苗は植え付け後5年以上経過したもの、または自生沼から生長旺盛な地下茎15 - 20 cmを根分けしたものが使用される。収穫は小舟(じゅんさい舟)に独りで乗って、棒を操って水中を覗き込みながら、手作業で行われる。従事者の高齢化や減少が課題となっている。秋田県三種町では観光客のジュンサイ摘み採り体験を行っており、また「世界じゅんさい摘み採り選手権大会」が開催されている。

 作型はおおよそ自然池沼栽培と造成田栽培の大別され、造成田栽培の方法には普通栽培のほかにハウス栽培も行われている。自然池沼栽培は、自然池沼や灌漑用ため池で自生したジュンサイを採取し、増殖や栽培管理も行うものである。採取期間は6 - 8月と短く採取量が少ないが、品質が良く、病害虫の発生が少ないという利点がある一方で、水質汚染や水位変化などの影響を受けやすく採取量が近年減少してきている。造成田による普通栽培は、主に稲作水田を改造してジュンサイの栽培に転用したもので、栽培の大部分を占めている。採取期間は5 - 9月の間行われ、市況に応じて長期間の出荷ができる。ハウス栽培は、普通栽培のジュンサイ田にビニールハウスを設置して積雪や低温の影響を受けないように栽培する方法で、近郊都市向けに早期出荷を図ったものである。出荷時期は4月上旬ごろから行われるが、早いものでは3月下旬の出荷の事例もあり、5月下旬までハウス栽培を続けて、その後は普通栽培に切り替えられる。

 栽培適地としての条件は、気温・降雨・日照・風などの気象条件を受けやすく、とくに高温障害、急激な水位上昇による浮葉の水没、風浪、凍結、積雪などが栽培に悪影響を及ぼす。ジュンサイ田は気象条件の他に、水管理、除草・施肥・病虫害防除などの栽培管理、採取方法や採取能率、経営規模が大きく関係している。ジュンサイ田の多くは、おおよそ長方形で10 - 30アール (a) のところが多く、大区画のところでは防風林の利用や防風網が設置されている。自然池沼は規模はさまざまであるが、1ヘクタール (ha) 未満のものが多く、水面積の大きい自然沼での採取範囲は沼の周辺部に限定されることが多い。水深は、調査試験結果では50 - 100 cmの範囲で栽培上の支障はないことがわかっているが、水深が浅いほどきめ細かな栽培管理が要求される。

 産地
 秋田県では古くからジュンサイの採取が行われており、1935年(昭和10年)ごろ瓶詰めの加工実績がある。現在、日本国内で流通するジュンサイの8割は中国産である。日本での生産量は秋田県が最も多く、次いで青森県、山形県であり、この3県で国内生産の99%を占める (2010年当時)。秋田県は全国一のジュンサイ生産量をあげており、特に山本地方が盛んで、関西・関東・北海道などの各地へ出荷している。その多くは、コメの転作作物としてジュンサイに取り組んだ秋田県三種町で生産されたもので、1986年(昭和61年)度で約270トンだった生産量は、町が転作作物として1987年(昭和62年)から3年かけて奨励事業を行ったことにより急速に増え、最盛期となった1991年(平成3年)度には約1260トンに達した。しかし、その後は減少傾向に転じており、2016年(平成28年)度は約440トンへ大きく落ち込んでいる。三種町では、ジュンサイの栽培に必要な引水に山手の地域では沢水を利用し、その他の地域では地下水や白神山地にあるダム湖の水を利用している。

 古くは、京都の深泥池がジュンサイの産地として知られていた。北海道七飯町にある大沼国定公園には、大沼三湖のひとつである蓴菜沼があり、ジュンサイの瓶詰は大沼国定公園の名物として売られている[57]。「じゅんさい沼」と呼ばれる湖沼は、山形県村山市と秋田県湯沢市にもある。また新潟県新潟市東区や阿賀野市には「じゅんさい池」がある。

 文化
 日本ではジュンサイは非常に古くから知られており、「ぬなは、ぬなわ (奴奈波、沼縄、蓴)」の名で『古事記』や『日本書紀』、『長屋王家木簡』、『正倉院文書』にも記述がある。この名は、ジュンサイが沼に生育し、縄のように長い茎をもつことに由来するされる。『万葉集』にも、ジュンサイは下記の歌に詠まれている。

 わが情 ゆたにたゆたに 浮ぬなは 辺にも奥にも 寄りかつましじ

 (意味: わたしの心はゆらゆらと漂うジュンサイであり、近寄ることも遠のくこともできない)

 —作者不明、『万葉集』巻7-1352番
 ジュンサイの根が長いことから、「根蓴菜(ねぬなわ)の」が「長き」「来る」「寝る」などに対する掛詞として使われていた。

 また「蓴菜」、「蓴」、「沼縄」は、夏の季語である。

 ジュンサイはぬめりがあって箸で掴みにくいことから、近畿方言では「捉えどころがない」、「ぬらりくらりしている」、「どっちつかずである」という意味で「じゅんさい」が使われることがある。またここから転じて「じゅんさい」が「いいかげんなこと」、「でたらめなこと」、「誠意のないこと」、「薄情なこと」を意味することもある。

 ふるさとの味、故郷を思う気持ちのおさえがたさのことを「蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい)」という。これは晋の張翰が、故郷の味である蓴の羹(じゅんさいのあつもの)と鱸の膾(すずきのなます)を思い出し望郷の念に駆られ、官を辞して帰郷した故事に由来する。

 「じゅんさいの日」は7月1日である。2012年に秋田県三種町の「三種町森岳じゅんさいの里活性化協議会」が制定した記念日であり、日付は英語で6月を意味する「ジューン (June)」と、31を「さい」と読む語呂合わせで6月31日としたが、6月31日は存在しないため翌日の7月1日を選定した。また、この時期にジュンサイの収穫が最盛期を迎えることも理由の1つである。

*Wikipedia より

 三種町は「じゅんさい」のまちです。

 「じゅんさい」とは、沼や池に自生するスイレン科の多年草植物で、水底の泥のなかの根茎から長く伸び、夏季には蓮の葉のように水面いっぱいに浮葉を広げます。

 かつては日本全国で観察されましたが、生育環境である自然池沼や古いため池の改廃・水質汚濁などにより、今では4都県で絶滅、22県で絶滅または準絶滅危惧種になっています。(日本のレッドデータ検索システム)

 じゅんさいの収穫期は5月から8月までの約4か月の間で、最盛期は6月・7月となっています。

 「じゅんさい」は清らかな水で育つ。

 「じゅんさい」は、成分の90%以上が水分です。清らかな水にしか生息できないため、水質汚濁、高温障害、雑草繁茂、農薬などに敏感に反応します。少しでも栽培方法を誤ると、容易に死滅してしまうとてもデリケートな植物です。またポリフェノールや食物繊維も豊富に含まれ、カロリーも低いことからヘルシー食材としても注目されています。

 「じゅんさい」って、どの部分を食べるの?

 「じゅんさい」は、ヌメリと称される寒天状の透明な粘質物のある主に若い葉が食用とされます。このヌメリには酸性多糖類が多く含まれており、光合成が活発に行われていれば順調に分泌され、そのヌメリが多いほど良質なじゅんさいとされています。

 食味は淡泊ですが、ツルンとしたのど越しと食感に特徴があり、どんな料理にも合うことから高級食材として珍重されてきました。お吸い物や酢の物が定番ですが、三種町では夏でも熱いじゅんさい鍋が人気です。また、じゅんさいのてんぷらやじゅんさいしゃぶしゃぶなども新しい食べ方として注目を集めています。

 毎年5~8月にはじゅんさい摘み採り体験を開催しており、県内外をはじめ海外からも訪れる方がおり、毎年たくさんの観光客で賑わいます。

*https://mitanekanko.com/speciality/%E3%81%98%E3%82%85%E3%82%93%E3%81%95%E3%81%84/ より

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<料理用語-和食> 甲羅返し

2024-06-09 08:32:31 | 料理用語

 「甲羅返し」

 カニの甲羅に材料を詰めて料理したもの。

 酢を利用して(煮る・漬けるなど)柔らかくした甲羅をひっくり返して材料を詰めることからこの名がある。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/015.html より

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<異名-食べ物> 東京湾の宝石

2024-06-09 08:27:57 | 異名

 「東京湾の宝石 マダコ」

 マダコは、タコ目・マダコ科に属するタコの一種。

 東アジア沿海の熱帯・温帯海域に広く分布しています。

 塩で揉み洗いしてから茹でて、酢蛸、煮物、寿司種、燻製や干物、たこ焼きや明石焼きの具などにする。茹でずに生で刺身にしたり、薄切りにしてしゃぶしゃぶにしたりすることもあります。

*https://www.alias-food.com/seafood/jewels-of-tokyo-bay より

 「東京湾の宝石」。なんとこれは、東京湾の“マダコ”に付けられた呼称だそうです。
 あのヌメヌメ・にょろにょろした風貌からは想像しづらいですが、とにかく「美味しい・高い・希少」ということで、そんな風に呼ばれるようになったそう。

*https://tsutte.jp/cuisine/zoshiki_octopus.html より

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<難読漢字-鳥類> 鵞鳥、鵝鳥

2024-06-09 08:14:15 | 難読漢字

 「鵞鳥、鵝鳥 がちょう」

 ガチョウ(鵞鳥、鵝鳥、家雁、英: Domestic goose、仏: oie)は、カモ目カモ科ガン亜科の鳥。雁の仲間。家禽。白い姿はアヒルに似ているが互いに別の種。

*Wikipedia より

 「鵞鳥」は「がちょう」と読みます。名前の由来はガーガー鳴くところから「鵞(が)」と呼ばれていましたが、江戸時代には、「鵞」の後ろに「鳥」が付き、「鵞鳥」と呼ばれていたそうです。

*https://domani.shogakukan.co.jp/663759 より

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<慣用句・諺> 轍鮒の急 など

2024-06-09 08:08:38 | 慣用句・諺

 「轍鮒の急-てっぷのきゅう」

 さしせまった危機・困窮のたとえ。

 

 「手付けを打つ」

 売買・請負などの契約をして手付金を払う。

 

 「鉄は熱いうちに打て」

 《Strike while the iron is hot.》

 1 鉄は、熱して軟らかいうちに鍛えよ。精神が柔軟で、吸収する力のある若いうちに鍛えるべきである、というたとえ。

 2 物事は、関係者の熱意がある間に事を運ばないと、あとでは問題にされなくなるというたとえ。

 

 「轍を踏む」

 前人の犯した失敗を繰り返すたとえ。

 

 「手と身になる」

 《足すなわち銭がなくなる意》落ちぶれて身一つになる。無一物になる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 菊勇

2024-06-09 08:01:02 | 日本酒

 「菊勇」

 菊勇株式会社(きくいさみ)は、山形県酒田市にある酒造メーカー。代表する銘柄は菊勇・三十六人衆。

 酒造りに使われる水は、月山からの赤川の伏流水で中硬水。工場内の自社井戸から供給されている。年間3000石を製造。蔵の最寄り駅は、JR東日本羽越線酒田駅から車で約15分。企業経営理念は、「正義・挑戦・和」

 沿革
 1897年(明治30年) 前身の菊勇酒造が創業。
 1973年(昭和48年)10月 ほていや酒造店・舞鶴田中酒造店とともに3社4蔵が合併し「菊勇株式会社」として創業。
 1991年(平成3年)- 1994年(平成6年) 全国新酒鑑評会『金賞』受賞「栄冠菊勇」
 1998年(平成10年)- 2000年(平成12年) 全国新酒鑑評会『金賞』受賞「栄冠菊勇」
 2003年(平成15年)- 2005年(平成17年) 全国新酒鑑評会『金賞』受賞「栄冠菊勇」

 三十六人衆とは
 酒田は、戦国時代には自由都市で、36人の大商人が月番三人ずつ12ヶ月で町政や町の行事を担当し、最上義光の支配権を得た後もこの体制で統治が進んでいた。

 寛永年間(1624年〜1644年)には、筆頭格の豪商・池田惣左衛門(屋号「鐙屋(あぶみや))は「北国一番の米の買い入れ、惣左衛門という名を知らざるはなし」(井原西鶴「日本永代蔵」)とも言われていた。

 この36人のことを「三十六人衆」と呼び、元は滅亡した奥州藤原氏の家臣で、武士はニ君に仕えずという意識と誇りがあり、1622年(元和8年)に最上家に代わって酒井家が庄内藩主として来てからも町人自治組織が維持された。庄内藩も36人の野心の無い誇りと町民からの信頼を認め、名字・帯刀を許し、宅地に対して無税としている。このため、酒田には豊富な米を利用した酒造家が沢山存在していた。

 菊勇株式会社 山形県酒田市大字黒森字葭葉山650

*Wikipedia より

 「菊の花のように力強い酒になるように」と願いを込め、全て手造りで行なっています。

 菊勇は秀峰鳥海山の南に位置し、最上川、庄内平野を眼下に一望できる景勝の地を占め、澄んだ空気と豊富な地下水など、まことに酒造りには絶好の環境の中に立地している。昭和48年酒田の中の3社4工場が将来のさらなる発展のため完全合併し、「菊の花のように力強い酒になるように」と願いを込めて創られた会社。
 酒造りは品質第一と、一番大切な麹においては米を蒸す工程から最終段階までの全てに至り全くの手造りで行なっている。そんな酒造りへの熱意が高く評価され数々の栄誉を受けている。

 代表銘柄

栄冠菊勇 大吟醸秘伝

酒 別  大吟醸
アルコール度 17.50%
原料米 山田錦
精米歩合 35%
日本酒度 +5

純米大吟醸 三十六人衆

酒 別 純米大吟醸
アルコール度 15.50%
原料米 山田錦
精米歩合 50%
日本酒度 +2

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/59/ より

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