いいもの見ぃ~つけた!

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< 郷土料理 > 福島 はっとう

2024-05-17 07:57:52 | 郷土料理

 「はっとう」

 主な伝承地域 檜枝岐村、南会津地方

 主な使用食材 そば粉、もち米粉

 歴史・由来・関連行事
 そば粉と米粉、またはもち米粉を練ってのばし、ひし形に切ってゆでる「はっとう」。江戸時代、米やそばなどを食べ過ぎないよう、粉食を禁止する動きがあった。この際に本来なら「ご法度」であるそば粉や米粉を使って調理し、こっそりと食べていたことから「はっとう」と言われるようになったとされている。あるいはその昔、地方を治める殿様に出したところ、あまりのおいしさに「平民(村民)が食べるのは御法度」と言われたことから「はっとう」になったとする説もある。
 近年は、ひし形に切ったものを「ひしはっとう」、おからを加えたものを「おかはっとう」と呼ぶなど、バリエーションも豊かになっている。

 食習の機会や時季
 田植えが終わったお祝いをする「さなぶり」の日や屋根葺き替えが終わった際など、作業が一段落したときに食べる。また、檜枝岐に調査にやってきた役人がはっとうを食べた際、そのあまりのおいしさに「贅沢品だからハレの日にのみ食べることを許す」と言い渡したことから、祭りの日やお祝い事の際のみに食べられるようになったと言われている。

 飲食方法
 もち米粉とそば粉を半々ずつ合わせて熱湯で溶き、こねて耳たぶほどの硬さにする。その後麺棒で1cmほどの厚さに伸ばし、菱形に切ってゆでる。塩と砂糖で味付けしたじゅうねん(えごま)をまぶして食べる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 村内の飲食店や宿泊施設で食べることができる。また、地元の小中学校でははっとうを作る郷土料理体験を行うなど、保存・継承の取り組みが行われている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_26_fukushima.html より

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<B級ご当地グルメ> 秋田 十文字ラーメン

2024-05-17 07:54:46 | B級ご当地グルメ

 「十文字ラーメン」

 都道府県 秋田県
 地域 秋田県横手市十文字町 = 旧・十文字町
 推進団体 
 概要 
 焼き干し、鰹節、昆布などの魚介類のみから出汁を採る透き通ったスープ。麺は極細の縮れ麺で、かん水はほとんど用いないため白みがかっている。

 焼き干し、鰹節、昆布などの魚介類のみから出汁を採る透き通ったスープ。麺は極細の縮れ麺で、かん水はほとんど用いないため白みがかっている。

*https://b9navi.com/%e5%8d%81%e6%96%87%e5%ad%97%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%b3%ef%bc%88%e7%a7%8b%e7%94%b0%e7%9c%8c%e6%a8%aa%e6%89%8b%e5%b8%82%e5%8d%81%e6%96%87%e5%ad%97%e7%94%ba%ef%bc%89/ より

 十文字ラーメン(じゅうもんじラーメン)とは、秋田県横手市十文字地域を中心とする地域で食されるラーメン(ご当地ラーメン)。

 概要
 あっさりとした醤油味で煮干や鰹節などを出汁に使用した和風のスープとかんすいを全く用いず独特の食感をもつ細い縮れ麺が特徴である。また、具材に関してはチャーシュー、ねぎ、メンマのほかに店にもよるが麸と蒲鉾が入るのも特徴である。

 現在、当地では横手やきそばと並ぶ食の観光資源となっており、首都圏の物産展などで出店してくる場合には、同一の店舗が十文字ラーメンと横手やきそばを扱う事もある。ちなみに、横手市十文字町字海道下の国道13号沿いにある「道の駅十文字」のフードコートでは、横手焼きそば、十文字ラーメンの両方を供食している。

 昔は、ナルトがのっていた。

 正確には「十文字中華そば」という。

 歴史
 1935年(昭和10年)ころ、マルタマ(まるたま食堂)が創業したのが始まりとされる。あっさりとしており、かつて重労働の多かった時代におやつ代わりに食されることも多かったという。

 主な店舗
  マルタマ 秋田県横手市十文字町佐賀会上沖田37-8
 三角そばや 秋田県横手市十文字町梨木字羽場下63-1
 丸竹 秋田県横手市十文字町本町7-1

*Wikipedia より

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<伝統野菜> 熊本 ずいき

2024-05-17 07:46:12 | 伝統野菜

 「ずいき」

 【生産地】健軍、御幸、飽田

 【特徴】「ずいき」はハス芋の葉柄の部分のこと。地域によっては「トイモ」とも呼ばれている。乾燥させたものは「いもがら」と呼ばれる。葉柄の色は薄い緑色で、高さ2mほどになる。

 【食味】歯ごたえがよく、シャキシャキとした食感。香りも甘みも強く、えぐみは少ない。調理の際に煮崩れしにくい。特に8月~9月の一番暑い時季が美味しいと言われている。

 【料理】煮物、煮しめ、酢の物、漬物、干しズイキ

 【来歴】室町時代以前に渡来(原産地:インド東部からインドシナ半島) したとされ、熊本では古くから食べられている。加藤清正公が籠城する時の保存食として備えたという話や細川家の幻のレシピとされる『料理方秘』にも白ずいきが素材として登場したり、将軍家に献上したりしたという話が残っており、熊本とのゆかりは深い。「ひご野菜」に選定されている。

 【時期】7~11月(旬は8月~9月)販売期間は8月~11月(霜の降りる)まで

 スーパーや直販所で販売されている。

*https://tradveggie.or.jp/43-kumamoto/#i-22 より

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うまいッ! NHK「口溶けのよい脂と甘み 米沢牛~山形・米沢市~」

2024-05-17 07:42:56 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「口溶けのよい脂と甘み 米沢牛~山形・米沢市~」 2015年10月25日

 番組内容
 高級ブランド牛の一つ、米沢牛。赤身の中に脂がきめ細かく入り、さっばりとした味が特徴。肉牛の品質日本一になったこともある米沢牛の生産者の肥育現場に密着。おいしさの秘密は、地元産の米を中心としたえさにあった。また、地元では、米沢牛の認知度を高めるための加工品の商品開発も進んでいる。さらに、牛の生産コストを抑え、牛肉が安くなるかもしれない技術開発も行われている。今後の和牛の可能性を探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201510250615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「米沢牛」

<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 26. 米沢牛

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=a61fb8966b8735d5fd99b4655306ef2d&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MSZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2Mma2V5d29yZD0lRTclQjElQjMlRTYlQjIlQTIlRTclODklOUImcD0x

こちらもご参考に

 「米沢牛(よねざわぎゅう)」の伝統は、明治のはじめにひとりの英国人教師が自然豊かな雪深い里、山形県米沢の地を訪れたことから始まりました。
  上杉鷹山が開校した興譲館中学に、英語教師として教鞭を執ったチャールズ・ヘンリー・ダラス氏が和牛肉を食べたのが食用としての米沢牛の始まりでした。当時米沢では、四つ足の動物は食べないとされていましたが、あまりのおいしさに驚いたダラス氏はその後、任期を終えて米沢を離れる際に、一頭の牛を横浜に連れて帰ったといいます。それがきっかけとなり米沢牛のおいしさは全国に広まっていったのです。

  現在、和牛肉「米沢牛」は屈指のブランド牛として全国的に評価されています。
  その理由は、山形の自然豊かな環境と生産者たちのたゆまない生産努力の調和によるものなのです。
  そしてこれからも、おいしい和牛「米沢牛」を、皆様の食卓へいつでもお届けできるよう努力していきたいと考えています。

*http://www.yonezawagyu.jp/ より

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<料理用語-和食> 玄海漬け

2024-05-17 07:34:30 | 料理用語

 「玄海漬け」

 佐賀県呼子町名物の鯨加工品である。

 鯨の上顎軟骨(かぶら骨)を酒粕に漬け込んだ酒肴。

 調味液にみりんを使用したものは「松浦漬」である。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/8_F/014.html より

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<異名-人物> 鉄の女

2024-05-17 07:31:48 | 異名

 「鉄の女 サッチャー」

 マーガレット・ヒルダ・サッチャー(英語: Margaret Hilda Thatcher、1925年10月13日 - 2013年4月8日)は、イギリスの政治家。

 首相(第71代)、教育科学相、庶民院議員(9期)、貴族院議員、保守党党首(第15代)を歴任した。

 保守的かつ強硬なその政治姿勢から「鉄の女(Iron Lady)」の異名で知られる。

*Wikipedia より

 

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<難読漢字-鳥類> 緑啄木鳥

2024-05-17 07:18:01 | 難読漢字

 「緑啄木鳥 あおげら」

 アオゲラ(緑啄木鳥、Picus awokera)は、キツツキ目キツツキ科アオゲラ属に分類される鳥類。日本固有種。

*Wikipedia より

 「キツツキ(啄木鳥)」は、キツツキ科に属する鳥の総称。くちばしが極めて硬く、先が尖り、樹木をつついて穴をあけ、中にいる昆虫を食べる。

 その名前は単純に「木をつつき」、木の中にいる虫を捕食することに由来する説がある。

 また、キツツキの古名は「ケラツツキ」であり、ケラは虫を意味する。「木の中の虫をつついて捕食する鳥」という意味で「ケラツツキ」となり、これが訛って「キツツキ」になったという説もある。

 なお、日本のキツツキ類の和名は「アカゲラ(赤啄木鳥)」や「アオゲラ(緑啄木鳥)」「クマゲラ(熊啄木鳥)」「コゲラ(小啄木鳥)」のように、その種の特徴を表す語の後に、語尾としてケラが付けられている。

 「キツツキ」は漢字では「啄木鳥」と書き、「タクボクチョウ」や「ケラ」とも読む。この漢字は「木をついばむ(啄む)鳥」という意味に由来する。「啄む」は「鳥がくちばしでつついて食べる」という意味である。

 キツツキの特徴として、鳴き声を上げたり、木をくちばしでつついて音を立てて求愛したりする。この木の幹をつつく動作はドラミングと呼ばれる。「キツツキ」の名前はこの木をつつく音に由来する説もある。

 なお、明治時代の歌人・詩人の石川啄木(いしかわ たくぼく、1886~1912年)は、本名が石川一(いしかわ はじめ)である。そして、出身地の岩手県にはキツツキが多く、故郷で病気療養をしていた際に、窓の外から聞こえてくるキツツキが木をつつく音に心を慰められたことから、「啄木」というペンネームを使うようになったという説がある。

*https://zatsuneta.com/archives/007146.html より

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<慣用句・諺> 辻褄を合わせる など

2024-05-17 07:12:36 | 慣用句・諺

 「辻褄を合わせる」

 筋道が通るようにする。理屈を合わせる。

 

 「土一升に金一升」 

 地価が非常に高いことをいう言葉。

 

 「土が付く」

 相撲で、力士が負ける。

 

 「土となる」

 ⇒土になる

 

 「土になる」

 《「土となる」とも》土に変わる。死ぬ。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 中沖酒造店

2024-05-17 06:53:02 | 日本酒

 「中沖酒造店」

 地元の米と雪国の清麗な水を用い、風土と人情が一体となって醸す酒。

 東を吾妻山、西を朝日連峰、南を飯豊連峰にかこまれ、最上川の水に育まれた置賜地方の川西町で、中沖酒造店は大正十二年(1923年)に創業いたしました。一献酌み交わす、一献差し上げる等、酒を楽しくまた、和やかに飲んでいただくことを願って、酒銘を「羽陽一献」としました。創業当時の社長である高橋義四郎が、酒造りの指導をしていただいた方から頂いた三つの自戒を掲げ、地元の人々に愛される酒を造ることを目標とし、今日まで至っています。

 (株)中沖酒造店 山形県東置賜郡川西町大字西大塚1792-3

*https://yamagata-sake.or.jp/pages/38/ より

 代表銘柄

羽陽一献 純米 出羽の里

酒 別 純米酒
アルコール度 15度
原料米 出羽の里
精米歩合 70%
日本酒度 ±0
酸度 1.6

 

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<四国八十八箇所> 第47番札所 八坂寺

2024-05-17 06:43:02 | 巡礼

 「八坂寺」

 八坂寺(やさかじ)は、愛媛県松山市浄瑠璃町八坂にある真言宗醍醐派の寺院。熊野山(くまのざん)、妙見院(みょうけんいん)と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第四十七番札所、伊予十三仏霊場第10番札所。

 本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
 ご詠歌:花を見て歌詠む人は八坂寺 三仏(さんぶつ)じょうの縁(えん)とこそきけ
 沿革
 寺伝によれば役行者によって開基され、大宝元年(701年)に、河野玉澄の兄である伊予の国司・越智玉興が、文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。このとき8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名になったといわれ、ますます栄える彌榮(八坂)にも由来している。一時荒廃するが、弘仁6年(815年)に来錫した空海(弘法大師)が再興したとされる。 本尊の阿弥陀如来は源信(恵心僧都 942 – 1017)の作と伝えられる(現本尊は鎌倉時代後期の作)。

 熊野十二社権現堂
 その後の鎌倉時代後期、当地の長者で紀州の熊野権現を深く信仰していた妙見尼により、熊野三所権現証誠の本地仏が阿弥陀如来であったこともあり熊野権現を勧進して十二社権現とともに25間の長床の社殿に祀られることとなると多くの修験道の山伏が集まり修験道の根本道場として栄え当寺はその別当寺として、12坊、48の末寺を持ち多くの僧兵を抱える大寺となった。しかし、天正年間(1573年 – 1592年)兵火によって焼失し寺域も縮小し熊野信仰が四国では衰退すると石鎚信仰や四国霊場札所であることによって盛り立てていった。現在の境内は、熊野十二社権現が祀られていた宮跡で、熊野十二社権現堂の跡に1972年起工1984年完成の本堂ができて、それまでの本堂を熊野十二社権現堂とした。

 境内

 山門:屋根付き橋のようになった単層小型の門で、天井には22の菩薩と阿弥陀如来が描かれている。
 本堂:2034年が次回本尊開帳の年であるが、2014年に特別開帳された。脇仏は不動明王と毘沙門天。
 大師堂:大師像を拝観できる。向かって左に聖宝尊師坐像、右の厨子には阿弥陀如来立像が二体。
 閻魔堂:極楽の途、地獄の途に分れそれぞれの様子が描かれている。「極楽往生通行手形」(亡くなった時に棺の中に納め一緒に荼毘にふす)を授けてもらえる。
 熊野十二社権現堂:拝殿と背後に本殿。拝殿は元の本堂。
 宝篋印塔と層塔:宝篋印塔は納経所の前付近に、層塔は大師堂の前付近にある。
 救いの手:本堂の段に上がる石段の10段目左側にあり。九難を去る救いの手である。
 鐘楼
 不動明王像(いやさか不動):平成17年に建立、以来毎年4月29日柴灯護摩供が催行される。
 開山神變大菩薩:2021年3月28日開眼。
 句碑:森白象[2]「お遍路の誰もが持てる不仕合」が鐘楼の対面にある。柴燈護摩供大祭の平成22年より句選歌碑が一句ずつ大師堂の前方に並ぶ。
 小川を渡る橋を兼ねた山門をくぐると右に手水場と庫裏・納経所が、左に宝篋印塔が、その先に鐘楼がある。正面奥に本堂が建つ。本堂右手には権現堂、十二社権現堂があり、本堂左には閻魔堂があり、そして大師堂がある。 駐車場に来た車遍路は、外から下って山門を入り、中央の石段を上がって本堂大師堂を参拝後、また納経所まで下り、山門から出て駐車場に外から戻り、車は左折し上がって八坂霊園の中を通過して、寺を後にするように寺は指導している。

 宿坊:なし
 本坊
 八坂霊園:石造十三仏
 駐車場:50台。無料。

 文化財
 愛媛県指定有形文化財
 阿弥陀如来坐像:昭和40年4年2日指定
 本尊で50年に1度の秘仏。像高84 cm、重さ18 kgの寄木造、鎌倉時代後期作。昭和10年(1935年)に金泥塗替の修理が行われている。
 松山市指定有形文化財
 宝篋印塔:昭和43年10月25日指定
 高さ約2 m、笠の四隅の馬耳型突起(ばじけいとっき)が直立しており、鎌倉時代の特色を示している。
 層塔:昭和43年10月25日指定
 6重の石造の供養塔、総高2.7 m、安山岩製で鎌倉時代末期のものといわれている

 八坂寺  愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773

*Wikipedia より

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