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イッピンNHK 「名匠への道 琉球の技は生き延びる~沖縄 工芸品~」

2024-01-01 07:10:16 | イッピンNHK

 第253回 2020年8月11日 「名匠への道 琉球の技は生き延びる~沖縄 工芸品~」リサーチャー: 野村佑香

 番組内容
 伝統工芸の世界で、コロナ禍の影響を深刻に受けているのが、次代の担い手たちだ。彼らは今何を考え、どのような課題の克服に挑んでいるのかを描く「名匠への道」。今回は沖縄編。沖縄独自の染め物・紅型の職人は、紅型のデザインを生かしたマスクを作った。また初めての試みとなる、ホテルの客室用の壁紙づくりで、新たな境地を切り開いた。琉球漆器の職人たちは、琉球王国時代の名品に残された、幻の技法の復活に挑んだ。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202008111930001301000 より

 

 1.紅型のマスク(守紅さん/琉球帆布さん)

 沖縄独自の染め物・紅型の職人「守紅」宮城守男さん。
 紅型のデザインを生かしたマスクを琉球帆布さんと作りました。

 また初めての試みとなるホテルの客室用の壁紙づくりで、新たな境地を切り開きました。
 着物用のデザインをベースに花の数を増やし、新たなモチーフを描き加えています。
 更に、沖縄の夏の夜、一晩だけ咲く「サガリバナ」をモチーフにしたデザインもあり、雄しべが風に揺れて四方に動く表現には苦労したものの成長のきっかけになったとおっしゃっていました。
 
 「サガリバナ」
 夏の夜にだけ花咲き、夜明けには散ってしまう「幻の花」です。
 熱帯・亜熱帯の花で、日本では沖縄から奄美のマングローブの川など、湿地帯に自生しています。
 白や淡いピンクの綿毛のような花を、ぶらりと垂れ下がる茎の周りに連なって咲かせる姿が「フジの花」に似ていることから、「沢藤」とも呼ばれています。
 また、甘い香りを漂わせるのも特徴的です。
 見頃は6月末~7月後半くらいまで。

 星のや沖縄 沖縄県中頭郡読谷村儀間474  

 

 2.琉球漆器 (琉球漆紀行)

 琉球漆器の職人達は、琉球王国が残した名品をもとに全く同じものを作り、当時の技法を解明して後世に伝えるというプロジェクトが行われています。
 
 イッピン「王様の漆器をあなたの食卓に~沖縄 琉球漆器~」に出演されていた琉球漆器のあらゆる技法に精通する県認定工芸士で「角萬漆器」の宇良英明さんは、首里城に収蔵されていた作品の再現に取り組むため写真に残し、また「漆実験工房」前田夫妻もこのプロジェクトに関わっています。
 
 そんな最中の令和元年10月31日未明、首里城正殿内部から発生した火災により、正殿を始めとする9施設が焼失。
 琉球王国時代から伝わる貴重な収蔵品の多くが損傷してしまいました。
 
 前島さんらは残された写真だけで、作品の再現に取り組むことを余儀なくされ、試行錯誤の日々が続いています。

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Okinawa/kogeihin より
 

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イッピンNHK 「さりげなく“粋”に~東京 小紋・刺繍・浮世絵~」

2023-12-31 07:49:22 | イッピンNHK

 第252回 2020年5月26日 「さりげなく“粋”に~東京 小紋・刺繍・浮世絵~」リサーチャー: 野村佑香

 番組内容
 江戸時代に培われた、粋の文化。江戸の庶民は、着物や帯にさりげないオシャレを楽しんだ。そこから、江戸刺繍や江戸小紋など、独特の工芸が生まれた。派手さを売りにせず、よく見るとすごさがわかる。そんな粋の伝統を受け継ぐ職人たちが、新たに付け加えたものとは?また、さりげないオシャレの象徴としてもてはやされた浮世絵の美人画。それを現代によみがえらせた、彫師(ほりし)・摺師(すりし)の超絶技巧に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202005261930001301000 より

 

 1.さりげなく”粋”に「東京染小紋」(「石塚染工」・石塚久美子さん)

 「小紋」とは、型紙を用いた「型染め」の方法により、模様を繰り返し反物に染めた着物のことです。
 中でも「江戸小紋」は、遠目には無地に見えるほどのごく小さな柄を、一色のみの型染めで染め上げた小紋のことを言います。
 
 「型染め」には「大紋」「中紋」「小紋」の3種類があり、その一つ「小紋柄」は江戸時代に武士の裃(かみしも)に取り入れられたことで本格的に発展しました。
 江戸時代の中期になると、庶民の中にも小紋に染めた着物や羽織を着る人が増え、粋な柄が多くなり、また動物や植物、更に七福神や宝尽くしなどユニークな柄も登場するなどバリエーションが豊富になるにつれて小紋は盛んに作られるようになります。
 余りに高価なものが現れるに及んで、幕府は再三、「奢侈禁止令」を出して取り締まりを強化したのですが創意工夫により、遠目には無地で地味に見えても、注視すれば細かい型彫りによる「小紋柄」に人気が集まりました。
 明治時代になると、断髪令の発布や欧米化などの影響を受けて男性が小紋を着ることは急速に減少しますが、女性の間では小紋を着る人がむしろ増えました。
 昭和51(1976)年には「伝統的工芸品」として国から指定を受けました。

 明治23(1890)年に小田原で創業した「石塚染工」さんは、明治30(1897)年に糊落としに最適な清水の流れる淺川近くの現在の八王子の地に移り、「江戸小紋」を中心に、型彫師によって生み出された精巧な「伊勢型紙」を使用し、鮫・通し・行儀などの「錐小紋」や万筋・微塵などの「縞小紋」などを伝統の技法で染めています。
 現在、機械捺染が多くなる中、手つけの染め技から蒸し・水元・地直し迄を一貫して行う「石塚染工」の仕事は貴重です。

 極の「江戸小紋」を手掛けるようになったのは、現当主の4代目・石塚幸生さんからです。
 平成12(2000)年には、伝統芸品公募展にて「内閣総理大臣賞」受賞。
 平成28(2016)年には、「叙勲瑞宝単光章」を受章しました。

 「江戸小紋」は型紙を繋ぎ合わせて1反のきものが染め上がるため、染めの美しさは、職人の「コマ」(へら)の力の入れ具合、型の繋ぎ合わせにより決まります。
 型紙の繋ぎ目を合わせるには、「星」という1㎜程の2つの点を重ねるのですが、これには超熟練の技が求められます。

 最高峰とされる「極鮫」(紀州徳川家の「定め小紋」)には、型紙3cm四方には何と900もの丸紋があります。
 石塚さんは40cmの型紙を長さ13mの生地に寸分違わずに繋げて染め上げていきました。
 
 他にも伝統的な4つの柄を独自のデザインで組み合わせたオリジナルの着物も披露してくれました。

 娘で5代目の久美子さんは、女子美術大学日本画科を専攻し、アパレル会社勤務を経て、お父様の石塚幸生さんに弟子入り。
 日々修行に励み、「江戸小紋」も染め始めています。
 
 一方、伝統の染め物をアピールするための新たな試みも始めました。
 着物に馴染みのない人にも手に取ってもらいたいと、自身のブランド「形梅」(かたうめ)を展開。
 従来の「江戸小紋」の概念に捉われない明るい色合いの手拭いや浴衣、数種の型紙を組み合わせて独自の柄の作品を制作しています。
 
 石塚染工 東京都八王子市元横山町1丁目16-1

 

 2.万華鏡のような不思議な輝き「江戸刺繍」(竹内功さん)

 東京・千住で3代に渡り「江戸刺繍」を営む竹内功さんは、「相良縫」(さがらぬい)や「駒縫」(こまぬい)と呼ばれる伝統技法で、「江戸刺繍」の伝統的なスタイルとされる幾何学模様を表現。
 使用する糸の色を増やすなどして、刺繍が立体的に見えるよう工夫を凝らすなど、伝統的な手法での新たな表現にも取り組んでいます。
 帯や着物、和装小物から、インテリアまで幅広いアイテムを制作し、令和元(2019)年には、厚生労働省の令和元年度卓越した技能者(通称「現代の名工」)に選ばれています。
 
 江戸時代中期、天下泰平ムードを背景に経済力をつけた町人階級が台頭し、彼らは簡素な装いに飽き足らず、あらゆる染色技術に刺繍を加えて、絢爛豪華な着物を次々と生み出していきました。江戸の繁栄とともに「江戸刺繍」は大いに隆盛しました。
 「日本刺繍」には、京都の「京繍」、金沢の「加賀繍」に東京の「江戸刺繍」があって、その土地独特の刺繍があります。
 「江戸刺繍」は空間を楽しむ、すっきりとした構図と押さえ気味の色を特徴とし、高度な技術を継承しています。

 竹内功さんはまた、東京都や組合主催の伝統工芸品展などに積極的に参加して、組合のリーダーとして、日本刺繍の技能継承にも尽力していらっしゃいます。
 マネをされてもいいが、やったら絶対に大変だというものを作っていきたいとおっしゃっていました。

 

 3.現代によみがえる江戸の粋「江戸木版画」(高橋公房)

 「江戸木版画」は、江戸時代そのままの手法を守り、材料や道具を制作する「工房」があり、「絵師」「彫師」「摺師」がそれぞれの熟練の技を発揮し、「版元」が職人を束ね、作品をプロデュースする・・・。
 皆が一丸となり、美しい木版画を創り上げる総合芸術です。
 
 「高橋工房」は安政年間(1854~1860)に創立した、代々続く江戸木版画の「摺師」の家系で、四代目からは「版元」の暖簾も兼ねていらっしゃいます。

 「江戸木版画」は、日本における印刷技術のルーツと言われています。
 当初は墨一色であったものを、色を板木で摺る工夫により、次第に複雑な着色が施されるようになり、明和2(1765)年には、金や銀まで摺り込み中間色も木版で刷り上げることが出来るようになり、多色摺りのスタイルが確立されました。
 庶民は江戸時代の人々は、浮世絵版画を通して、流行のファッションや旅などの最新情報を手にしていました。
 庶民の生活に寄り添いながら成長したのです。
 喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重といった江戸の天才浮世絵師達が彼らは競い合うように新しいデザインの浮世絵木版画を発表し、日本独自のユニークな印刷文化を創り上げました。
 平成19(2007)年3月9日、「経済産業省指定伝統的工芸品」に指定されました。

 浮世絵には、街で評判の美人をモデルにし、その上、名前や住所を公開したことから、幕府は名前、住所を書き込むことを禁じましたが、喜多川歌麿は、絵の中に「なぞなぞ」のように隠してしまう「判じ絵」(はんじえ)にしてしまいました。

 「絵師」が薄い和紙に墨一色で原画を描いたら、次に「彫師」(ほりし)が原画を貼った板に小刀で彫ります。
 職人達は1mm幅に何本の髪の毛を掘ることが出来るかを競い合いました。
 使う道具は小刀のみです。

 それから「摺師」(すりし)が版木にそれぞれの色の顔料を塗り、馬簾(ばれん)で紙の背面より力を入れてこすって仕上げます。
 絶妙な力加減と動かし方によって、美しい女性の柔らかな生え際が摺り出されるそうです。

 「高橋公房」現代表の高橋由貴子さんは、摺りの技術を父に学んだ後に六代目代表に就任し、江戸木版画の文化の普及と発展のため、版元としての活動も開始しました。
 
 江戸時代から継承する技術を基礎に、浮世絵の復刻作品から現代アート作品、雑貨まで意欲的に制作をする他、伝統の技術を伝承する環境を整え、その文化を普及・発展させるために、自ら業界を牽引し、世界中を駆け回って、講演会・実演会の開催や職人育成に当たっていらっしゃいます。
 
 江戸木版画「高橋公房」 東京都文京区水道2丁目4-19

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Tokyo/Tokyokomon/EdoshishuUkiyoe より

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イッピンNHK 「多彩な技巧 新たなきらめき~愛知 ガラス製品~」

2023-12-30 08:35:05 | イッピンNHK

 第251回 2020年4月14日 「多彩な技巧 新たなきらめき~愛知 ガラス製品~」リサーチャー: 藤澤恵麻

 番組内容
 「瀬戸焼」など、焼き物で有名な愛知県。その焼き物の町で今、様々なガラス製品が誕生している。例えば、全体を網の目のように六角形の模様が取り囲んだグラス。細かいパーツを編み物のように組み合わせて作られたものだ。そして、大昔の「土器」ように見える不思議な質感のランプシェード。明かりをともすとガラスとは思えない温かな光を放つ。さらに、草花をモチーフにした曲線が美しい切子ガラス。藤澤恵麻がリサーチする。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202004141930001301000 より

 

 瀬戸市は、「ガラス」の主原料である「珪砂」(けいしゃ)の全国一の産地です。
 「珪砂」を精製し、その後、1700度以上の高温でドロドロに溶かし、必要な形に成型すると「ガラス」になります。

 最近の全国シェアは40%前後ですが、最盛期の昭和40年代には70%前後あったそうです。
 資源の少ない日本の中である程度、国内で賄える原料であると言えます。
 
 瀬戸の「珪砂」は全国のガラス工業で使用されています。
 そして瀬戸市でも様々なガラス製品が作られています。
 
 
 1.「瀬戸切子」(切子作家・左口 学さん)

 「切子」(きりこ)とは、ガラスの表面を彫り込んで細工するカッティングの技法、及び、その技法で装飾されたガラスの器のことを言います。
 代表的な日本の代表的な切子の工芸品の種類としては、「江戸切子」と「薩摩切子」があります。
 
 名古屋市生まれの左口学(さぐち まなぶ)さんは、「薩摩切子」が有名な鹿児島に住んでいた祖父母の影響で、小さい頃から切子や吹きガラスの工場をよく見学していました。
 東京ガラス国際学院・基礎科卒業をして作家活動を経た後、「瀬戸市新世紀工芸館」の研修生として瀬戸へ。
 現在は独立して、形成から削りまで一貫して行なっています。

 左口さんが作る作品「瀬戸切子」(せときりこ)は、淡い色や二色三色使い、草花をモチーフにした曲線が美しい切子ガラスです。
 色によって硬さが異なるガラスは、異なる色を組み合わせて形を整えるのが難しいのですが、左口さんは試行錯誤により2〜3色のグラデーションを実現させることに成功。
 多彩なガラスが光を受けて、優美な輝きを放っています。
 
 また左口さんは、ドット柄や唐草紋、唐花紋、ダマスク紋、アラベスク紋など、左右対称に滑らかに削ることが難しい、敢えて高度な技術がいる曲線文様にこだわって、器やコップを制作しています。

 瀬戸切子 愛知県瀬戸市品野町4丁目599

 

 2.ガラス作家・吉村桂子さん(glass studio Katsura)

 吉村桂子さんは、富山ガラス造形研究所の造形科を卒業され、現在は愛知にて活動されている女性ガラス作家さんです。
 
 「色」を楽しむことを大事にしている吉村桂子さんが作るのは、カラフルで温かみのあるおしゃれなガラスの製品です。
 代表作は、洗練された色調のモザイクガラス「Iroami」(イロアミ)や全く異なる模様のガラスをランダムに繋ぎ合わせた「Tsugihagi」(ツギハギ)です。
 
 他にも、お花のような星のような様々な模様が彩り豊かに施された色の刺し子「Irosashi」(イロサシ)や「Iroe」(色絵)、「Mebuki」(芽吹き)があります。

 番組では、「Iroami」(イロアミ)シリーズの六角形を組み合わせた模様のグラスを制作する様子が紹介されました。
 
 吉村さんは、「ムリーニ」と呼ばれるヴェネチアングラスの技法で、金太郎飴状の長いガラス棒作成し、それを細かいパーツに輪切りし、最後にそれらを敷き詰めて一連の模様を表現する技法で制作されています。
 
 まずは透明のガラスに色を付けてから細長く伸ばして棒を作り、それをカットして丸いパーツを作ります。
 色のバランスを考えながら丸いパーツを1つずつ並べ、炉に入れて柔らかくして押し付けていくと、熱せられたパーツは互いに隙間を埋めようとして広がり、六角形になります。
 ただここで作業を急ぎ過ぎて熱を加え過ぎると形が崩れてしまう、手間暇の掛かる手法です。
 ガラスの粒が溶けてくっついて板になったらそれを巻き取って、吹きの作業に入ります。
 そんないくつもの工程を経て、やっとこのグラスは生まれます。
 そのため、1日で10個の作品を作るのがやっとなのだそうです。

 それでも、吉村さんは「出来上がったものに自分も元気づけられる。
 苦しみながら作ると思うんですけど、続けていきたい」とおっしゃていらっしゃいました。
 
 なお、吉村さんの作ったグラスの下の部分には、工房名に因んで「Katsura」の銘が入っています。

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Aichi/glass より

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イッピンNHK 「木々は豊か 技は多彩~秋田 木製品~」

2023-12-29 07:35:49 | イッピンNHK

 第250回 2020年4月7日 「木々は豊か 技は多彩~秋田 木製品~」リサーチャー: 春輝

 番組内容
 秋田県は、日本でも有数の森林の豊かな県だ。木工職人たちは、様々な種類の木の性質を知り尽くし、それを生かしたもの作りに取り組んできた。ブナの木がよく曲がることを利用した、優美な背もたれのイス。美しい模様と艶を持つ山桜の樹皮で作った下駄。樹皮を削り、磨きあげる技は、伝統のかば細工だ。そして、波の形にカーブしたクシ。実は、きわめてかたい木を使っており、加工にも金属加工用の機械を使う。それぞれの技に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202004071930001301000 より

 

 1.曲木家具(秋田木工)

 秋田では豊富な森林資源を使った木工業が栄えてきました。

 「秋田木工」は、日本で唯一の曲木家具専門ブランドです。
 明治43(1910)年に、曲木に適したブナやナラが豊富な、秋田県の湯沢市に設立されました。
「木が木で立っていたときよりも立派に美しく」という信念の下、
 熟練した職人の丹念な手作業で、「曲木家具」を生み出しています。

 「曲木」とは、その名の通り、木材を高温で蒸して柔らかくしてから、鉄製の治具にはめ込んで固定し乾燥させる方法です。

 蒸して柔らかくした木材の外側に鉄板を当て、鉄板の更に外側にある雌治具から鉄板の方へ圧力をかけ、鉄板と木材を内側の治具の型に沿わせていきます。
 それによって、曲げの中心軸は外側(引っ張り側)に移行し、応力を内側に集めることで木材を破損することなく曲げることが出来るのです。

 曲木の技術を発明したのは、ドイツ人のミヒャエル・トーネット(1796年〜1871年)です。
 この技術により、これまでの椅子とは一線を画す椅子が生まれました。
 
 曲木椅子には、次の4つの特徴があります。
 少ない部材でシンプルに仕上げられているため軽い。
 切り出した木材を組むのとは異なり、繊維が切れていないため、細いパーツでも丈夫。
 アールの組み合わせによって、美しい形が可能に。
 また、曲木による体に沿った背のラインが生まれ、機能面でも向上。
 曲木に適した木材はブナが主。
 ブナ材は価格が比較的安いため、コストを抑えることが出来る。
 
 トーネットは曲木椅子を数多く生み出しました。
 特に1859年に発表された「NO.14」は歴史に残る名作となり、現在までに約2億脚製造されたと言われています。

 そのトーネットの曲木技術が日本に初めて伝わったのは、明治34(1901)年のことです。
 東北地方の各地や、岐阜県の飛騨地域などに曲木細工を生かした工業製品の産地が形成され、明治43(1910)年に「秋田木工」が創業しました。

 平成18(2006)年に大塚家具傘下に入りましたが、今も、日本を代表する曲木家具を続け続ける日本唯一の専門工房です。

 「秋田木工」では、名立たるデザイナーと名作とも呼べる数々の作品を共に作り上げてきました。
 最近では、デザイナー・五十嵐久枝による「MAGEKKO(まげっこ)」が2020年度グッドデザイン賞を受賞しています。

 「MAGEKKO」は、 令和元(2019)年に日本の伝統の技術と国内産の自然材を活かした家具を通じて、日本のものづくりの魅力を知っていただきたいとの想いを込めて「AGITA」シリーズ第1弾として発売されたものです。
 秋田の方言をもとに名付けられた、曲木の技を存分に味わえるシリーズを象徴する椅子です。

 その秋田木工、今年、令和3年11月に創業110周年を迎えます。
 10月30日(金)~11月1日(日)の期間、「秋の大特売会」が開催されるそうです。

 秋田木工 秋田県湯沢市関口川前117

 

 2.角館 伝四郎「樺下駄」(伝統工芸士・高橋正美さん)

 山桜の樹皮は硬く、目が詰まっているため、工芸品に使われてきました。
 「角館 伝四郎」は、嘉永四(1851)年)の創業以来、七代に渡って高品質な樺細工を作り続けている、藤木伝四郎商店のブランドです。

 番組では、伝統工芸士の高橋正美さんが 樺下駄を製作する工程が紹介されました。

 山桜の樹皮は数年かけて乾燥され、美しい模様が広がる赤褐色の層が見えるまで包丁で削っていきます。
 これを下駄に張り合わせ、熱した小手で接着剤の膠を丁寧に伸ばしていきます。
 低過ぎると膠が溶けず、熱過ぎると焦げ付いてしまうので微妙な温度加減が要求されます。
 磨きの最終段階では、無数の凹凸があって僅かな傷も滑らかにしてくれる椋の葉を使います。
 最後に動物性の油脂で表面を磨けば、樺下駄は完成です。
 
 藤木伝四郎商店 本店 秋田県仙北市角館町下新町45番地

 

 3.斧折樺の櫛(AKITAアートフォルム・橋野浩之さん)

 秋田県鹿鹿角市十和田大湯には、「斧折樺」(おのおれかんば)という、
 その名の通り斧が折れてしまうほどの堅さで、水に沈むほど比重がある落葉高木を使った木工品の制作を行っている工房があります。
 平成3(1991)年に設立された「AKITAアートフォルム」です。

 工芸家・橋野浩行さんは、「斧折樺」(おのおれかんば)と呼ばれる貴重な材料を使った靴べらセットやひねり髪すきなど、オリジナリティー溢れる商品作りを行っています。

 斧折樺は過酷な環境で生きるため、年に0.2㎜しか太くならないという日本の樹木です。
 現在ではほとんど採れないため、大変希少価値の高い木材になってしまいました。

 「斧折樺」は、日本の木の中でも屈指の硬さ。
 普通の木工用の刃では歯が立ちません。
 そこで橋野さんは、金属加工用の刃を頑強にしたものを使っています。
 削った後、残った水分が木から抜けていくと、歯が曲がることがあるため、3年の月日をかけて乾燥させなければなりません。
 そして、絶妙な曲線を描くように慎重を重ねて削っていき、椿油に数週間漬け込めば、完成です。

 橋野さんの、使う人の気持ちになって考え抜かれたデザインは、使いやすさだけではなく、その滑らかさと木のぬくもりを確かめたくなるようなフォルム。
 そして、艶やかな色合いになっています。
 更に、経年変化による楽しみもあります。

 AKITAアートフォルム 秋田県鹿角市十和田大湯扇ノ平49−3

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Akita/wood より

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イッピンNHK 「組んで曲げて 暮らし豊かに~島根 組子製品~」

2023-12-28 07:21:11 | イッピンNHK

 第249回 2020年3月31日 「組んで曲げて 暮らし豊かに~島根 組子製品~」リサーチャー: 佐藤藍子

 番組内容
 薄い木の板を組み合わせ、幾何学模様を作り出す「組子細工」。その伝統的な技法は障子や欄間など日本建築で活用されてきた。島根県には現代のライフスタイルに調和した組子細工を作る職人たちがいる。ランダムに散りばめられた組子模様が美しい屏風。華やかな光を放つ球体のランプシェード。木を曲げて大胆なカーブを描く照明スタンド。置くことでモダンで特別な空間を演出する、島根県の組子製品の魅力と職人技に佐藤愛子が迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202003311930001301000 より

 

 1. 「球体組子」(ウッドアート門脇・門脇和弘さん)

 門脇 和弘(かどわきかずひろ)さんは、完全な球体組子を​生み出した組子職人です。

 高校卒業後、独学で組子職人を目指し、21歳から約3年間、奈良県の建具屋で修行を積み、島根へ帰ってから組子職人として建具の制作に勤しみました。
 35歳の時に、組子の新たな可能性を探るため球体の制作を始め、約10年の年月をかけ、球体を完成させました。
 目を引くのは美しい幾何学模様の数々で、「三つ組手」という模様を3つのパーツで表現してみせた。組子細工で大切なのは電動ノコギリで正確にパーツの溝を切ること。ちゃんと組むことができると、耐久性があるという。門脇氏は三ツ組手に小さなパーツを組み合わせ、麻の葉や花模様などを表現。直線で構成される組子細工で柔らかさ、温かさを感じて貰いたいという。

 ウッドアート門脇 島根県伯太町井尻55

 

 2.「神灯行灯」(多々納工房・糸賀祥子さん)

 球形のランプシェード「神灯行灯」(かんなびあんどん)は、亡き多々納 弘光(たたの ひろみつ)氏が建具の伝統的手法である「三つ組手」を用いて、新たに生み出した伝統工芸品です。

 「三つ組手」は、水平の線に斜め菱を組み合わせた文様で、葉物組子の地組に使用される基本的な組子に
なります。
 
 糸賀祥子さんは、多々納弘光氏が80歳の時に師事。
 多々納弘光さんの技術と心を受け継ぐ、唯一の弟子であり、「神灯行灯」(かんなびあんどん)を手掛けています。
 
 「神灯行灯」(かんなびあんどん)は平面ではなく、球体の組子細工は唯一無二、多々納オリジナルの作品です。
 
 まず、六角形の部品を20個作り、蒸し器で熱すると柔らかくしてから、ひとつひとつの木片を組み上げて球体に組んでいきます。
 美しい幾何学模様の球体の組手(くで)の隙間から漏れる優しい灯り、ほのかに漂う木の香り、心に静穏の時間をもたらしてくれます。
 
 糸賀さんは、多々納氏からは師匠を超えることが弟子の孝行だと言われたと言い、今日も、技術の継ぎ手として無心に作業に打ち込んでいます。

 多々納工房 島根県出雲市大社町修理免597-1

 

 3.吉原木工所・組子職人の沖原昌樹さん

 島根県三隅町室谷地区は、周辺に「日本棚田百選」に選ばれた見事な棚田が広がり、日本の原風景を感じられる風光明媚な地域です。

 「吉原木工所」は昭和32(1957)年創業。
 副社長の吉原敬司(よしはら けいじ)さんは、これまで和室の障子や欄間といった建具の装飾に用いられてきた「組子細工」を現代風インテリアにアレンジした製品を作っています。

 吉原敬司さんは、高校を卒業後、お父様の勧めで富山の組子職人のところで6年間修業しました。
 「吉原木工所」はそれまで建具を中心に展開していました。
 「吉原木工所」の看板に「組子製品」という文字が入ったのは、敬司さんが島根に戻ってきてからです。
 その頃(2000年前後)は、組子細工はフェイクで、木製のように仕上げられたものが主流の時代で、また住宅も洋風化していて、日本の建具の需要自体がなくなっていて、会社の売上も落ち込む一方でした。
 
 そんな頃、県職員の方の勧めで平成24(2012)年にパリで開催された「メゾン・エ・オブジェ」に出展しました。
その会場で隣のブースに出展していた絨毯の柄を見て、「組子の柄を大きくしたらどうか」と閃いたのだそうです。
 
 和室以外で使えるものを作らなくては生き残れない! 
 組子の柄を大きくすればポップになり、洋室でも使ってもらえるのではと考え、大きな柄の組子をお部屋の引き戸に採用しました。
 あるようでなかった大きな柄の組子は、住まいにこだわる人たちの口コミで広がり話題になります。
 
 平成25(2013)年の「グッドデザイン賞」を皮切りに、色々な賞を獲得。
 注目されることで受注も増えました。

 番組では組子細工の照明スタンドが紹介されました。
 組子職人の沖原昌樹(おきはら まさき)さんは、アイロンの蒸気と熱で格子柄の曲げる部分を柔らかくし、美しいカーブを表現。
 曲げると溝の隙間がすっきり無くなり、ピッタリと密着するように計算されていていました。
 
 沖原さんは、大学在学中に北欧家具に興味を持ち、卒業後に岐阜県高山市の木工学校で2年間学びました。
 その後一度は木工から離れ、アフリカのマラウイで青年海外協力隊員として、数学の教師をしていたそうです。
 
 2年後に協力隊を終えて帰国。
 ネットでたまたま吉原さんのブログに書かれていた組子に興味を持ち、特に求人はなかったにも関わらず、直接電話をして「吉原木工所」に就職したのだそうです。

 吉原木工所 島根県浜田市三隅町室谷912-1

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Shimane/Kumiko より

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イッピンNHK 「伝統に磨きをかけて~福岡 上野焼(あがのやき)~」

2023-12-27 08:54:02 | イッピンNHK

 第248回 2020年3月17日 「伝統に磨きをかけて~福岡 上野焼(あがのやき)~」リサーチャー: 中山エミリ

 番組内容
 茶の湯に使われる器「茶陶」作りで知られる福岡の上野焼。その伝統を重んじながら、今、新たな表現を加えた器が次々に誕生している。その一つが、ごく薄手で口当たりの良いカップ。そこには卓越した成形技術と、材料の土の配合に、ある工夫が…。さらに伝統の釉薬で絵付けをしたカラフルな皿や、懐石料理で使う小鉢を洋食にもあうようアレンジした斬新な器など。進化を続ける上野焼の魅力、職人の情熱に中山エミリが迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202003171930001301000 より

 

 薄手で口当たりの良いカップ(上野焼 庚申窯)

 上野焼の大きな特徴のひとつに「薄作り」があります。
 非常に薄作りの軽い作りが特徴です。
 茶陶として発展した上野焼は、他産地の陶器と比べると、非常に軽くて薄い作りが特徴です。
 
 上野焼は、小倉藩の藩主だった細川忠興が御用窯として開かれ、「遠州七窯」の一つに数えられていました。
 遠州の好みは口当たりの良い「薄作り」でした。
 
 福岡県福智町には20の窯元があります。
 人気の薄作りのカップを作っているのは、「庚申窯」(こうしんがま)です。
 
 「庚申窯」は、明治期に上野焼の復興に尽力した高鶴萬吉(こうづるまんきち)の弟・高鶴城山(じょうざん)の末子であった高鶴 智山(ちざん)により昭和46(1971)年の時に築窯されました。
 
 今や、磁器やグラスなど薄くて軽い器は当たり前。
 窯元の高鶴さんはそれを陶器で、薄作りの器を作っています。
 薄作りの秘密は、上野焼は白い土、きめ細かいものを使用しています。
 そして、轆轤を挽く技術。
 指の感覚だけで強度を保てるギリギリを狙います。
 飲み口が求める薄さになったら1日乾燥させ、それ以外の部分を作っていきます。
 削るのは器の底から腹にかけてで、断面を見ると飲み口は1.8mm、その下の部分も2mm以下にします。
 
 地元の観光列車では、車窓を眺めながら食事が出来るのですが、ここで高鶴さんの器を使用することが出来ます。
 
 庚申窯 福岡県田川郡福智町上野1937 

 

 熊谷守さん(上野焼・守窯)

 「薄作り」の他に上野焼の特徴というと、「緑青(ろくしょう)流し」と言われる透明釉、もしくは白釉の上に緑色の銅釉が流れたものが挙げられます。

 上野焼の地元では鉱物が豊富に採れたために釉薬の精製が発達し、この緑青釉を始めとして、藁白、鉄釉、灰釉、飴釉、伊良保釉、紫蘇手、卵手、虫喰釉、三彩釉、琵琶釉、透明釉、総緑青、柚子肌など他産地と比較して数多くの釉薬が使われており、これも上野焼の特徴の1つと言えます。

 しかし器に絵柄を描く絵付けは上野焼の伝統にありませんでした。
 そこに敢えて挑戦したのが「守窯」(まもるがま)の熊谷守さんです。
 熊谷さんは 「庚申窯」で陶芸の基礎を学んだ後、 独立されました。
 色付けを顔料で出すのではなくて、全て釉薬の塗り分けによって色を出しています。
 
 釉薬は焼くとガラス質に変化するため、通常は焼く前にかけて丈夫さと光沢を出すのに使用します。
 2つ以上の釉薬をかけて、熱で溶けて混ざりあう効果を狙うこともありますが陶器で絵付けに使うのは珍しいことです。
 
 熊谷守さんは、熱で溶ける釉薬が混ざり合わないように、化粧土を塗った皿に先端が1mm程のハリでひっかき、輪郭を描きます。
 そうすれば釉薬が溶けても溝から流れ出すことはなく、焼き上がるとどの色も他と混ざることはなく、立体的に浮かび上がります。
 
 守窯 福岡県田川郡福智町上野1991  

 

 上野焼「割山椒」(上野焼 渡窯)

 「割山椒」(わりざんしょ)とは、 和食に使われる向付や小鉢の一種です。
 器の口の部分に三箇所切れ目が入っており、山椒の実がはじけた形を表しているとされます。
 今では日本中で作られている形ですが、実は上野焼が発祥で、400年前に茶懐石用の器として創られました。
 
 その割山椒に新たな可能性を見出したのは、「渡窯」(わたりがま)の渡仁さんです。
 渡さんは20年以上前から割山椒に様々な工夫を凝らしています。
 中でも、直径27cmと一般的なものと3倍程大きい割山椒は、テーブルの上において洋食用としても使えるようになっています。
 
 上野焼宗家 渡窯 福岡県田川郡福智町上野3065

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Fukuoka/Agano より

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イッピンNHK 「薫る伝統の和テイスト~香川 木製品~」

2023-12-26 08:19:09 | イッピンNHK

 第247回 2020年3月10日 「薫る伝統の和テイスト~香川 木製品~」リサーチャー: 野村佑香

 番組内容
 江戸時代より城下町として栄えた香川県高松市。風土と歴史が育んだ木製品を紹介する。和三盆を作る道具の菓子木型。木に精密な彫りを施して、立体感、そして使いやすさを追求している。松ヤニを多く含む「肥松」と呼ばれる黒松を使い、木の温もりが伝わるボウル。塗料を使わず、木目の美しさが際立っている。欄間彫刻の端材を利用し出来たボールペン。曲線を描くフォルムが印象的だ。木製品の魅力と職人の技に野村佑香さんが迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202003101930001301000 より

 

 1.菓子木型(「木型工房 市原」伝統工芸士・市原吉博さん)

 「菓子木型」とは、和菓子職人さんが和菓子を成型する際に用いる木型のことです。
 決して表に出ない和菓子文化の裏方的な存在ですが、優美な和菓子作りには欠かせない大切なものです。
 そんな「菓子木型」を作る職人は減少の一途を辿っており、現在、この菓子木型を制作している職人は日本全国で数人のみ。
 四国では、市原吉博(いちはら よしひろ)さんがたった一人の菓子木型職人です。

 市原さんは、24歳の時に家業の木型の卸業に従事。
 最初は営業を担当していましたが、お客さんの「ちょっと欠けたから直してくれ」という声に応えるために、28歳頃から小さな修理から彫る仕事を始め、これまでに1000以上の木型を手掛けてきました。
 
 平成11(1999)年香川県の伝統工芸品に「菓子木型」が指定された時に県の伝統工芸士の認定を受けました。
 更に、平成16(2004)年には「現代の名工」、平成18(2006)年には「黄綬褒章」を拝受しました。

 市原さんが「菓子木型」に使う材料は「山桜」です。
 樹齢100年を超える「山桜」を採ってから2年乾燥させた後、更に3年間寝かせたものです。
 それほどまでして、「山桜」を使うのには理由があります。
 木には、根から吸収した水分を枝葉に送る「導管」(どうかん)と呼ばれる、人間でいうところの「血管」の役割を果たす管があります。
 「山桜」はゆっくりと時間をかけて育つため、この「導管」が非常に細く、菓子の抜けが良くなります。

 こうして十分に乾燥させた「山桜」を市原さんは何種類ものノミや彫刻刀を使い分け、左右と凹凸を逆に彫っていきます。
 木型からお菓子が抜けやすいように僅かな高低差をつけて立体感を生み出さなくてはならないため、美しい型を作るためには熟練の技が必要です。
 
 完成した木型を2枚重ね合わせて、砂糖や餡(あん)などの材料を入れて抜き出すと様々な形の和菓子が出来上がります。
 
 木型工房 市原 香川県高松市花園町1丁目7番30号   

 

 2.肥松(「クラフト・アリオカ」有岡成員さん)

 寛永19(1642)年、水戸徳川家から松平頼重(よりしげ)が讃岐高松の地に入封。
 その後の歴史藩主は、数々の名工、名匠を育て、その下で文化芸術が花開き、文化的風土が培われました。
 茶道、華道、俳諧等が育まれ、工芸も盛んになりました。
 国指定の伝統工芸「香川漆器」もそのひとつで、意匠を凝らしたものは幕府の献上品にもなりました。

 気候が温暖で雨の少ない香川は「黒松」が育ちやすい環境です。
 中でも、樹齢300年を超え、良質な松ヤニを含んだ中心部分「肥松」(こえまつ)だけで作られたものを
「肥松木工品」(こえまつもっこうひん)と言います。
 油分を多く含むため光沢があり、光にかざすと赤く透けます。

 木目にも変化があるため、彩色を施さず自然の木地のまま仕上げます。

 使用する毎に手触りが良くなり、年月を経るほどに更に艶が出て、美しい赤茶色に変化するのも特徴です。

 そのため「肥松木工品」は江戸時代から作られており、茶人などに愛好されていたようです。

 そんな「肥松」を使用した木工品を作っているのが、高松市内に工房をもつ「クラフト・アリオカ」です。
 初代・有岡良益さんは、最初は輸入木材を加工して外国に売っていましたが、やがて国内の木の加工をろくろで始めるようになります。
 そのうち香川の漆芸を再興させた人間国宝の磯井如真(いそい じょしん)に腕を買われ、香川の「肥松」を継承し、香川の木工の先駆者として活躍しました。
 2代目の有岡成員(ありおか しょういん)さんはこれを受け継ぎ、県指定の伝統的工芸品「肥松木工品」の職人として木の温もりが伝わるボウルをつくっています。
 塗料を使わなくても、木目の美しいボウルです。
 
 工房では、香川でしか使われていないという「讃岐式のろくろ」がカタカタと鳴り響いていました。
 三種類のスピードを伝えるベルトを手で操りながらその都度速度を変え、回転する木に鉋(かんな)の刃を当てて削り出していきます。
 「肥松」は油分を多く含む特性のため、加工が非常に難しく、高い技術が必要となります。
 ですが有岡さんは、「肥松」にしかない唯一無二の表情を得るために、手間を惜しみません。
 そして木目を活かすために漆は塗らず、金属加工に使う道具で表面を滑らかに整えていきました。
 
 現在、樹齢300年を超える「黒松」はほぼ入手出来ない状況にあります。
 もしあったとしても、「肥松」を仕上げるには、油分の多い材のため、自然乾燥させるだけでも、切り出してから20年間以上は寝かせないと使用することは出来ません。
 
 有岡さんは、お父様がストックしていた「肥松」を使って美しいボウルを作り続けていらっしゃいます。
 
 クラフト・アリオカ 香川県高松市勅使町1007番地1
 
 
 
 3.朝倉彫刻店(朝倉準一さん)

 朝倉彫刻店は欄間彫刻を営んでいます。

 欄間彫刻で培った知識と技術を活かして、多様な樹種のお箸や箸置き、ボールペンなどの小物も制作、販売しています。
 ボールペンは曲線を描くフォルムが印象的です。

 朝倉彫刻店 香川県高松市松福町1丁目3-44

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin-Kagawa-wood より

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イッピンNHK 「彩り豊かに 使いやすく~三重 萬古焼~」

2023-12-25 08:39:29 | イッピンNHK

 第246回 2020年3月3日 「彩り豊かに 使いやすく~三重 萬古焼~」リサーチャー: 三倉茉奈

 番組内容
 蓋を工夫した炊飯用の土鍋。液だれしにくいしょうゆ差し。そして多彩に色づけされたビアマグ。どれも、三重県四日市市の焼き物、萬古焼だ。江戸時代から、使いやすく、暮らしに彩を添える器を生み出してきた。明治以降は、海外への輸出も盛んに。そのひとつがビアマグだ。イギリス・スイス・オランダなどに向け、それぞれのお国柄を反映した絵が描かれている。食卓に彩を添え、暮らしに役立つように施された、技と工夫を見ていく。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202003031930001301000 より

 

 1.大黒ごはん鍋(「華月」五代目・藤井啓雄さん)

 萬古焼の土鍋
 「土鍋」は「萬古焼」(ばんこやき)を代表する商品で、国内シェアの約8割を占めます。
 「萬古焼」の特徴は「陶土」にあります。
 ロケットの塗装にも使われる「ペタライト」という熱に強いリチウム鉱石を混ぜて焼くことで強度がアップ。
 耐熱性が抜群に優れていて、直火や空焚きなどの熱に対しても高度な耐久性を持っています。

 大黒ごはん鍋
 「大黒ごはん鍋」は、かまど炊きのような美味しいご飯が炊ける土鍋です。
 一番の特徴は、「火加減調整がいらないところ」。
 オーブンやガスコンロで、最初から最後まで同じ火加減で炊くことが出来ます。
 ごはんだけでなく、雑炊やカレー、シチュー、鍋物にも使える万能土鍋です。
 
 超耐熱性の製品だから、冷蔵庫から出してすぐに直火にかけても、割れることがありません。
 直火、電子レンジ、オーブンいずれにも対応しております。
 
 持ち手には、職人さんの手跡が残っている場合があります。
 手作業のため、力加減によりどうしてもついてしまうそうですが、まあ”味”・・・なんですかね。
 平成29年度「三重ブランド」に認定されました。

 大黒ごはん鍋で白米を炊く(2合)

 お米を洗い、30分浸水させる
 お米を大黒釜に入れ、
 内釜に彫られている下から2本目の線まで水を加える。
 内蓋、外蓋をし、中火より少し強めの火で9分。
 そのまま10分蒸らす。
 
 華月 

 萬古焼の窯元「華月」は、安政3(1856)年に餅や茶を作る道具であった「石臼」の製造業として創業しました。
 時代の変化とともに華器を製造してきました。
 昭和30年代に耐熱陶器を作り始めます。
 火にかけて割れない物質「ペタライト」を見つけ、8年がかりで特許を取得、超耐熱性の土鍋を開発します。
 火にかけても割れない耐熱食器を作るため、土や釉薬といった原材料からこだわり、更には全ての工程において最高品質が保たれるよう管理が行われています。
 
 食器なのに直火にかけられる常識を覆す器「KOKURYU」を開発。
 温かいものを温かく、最後の一口まで熱々で美味しく味わえると評判です。
 更に洗い物も簡単です。
 
 華月 三重県四日市市羽津山町20-9

 

 2.萬古焼の醤油差し(萬古焼 醉月陶苑/醉月窯)

 「萬古焼」の代表とされる商品は「土鍋」と「急須」。
 「四日市萬古焼急須」は、昭和53(1978)年に国から「伝統的工芸品」に指定されています。
 萬古焼の急須の中でも「紫泥急須」(しでいきゅうす)は、鉄分を多く含んだ赤土を、釉薬をかけずに焼いたもので、鉄分が茶葉の中のタンニンに反応し、渋みを和らげ旨み成分を引き立てる効果があると言われいます。
 醉月窯の清水醉月さんは、料理研究家の大原千鶴さんと一緒に日本人の食卓に欠かせない「醤油差し」を作り出しました。
 
 醤油差しで厄介なのは、注ぎ口が液だれして汚れること。
 そして蓋の縁に付着する結晶が掃除しにくいこと。
 それを注ぎやすい良質な急須で知られる萬古焼の技で見事解決!
 鋭く作られた注ぎ口は液だれが生じることなく、いつでも快適に使えます。
 胴に合わせて蓋はぴったりと合わさるように作られ、口の周りに醤油が固まることもありません。
 
  素焼きを終えると、清水さんの奥様、きし代さんが特別な絵の具を使って、桜の「盛絵」を施しました。
 
 購入をご希望の方は、「醉月陶苑」に直接ご注文下さい。
 
 萬古焼 醉月陶苑 三重県四日市市南いかるが町19-4 

 

 3.海外向けビアマグ(「田中正商店」田中 誠さん)

 明治時代に入り、阿倉川の白土を原料に木型・土型を駆使して、文明開化の雰囲気のある突飛なデザインの萬古焼が、海外に大量に売り出されました。
 そのひとつが「ビアマグ」です。
 イギリス・スイス・オランダなどに向けたそれぞれのお国柄を反映した絵が描かれています。
 
 「田中正商店」は、昭和30(1955)年の創業以来、ビアジョッキ(ミューヘンマグ)の製造販売をしている窯元です。
 
 職人の田中誠さんに「ビアマグ」作成の工程を見せていただきました。
 絵柄が刻まれた石膏の型に、原料の土を流し込んで乾燥させたら、素焼きします。
 焼き上がったら、下絵付け、色付を行い、釉薬に浸けて焼成します。
 焼成後、残った部分の色付に進むのですが、釉薬に馴染みやすいものをチョイスしていました。
 この時、色の違いで鮮やかに発色する温度が異なるのだそうです。
 
 「ビアマグ」はビアガーデンで使われるだけでなく、インテリアとして購入する人もいるそうです。
 国内だけでなく、海外にも輸出されているそうです。
 
 田中正商店 三重県四日市市本郷町4-4

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Mie/bankoyaki より

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イッピンNHK 「カラフル&アート コットンに革命を!~兵庫 播州織~」

2023-12-24 08:12:01 | イッピンNHK

 第245回 2020年2月25日 「カラフル&アート コットンに革命を!~兵庫 播州織~」リサーチャー: 中越典子

 番組内容
 兵庫県西脇市を中心とした地域で作られている「播州織」。先に染めた糸を織ることで、繊細で複雑な色柄を作りだす綿織物だ。工程のほとんどが分業で、それぞれの技術を極めた腕のいい職人たちが新しい製品を生み出している。極細の糸を織った淡いグラデーションのストール。立体的な柄のシャツ。古い織機の柔らかな織りを生かしたパンツ。リサーチャーは中越典子さん。付加価値のある新たなものづくりに挑戦する人々の思いに迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202002251930001301000 より

 

 1700年代の初めより、温暖な気候を活かして綿花が栽培されていた現在の兵庫県南西部、播州(播磨)地方では、江戸時代中期になると、比延庄村(ひえしょうむら)の宮大工飛田安兵衛(ひだやすべえ)が京都西陣から織物の技術を持ち帰って以降、農家の副業として「播州縞」(ばんしゅうしま)が生産されるようになりました。

 「播州織」(ばんしゅうおり)と呼ばれるようになったのは、明治時代後期です。

 現在、「播州織」は、先染めの綿織物の全国シェアおよそ58% (平成30年)を占め、その独特の製法により、
自然な風合い、豊かな色彩、素晴らしい肌触りの生地に仕上がり、多くはシャツやブラウス、ストールなどのファッションアイテムや、テーブルクロスなど様々な製品に加工されています。
 その品質の高さで国内のみならず海外からも高い評価を受け、世界的ブランドの生地にも採用されています。

 1.播州織ストール「fabori」(兵庫 播Bon)

 兵庫県西脇市にある「播(Bon)」は、昭和43(1968)年創業の産地に根付いた100%日本製にこだわった物作りに取り組む生地メーカーです。
 
 その「播(Bon)」が、「お気に入りの1枚を選ぶ楽しさを感じて欲しい」というコンセプトのもと展開しているのが、播州織で作ったストールの自社ブランド「ファボリ(fabori)」です。
 
 「ファボリ(fabori)」という名前は、英語の「お気に入り(favorite)」「織物(fabric)」と日本語の「織り(ori)」を組み合わせたものです。
 
 「ファボリ(fabori)」は、100番手という極めて細い糸を色を重ねて染めてから織ったもので、
向こう側が透けるほど薄く、繊細な色味と絹のような手触りのストールです。
 令和元(2019)年にはグッドデザイン賞を受賞しています。

 播州織のストールをデザインのは、「播(Bon)」の鬼塚創(おにづか そう)さんです。
 東京都出身で、文化ファッション大学院大学(BFGU)で学ばれた鬼塚さんは、当初は東京で就職することを考えていましたが、「播州織産地にデザイナーを呼ぼう」という西脇市長と会い、やりたいことは東京にいても産地にいても同じ、それなら行ってみようと決心したとおっしゃいます。

 鬼塚さんは、布を織る前に糸を染める「先染め」により、複雑な柄を織ることが出来るとおっしゃいます。
「先染め」とは織り上がった布に染色するのではなく、染めた何色もの色糸を織りで組み合わせながら繊細な色調とデザインを表現する製法です。
 
 更に鬼塚さんは、極細の糸を使うことで、軽くて透けるような風合いを実現しました。

 糸を指定された色に染める工程を担うのは、數原泰三さんです。
 數原さんは、染料の配合、窯の温度などを注視しながら、糸を染めていきました。
 
 田中美佐代さんは、配色通りに糸が並んでいるか、糸が抜けていないか、徹底した確認作業を行っています。
 
 森本さんは極細の経糸、横糸で生地に仕上げます。
 これまでの工程に携わってきた職人達の努力を蔑ろには出来ないと、糸を傷つけないよう、織り機のスピードや温度や湿度など多岐に渡って気を配っていらっしゃいました。
 
 (株)播 兵庫県西脇市小坂町45-2   

 

 2.POLS(ポルス)

 播州地方では、普段遣いの綿織物を作ってきましたが、明治時代には鮮やかな化学染料を輸入して、工場生産もスタートさせました。
 丈夫で色柄豊富な播州織の評判は国内だけに留まりません。

 明治34(1901)年、ジャカード織機を多数導入して「丸萬」(まるまん)は創業しました。
 その後、産地への機械式織機導入に尽力し、ファブレスメーカーとなる産元商社へと業態を変換し、世界へ輸出を大きく伸ばしました。
 「ファブレス」とは、その名の通り、「fab(工場)」を持たない会社のこと。
 工場を所有せずに製造業としての活動を行う企業を指す造語およびビジネスモデル。
 
 その後は、為替の変動や、海外の安価な生産に押され、生産量が減少しましたが、新しい流れを作るべく、
2000年頃から独自のジャカード技術を研究し、独自のジャカード織の生地を開発してきました。

 そして平成27(2015)年、テキスタイルデザイナー梶原加奈子氏とともにジャカード織りで制作された
播州織ブランド「POLS(ポルス)」を立ち上げました。

 スカーフから始まり、平成30(2018)年にはパタンナー兼デザイナーの宮本祐子さんが加入したことにより、
ウェア制作を本格的に始めました。
 令和3(2021)年には大阪自社ビルの1Fをリノベーションして、初の販売店舗「ポルストア大阪」の運営も開始しました。

 デザイナー兼パタンナー宮本祐子さんの細部にこだわったディティールやシルエット作りは、「丸萬」の縫製工場が支えています。
 
 丸山氏の会社では経糸、横糸を複雑に織り込んで、厚みのある質感に仕立てています。
 織機にコンピューターが搭載されているからこそ、プログラム制御によって複雑なデザインも実現可能となっているのだそうです。

 ポルストア大阪 大阪府大阪市中央区内淡路町2丁目4−5

 

 3.tamaki niime (玉木新雌さん)

 玉木新雌(たまき にいめ)さんは福井県生まれ。
 理想の布を探し求める中、「播州織」に出会い、兵庫県西脇市に移住。
 連綿と受け継がれてきた「播州織」の技術を絶やしてはいけないと播州織をアレンジした「新たな播州織」を生み出し、平成16(2004)年にブランド「tamaki niime」を 立ち上げ、独創的な織物を制作しています。

 工場に昭和40(1965)年製のベルト式力織機を導入し、自らが織り上げた 「only one shawl」は最新の機械では出せない独特な織柄の立体感が評価されて、人気です。

 ショールを中心に、シャツ、パンツ、子供服、バッグなどを製作しています。

 また経済産業省の「ザ・ワンダー500」にも選定され、地場産業であった「播州織」を世界ブランドにまで高めました。

 現在、玉木さんの工房には「播州織」に憧れる若者達が集まっていて、日々、技の習得に励んでいます。

 いつしか、楽しさ、面白さを技術にプラスして貰い、後世に繋げていきたいとおっしゃていました。

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Hyogo/Banshuori より
 

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イッピンNHK 「料理を楽しく!もっと便利に!~新潟 三条のキッチン用品~」

2023-12-23 08:31:59 | イッピンNHK

 第244回 2020年2月11日 「料理を楽しく!もっと便利に!~新潟 三条のキッチン用品~」リサーチャー: 黒谷友香

 番組内容
 いま、斬新なキッチン用品を続々と開発しているのが、新潟県三条市。古くから金属加工の町として知られる。鋳物工場ではフライパンを鋳物で作った。鋳物は、火の通りがいいという利点がある一方、重くなるという難点があった。鋳物でしかも軽いフライパンを生み出すまでを紹介。また、シンプルで衛生的なキッチンバサミやオール樹脂の調理スプーンなど、使いやすさとデザイン性を兼ね備えたキッチン用品の開発をひも解く。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202002111930001301000 より

 

 1.UNILLOY(ユニロイ・三条特殊鋳工所)

 「サントク」の愛称で知られる三条特殊鋳工所は、昭和36(1961)年創業した鋳鉄製機械部品の製造工場です。

 大手企業から、鋳物製精密機械部品などの下請けをしていましたが、三条特殊鋳工所の概念とも言える、
「極薄鋳鉄(薄くて軽い)」という唯一無二の技術を追求し、「自分たちの手で、誰からも愛される、世界一のモノを創り、 たくさんの笑顔を創造しよう。」という想いから平成26(2014)年に、三条特殊鋳工所のキッチンウェア事業部である「SSC」と「Unique-alloy」(ユニークな合金)からネーミングした初の自社ブランド「UNILLOY」を立ち上げました。

 「SSC」

 三条特殊鋳工所の社名「Sanjo Special Cast」の頭文字を冠としたブランドで、世界中の料理好きに、美味しい料理を届けたいという想いのもと、「極薄鋳鉄」というユニーク(独特)な金属合金を使い、軽くて使いやすく高機能な調理器具ブランドで、フライパンやキャセロールなどを販売しています。

 「UNILLOY」は、大手アウトドアメーカーのダッチオーブン製造の経験を活かし、約2年をかけ、約200回もの試作を繰り返して完成した、「世界一軽い、鋳物ホーロー鍋」です。

 「鋳物ホーロー鍋」は、金属(鉄)を溶かして鋳型に流し込んで作った鍋に、ガラス質の釉薬を高温で焼き付ける「ホーロー加工」を施したものです。

 金属とガラス、2つの素材の良さを兼ね備えています。
 素早く鍋全体を均一に温め、食材から出た水分は鍋底で加熱されることによって水蒸気となり、食材を包み込むように鍋の中で対流します。
 ホーロー鍋からの熱伝導と蒸気の対流によって、食材にムラなくゆっくり熱が伝わるため、素材の良さが引き出されて美味しく仕上がります。

 金属のベースがガラスで包まれていることにより、熱の伝わり方が他の製品に比べゆっくりなので、食材の表面は強度を増し、煮崩れしにくくなりつつもふっくらと仕上げることが出来ます。
 保温性にも優れています。
 
 コーティングしているガラス質は酸や塩分にも強いため、錆や腐食に強い素材耐久性があります。
 
 ニオイ移りしないため、ぬか漬け・かす漬け・みそなど、ニオイの強いものの保存も出来ますし、色落ちの心配などもありません。
 ガス火・IH・オーブンに対応しています。

 しかしそれまで、「鋳物」とは「重くて使いづらい」ものでした。
 色味にバリエーションは無く、値段は重さで決められていたため、軽量で扱いやすいモノの価値が認知されていませんでした。

 「UNILLOY」は、「FCV鋳鉄」という技術を使い、鍋の厚みが2mmという驚きの薄さにしたことで、従来の輸入ホーロー鍋の重さの半分という圧倒的な軽さを実現しました。

 更に、厚さ2mmという薄さにより、抜群の熱伝導を実現。
 側面や底面からムラなく熱を伝えるため、短時間で鍋内を一気に加熱。
 温度が下がりにくく、揚げ物はカラッと、麺はコシがある仕上りになります。

 「UNILLOY」はデザインも徹底的にこだわり、野田琺瑯の「KAMADO(カマド)」や「NOMAKU(ノマク)」、吉田金属工業の「グローバル包丁」などのデザインで知られるプロダクトデザイナー・山田耕民(やまだ こうみん)さんがデザインしています。

 グッドデザイン賞など様々な賞を受賞した他、平成27(2015)年には世界三大デザイン賞の一つ、レッド・ドットアワードの最高賞であるベストオブベストを受賞しました。

 世界最薄の鋳物ホーロー鍋「UNILLOY」に続き、炒めやすく煮込みやすい上、振って調理が出来るほど軽い「SSC 鋳物フライパン」「ソロキャンプ向け、鋳鉄ギア「SSCamp!」などの製造販売も行われています。

 三条特殊鋳工所 新潟県三条市福島新田丁642

 

 2.キッチンスパッター(鳥部製作所)

 新潟県三条市はまた、「大阪府堺市」「岐阜県関市」とともに「日本三大刃物産地」の一つとして有名です。

 新潟県三条市で製造される打刃物は「越後三条打刃物」(えちごさんじょううちはもの)と呼ばれ、国の伝統的工芸品にも指定されています。

 閑散期の農家の副業として「和釘」が作り始まり、その後包丁など多くの種類の打刃物が製造されるようになると。
 次第に鍛冶職人の集まる地になっていきました。

 「打刃物」とは、日本古来の技法を使い、金属を叩いて製造する刃物のことです。
 元々は農工具などを作る技術でしたが、現在は、包丁やハサミなど日用品を始め、ナタやノミなど様々な分野の刃物が製造されています。

 「鳥部製作所」は、昭和37(1962)年に「鋳物製ラシャ切り鋏(裁ちばさみ)」のメーカーとして設立された
鋏の専門メーカーです。

 その後、ステンレス素材が一般的に普及すると、一早くステンレスを使った鋏の製造を始め、輸出を中心に売上を伸ばしました。
 現在は、ステンレス及び鋼素材の鋏を中心に製造を行っていて、折れやすい鋳物鋏は製造していません。

 「鳥部製作所」のキッチンハサミ「キッチンスパッター」は、食材を切るためだけに考えられたキッチンバサミです。
 シンプルで美しいデザインだけでなく、シャープな切れ味で、使い勝手も抜群と評判です。

 特に、手入れが簡単なキッチンバサミが欲しい人におススメです。
 オールステンレス製なので錆びにくく、ドライバーなどの工具を使わなくても特に汚れや雑菌が気になる接合部「カシメ部」が簡単に分解出来るので、隅々までスムーズに水洗いが出来ます。
 キッチンバサミは清潔に使えることが一番のポイントですよね!
 食洗機での洗浄も可能です。
 煮沸消毒や紫外線ライトでの消毒も可能です。

 炭素含有量が高いハイカーボンステンレス製ですから、耐摩耗性、強靭性に優れています。

 「キッチンスパッター」は何といってもその切れ味が素晴らしいです。
 切れ味が鋭いので、魚、肉、ネギなどの野菜から昆布のような乾物まで、食材を潰さずにスムーズにカットできます。

 脂の多いお肉や、カニの甲羅のような固いものもストレスなくキレイに切ることが出来ます。
 片刃が「セレーション刃」という細かなギザギザの刃先になっているため、堅い食材でも滑らずに切ることが出来るんです。

 ハンドル部分は力を入れても指が痛くならないように当たりの柔らかな作りになっている上に、重過ぎないので長時間使っても疲れを感じません。

 鳥部製作所 新潟県三条市田島1-17-11

 

 3.DYK ナイロン万能スプーン(DYK:ダイク)

 「 DYK(ダイク)」は燕三条の大工道具の老舗、「株式会社高儀」より生まれた大工道具の製造を通じて培ってきた技術と理念を活かして作られたキッチンツールのブランドです。

 中川政七商店の業界特化型コンサルティング事業をきっかけに開発が始まり、PRODUCT DESIGN CENTERの鈴木啓太氏のブランディング及び プロダクトデザインによって商品化されました。

 「 DYK(ダイク)」の由来は “Design Your Kitchen”。
 「DYK」のナイロン万能スプーンは耐熱性に優れているので、火をかけたままのフライパンや鍋の中でも使用出来ます。
 炒めや混ぜる等の調理シーンから料理の取り分けシーンまで万能に使用出来ます。

 オールナイロンの一体成型で継ぎ目がなく洗いやすいので、汚れが溜まりにくく、清潔に使用出来ます。

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Niigata/Sanjho/kitchen より

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