いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<都市の異名> 星取県

2022-10-24 07:46:38 | 都市の異名

 「星取県 鳥取県」

 鳥取県は星取県になりました
 どの市町村からも天の川が見え、流星群の時期でなくても流れ星が見えやすい鳥取県は、夜空を見上げれば星に手が届きそう、そんな鳥取県を皆さんにもっと堪能していただきたいという思いをこめて、「星取県」を名乗ることにしました。
 どうぞ皆さん、たくさん星を取りにいらしてください。
 ※鳥取市は、環境省が実施する「全国星空継続観察」で1位になったことのある唯一の県庁所在地です。
 また定点観測地やその他観測地点において複数回、日本一に輝いています。

*https://hoshitori.com/ より

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<都市の異名> 蟹取県

2022-10-23 07:46:54 | 都市の異名

 「蟹取県 鳥取県」

 鳥取県、「蟹取県」に改名? 2014年11月15日     
 カニの水揚げ量日本一を誇る鳥取県は、松葉ガニ(県産ズワイガニの雄)漁解禁前日の5日、県内に宿泊する旅行者を対象に、松葉ガニなどを贈る「ウェルカニキャンペーン」のPRイベントを東京都内で開催した。同県出身の女優、蓮佛美沙子さんが「女将さん」ならぬ「おカニさん」に就任し、平井伸治知事とともに鳥取県を「蟹取県」に改名すると宣言した。

 とっとりふるさと大使でもある蓮佛さんは「鳥取県は癒やしの県。温泉に浸かって、お酒を飲んで、カニを食べてほっと一息つきに来てほしい」とアピールした。

 蓮佛さんと平井知事は、「鳥取県」と書かれた掛け軸の鳥の字をめくり「蟹取県」に改名すると発表。平井知事は「カネはないけどカニはある」などとユーモアたっぷりの語り口で鳥取観光をPRした。

 ウェルカニキャンペーンは来年2月末まで。参画施設の宿泊者を対象に抽選で毎月100人に鳥取県産のカニを贈る。

*https://www.kankokeizai.com/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E3%80%81%E3%80%8C%E8%9F%B9%E5%8F%96%E7%9C%8C%E3%80%8D%E3%81%AB%E6%94%B9%E5%90%8D%EF%BC%9F/ より

 「都市の異名」といいつつ、「都道府県の異名」も少し(笑

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<都市の異名> 灰都

2022-10-22 07:28:13 | 都市の異名

 「灰都 鹿児島」

 「灰」というだけで、やはり「桜島」がイメージされ、その周辺を取り巻く「鹿児島」の町が「灰の都」「灰都」と呼ばれても納得できる。ただマイナスイメージもあるため、自治体で使用されている例はネット上では見かけることはない。

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<都市の異名> 泉都

2022-10-21 07:28:52 | 都市の異名

 「泉都 別府」

 泉都とは、大規模な温泉街を表す時に使われる通称。温泉都市の事。

 Wikipedia には上記の記載があるがネット上にはそれほど見かけられない。

 ただ、泉都(せんと)は、大分県別府市で流通している地域通貨である。

 別府市の地域再生計画「地域通貨を活用したまちづくり活動とONSEN・健康ライフの促進」により発行、総務省の「地域通貨システムモデル事業」に選定され、当初、住民基本台帳カードを利用した地域通貨としてスタートしたが、2010年4月に紙の「泉都券」のみの運用に移行。名称は「湯の町別府」を意味する「泉都」に、通貨の補助単位であるセントをかけたもの。別府市にはこのほかに「湯路(ユーロ)」という地域通貨があり、1つの地域に2つの地域通貨が存在する。*Wikipedia より

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<都市の異名> 火の国

2022-10-20 08:19:12 | 都市の異名

 「火の国 熊本」

 元は「火国-ひのくに」から。

 火国(ひのくに。火国別、ひのくにわけ。肥国。? - 8世紀)は、筑紫島(九州)にあった国の一つ。火国の範囲については、肥前国(長崎県、佐賀県)と肥後国(熊本県)を合わせたものであるという説と、肥後国は阿蘇国のあとであり火国とは必ずしも関連がないとする説など諸説ある。

 明治時代
 廃藩後曲折を経て、肥前国は長崎県・佐賀県となり、肥後国は熊本県となった。*Wikipedia より

 由来は諸説あるよう。一般人には、阿蘇→火山→火のイメージが短絡的につく→火の国か?

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<都市の異名> 晴れの国

2022-10-19 08:41:37 | 都市の異名

 「晴れの国 岡山」

 “晴れの国おかやま”と呼ばれる理由は?

 「晴れの国」と呼び始めたのはいつ
 平成元年から岡山県のトータルイメージを表現する言葉として、広報活動をはじめ幅広く使っています。

 どうして「晴れの国」。
 その1 晴れの日が多い。
 その2 温暖な気候。災害が少ない。
 その3 美味しいものが多い。
 その4 自然がいっぱい。

 データが語る「晴れの国」
 ダントツではないが、確実に晴れの日が多い。
 ・降水量1mm未満の日:276.7日で全国第1位 (気象庁「全国気候表(1991~2020年(30年間)の降水量1ミリ以上の日数の平年値をもとに算出)」)

 *https://miryoku-harenokuni-okayama.jp/index.html より

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<都市の異名> うどん県

2022-10-18 07:52:26 | 都市の異名

 「うどん県 香川県」

 香川県の通称。名物の讃岐うどんを足がかりとした知名度向上の取り組みの一環として、県や観光協会が「うどん県」の名称のもとにPR活動を行っている。

 香川県は、冗談であると断った上ではあるが「香川県は『うどん県』に改名しました。」と宣言し、俳優の要潤を「うどん県副知事」に起用、2011年10月に特設Webサイトも開設し、うどんと香川県の魅力を紹介している。

 2011年12月6日には要潤・うどん県副知事が郵便事業会社を訪問し、宛て先が「うどん県」と表記されていても香川県へ正しく郵便物を届けて欲しい、という要望を提出した。

*Weblio辞書 より

 

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<都市の異名> 筆の都

2022-10-17 07:48:17 | 都市の異名

 「筆の都 熊野」

 「筆の都」熊野町の「筆塚」 2019年4月4日 木曜日

 「筆の都」と言われる広島県熊野町には、八百年前に紀州熊野より勧請され、町名の由来にもなっています熊野本宮神社とともに宇佐八幡宮より勧請されや約千百年の歴史を誇る榊山(さかきやま)神社があります。
 この神社は町の中心部に位置しており、広大な敷地内に両神社の他に四社の摂末社もあり、我が社からも近く、昼休みに歩いて訪れて境内を散策するにはちょうど良い距離と広さです。
 その榊山神社の境内に「筆塚(ふでづか)」という大きな石碑があります。

 1965(昭和40年)9月に「筆精」を供養するため建てられたもので、毎年秋分の日に行われる「筆まつり」では、これまで使用してきた筆を心から大切に思う気持ちと同時に、筆の毛となってくれる動物の霊に感謝し、この塚の傍で役割を終えた筆を焼いて供養します。

 この石碑に揮毫されている「筆塚」の文字は、広島県出身の池田勇人元首相の肉筆を刻んだものです。昭和30年代の後半に所得倍増計画を打ち出して日本の経済成長を牽引した人として有名ですが、日本の書道の歴史にも重要な役割を果たしました。
 戦後GHQの教育方針で習字が義務教育から外され、熊野の筆の業者を含め文房四宝の生産者にとっては死活問題でした。時に熊野町長や熊野筆事業協同組合理事長を歴任した我が社の三代目社長(現社長の伯父)の城本勝司が、地元広島選出で中央の政治・行政に力のある池田氏にご協力をお願いして、多方面に働きかけを行って頂き、昭和43年の文部科学省の小学校学習指導要領の改訂で習字が必須科目になることが告示されるに至りました。
 この筆塚ができた時には池田氏は既に病に倒れ亡くなっておられましたが、この「筆塚」の揮毫は今尚残っております。

 そのような歴史を手繰りながら境内を散策すると興味深いです。この「筆塚」の揮毫を近くから見ますとなかなか胆力のある字です。書は人なりという言葉がありますが、まさに日本の政治経済を牽引した池田氏の力強さが文字に現れています。

*https://www.artbrush-hiroshima.com/etcetera/entry-620.html より

  「熊野筆」

 広島県安芸郡熊野町で生産されている筆。経済産業大臣指定伝統的工芸品。産地組合である熊野筆事業協同組合が管理する団体商標。

 「筆の都」と称する日本最大の生産地で、愛知県豊橋筆・奈良県奈良筆・広島県川尻筆とともに日本四大産地を形成する。一般には国内シェア8割、これに川尻筆と合わせると広島県産の国内シェアは9割になると言われている。

 1954年(昭和29年)には熊野町商工会調べによると国内生産額で9割に達し熊野町全戸数の8割が毛筆業に従事していたという。別のソースには同年の国内生産高70%、画筆のみ60%に達したという。1958年(昭和33年)山陽新聞は生産高90%、年間10億円と報じている。

 化粧筆・画筆の台頭
 ただし毛筆は1970年代以降生産は伸びていない。外国製の安価な普及品に加え、マジックペン・ボールペン・筆ペン[注 1]などの文房具の多様化、PCやスマホの普及、少子化による学童用毛筆の停滞、など毛筆人口の減少によって需要が増えていかないためである。

 伸び悩む毛筆に代わって台頭したのが化粧筆・画筆である。戦後から本格的生産が始まり、1950年代には化粧筆生産は順調に軌道に乗り、1960年代には化粧筆・画筆・工業用刷毛それぞれの生産量の方が毛筆よりも多くなっている。この頃から大手化粧品メーカーのOEM生産が始まり、化粧品とのセット販売も行われ、従来の熊野筆の化粧筆製造技術に欧米のものも取り入れるなど技術革新に努めた。1970年度のデータでは毛筆がほぼ国内で流通しているのに対し刷毛類(化粧筆)・画筆は6割近くが海外、主に北米市場へ輸出されていた。

 しかしこうした順調な流れも1971年ニクソン・ショック以降の不況によりストップがかかることになる。いくつかの企業ではニクソン・ショック以降赤字に転落したと証言している。

 1981年度のデータでは、化粧筆が伸びていたものの、画筆は横ばい、工業用刷毛はポリ容器油差しの普及により減少している。1985年プラザ合意後の円高進行は熊野筆企業の海外進出に拍車をかけることになる。現在化粧筆世界トップシェアの白鳳堂にとっては1995年にカナダの化粧品メーカーであるM・A・CとのOEM契約が転機になったという。

 こうした中でまず海外で化粧筆の品質が認められることになり、ハリウッドセレブ御用達、あるいはパリコレのメイクアップアーティストが認めた筆、と謳われるようになった。これに1990年代後半から国内メディアで熊野の化粧筆が取り上げられ始め、同じ頃美容ブームやメーク専門女性誌が創刊されたことにより注目され始めた。そして2011年なでしこジャパンへの国民栄誉賞記念品として取り上げられたことで国内での知名度が一気に上がることになった。

*Wikipedia より

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<都市の異名> 酒都

2022-10-16 09:18:22 | 都市の異名

 「酒都 西条」

 酒どころ1 酒都・西条 未来を醸す 2022/02/23 05:00 読売新聞オンライン 地域版New門
 酒都・西条(東広島市)は、灘(兵庫県)、伏見(京都府)と並んで「日本三大酒どころ」と称される。新型コロナウイルスの感染対策「まん延防止等重点措置」が適用され、酒宴の機会が減り、酒都は、苦境に立つが、酒造シーズン真っただ中の各蔵元は、技と伝統を受け継ぎ、銘酒造りに励んでいる。西条が「酒どころ」として発展を遂げた歴史と、将来を見据えた取り組みなどをたどる。

 昨年11月5日、東広島市など県内の映画館で酒造りをテーマにした作品の先行上映が始まった。現在は全国各地で上映されている。

 タイトルは「 吟ぎん ずる者たち」。竹原市出身の油谷誠至監督がメガホンを取り、東広島市安芸津町出身で、「吟醸酒の父」と呼ばれる三浦仙三郎(1847~1908年)に光を当てた。

 仙三郎を演じた中村俊介さん、仙三郎ゆかりの酒蔵の養女役を務めた比嘉愛未さんらは、舞台あいさつで広島の酒造りへの思いを語った。

 「軟水」の克服
 広島の酒の仕込み水は、ミネラルが少ない軟水。酒造りには向かず、仙三郎が30歳で酒造を始めた明治初期、酒の質が悪くなるなど困難に直面した。その頃、広島の酒蔵は「灘に負けない酒を」と、技の改良に取り組んでいた。そんな中、研究と実験を重ねた仙三郎は「三浦式軟水醸造法」を開発。酒造の元になる 麹こうじ を低温でじっくりと育てることで、軟水でもしっかりと発酵し、ふくよかな美酒を造れる道を切り開いた。

 この製法は県内の酒蔵に広まって、 杜氏とうじ たちの技を育てた。1907年の全国清酒品評会では、広島の酒は優等1、2位を独占した。

 安芸津町の榊山八幡神社には仙三郎の銅像がある。案内板ではその酒を「 琥珀こはく 色に輝き、滑らかな舌ざわりと、ほんのりとした甘みがある」と記している。

 需要増への歩み
 仙三郎ら造り手の存在に加え、交通網の発展も西条が酒都になったきっかけだ。

 江戸時代、酒造技術が未熟だった関東に比べ、灘や伊丹(兵庫県)など上方の酒は上質で人気が高く、広く流通していた。 廻船かいせん で江戸に運ばれ、「下り酒」と呼ばれていた。一方、安土桃山時代から酒造りの伝統があった京都・伏見は海路から遠く、江戸への出荷は伸びず、交通網が整備された明治期に復権した。

 西条は西国街道の要衝として人々の往来が盛んで、江戸期には大名が宿泊する本陣も置かれた。毎月4日に「西条四日市」が立ち、商いや文化が発達し、豊かな地下水の恵みもあって酒造りが始まった。

 ただ、江戸期にはまだ物資の流通網が 脆弱ぜいじゃく で、西条の酒も全国には届きにくかった。

 劇的に変わったのは、1894年の山陽鉄道(現・JR山陽線)開通だ。大量輸送が可能になり、鉄道延伸で販路が拡大した。更に、呉の海軍鎮守府、広島の陸軍第5師団の設置に伴い、酒の需要が伸び、西条はその供給地となっていった。

 国産ウイスキーの父も
 この地の酒造りのDNAは、国産ウイスキーにもつながっていく。

 東広島市と隣り合う竹原市には、NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝(1894~1979年)の生家・竹鶴酒造がある。政孝の父・敬次郎は、仙三郎らと酒の改良にも精力的に携わり、酒造りへの礎を築いていった。

 熱意を間近で見ていた政孝は英国留学を経てサントリーの創業者・鳥井信治郎が営んだ「寿屋」の醸造所長に就任。「大日本果汁」(ニッカウヰスキー)を起こし、「ウイスキーの父」となった。

 酒都に発展していった西条。どんな銘酒がそろっているのだろうか。(石田仁史)

 西条の酒造りは、江戸初期までに整備された「西国街道」の宿駅が置かれて以降に始まったとされる。京都と下関(山口県)を結ぶ街道は1700年代半ばからは参勤交代にも使われ、県内には9宿駅があった。「西条四日市」には広島藩の本陣(大名らの宿泊所)が設けられ、現在、酒蔵通りには「御茶屋跡」と呼ばれる本陣の表御門が復元されている。

 商家や 旅籠はたご が増え、幕末の1865年に記された「宿駅四日市町並絵図」には160軒を超える家屋がある。その頃から酒造業者が次第に増加。三浦仙三郎の軟水醸造法に加え、東広島市の精米機メーカー「サタケ」の創業者・佐竹利市(1863~1958年)が開発した動力式精米機も安定した酒造りを可能にし、西条では今や、社名が躍るレンガ製煙突のある7社が〈酒都〉を形作る。

*https://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/feature/CO047372/20220222-OYTAT50055/ より

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<都市の異名> 酒の都

2022-10-15 07:45:19 | 都市の異名

 「酒の都 西宮」

 灘五郷を指して「酒の都」と呼ばれたりもするが、「西宮」という自治体を指す。といっても、それほど使用されてはいない。

 西宮市のHPにある「酒都西宮と新酒番船」や、環境学習都市にしのみやエココミュニティ掲示板で散見される程度。

 https://www.nishi.or.jp/bunka/rekishitobunkazai/mukashiphoto/shinshubansen.html

 http://info.leaf.or.jp/information/history_culture/item2.html

 

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