いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<伝統野菜> 神奈川 三浦大根

2022-03-08 07:45:04 | 東京五輪延期

 「三浦大根」

【生産地】三浦市、横須賀市

【特徴】首の部分が細くて中太り型の白首大根。長さは60cm程度、重さは3㎏から、大きいものは8㎏にもなる。首まで土の中で育つ中太り型のため、抜き取り作業は重労働。

【食味】肉質は緻密でやわらかく、甘みがあって煮崩れしにくいため煮物、おでんによく合う。また、ポリポリとした歯切れのよさから、なますの材料にも適している。

【来歴】三浦半島では江戸時代(1812年頃)より栽培されており、大正14(1925)年に「三浦大根」と正式に命名された。関東を中心に冬大根として人気があったが、昭和54(1979)年にやってきた大型台風20号により大きな被害を受け、これを機会に、甘くて収穫しやすい青首大根の栽培が盛んになり、三浦大根は衰退していった。

しかし、栽培が減少した今でもその人気は衰えず、年末になると三浦大根を求めて遠方からやってくる人も多いという。現在、大田市場でせりが行われるのは12月中の一日のみで、年末の市場の風物詩となっている。

【時期】12月

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d14-%e7%a5%9e%e5%a5%88%e5%b7%9d%e7%9c%8c/#i-6 より

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<日本酒> X3亜麻色 純米原酒

2022-03-06 08:05:34 | 東京五輪延期

 KuraMaster 2021年度 純米酒部門 プラチナ賞 30/45 「X3亜麻色 純米原酒」

酒のタイプ 原酒
アルコール度数 15 %
日本酒度 -24
米の品種1 Menkoina 100%

 株式会社モトックス 大阪府東大阪市小阪本町1丁目6番20号

 モトックスは食品や飲料の取扱いを通じて、皆様の豊かな食文化や食生活の向上に取り組んでいきます。“Serviceable Company”を実現するために、“個人の成長”“会社の発展”“社会に貢献”を理念として掲げています。

 金紋秋田酒造 株式会社 秋田県大仙市藤木字西八圭34-2
1939年創業。地酒の特徴を大切にしつつ、さらに新たな酒を開発することに情熱を注いでいます。インターナショナル・ワイン・チャレンジで6年連続受賞。既存の概念にとらわれない酒造りで世界からも注目が集まる蔵元です。

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伊勢丹FOODIEが選ぶ「愛される食品100」 098 佐助ボンレスハム〈ワールドミートバル ニッシン〉

2022-01-29 08:24:58 | 東京五輪延期

 「098  佐助ボンレスハム〈ワールドミートバル ニッシン〉」

しっとり、ふわっとおいしさ広がる

岩手県の久慈ファームで飼育された「折爪三元豚」の大判ボンレスハム。しっとりとした肉質で、火を通さずにそのまま食べると口の中で脂がほどよく溶け、肉のコクが楽しめます。贈答用にもぜひ。

120g/1パック 1,080円 約200パック/月
[フレッシュマーケット]
※価格変更の為、テキストを修正いたしました。2022年1月10日

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伊勢丹FOODIEが選ぶ「愛される食品100」 078 有機本格仕込み 三州味醂〈角谷文治郎商店〉

2021-12-30 07:53:34 | 東京五輪延期

 「078 有機本格仕込み 三州味醂〈角谷文治郎商店〉」

自然の生態系の中で栽培された国内産の有機米を原料に、「米一升・みりん一升」という200余年本場三河の伝統的な醸造法で造りました。 創業以来みりん一筋の蔵で育まれた有機三州味醂は、お米の自然な甘さ・旨み・香り豊かな味わいです。

 (株)角谷文治郎商店 愛知県碧南市西浜町6-3

 ごあいさつ
 もち米のおいしさを、「醸造」という日本の伝統的な技のみで引き出したのが本格みりんです。 ご飯を口に含んで噛むほどに甘さが増し、おいしさが伝わります。 しかし、このとき感じ取る旨みは、お米のおいしさのほんの一部に過ぎないのです。 お腹に入って2・3時間後には、米デンプンはブドウ糖に、米タンパクは、アミノ酸に消化されて初めて栄養として体に吸収されるのです。 このお米のおいしさを「米こうじ」の力を借りて、一年以上の醸造期間をかけて丸ごと表に引き出したのがみりんです。 私たちが意識していなかったお米の味わい・おいしさがあるのです。

 米は、日本の気候・風土に最適な穀物であり、南から北の果てまで栽培されている自給穀物です。 しかし、食料だけの評価でいいのでしょうか。 四季の移り変わりを田園風景で楽しみ、灼熱の太陽の下、満々と溜められた水、緑に覆われた大地は、急激な気象変化を緩和して、快適な生活空間を保全してくれています。

 この環境効果に対して、生活者は、国はどれだけの費用負担をしてきたのでしょうか。 かつて水と空気は無償で入手できるとされましたが、高価な浄水器を蛇口に取り付け、部屋には空気清浄機をかけています。 さらに、太陽もまともに浴びることができなくなって、女性のUVカット化粧品の氾濫、車や住宅のUVカットガラスの普及等自然環境の悪化に費用負担を強いられています。

 わが国は、急速に工業化が進展し、自動化、合理化され、さらに電子機器の発達がありシステム化されて高品質の製品作りと、コストダウンに成功しました。 しかし、農業における生産性の向上、コストダウンはどこまで可能でしょうか。 日照時間が延びれば、成長が持続します。 農地を二層・三層にできるのであれば二倍・三倍はできるでしょう。 お日様の動きを止めることはできません。 表面の土だけで作物が育つのではなく、地下水、日差しを受けて成長します。難しいのです。

 収量を増やし、成長を促進する為の肥料という「栄養剤」、せっかく豊かにおいしく実った作物を虫に横取りされないよう防御する為の農薬がともに敬遠されるようになりました。 生産性・歩留まり向上の術が農業では難しいのです。

 工業化が著しく発達した国土の中で、日本農業の発展、共存は大変な労苦が伴います。 それを受け止める政治、行政の関わり方を変えるべきです。 食料としての農産物だけでなく、生育過程のCO2吸収、諸々の環境効果を念頭に、農林水産省、環境省が一体となって臨むべきです。 消費者自身も、身近な田園風景によって支えられている生活空間であるならば、そこで収穫されたものを環境費用込みで購入すべきです。 農業生産に伴う環境保全・向上効果に対し、食料費に環境貢献費用を加算して評価し、購入すべきです。

 お茶碗一杯のご飯を頂くと、一抱えの田んぼのみどりを支えることができます。 誰でもいつでもすぐに環境貢献、向上に参加できます。

 私自身も、日本のお米のおいしさを、「みりん」に託して広め、合わせて環境保全、向上に邁進してまいります。

 三州三河みりん醸造元 (株)角谷文治郎商店 代表取締役 角 谷 利 夫

こだわりの有機本格仕込み

100年以上、みりん造りを専業とする蔵元の有機本格仕込み。原材料は有機もち米、有機米麹、有機米焼酎のみ。自然食志向の方だけでなく多くの食通に支持されている風味です。

500ml 1,144円 約40本/月
[シェフズセレクション]

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<The Wonder 500> ものづくり 091 極上 七角 縞黒檀

2021-12-02 07:12:34 | 東京五輪延期

 「091 極上 七角 縞黒檀」

持つ指の形状に合わせた多角形に、手作りされた箸。
機械では困難な高度な手作業を要する七角等を削る技術や、

非常に細い喰先(先端部)まで削り上げる技術が駆使されている。

 (有)大黒屋 東京都墨田区東向島2丁目3−6
 江戸木箸は厳選された銘木(黒檀、柴檀、鉄木、つげ、楓等)を素材として、木そのものの良さを生かした箸です。江戸木箸は使い易さを求めてつまみ易く握りの良い機能性とデザインを追及し手仕上げされています。手の感覚は人それぞれ異なるため(長さ、太さ、重さより)自分の手に合った箸を巾広く選べる処に江戸木箸の奥深い魅力が隠されております。

*https://machidokoro.com/lineup/tradition/%E4%B8%83%E8%A7%92-%E5%89%8A%E3%82%8A%E7%AE%B8-%E6%A5%B5%E4%B8%8A%E7%B8%9E%E9%BB%92%E6%AA%80 より

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伊勢丹FOODIEが選ぶ「愛される食品100」 048 ハッロングロットル(ストロベリー)〈フィーカ〉

2021-11-29 07:46:57 | 東京五輪延期

 「 048 ハッロングロットル(ストロベリー)〈フィーカ〉」

*https://omiyadata.com/jp/souvenir/fika-hallongrottor-strawberry/ より

素朴でかわいい北欧の定番菓子

バターたっぷりの生地に、ストロベリージャムを詰めて焼いたクッキー。どこか懐かしさを感じる北欧の定番お菓子です。口の中でほろっとくずれ、ほのかな酸味が広がる素朴なおいしさが魅力。

10枚入/1箱 1,080円 約3,300箱/月
[カフェ エ シュクレ]

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伊勢丹FOODIEが選ぶ「愛される食品100」 044 酒種あんぱん(小倉・桜)〈銀座木村家〉

2021-11-25 08:37:40 | 東京五輪延期

 「 044  酒種あんぱん(小倉・桜)〈銀座木村家〉」

北海道産の小豆を使用した「つぶ餡」の美味しさを、伝統の酒種生地で存分に味わって頂きたい一品です。
明治7年発売

八重桜の塩漬けと北海道産の小豆を使用した「こし餡」が、伝統の酒種生地に絶妙に溶け合います。
明治8年、明治天皇へ献上したことで、あんぱんを世に広めるきっかけとなりました。

 株式会社 木村屋總本店 東京都江東区有明1-6-18

 銀座木村家のあんぱん
 なぜか、懐かしい。ふしぎに、あたたかい。
 銀座木村家のあんぱんの秘密は日本人になじみの深い『酒種(さかだね)』生地にあります。140余年前にイースト菌ではなく酒の酵母から、日本で初めてつくられた新しいおいしさ。以来、その確かな技術と伝統は、そのまま今日の製品づくりに生かされております。

 酒種(さかだね)あんぱん4つのこだわり

 一酒種酵母
 代々守り受け継ぐ酒種
 明治7年に開発された酒種(さかだね)あんぱんを受け継いで140年以上、酒種発酵種は代々酒種を守る種師に受け継がれてきております。酒種は米、麹、水から出来ており、あんぱんに最適な材料とは何か。工程とは何か。酒種をどのように伝承していくのか、社内で数名集って酒種伝承会議を開催して産地、品種等の原材料の選定から作り方まで、常に試作と試食を繰り返し、もっともおいしいあんぱんを探求し続けております。 酒種とは米と麹と水から作られた発酵種です。正式には酒種酵母菌のことを言い、米食文化である日本独特の酵母です。日本では古来から、日本酒を造る時の発酵源として使われています。

 イーストとの違い
 イーストも酒種も同じ酵母と言う仲間ですが、増殖するために栄養源として食べるものが違います。一般に市販されているイーストは、砂糖を製造する過程でできる糖蜜を栄養源として化学的に管理された機械ラインで大量に製造されます。一方、上記のように米と麹と水から作られた発酵種である酒種は米を栄養源とし、空気と水のきれいな所で自然の中より酵母菌を採取し、麹を手助けとして日数をかけて増殖します。酒種は簡便性に於いてはイーストには劣りますが、風味の点においては優れています。ただし自家製造のため、特別な環境・場所が必要であり、しかも酒種の管理は難しく、勘・コツ・経験が必要になります。

 ニ生地
 あんぱんに最適な生地
 小麦粉は酒種あんぱんに最適な仕様に調合した小麦粉を製粉所に挽いてもらって使用しています。挽砕ごとに小麦粉の品質を確認してあんぱんの品質にブレが発生しないように取り組んでいます。 生地の発酵管理があんぱんの品質に影響を与えます。 酒種あんぱんの生地は温度は0.1℃、湿度は1%の精度で発酵状態を管理しています。職人は生地を触ると、その精度(0.1℃、1%の調整)で生地の状態を見極めて調整しています。

 三小豆
 厳選した国産あずき
 小豆は北海道の十勝周辺で採れた厳選した小豆を使用しています。
銀座木村家独特の豆煮の方法で炊き上げられたあんは独特の小豆の風味とコクがあります。あんを食べると糖度が高く甘く感じますが、あんぱんとして食べると上品な味わいになります。
 四桜の塩漬け
 桜の塩漬け
 酒種桜あんぱんのへそに埋める桜の花びらは一年間味が変わらないように梅酢で漬け込んだ後、一つ一つ手でつんで、塩に漬けて仕上げています。

ふっくら。懐かしい味わいにホッ

懐かしくやさしい味わいの秘密は、イースト菌ではなく酒の酵母「酒種」生地で作られているから。十勝産小豆を使った粒餡の「小倉」と、こし餡に八重桜の塩漬けがアクセントの「桜」。

各1個 各171円 約840個/月
※掲載商品とは内容量が異なります
[デリ エ ブーランジュリー]

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<梨> 君塚早生

2021-10-04 07:21:29 | 東京五輪延期

 「君塚早生」

■君塚早生とは?

 ●「新幸蔵」×「独逸」
君塚早生は千葉県木更津市において君塚氏が「新幸蔵」に「独逸」を交配して生まれた実生から育成したものとされ、1940年に発表されました。

後にこの品種を親としていくつかの品種が生まれています。

「新水」(「君塚早生」×「菊水」)

「長寿」(「君塚早生」×「旭」)

「早玉」(君塚早生」×「祇園」)

●君塚早生の特徴
君塚早生はやや小玉傾向にあるとされ、糖度は12度前後となっています。

今回入手したものは岐阜県産の物で、大きさは1個500gもある大きなものでした。

形は写真の通りかなり扁平で、果肉は白く、ジューシーですが甘味は薄く、酸味もほとんどないので、全体としての印象は水っぽい感じです。近年の一般的な梨がとても甘いので、全く物足りなさを感じました。

■主な産地と旬
●君塚早生の主な産地と生産量
現在ではこの品種を商業ベースで栽培しているところは無いのではないでしょうか。ここの農園で数本単位で栽培されている程度だと思われます。

●君塚早生の収穫時期と旬
8月上旬に成熟する早生品種で、収穫は8月初旬頃から中旬頃までとなります。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/nashi-Kimizuka.htm より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 沖縄 読谷山ミンサー

2021-08-24 20:22:07 | 東京五輪延期

 「読谷山ミンサー」

 Description / 特徴・産地

 読谷山ミンサーとは?
 読谷山ミンサー(よみたんざんみんさー)は、沖縄県中頭郡読谷村周辺で作られている織物です。ミンは綿、サーは狭い帯という意味で、沖縄各地では古くからこのような細帯が織られており、基本は幅10cmほどの藍染の帯ですが、地域によって技法や模様が異なります。読谷山ミンサーは「グーシ花織(はなおり)」と呼ばれ、竹ぐしで浮かしたい模様の部分の経糸(たていと)を拾いながら紋を作るグーシバナ技法で作られる紋織物の一種です。
 読谷山ミンサーの特徴は、先染めの木綿糸を使ったたてうね織りの紋織物であることや、南国特有の鮮やかな色彩、「紋棒」又は「花綜絖(はなそうこう)」を用いて作られる浮き出た模様です。模様にはグシバナや綜絖花(そうこうはな)、手括り(てくくり)で作られる絣などがあり、これらに縞模様などを加えて織りあげます。
 読谷山ミンサーに使われるのは、琉球藍やフクギ、車輪梅(しゃりんばい/テカチ)など、自生している植物の染料が中心です。

 History / 歴史
 読谷山ミンサー - 歴史
 読谷山ミンサーは読谷山花織(よみたんざんはなおり)と同じ頃に織られるようになったと考えられています。琉球は古くから中国や東南アジア諸国との交易が盛んでした。読谷山ミンサーや読谷山花織のもとになった絣や浮織の技法も、15世紀頃にそれらの国との交易品とともに伝来したといわれています。
 琉球で綿の栽培が始まったのは1611年(慶長16年)、薩摩から儀間真常が持ち帰ってからです。耕作面積が小さく収穫量も少ないことから、貴重なものとして主に女性達が思いを込めて家族や恋人に送った細帯などに使われてきたのが始まりと言われています。
 明治時代中期に読谷山ミンサーの生産は一時途絶えてしまいます。その後、ほとんど幻のようになっていた読谷山ミンサーや読谷山花織は、残っていた祭り衣装やお年寄りの話をもとに1964年(昭和39年)頃より約10年の歳月をかけ、染織家の与那峯貞ら、村の人々によって蘇りました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yomitanzanminsa/ より

 花や縞の柄が一面に浮き出したミンサーは、花織で知られる読谷山らしい細帯
 藍染めが基本だが、今では色とりどりのものが作られている。読谷山で染色を手がけている新垣さんにこれまでの歩みをきいた。

 
 沖縄の各地で織られている伝統の帯
 ミンサーの「ミン」は木綿、「サー」は狭いを意味している。この細帯は、読谷山のほか、首里、八重山、与那国と、沖縄のいくつかの地方で今も織られている。藍染めで幅10センチほどのものが基本だが、土地によって模様や技法が少しずつ異なる。
 読谷山のものは、紺地に花や縞の柄が浮き出ている。竹串を使って経糸(たていと)をひろいながら紋を作る「グーシバナ」という技法だ。東南アジアの紋織りの影響が強い。琉球王国時代に広まり、明治時代には途絶えたが、花織とともに現在は復活している。
 沖縄では織物にたずさわる人は女性が圧倒的に多い。その中で、染めだけは男性が担当していることが少なくない。ミンサーと花織の染色を27年にわたって続けている新垣隆さんにお話をきいた。


 復活への険しい道を歩んだ読谷山の染織
 大学を卒業して間もないころ、新垣さんはミンサーも花織も知らなかった。どちらも絶滅寸前で、お年よりの記憶にかすかに残っているくらいにまで衰退していたのだ。読谷村が復興に取り組み始めたのは1964年。当時は高度成長の真っ只中だった。大量生産の時代になぜ手織りを守らなくてはいけないのか、という声は強く、道はけわしかった。織り機も満足になければ、染めの知識を持っている人もいない。大学で化学を専攻していた新垣さんに白羽の矢が立った。
 「私が始めたのは昭和48年です。化学をやっていたから、染料と媒染剤がどんな化学反応を起こしてなぜこの色が出るのか、といったことが理解できたんです」
 経験や勘だけでなく理論を知ってる新垣さんの存在は、回りの人にも頼もしかったにちがいない。
 それでも苦労は絶えなかった。頭では分っていても、大量の糸を一度に染めるとなると、要領がつかめない。奮闘するうちに糸がぐちゃぐちゃになり、織る人から「この糸では糸繰りができません」と言われたこともあった。

 今や製作が追い付かないほどの人気
 製品が売れないことも悩みの種だった。問屋との付き合いもないし、どこへ持っていけばいいのかわからなかった。
 綿から絹に重点を移したり、帯の柄を工夫したりして、消費者の好みを探った。色物も増やしていった。沖縄では昔、首里の士族のみが色物を着ることができた。庶民は黒と紺しか許されなかった。ミンサーも花織の着物も紺が基本である。展示会でお客の声に耳を澄まし、いろいろな色を染めるようになった。
 手織りを守り続け、さまざまな努力が実った結果、今では製作が追い付かないほどになった。
 「全国で伝統工芸が後退していく中、徐々に、堅実ではあるが伸びていっているのがうれしいですね。去年は組合で1億3千万円の売り上げがありました。村内には三カ所の地域工房があって、みんなが利用しています。産地がまとまっているのがよいのでしょう」
 後継者も順調に育っていて、新しい作品が次々と生まれている。

 職人プロフィール

 新垣隆 (しんがきたかし)

 1949年生まれ。読谷山花織事業協同組合理事長。後進を育てながら染色に取り組んでいる。

 こぼれ話

 身近なところで新たな染材を見つけたい

 読谷山では、草木染めを行っています。深い紺色は琉球藍で染めます。黄色はフクギの木の皮を、茶色はテカチ(車輪梅)の幹を割ったものを、それぞれ大鍋で煎じます。染液に糸をひたして、きれいな色になるまで繰り返し染めます。ほかには茶色が出るグール(オキナワサルトリイバラ)や、ベージュになるシイの木を使います。鉄、石灰など、何で媒染するかによって染まる色は変わってきます。
 染色の材料は自生しているものを使います。先日は読谷山花織事業協同組合の組合員約100名が集まって、山にグールを掘りにいきました。一年分をまとめて採取します。グールは芋のようなもので、乾燥すると使えなくなるので、地中に埋めて保存します。
 30年近い経験を積んだ新垣さんは、まだまだやりたいことがいくつもあるようです。
 「伝統工芸の色は、やはり地元のものを使うのがいいと思うんです。草木はほとんどみんなやっていますから、別のものに挑戦したい」読谷の特産品の紅芋や、近くの海でとれる海草などが使えないかと考えています。

*https://kougeihin.jp/craft/0129/ より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 沖縄 宮古上布

2021-08-24 19:51:49 | 東京五輪延期

 「宮古上布」

 Description / 特徴・産地

 宮古上布とは?
 宮古上布(みやこじょうふ)は、沖縄県宮古島で作られている織物です。苧麻(ちょま)という麻の繊維で作った糸で織られる麻織物で、琉球藍で染めて作られます。
 宮古上布の特徴は細い糸で織られる精緻な絣模様とロウを引いたような光沢のある滑らかな風合いです。苧麻の繊維を1本1本手で裂いて作った細い糸で作られるため、通気性に富んでいて、三代物と呼ばれるほど丈夫で長持ちします。
 イラクサ科の多年草である苧麻は古くから沖縄地方に自生する植物で、40日ほどで生育し、宮古島では年5回ほど収穫可能です。糸を積むところから始まり1つの反物が織り上がるまで、数年かかることも珍しくありません。
 「括染め」(くくりぞめ)によって何度も琉球藍を染め重ねた糸を経糸に1,120本余も使い、3カ月以上かけて細かい白い絣模様の中に亀甲や花柄の模様が浮かび上がる布が織り上がります。最後の「砧打ち」(きぬたうち)によって、宮古上布独特の光沢と柔らかさが生まれます。
 日本の四大上布の一つに数えられ、藍染の麻織物の最高級品として重要無形文化財に指定されています。

 History / 歴史
 宮古上布 - 歴史
 宮古島地方では、15世紀頃から苧麻を使った麻織物が織られていたと考えられています。
 今から400年ほど前に、琉球から明へ向かう貢物を乗せた船が台風で沈没しそうになった際、宮古島の男が荒れる海に飛び込んで船を修復し乗組員の命を救いました。琉球の国王が功績を称えてこの男を問切坊主に取り立てます。これを喜んだ男の妻が献上した麻の織物が宮古上布の始まりとされています。この後約20年以上にわたり、宮古上布は琉球王府へ献上されました。
 1609年(慶長14年)に琉球が薩摩の支配下になり、1637年から人頭税が課せられるようになると、女性には宮古上布を貢布として納付することが義務付けられます。役人の厳重な監督のもとで作られた精緻な宮古上布は、麻織物の最高級品として薩摩上布という名前で広く知られるようになります。やがて人頭税が廃止されると、品質が落ちるのを防ぐために織物組合が組織され品質の保持に努めるようになり、生産量の最盛期は大正時代から昭和の初期にかけてです。
 太平洋戦争後、沖縄がアメリカの支配下になると宮古上布は衰退します。現在では伝統技術継承のため後継者の育成に力を入れています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/miyakojofu/ より

 究極の手仕事が生むしなやかな夏の着物
 手で績んだ糸で織る濃紺の宮古上布は、日本四大上布のひとつとされ、夏の着物の最高級品として、また稀少品として、着物好きの人たちのあこがれになっている。30数年、織り続けてきた平良清子さんにお話をきいた。

 
 わずか1ミリの絣をあわせながら織る
 指をすべらせると、麻とは思えないなめらかさだった。濃紺の布にはしっとりと品のいいつやが出ている。手績みの細い糸を使い、仕上げに「砧打ち」をする宮古上布ならではの手触りである。品の良さの秘密は、細かな絣(かすり)模様にもあった。沖縄のほかの織物は線で柄を作ることが多いが、宮古上布は点描のような手法を使う。白い小さな十文字(十字絣)を無数に織り込んで、紺色の柄を浮き上がらせる。しかも総絣といって、花、亀甲、銭玉などの柄を布全体に繰り返し入れるのが特色だ。
 平良清子さんに織るところを見せてもらった。ふつうの機織りとはリズムがちがう。パッタンパッタンしばらく織ると、手をとめて布の上に身をかがめている。のぞきこむと、針で糸を1本1本すくって白い絣模様のズレを直しているのだった。
 藍で染めた糸には、わずか1ミリほどの白い部分がある。経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の白い部分を交差させると十文字ができる。この十文字で模様を描いていくわけだが、織っているとどうしてもズレが出るので、ときどき修正する。気の遠くなりそうな細かい作業である。


 女の子が生まれると喜ばれた
 普通の人は一日に数センチ、熟練した人でも20センチくらいしか進めない。一反織るのに3カ月かかる。糸は細く切れやすいので、針ですくうときはとくに注意が必要だ。
 「始めたころは目が疲れて、夜寝る前にポロポロ涙が出て止まらなかったですよ。」という平良さんは、20代後半のとき機織りを始めた。母親も染めと織りをやっていたし、近所の人もみんなやっていたから、自然な成り行きだったという。
 かつて宮古上布は、さとうきび、鰹節と並ぶ島の三大産業のひとつだった。織り手になる女の子が生まれると喜ばれ、手先の器用な子には、食事の支度も洗濯もさせないで織りに集中させた。女の子が二人か三人いれば赤瓦の立派な家が建ったという。現在は年間約30反の生産量なのに対し、昭和10年代の最盛期には年間1万5千反が生産されていた。平良さんが始めたのはそれより後の時代だが、織っている人はまだたくさんいた。


 一人で織る自信をくれたのは台風だった
 最初は、第一人者だった下地恵康さんの工房に通った。切れやすい糸の扱いに慣れるだけでも何年もかかる。当時の指導は厳しく、背中をたたかれながら覚えていった。三年たったころ、大きな台風が島を襲った。工房のトタン屋根は吹き飛ばされ、せっかく織り進んでいた反物が雨にぬれてしまった。仕方なく家に持って帰り、隣のおばさんや母親に手伝ってもらい、乾かして、巻き直して、また織った。
 「たいへんでしたけど、織り上がったときは自信を持ちました。自分でも何とかできるかなと。それからは家で織りました。これしか仕事がないからなのか、好きなのかわからないけど、機から離れたことは一度もありません。」
 その間に三人の男の子を育て上げた。母親が機織りをしていると、子供は不思議と非行に走らないという。


 90歳になってもまだまだ現役
 宮古上布に使われる糸は、経験豊富なお年寄りが績んでいて、質がよいことで知られている。
 「いい糸を機に乗せて織り始めるときはうれしく感じます。きれいな模様ができると、ひと安心です。」
逆にうまくいかないと、あれこれ後悔して夜も眠れない。
 「仕上げてホッとする気持ちは、やっている人にしかわからないと思いますよ。20年後?ここでは90になるオバアも織ってますからね。」と平良さんはほがらかに笑った。

 職人プロフィール

 平良清子 (たいらきよこ)

 1938年生まれ。染めと織りに取り組むとともに、宮古織物事業協同組合で後継者の育成に力を注いでいる。

 こぼれ話

 元気なお年よりが支える宮古上布

 宮古上布には細くて均質な糸が使われます。そんな上等の糸を績んでいるのは、80歳以上のおばあちゃんたちです。
 苧麻(ちょま、宮古の言葉ではブー)を栽培し、茎から繊維をとる作業を担当している友利千代さん(83)を訪ねました。家の裏庭が苧麻の畑になっています。肥料はヤギのふんの堆肥。化学肥料は使いません。堆肥作りのために3匹のヤギを飼っています。えさにする草は、農薬がかかっていない海沿いの野原まで刈りにいくそうです。
 友利さんはびっくりするほど元気で、力のいる仕事もみんな一人でやってしまいます。苧麻は背丈より高くなるころに刈り取り、アワビの貝殻で茎の皮をしごいて繊維をとります。乾燥させて、次の作業をする人に渡します。
 繊維から糸を績む人も、80代、90代のおばあちゃんばかりです。繊維を爪で細く裂いて、より合わせてつなぎ、1本の糸にします。
 機織りにも、速くきれいに織れる80代の名人たちがいます。上布にたずさわるお年よりは、病院にいくことが少なく、ボケることもないそうです。彼女たちが培ってきた技術を伝える後継者の育成が今、進められています。

*https://kougeihin.jp/craft/0127/ より

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