いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<B級ご当地グルメ> 福島 喜多方ラーメン

2024-06-09 09:02:11 | B級ご当地グルメ

 「喜多方ラーメン」

 喜多方ラーメン(きたかたラーメン)とは、福島県喜多方市発祥のご当地ラーメン(ご当地グルメ)である。

 2006年(平成18年)1月の市町村合併前の旧喜多方市では、人口37,000人あまりに対し120軒ほどのラーメン店があり、対人口比の店舗数では日本一であった。札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられている。

 特徴
 スープは醤油味の透明な豚骨スープが基本で、あっさりした味わいである。豚骨のベースと煮干しのベースを別々に作り、それらをブレンドしたものを提供する店もある。醤油味がベースだが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別である。 麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、幅は約4mmの太麺で、切刃番手は12番および14番が使われる。独特の縮れがあり、食感は柔らかい。具はチャーシューを大き目(または多量)にのせるのが特徴だが、ねぎ、メンマ、なるとなど一般的な構成である。

 否定派からはインパクトや特徴が無いという声もあり、良くも悪くもオーソドックスなタイプのラーメンである。

 歴史
 1927年(昭和2年)、「源来軒」創業者の潘欽星/藩欽星(ばん きんせい)(1905年~1994年)が、中華麺に近い「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが原点である[5]。その味は市民生活に浸透していくこととなった。潘は中国・浙江省出身で、大正末に日本で働こうと渡航してきて、喜多方で中華麺の製造・販売を始めた。

 その後、潘の「楽天支那そば」作りのノウハウを継承する人間が増え始め、「満古登(まこと)食堂」「坂内(ばんない)食堂」など市内の多くの「食堂」が「支那そば(中華そば)」をメニューに出すようになった。このような流れから、現在も市内の多くのラーメン店が「○○食堂」という屋号を使っている。

 喜多方市の観光の原点は「蔵」から始まる。市内の写真館「金田写真荘」の金田実が四季を通して蔵の写真を500枚ほど撮り、その写真展を東京で開催したことで「蔵のまち喜多方」が浸透した。そのような流れの中、1975年(昭和50年)NHKが『新日本紀行』で、蔵と人々をテーマにした「蔵ずまいの町 福島県・喜多方市」を放送したことで、喜多方を訪れる観光客が年間5万人から1983年(昭和58年)には20万人に急増した。

 一方で観光収益の増大のためには、観光客の滞在時間の増加が課題となっていた。1982年(昭和57年)頃、市の商工観光課の職員は、団体の観光客の滞在時間増加を図るため、団体客のための昼食場所を探し始めたが、市内の日本料理屋には団体客を受け入れるスペースなどがないことから、ラーメン店に目をつけ、団体客用の昼食場所として観光業者に紹介を行った。

 市が紹介したラーメン店は「まこと食堂」であったが、1杯数百円の安い値段の店を昼食場所に紹介することに一抹の不安もあったことから、民放の関係者を「まこと食堂」に連れて行き、意見を聞いたところ「まこと食堂」のラーメンが特徴的であるとのことから、民放のテレビ番組に取り上げられることとなった。1983年には福島県観光連盟の仲介で、日本交通公社(現JTB)の雑誌『るるぶ』で観光宣伝を仕掛け、PR記事の1ページ分に喜多方ラーメンが紹介され、更に、NHKなどでも取り上げられたことから、喜多方ラーメンが全国的によく知られるようになった。

 「まこと食堂」は時代の流れと共に後継者がいなく2023年9月末日にて閉店した。

 老麺会

 1987年(昭和62年)、喜多方ラーメンがブームとなり一定の知名度を確立したことを受け、食堂(ラーメン店)・製麺業者・市・商工会議所が参加した、ラーメン関係業種懇談会が開催された。同会にて、ラーメン店のレベルアップ、伝統(太麺、平打ち、縮れ麺)の継承等を目的として「ラーメン会」の組織立ち上げが検討され、1987年3月4日、喜多方市の観光PRの一環として同業者団体「蔵のまち喜多方 老麺会(くらのまちきたかた らーめんかい)」が発足した。発足当時は任意団体であったが、活動の強化を図るため、2005年(平成17年)8月に協同組合へと組織変更されている。

 喜多方市内(駅前、市役所、北町、三津谷、上三宮、熱塩加納周辺)に存在する店舗のうち、店先に「蔵のまち喜多方 老麺会」と描かれた紺色のノボリを設置している店舗が「老麺会」に所属している店舗であり、2015年10月時点で45店舗が所属している。

 老麺会では不定期に『老麺会まっぷ』を発行している。これは老麺会に加盟する店舗を地図にまとめたものであり、観光PR用として老麺会に参加する店舗等において無料配布されているほか、老麺会の公式サイトにてPDFファイル形式でダウンロードすることが出来る。

 商標登録を求めた訴訟
 地域ブランド確立のため、老麺会は2006年に創設された地域団体商標制度に基づき、「喜多方ラーメン」の商標登録を目指したものの、特許庁は商標登録を認めないとの審決を行った。これを受けて、老麺会は審決取消しを求めた行政訴訟を提起した。

 しかし、2010年10月に、第1審の知的財産高等裁判所は、老麺会への喜多方市内のラーメン店の加入率が低いこと、喜多方市外でも既に普及している名称であることから、「喜多方ラーメン」が老麺会とその加盟店だけの商品・サービスとして広く認識されているとはいえず、特許庁審決を妥当であると判断し、取消請求を棄却する判決をした。上告受理の申立てを行ったものの、2012年1月31日に最高裁判所第三小法廷が上告不受理決定を行ったことから、老麺会の請求を棄却した知財高裁の判決が確定し、商標登録できないこととなった。

 代表的な店

 喜多方市外に出店している店もある。

 源来軒(喜多方ラーメン発祥の店)
 まこと食堂(喜多方ラーメンとして紹介された最初の店)
 坂内食堂(喜多方ラーメン坂内・小法師の母体店的存在)
 まるや(初代老麺会会長の店)
 喜多方屋(都内初の喜多方ラーメン専門店)
 あづまさ(蔵屋敷 喜多方ラーメンの店)
 観光施設や派生商品
 日本三大ラーメンに数えられる喜多方ラーメンにちなみ、ラーメン館といった喜多方ラーメンの土産店も市内には存在する。持ち帰り調理用ラーメンのほか、せんべいなど近い風味の菓子類などが販売されている。2014年には喜多方ラーメン専用のミュージアム、ラーメンミュージアムが完成。ラーメン神社も併設されている。

 ご当地グルメの喜多方ラーメンバーガーも存在する。これを提供している道の駅喜多の郷ではこのほか、スープで米飯を炊いた「ラーメン丼」、麺を生地にした「ラーメンピザ」などがメニューにある。

*Wikipedia より

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<B級ご当地グルメ> 福島 会津カレー焼きそば

2024-06-08 08:37:05 | B級ご当地グルメ

 「会津カレー焼きそば」

 食物語・会津カレー焼きそば】 ご当地グルメ!豪快な一皿は『青春の味』 2016年10月23日   

 「会津のソウルフード」「30代以上の青春の味」とくれば第一に思い浮かぶのが会津のご当地グルメ、会津カレー焼きそば。カレー味の焼きそばではなく、ソース焼きそばにカレーをかけた見た目にも豪快な料理。衝撃的な外見に目を奪われがちだが、味は格別。焼きそばに絡まるカレーと、キャベツ、モヤシのシャキシャキ感がたまらない。近年になって人気に火が付き、全国区となりつつある。

 ◆給食にも登場

 まずは由来から。話は昭和50年代にさかのぼる。会津若松市に店を構えていた飲食店「トミーフード」(現在は閉店)。スーパーも経営していた当時の店長が、総菜として出していた焼きそばにカレーをかけて食べたところ、おいしかったため商品化した。安くてボリューム満点の料理が若者に受け、市内外の飲食店でメニューに取り入れられた。

 「カレー焼きそばで団体をつくったらどうか」。市内の飲食店に取材に来ていた東京のテレビ番組スタッフの提案がきっかけとなった。カレー焼きそばをメニューに取り入れる市内外の飲食店が協力して、会津の名物料理として全国に発信しようと、2010(平成22)年11月に「会津カレー焼きそばの会」を設立した。

 現在加盟するのは15店舗。店先にのぼり旗を掲げ、加盟店舗マップを作り、全国各地のイベントでPRした。学校給食への導入を実現させ、ギフトセットを発売、公式キャラクター「カレーなるヤキソバ子」を誕生させるなど幅広い活動を展開する。そのかいあってテレビで紹介され、注目度が増した。

 ◆全国から来店

 「全国から客が訪れるようになった」と語るのは発足を呼び掛けた会長の氏家義光さん(71)。同市で飲食店「ラーメン居酒屋 寿楽」を45年経営してきた。「昔はたまに注文があるくらいだったが、今では看板メニューだよ」と笑う。寿楽のカレー焼きそばは、香辛料がピリッときいたカレーとキャベツなど具材たっぷりの焼きそばが特徴で、「絶妙な調和」を生み出している。一度食べたらやみつきになる味だ。

 会津カレー焼きそばの会で注目すべきは会員店舗によって味や使っている具材が違うこと。会が定めるカレー焼きそばは「麺にカレーがかかっていること」といたってシンプル。そのためカツや目玉焼きがのっていたり、麺にパスタを使ったりとバラエティーに富んでいる。

 ◆個性磨き進化

 「まさに青春の味」と語るのは同市で洋食店「DOG HOUSE(ドッグハウス)」を営む堀金光治さん(48)。高校時代、部活動の大会帰りに友達とカレー焼きそばを食べ、空腹を満たした。「ファストフードがない時代。高校生が気軽に腹いっぱい食べられた」と振り返る。洋食店らしく麺にパスタを使った「カレー焼きスパ」を考案し、提供する。「思い出の料理で地域活性化に貢献したい」と意気込む。

 調理場に立つ氏家さんに会の今後の展開を聞いた。「伝統の味を守りながら、新しい挑戦もしていく。活動を通して会津のPRにつなげていけたらいいな」。会員店舗がそれぞれ工夫を重ね、全国的な知名度を得ようとしているカレー焼きそば。「自分に合う一品」を探しに、会津に足を運んでみてはどうか。

 全国的にファン急増中のカレー焼きそば。ラーメン居酒屋 寿楽、DOG HOUSEのカレー焼きスパ。仕上げに焼き目を付けるのがみそ

 ≫≫≫ ひとくち豆知識 ≪≪≪

 【おしゃれな公式キャラ】カレー焼きそばをPRするため、2013(平成25)年に誕生したのがカレーなるヤキソバ子=写真。会津カレー焼きそばの会の公式キャラクターだ。皿に盛られたカレー焼きそばをモチーフにキャベツとニンジンの色をしたアイシャドーを塗り、紅しょうが風のリボンをつけている。県内外のイベントに登場、コミカルな動きで注目を集めている。

 【店の味を家庭で気軽に】会津若松市馬場町の飲食店ラーメン居酒屋 寿楽のカレー焼きそば。家庭でも店の味を楽しめる箱入りの「会津カレー焼きそば 名店『寿楽』」も発売中。同市の鶴ケ城会館や会津ブランド館、湯川村の道の駅あいづ湯川・会津坂下などでも扱っている。営業は午後6時30分からで日曜日が定休。

 【ナポリタンにもかける】会津若松市大町の洋食店DOG HOUSE(ドッグハウス)。店の名物のカレー焼きスパ。ナポリタンに辛さ控えめの特製ビーフカレーをかける。自家製の季節の野菜をふんだんに使用、仕上げにチーズをまぶしガスバーナーで焼き目を付ける。営業時間は昼が午前11時30分~午後2時、夜が午後5時~翌午前1時。

*https://www.minyu-net.com/gourmet/syoku-story/FM20161023-121554.php より

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<B級ご当地グルメ> 福島 塩川鳥モツ

2024-06-07 08:12:39 | B級ご当地グルメ

 「塩川鳥モツ」

 都道府県 福島県
 地域 喜多方市塩川町
 推進団体 塩川鳥モツ伝承会
 概要 「塩川鳥モツ」は、福島県喜多方市塩川町のご当地B級グルメ。鳥皮を煮込んだもので、塩川町では戦後から地元住民に親しまれており、「モツ煮込み」を注文すると、この「鳥皮モツ煮込み」が出されることが多い。
 鳥皮はコラーゲンやビタミンをたっぷり含んでおり、軟らかく歯応えのある感触にリピーターも多い。また、健康や美容によいと女性にも人気のメニューです。

*https://b9navi.com/%e5%a1%a9%e5%b7%9d%e9%b3%a5%e3%83%a2%e3%83%84/ より

 「塩川鳥モツ」が100年フードに認定 掲載日:2024年3月21日更新
 『塩川鳥モツ』が「未来の100年フード部門~目指せ、100年!~」で100年フードに認定されたことを受け、塩川鳥モツ伝承会が認定を報告されました。
 100年フードは、文化庁が地域の歴史や風土で育まれてきた地域特有の食文化、世代を超えて受け継がれてきた食文化を文化財として登録する取り組みです。
 塩川鳥モツ伝承会には、市内6店舗が加盟しており、各店が地元に愛される味を地域の誇りとしてこれからも継承していきます。

 お問い合わせ先 企画政策部 企画調整課 秘書広報室広報広聴係

*https://www.city.kitakata.fukushima.jp/soshiki/kikaku/48243.html より

 喜多方市塩川町で「モツ煮」といえばコレ!!

 モツ煮込みといえば、豚などのホルモンをやわらかく味噌で煮込んだものを想像してしまいますが、喜多方市塩川町の食堂では「モツ定食」を注文すると、この「鳥皮」のモツ煮込みが出てきます。鳥モツはご飯のおかずにも、七味をかけて酒の肴にもピッタリです。店ごとに違う味付けを食べ比べるのも面白いかも。

 お問い合わせ 塩川鳥モツ伝承会
 ホームページ 喜多方観光物産協会

*https://gokujo-aizu.com/areainfo/1434 より

 

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<B級ご当地グルメ> 福島 会津ソースカツ丼

2024-06-06 07:50:44 | B級ご当地グルメ

 「会津ソースカツ丼」

 会津でカツ丼といえばソース味のカツ丼があたり前。
 ソースカツ丼とは戦後、洋食屋さんから広く作られるようになったと言われていますが、その由来はまだ解明されていません…。

 何故会津のカツ丼は醤油味でなくソース味なの?
 会津の人間が「カツ丼」と聞くと、ほかほかごはんの上にサクサクキャベツを敷き、揚げたてカツをオリジナルソースで絡めた『ソースカツ丼』を頭に浮かべて、おなかをぐーっと鳴らすはずです。
では、なぜ会津のソースカツ丼はソースカツ丼なのでしょうか?諸説を紹介しましょう!

 1 大正起源説
 大正、カフェ全盛時代。洋食のコックさんが手軽に作れる賄ということで、残った肉片を当時人気のカツレット(今のカツレツ)にし、鰻の蒲焼きからヒントを得て、甘めのソースで絡めて、食べやすいようにさっと丼に盛ったのが始まりだったとか。

 2 昭和(戦前)起源説
 市内の食堂の店主が新たな味を求めて、東京から洋食のコックを招き、試行錯誤の末ソースカツ丼を生み出し広めていったとか。

 3 昭和(戦後)起源説
 戦後間もない物資が不足していた頃、手軽に食べれる庶民のごちそうを作ろうと考えていた市内の食堂の店主が、東京においしいものを求めて旅に出て、出会ったソースカツ丼をアレンジして、オリジナルソースで煮込んだカツ丼に仕上げたのが始まりとか。

 諸説はいろいろあるものの、お客様においしいものをお腹いっぱい食べて頂きたい!!というガンコな会津の料理人の心は、昔も今も変わらずに、この地に脈々と息づいています。
まずは、地図を片手に美味しい旅に出かけませんか!!

*https://aizu-katudon.com/source_katsu/ より

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<B級ご当地グルメ> 福島 なみえ焼そばまん

2024-06-05 17:34:06 | B級ご当地グルメ

 「なみえ焼そばまん」

 福島県浪江町のご当地グルメ“なみえ焼そば”を中華まんに! 2012年03月06日商品
 「なみえ焼そばまん」を発売!
 〜売上の一部をまちおこし活動の支援金として活用されます〜
 株式会社ファミリーマート(本社:東京都豊島区)は、ファストフードブランド「できたてファミマキッチン」の中華まんから、「なみえ焼そばまん」(税込130円)を、2012年3月6日(火)から、全国のファミリーマート店舗約8,700店にて60万食限定で発売いたします。

 ■福島県浪江町のご当地グルメ“なみえ焼そば”を中華まんの具材に使用しました!

 “なみえ焼そば”は、福島県浪江町で昔から親しまれる極太麺が特徴のご当地グルメです。
 昨年行われたご当地グルメの祭典「B−1グランプリ」では、数多くのエントリーの中からなみえ焼そばを出品した「浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)」が4位入賞も果たしました。
 このたび発売する「なみえ焼きそばまん」は、浪江焼麺太国に監修を頂き、福島県浪江町のご当地グルメ“なみえ焼そば”を中華まんの具材に使用しました。(B−1グランプリ公認商品です。)
 ふっくらもちもちした生地の中に、“なみえ焼そば”の特徴である甘辛いソースで味付けした極太麺、豚バラ肉、生もやしとシンプルな具材で再現いたしました。
 売上の一部は、「浪江焼麺太国」を通じて地域振興に役立ててもらう予定です。

*https://www.family.co.jp/company/news_releases/2012/20120306_04.html より

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<B級ご当地グルメ> 福島 伊達のもつ煮丼

2024-06-04 09:07:47 | B級ご当地グルメ

 「伊達のもつ煮丼」

 都道府県 福島県
 地域 
 推進団体 
 概要 「伊達のもつ煮丼」は、福島県のご当地B級グルメ。
 ごはんの上に千切りキャベツをのせ、その上に伊達鶏のもも肉とハーブ鶏のレバーを甘辛のタレで煮込んんだ具と温泉卵を載せたもの。
 福島の復興を願い、2011年に福島県のおいしい地鶏を使用した「ふくしま復興丼コンテスト」に出品された他、全国丼サミットなどイベントを中心に出品されている。

 通販では、新聞社が主催する地方グルメの販売サイト「47Club(47クラブ)」でレトルト食品として販売されている。

*https://b9navi.com/%e4%bc%8a%e9%81%94%e3%81%ae%e3%82%82%e3%81%a4%e7%85%ae%e4%b8%bc/ より

 

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<B級ご当地グルメ> 福島 なみえ焼そば

2024-06-03 08:01:24 | B級ご当地グルメ

 「なみえ焼そば」

 なみえ焼そばとは



 極太麺、モヤシ、豚肉、極まる馬さ、ここにあり。
 福島県双葉郡浪江町の安くておいしい、昔から親しまれる極太麺の『なみえ焼そば』。約50年前、労働者のために食べ応えと腹持ちをよくするために考案されたとされています。通常の約3倍のもある太い麺と、うまみたっぷり濃厚ソース、豚肉とモヤシだけのシンプルな具が特徴です。一味唐辛子を振りかけて食べるのが通な食べ方とされる。
 なみえ焼そばの定義
 その1  中華麺の太麺を使う
 その2  具材はモヤシと豚肉を基本とする
 その3  ソース味であること
 なみえ焼そば年表
 1950年頃 なみえ焼きそば発祥
 1979年頃 家庭調理用太麺発売
 2010年4月 なみえ焼そば提供店舗21店舗

*http://namieyakisoba.com/namieyakisoba.html より

 

 なみえ焼きそば(なみえやきそば)は、福島県双葉郡浪江町で生まれた焼きそばで、ご当地グルメの一つである。太めの麺が特徴で、具はモヤシと豚肉。ラードで炒め、濃厚なソースで味付けされる。一味唐辛子を振りかけて食べるのが通な食べ方とされる。

 歴史
 国鉄(当時)常磐線浪江駅近くの居酒屋「浪江名物元祖焼そば 縄のれん」が1955年(昭和30年)に極太の麺を使用した焼きそばを提供し始め、それが浪江名物となった。

 2008年(平成20年)に浪江町商工会青年部が中心となって町興しのため「浪江焼麺太国」(なみえやきそばたいこく)という団体を設立。ナポレオンを意識していて、頭の上にやきそばが乗っている特徴的なファッションの「やきそば太王」を中心に広報活動している。2009年の春より愛Bリーグの北海道東北支部に加盟した。2010年に開催された「B-1グランプリ厚木大会」への参加を果たす。厚木大会では中間発表で12位の好位置につけるが、惜しくも10位までのランクインを逃す。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の影響で、浪江町全体が避難指示区域となり、「浪江焼麺太国」のメンバーも避難でバラバラになってしまった。そんな中で参加した2011年に開催されたB-1グランプリ姫路大会では4位入賞を果たし、2012年に開催された北九州大会でも4位入賞となっている。2013年11月9日・10日に愛知県豊川市で開かれた第8回B-1グランプリでは1位を獲得した。

 一時は偽物が横行したため、地域団体商標に登録した。浪江町を含む福島県浜通りで避難指示が解除された区域が広がるにつれ、浪江町内の仮設商店街や2020年10月に開所した双葉町産業交流センターなど発祥地やその周辺でも提供されるようになっている。

 提供・商品化
 2011年10月24日に、日清食品からカップ焼きそばとしても販売。売り上げの一部は「浪江焼麺太国」のまちおこし活動の支援に使われる。東北自動車道・常磐自動車道のサービスエリアで箱入りの商品が販売されているほか、南相馬鹿島サービスエリア(セデッテかしま)では軽食として提供されている。

 PR
 地元女子高校生がプロデュースしたNYTS(ナイツ)というアイドルユニットが『恋する焼きそば』を歌い、キャンペーンソングとして、地元の浪江となみえ焼きそばをPRしている。B-1グランプリin厚木からNYTS(ナイツ)も参加し、Yahoo!のトップニュースに写真付きで取り上げられるなど、大きくメディアに報道された。このときに日本で初めて「ご当地アイドル」という呼ばれ方をされたアイドルユニットでもある。

*Wikipedia より

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<B級ご当地グルメ> 福島 山都そば

2024-06-02 07:38:01 | B級ご当地グルメ

 「山都そば」

 山都そばが「100年フード」に認定されました!!

 100年フードとは
 文化庁では、我が国の多様な食文化の継承・振興への機運を醸成するため、地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を、100年続く食文化「100年フード」と名付け、文化庁とともに継承していくことを目指す取組を推進しています。

 認定後は、各種メディアで認定団体の継承活動が取り上げられたり、ロゴマーク入りの商品が販売されるなど、100年フードの取組が各所で広がっています。

 【文化庁HP】
 全国各地の100年フード (foodculture2021.go.jp)<外部リンク>

 認定基準
 以下のすべてを満たす食文化であること
 ・地域の風土や歴史・風習の中で個性を生かしながら創意工夫され、育まれてきた地域特有の食文化
 ・地域において、世代を超えて受け継がれ、食されてきた食文化
 ・地域の誇りとして100年を超えて継承することを宣言する団体が存在する食文化

 認定経緯
 100年フードの認定は令和3年度から実施されており、初回は「喜多方ラーメン」が100年フードに認定されています。

 2回目となる令和4年度は、全国から応募のあった90件について審査が行われ、認定基準を満たした70件が認定されました。
福島県内からは「山都そば」「うにの貝焼」「ラジウム玉子」の3件が認定されています。

 認定内容
 認定部門:伝統の100年フード部門 ~江戸時代から続く郷土の料理~
 認定団体:山都三大そばまつり実行委員会
 認定食文化:山都そば

*https://www.city.kitakata.fukushima.jp/soshiki/sangyo-y/41751.html より

 「山都そば」

 飯豊連峰のふもと「山都」は古くからそばの里です。標高400メートルほどにあり、寒暖の差が激しい風土は良質のそばが育つ条件を満たしています。

山都そばの特徴
 山都では、製粉歩留りを70%以内に定めているため、他の地域よりも白っぽいそば粉が挽かれます。
 そば打ちでは、内層部分の白っぽいそば粉は粘りが少ないので、こねるとき小麦粉や山芋などのつなぎが必要ですが、山都ではつなぎを一切使わずにそば粉だけでこねます。つなぎを使わずにこねるのはそば職人でも難しいとされていますが、山都では湯ごねと水ごねを併用したこね方でごく普通に行われています。挽きたて、打ちたて、茹でたてのそばを提供するのが基本です。山都のそばは、やや白っぽく透き通った色合いでしこしことした独特の歯ごたえがあります。

 雪室そば
 雪室とは、雪を利用する冷蔵貯蔵施設で、そばの実は施設内のそば貯蔵室で気温約5℃、湿度約70%の環境で貯蔵するため、梅雨時期の高湿度、夏場の高温による変質を抑え、年間を通じて収穫期のそばに近い風味を保つことができます。その雪室で貯蔵されたそばの実を挽いて打ったそばのことを「雪室そば」と呼びます。

 寒晒しそば
 1年間で最も寒さの厳しい大寒のころに、極寒の渓流にそばの実を浸します。10日ほどしたらそれを引き上げ、さらに20日間ほど寒風に晒して自然乾燥させます。これを製粉してそばを打つと、真っ白で弾けるような感触のすばらしいそばができるのです。それが寒晒しそばです。江戸時代、将軍家に献上されていたという、贅沢なそばです。

 このページに関するお問い合わせ先
 山都総合支所 産業建設課(山都) 産業建設班産業担当:商工観光

*https://www.city.kitakata.fukushima.jp/soshiki/sangyo-y/31433.html より

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<B級ご当地グルメ> 福島 クリームボックス

2024-06-01 07:57:32 | B級ご当地グルメ

 「クリームボックス~郡山だけの超有名パン~福島県郡山市」

 クリームボックスとは
 「クリームボックス」は、福島県郡山市のご当地グルメ。

 小さな厚切り食パンに、練乳ミルククリームをたっぷり塗ったパンで、郡山市ではスーパーやコンビニでも100円程度で普通に販売しています。

 地元の人たちにも長く親しまれていますが、郡山を離れると県内でもお目にかからないという超ローカルフードです。

 クリームボックスの発祥
 郡山駅前にあった「ベーカリーロミオ」だと言われており、1976年から販売されています。

*https://b9navi.com/%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%83%9c%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b9/ より

 クリームボックスは、福島県郡山市が発祥の菓子パンである。1976年(昭和51年)に市内のパン屋「ロミオ」で誕生したとされる。

 概要
 分厚い小型の食パンに、白いミルク風味のクリームを塗った菓子パンで、郡山市内では多くのパン屋や学校の購買で販売されている。販売価格はおおむね100円前後であることが多く、まれにパン生地が円形の場合もある。

 見た目がシンプルで、上から見ると通常の食パンとあまり変わらないため、クリームの上に何らかの加工が施されることがあり、アーモンドを乗せたり、チョコレートでキャラクターの顔を描いたりした物も存在する。

 郡山市では非常にポピュラーな菓子パンで、市内各所のパン屋だけでなくスーパーマーケットやコンビニエンスストア、高等学校の売店などでも広く販売されており、価格も手頃であることから人気が高い。

 その一方で、近隣の県はおろか、福島県内の他市町村でも販売されていることは少なく、郡山市外に出てはじめてクリームボックスがローカルフードであることに気がつく者も多い。

 郡山市のご当地パンとして知られるようになり、2016年4月からはクリームボックスを通じた町おこし事業として同市のパン店18店舗を巡る「スタンプラリー」が行われている、同年5月には福島県の大型観光企画「アフターDC(デスティネーションキャンペーン)」の開催記念のオリジナル商品としてファミリーマートから東北6県と新潟県の約860店で発売され、福島県のPRに一役買っている。

 また、郡山市に出店しているポンパドウルが首都圏でもクリームボックスを販売したことなどから、販売地域も拡大。さらに2016年10月から放映されたテレビアニメ作品『フリップフラッパーズ』にはクリームボックスが好きという設定のキャラクターが登場。2018年12月には郡山市の酪王乳業の酪王カフェオレとクリームボックスを組み合わせた商品が沖縄県を除く全国のファミリーマートで販売されるなどして知名度を高めている。

*Wikipedia より

 山駅で買えて、お土産にもぴったりな元祖「クリームボックス」

 「クリームボックス」が郡山で初めて販売されたのは1976年のこと。「ロミオ」というパン屋さんによって生まれました。現在ロミオは「ままどおる」で有名な郡山のお菓子屋さん「三万石」のグループです。

 じわっとした弾力のあるミルクパンは厚み2cmほど。とろーりとした甘くてミルキーなクリームが厚めにのせられています。クリームはコクのある練乳入りです。

 郡山駅構内の商業施設「エスパル郡山」の「三万石」でも、この元祖「ロミオのクリームボックス」が販売されています。賞味期限は当日ながら、愛らしいキャラクター、クリームボッくんのイラストが目を引くボックスに入っているので、お土産にも最適。午前中に売り切れてしまうことも頻繁にあるそうです。

 「ロミオのクリームボックス」は新幹線で運ばれて、東京駅構内グランスタでも販売されています。

*https://pantena.jp/pankiji/%E6%96%B0%E7%9D%80%E8%A8%98%E4%BA%8B/3993 より

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<B級ご当地グルメ> 福島 白河ラーメン

2024-05-31 08:54:39 | B級ご当地グルメ

 「白河ラーメン」

 白河ラーメン(しらかわラーメン)は、福島県白河市を中心に供されているラーメン。いわゆる「ご当地ラーメン」の一つである。

 概要
 豚骨や鶏ガラを主体とした醤油ベースの澄んだスープと、スープが絡みやすい多加水の幅が広い縮れ麺が大きな特徴ではあるが、店舗によっては細縮れ麺を出す店もある。木の棒で麺を打つ手打ち麺が伝統的なスタイルだが、最近は減少傾向にある。具はネギ、チャーシュー、メンマ、鳴門巻き、ホウレンソウなど。縁を食紅で塗り、炭火で焼いてから煮るチャーシューを使う店も多い。

 歴史
 白河ラーメンの発祥は亀源。とら食堂は白河手打ちラーメンの元祖。 同店の初代店主である竹井寅次が作るラーメンが美味しいと評判になったことから、市内から弟子入りを志願する人達が竹井の元を訪れるようになり、修業した人達が独立してラーメン店を出店。それらの店で修業した人達が独立して店を出すという連鎖を繰り返すことで、手打ちのちぢれ麺に醤油ベースのスープという白河ラーメンのスタイルが、市内各地へと広がるに至っている。

 現在は白河市内に100店を超える店が存在し、観光資源の1つにもなっているほか、首都圏などにも白河ラーメンを出す店が広まっている。

*Wikipedia より

 白河ラーメンとは?
 白河は全国的にも知られるラーメン処で、市内には約100軒を超す味自慢の店があります。コシがある手打ち麺が、味わい深いスープに絡み合い絶妙な風味を醸し出します。
 職人気質でそれぞれの店主のこだわりが日々美味しさを追求し、白河のラーメン文化を築いています。

 白河ラーメンのはじまり
 その歴史は明治時代にさかのぼります。全国各地のラーメンのルーツは屋台が主流であったのに対し、白河は店舗が始まりでした。 明治20年(1887)、木伏源兵衛は「亀屋」というお汁粉屋を始めます。しかしお汁粉屋では夏場人が入らないという悩みがあり、そこで息子の木伏源松がひらめいたのは白河にはまだどこにもない支那そばでした。大正10年(1921)、横浜での修業を経て、源松は手打ちラーメン屋「亀源」を創業。亀源はその後、一代で店は閉められましたが、「白河ラーメン」が日本のラーメン史から見ても早いスタートを切ることができたのは、こうした源松の果敢な挑戦によるものであったことに他なりません。
 白河ラーメンの特徴
 麺
 そば打ち技法で作り始めたことより、手打ちのちぢれ麵」が特徴

 スープ
 豚骨と鶏ガラからダシを取った、醬油ベースの透き通ったあっさりスープ

*https://shirakawa315.com/ramen/ より

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