グラの気ままに徒然日記

日々の菜園アクティビティ、旅先での思い出コレクッションetc.

桧塚奥峰/明神平登山~台高山脈北部

2023年09月25日 11時48分21秒 | 登山

2023/09/25

・・・道なき道・・踏み跡を見つけの苦難の連続・・・

達成感より無事に怪我無く下山できた喜びが勝る山行となった

9月23日(土)

桧塚奥峰~明神平周回登山

 

はじめに>

過去経験したことがない厳しい山行でした。

前回の予定に手違いが生じて隣の木梶山に変更した経緯もありリベンジのつもりだった。

それが、思わぬ恐怖体験に・・

 

目的の桧塚奥峰山頂では、おにぎり、ミカン、サイダー

涼風が気持ちよく肌寒さを感じるほどですこぶる順調であった。

その後、ガスで視界が怪しくなったが明神平では

「幻想的やなぁ~」とまだ余裕綽綽であった。

 

いよいよ下山す

時間的余裕もあるし、自分にとっては4度目だし、

容易ではないが数カ所注意すれば、と楽観的であった。

しかし

その記憶も直近でも既に20年以上前のこと

ルートはすっかり荒れ果てていて

過去の記憶と経験も全く役立たなかった。

 

明神平の天理大学山小屋の裏から谷に降り始めるや私の頭は大混乱をきたした。

深く切れ落ちた谷を避けるトラバース道は長い風雪を経てズタボロで、

その度にルーファイに手間取り遅々として進まない。

きつい斜度の傾斜地をトラバース中にうっかりスリップでもしょうものなら、まさに奈落の底!

まさにそんな場面の連続であった。

 

 

一部始終を以下の画像で詳述したかったのだが、下山中はスマホを構える余裕もなかったし

あのリアルはまさに筆舌に尽くしがたしであったが頑張ってみます。

 

 

まず、当エリアは台高山脈の北部に位置し奈良と三重の県境なので双方から登ることが可能である。

奈良側からだと大又林道が登山口で、三重側だと千秋林道からとなる。

台高山脈とは、北は高見山から南の大台ケ原(日出が岳)に至る長大な稜線をさす。

 

 

 

和歌山街道を左折し蓮ダムの上流に向かう

やがて木屋谷雨量観測所標高583m)駐車地に到着

広い空き地だが、その先の通行止めゲートのチェーンを外せば自己責任で通過可能だったので

約30分の節約になる誘惑に負け先に進むことにした。

登山口の近くの幅が広くなった路上に駐車

メンバーのAさんとTさん

松阪市のAさん宅に7時集合で、Aさんの🚙に便乗

・・・毎度このパターン・・・若干心苦し・・・

 

マナコ谷登山口 9:00スタート

杉林の中、急登が続く・・・

1時間半ほどで杉林を突破

清々しい尾根となる

好展望地で給水休憩

三峰山や遠くにクロソ、大洞・・・あと一息だ

稜線上の鞍部に到達!

そのまま左に折れ桧塚へ向かう(画像中央)

桧塚 標高1402m    11:09

ブナの疎林野中山名版を確認し引き返し先ほどの鞍部を越えて桧塚奥峰に向かう。

桧塚奥峰 標高1420m 

初めて登った時には、山名版は太く2mほどで白骨化した老木にかかっていた記憶がある。

その様は独特で他山には無いモノであった。今もその名残をとどめようと3本の足場で・・・

三重の最高峰・池小屋山が見えているはずだが・・・

右奥は吉野から熊野に伸びる大峰山脈

昼食を済ませ明神平を目指す 12:28

途中最後の展望所

手前の尾根の先には前回の木梶山があると思う。

その尾根の手前の谷筋が下山道となる

最後の稜線上に到達

奈良と三重の県境尾根

A氏が磁石で確認中だがガスが出てきて現在地も確認できないらしい

ここを右折して明神平の中央部を目指す

視界不良だが明瞭な通路で安心

3張りテントを見つけた!

中央部に立つ山小屋・・・入口に天王寺高校山岳部と・・・知らなかった

小屋ベンチで最後の休憩をとってから下山をスタート 13:40

天理大学の山小屋裏から下山が始まるのだが、

しばらく尾根上を歩いてからに降りるか 初めから谷芯を下るべきか決めかねていた。

いずれも歩いた経験があるのだが、目の前の現実が私の記憶と差があり過ぎて

下山開始からいきなり両岸切り立つV字の谷で自然と我々との死闘のゴングが打ち下ろされた!

湿った巨石の谷芯歩きと急斜面を攀じ登っての高巻くこと約90分 

ースマホを構える余裕もなかったのでうまくお伝え出来ないことが歯がゆいー

ようやく見覚えのある本流との奥山谷出合に達することができた!

 

しかし、さらに危険な場面が次々と現れるのであった。

出合の谷芯を越え正面の斜面に取りつく。

古くなったロープは以前のルートなのか、

見当違いでその左下を攀じ登った。

以前は谷芯も歩いた記憶があるが、これよりすべて右岸を高巻くことになる。

踏み跡を辿っていると、突然、土石流のせいか急斜面の表土が剥がされた岸壁に行く手を遮られる。

その度にルーファイに迫られる!

先導のT氏が斜面を苦心惨憺登って活路を開こうとするが、テープも踏み跡も発見できない。

それでも無理に突破しようとすれば3人とも無事に通過できる可能性は低い!

しかし、脱出口は無いはずがないと思い戻ってみると

最初通過した時には誰も気づかなかった踏み跡がひょんなところで発見できたりするものだ。

そんなことを繰り返しているうちに、突然、眼の前の踏み跡が明瞭な登山道と変化し始めた。

同時に、先導するT氏の「林道が見える!」と弾むような声が谷間に響き渡った!

登り口から200~300m上流に架かる万歳橋に降り立った❣ 4:25

 

まさに、かすり傷ひとつ負わず「生還」できたのはラッキーとしか思えない。

 

その要因として思いつくこと

1⃣ いつものソロ登山なく3人パーティーだったので、ルーファイする際も3倍の速度で発見できた事

2⃣ 常に話し合い悲観的にならずに冷静に行動できた事。ただし話題の専らは病話で後は旅と山談議

3⃣ 高齢になると体力は落ちるがその分慎重になれた事

4⃣ 若い頃なら、「エエイッ!」とやって上手くいかずも備えが効くが、我々はそうはいかず滑落必至との自覚がある事

5⃣ 日没まで十分な時間的余裕があったこと

6⃣ それまでの高温が嘘のように絶えず涼風が吹いていて無駄に体力を消耗せずに済んだこと

7⃣ 谷間にかかわらずアブ,ヒルなどに遭遇せずに集中できた事

8⃣ 縦走時にはYAMAPが大いに役立ったこと 但しバッテリー持参も接続コードを忘れたことは痛かったが

 

以上、

達成感より安堵感の方が勝る山行は過去なかったと思う。

今後の山とのかかわり方について学び多い山行となった。

 

 

 

 

 


久々の投稿~大杉谷滝巡り(日本三大秘境?)イン三重県大台町

2023年06月22日 10時39分25秒 | 登山

2023/06/22 今日は

~PCでの写真取り込みが容量満タンとなり不可状態でしたが娘に「スマホからやればええやん」、で思い出した次第

ブログ上の農園仲間の皆様には、当方、後期高齢者故のご心配をおかけいたしごめんなさい。今後ともよろしくお願いいたします~

 

大台ケ原から伊勢市への大河宮川の源流部・大杉谷へ!

前々からお誘いいただいていた元職場の同僚と3人でやっとご一緒出来ました。

 

絶好の登山日和!

この吊橋も車で通過 7:37

途中停車して、六十尋滝を案内 7:49

二人は初めてだったらしくて良かった

一尋は両手分らしいです。

宮川ダム貯水池の最上流部の第三発電所(登山口)を8時出発し、2~3個目の吊り橋 9:45

今回の山行では最も広大な景観で、後は両岸迫る窒息しそうなシーンの連続です。

千尋滝

日本でも有数の多雨地帯ですので、昭和初期には林業が盛んで、この滝の約100メートル上部には大台林道があるはずです。

現在は一般車通行止めですが・・・

六十尋滝の十倍以上の命名は大げさですが、下部は木々に隠れているけど大スケールです! 10:13

本コース最大の名所・シシ淵 

先行のハイカーもアリさんみたいです。

ここで折り返す人が多いです。

割れ目の先に覗いているのはニコニコ滝です。 11:04

シシ淵の左岸を高巻きますが、その足元の無名滝は梅雨時限定の滝です

岸壁を穿った鎖頼りの隘路を過ぎて一息つくと先ほどのニコニコ滝が全貌を表します。11:34

やがて大日嵓吊橋の上に出ます。11:50

十数年前の台風で吊橋が切れて長くこのコースも閉鎖されていました。

更に昔、人が落下して裁判事件もあったとか・・・

吊橋上から大日グラを望みますが全体は収まり切りません 11:52

やっと、桃ノ木山の家に到着しましたが通過! 13:00

彼らは、いぜん、この手前で引き返したとかです。

がけの灌木が恐怖感を消してくれます。

昨年だったか、滑落しての死亡事故はこの辺りではないカナ?

目的地に到着! 13:52

日本百名瀑 七ツ釜 

3段しか見えませんが、まだこの上に続くのでしょう。

日頃から農作業で足腰は鍛えてるから、と思ってたけどバテバテで六時間弱かかってしまいました。

退職して数年後には4時間22分でここまで来て、さらに粟谷小屋で宿泊し、

翌朝日出が岳に登頂して一気に登山口まで下山しています。

農作業と山歩きでは筋肉の使い方が違うのですね。

記念撮影も見事逆光

 

5:00 津市自宅発~8:00登山口~13:50七ツ釜滝~18:15登山口~21:30自宅着

次回は2週間後の山行を約束しました。

行き先は私が決めるようですが、台高か大峰か鈴鹿か、さて迷うなあ。

 

明日は久々の菜園ニュース、楽しみです。

 

 


レーの思い出~インドヒマラヤ遠征

2023年03月11日 17時12分57秒 | 登山

2023・03・11

”暑いなあ”が挨拶代わりの今日この頃、

スケッチブックのせいもあってつい長話になってしまったけどこれが最終です。

SHS88  India Himaraya Expedition

1988年7月、ラダック連邦直轄領(旧ジャムカシミール州)の最大都市レーを拠点に、マシロカンリ峰に登った記録だ。

ジープ数台に分乗し盛大に砂埃をあげ、未知の世界へ進入すると誰もが無口となった。

乾燥しきった大地は白く、草木一本も見当たらない。

時折、インダス川の支流に出合うと、そこには柳の木が生えていたりする。

半日ばかり、川の浅瀬を横切ったり、凸凹道に胃が飛び出す寸前にその日の目的地であるチョクシ橋(Choksti Br.)に着いた。

橋の真ん中にテント(絵では7張)を設営し終えると自由時間となった。

所在無げに橋上から轟音轟く激流を見入る者、上流へとそぞろ歩く者、ひっそりテント内にとどまる者・・・

やがてヒマラヤの☀が対岸の山に隠れようとした頃、センチメンタルな空気を一掃する喧騒が下方から接近してきた。

5~6名のポーターたちが、7~8頭のヤクを率いてやってきた! ヤク達の背には、左右に大きな荷がぶら下げられていた。

中には、数頭の鶏が入った竹かごを背にしたヤクもいた。

そのニワトリたちは私たちのキャンプ地で放し飼いされていたが、数日で鳴き声は聞こえなくなっていた。

すっかり日が落ち、月明かりがチョクシ川からの峻険な山腹を驚くほど赤く染めていた。

ガリ版を日本から持参したので毎日発行し、隊員は勿論ポーターにも配った。

(スケッチブックにはさまれていた一枚)

ベースキャンプを設営し自由時間に印刷したようだ。記事内容に沿ってこの日の行動を思い出してみた。

「この日は、9時前にチョクシ橋を出発し、右岸高く作られた生活道を上流に向かった。まもなく、Choksti村に着き、1回目の休憩。

ポーター達は、食料やテント一式を背負ったヤクを追い立てながら先行している。その後、5回の休憩を採りながら午後2時過ぎベースキャ

ンプ予定地に到着。手分けしてテントを張るが、生徒達の動きは緩慢だ。高所順応がスムースに進むよう意識的な動きなのかもしれない。

スタート後、隊長は口酸っぱくなるほど「ビスタリ(ネパリー;ゆっくり)、ビスタリやぞ!」とことあるごとに呼び掛け、5人の高校生全

員を山頂に立たせたいとの思いが伝わってきていた。しかし誰もが4千mの高地は初体験だし、身体に及ぼす負担に個人差が出ることが後に

判明することになった。私たちとは少し離れた場所に、ポーターとキッチンボーイ達がテントを張り昼食の支度にかかり始めた。ヤクが1頭

崖から落ちたらしく、手間取っていたらしい。急斜面の道だからスリップすれば川まで滑り落ち、途中で止まっても重い荷が邪魔でまず助か

らないだろう。遅めのランチの後、自由時間だが何もすることがない。昼寝をするもの、右や左の斜面を昇り降りして高所に身体を慣らそう

とするもの、そんな時私はスケッチするのが常であった。その時の様子は、次のスケッチで・・・」

 

スケッチブック見開き2ページにBase Campと、その周辺で高所に身体を順応させようとする学生たち

隊長の全員集合を合図に夕食前の4,400mまで高所順応登山。

「歩く歩幅を狭くして、ゆっくりと、息は大きくシッカリ酸素を吸うんやぞ!」

しかし、残念ながら1名の生徒が明らかに高山病にかかり、テント内で寝込んでしまい呼びかけても反応が鈍い。

まずい状態だ!

モレーンと言って氷河の上に瓦礫が堆積した土地なので、多少草も生えていて少し離れた湿気の多そうな場所を掘り返すと

冷水(氷水)が湧き出してくる。

私は、タオルをその水に漬し彼の額に当てがってみたがピクリともしない!

危険な状態ということで緊急下山させることになった。

引率の2名の教師と通訳のマヘンダーで、チョクシ村まで連れ帰り、翌朝軍のヘリコプターでレーの病院まで無事搬送してもらった。

リエゾンオフィサーのラトゥール氏の存在が生かされた場面だった。

翌日は、高度4,730mまで登りABC Camp (アタック・ベースキャンプ)を設置した。

目的の山のすそ野になるのか、広いカールで富士山より1000mも高所なのに、牛が草を食んでいたり、

我々一行は、朝、病気の娘を背負った父親が病院にいく途中に遭遇しているが、この峠を越えてたのだと納得した。

夏場には麓から高地の牧草地まで家畜を移動させてカルカという石積みの家でひと夏を過ごすらしい。

私たちが登ってきた道は登山道ではなく村から村への生活道そのものであり、このキャンプ地は峠なのだと納得した。

 

私はこの日大変な失敗を犯していた。救護班というより薬屋さん役だったのにベースキャンプへ置きっぱなしにしてきていた。

折から、生徒の中には「頭、イタッー!」と声をあげるものが出始めている。高山病の症状だ。

まだ大丈夫と言っているが、今夜にも、又山頂アタック中に重症化でもしたら・・・

私は意を決し、BCキャンプまで薬を取りに戻ることにした。

体調すこぶる良くて、クライミングハイもあってか、飛ぶが如く駆け下りたもんだ。

途中、我々の遠征を取材に登ってきた新聞記者さんを驚かせてしまった。

しかしその記者さんの健脚ぶりには仰天する。一日でABCキャンプまで来て、その日のうちに麓に待たせたタクシーまで戻るという。

しかもその足で、近くの6千m級の山に挑戦中の中高年隊へ取材に向かうと言っていた\(◎o◎)/!

 

無事に、薬(利尿剤)を持ち帰り、頭痛の生徒たちに飲ませた。高山病に効果があるらしい。

隊長は1日か2日、高所順応を兼ねてBCキャンプまで往復してから山頂アッタックを考えていたようだが、天気も下り気味で、

隊員たちの体調も考慮して、明日アタックを決行することにした。

左ページ:雲に隠れたㇴン峰とクン峰  右ページ; ㇴン、クンの右の鋭鋒

ㇴン、クンは共に7000m越の鋭鋒というより太い杭が2本立っている感じの双耳峰だった? 

テント見えず? どこだったか記憶がない。

多分、ABCキャンプから少し登ったところだ。そして目の前が目的の山だ。

翌早朝、

隊長から、できる限り早く出発したいが、水分の準備をしている暇がないから後から追いかけ、届けてくれと言われていた。

私は二つ返事で了解したもんだ。

隊長を先頭に隊員たちは慌ただしくABCキャンプを後にして山頂アタックに出かけた。

私は彼らを見送り一人残って、近くに流れる雪解け水を煮沸してから冷えるのを待って隊員たち全員の水筒に詰めて、

両肩から左右にたすき掛けにかけ彼らの後を追った。とても重要な任務の遂行に私の胸は高鳴り、まるで空を駆ける気分であった。

どれだけの時間が経過していたものか、登頂を終えた彼らが下山してくる姿が見えた!

私は私で使命感に燃えていたが、できれば登頂も、という欲もあり全身から力が抜け落ちる瞬間だった。

それでも気持ちを切り替え、早く彼らに水分を補給させたいという思いがわいてきた。

再び私の背中に羽が生えたようでワッセワッセと下山してくる彼らに駆け寄った。

抱き合う彼らはみな涙目で、やり切った感が全身にあふれていた。

 

隊員たちが緩斜面を思い思いの進路を取って下山する姿を後方から眺めながら無事登頂の余韻に涙が止まらなかった。

隣のリエゾンも同じで共に止まらぬ涙をぬぐうことなく肩を組みながら隊員の雄姿を脳裏に焼き付けた。

私のクライミングハイも最高潮に達し、つい愛用していたミノルタのカメラを彼にプレゼントする約束をしたことが悔やまれる。

この遠征中、ことあるごとに私のミノルタへの興味が尋常ではないことが分かっていたから。

 

 

下山途中チョクシ村でゆっくりとくつろぐことができた。

石と日干し煉瓦で作られた家屋が4~5軒、周囲の畑では折から大麦の収穫が行われていた。

当地では一年に一作物しか育たなく、ほとんどが大麦を栽培し、おりしも収穫期真っ只中であった。

村人総出で、谷間に彼らの歌声が流れまさに牧歌的であった。

家屋の周りのたわわに実ったアプリコットを数個もぎ、少し離れた所からスケッチしながらいただいた。

物珍しいのだろう、子供たちがはにかみながら私を取り巻きスケッチをのぞき込んできた。

屋根のタルチョが谷間に吹く風にたなびいていた。

帰国後、朝日新聞の一面を飾っている登頂場面の写真にも何か非現実な気がした。

その後、2~3年に一度のペースで海外遠征をした。

カザフスタンからの天山山脈、韓国と続き、ネパールの植樹活動は他のメンバーで毎年実施したものだが現在はどうなっているか不明だ。

 

「レーの思い出」自己満足の記/最終話

 

WBC観戦後始めたらこんな時間になってしまった!ヤバイ 

 

(只今午前2時過ぎ)

 


久々の登山~「まさかの遭難・犬戻ノ高」から1年8か月

2022年06月11日 16時01分58秒 | 登山

"まさかの遭難・犬戻ノ高” から、1年8か月も経ったのか!?

コロナも小康状態だし、やがて入梅しちゃう、もう我慢も限界、再開するなら今しかない!

妻とその裏に控える娘も山に飢えた私の三度目の直訴に対し、ついに折れてくれたのである。

「ただし、やることだけはちゃんとやってな」とガツンと釘を刺され、

前回娘がカレンダ裏に書き残していった『山の心得』を突き付けられたのである。

私は、不慣れな事前準備に半パニック状態になりながらも久々の山行にこぎつけた。

 

山名:犬戻ノ高 / 天保尾根  /ソロ

期日:2022年6月9日(木)

場所:三重県度会郡大紀町米ヶ谷

 

4:30 津の自宅発

5:30 大内山🆋下車、R42へ

5:40 熊野古道ツヅラト峠の標識で県道へ

 

5:50 犬戻峡駐車地着 / 分岐地点

妻が握ってくれた味飯のオニギリ、メッチャ美味かった。

5:57 スタート

駐車地から数百mの所の滝

犬戻峡核心部

南亦山登山口に立つ案内板

今回はこの登山ルートは、下山に使った。

まずは、素通りし案内地図の二つ目の登山口から左手の天保尾根を登り、目的の犬戻ノ高を目指した。

その後は、地図正面の稜線を縦走し、右端の南亦山に向かい、再び鳥尾越に戻り南亦山登山口に降りてきた。

 

見かけた花は、林道のこのウツギだけだった。

左手の登山口から天保尾根に取りつく。

分岐点で、明瞭な左折れの道を進んだ結果、シダの藪漕ぎに悩まされることとなる。

この山域へのハイカーは少ないから、荒れていて当然との先入観もあった。

しばらく行くと、間伐された杉の美林に達し道は途絶えた。

杣道に迷い込んでいたようで、引き返すが約30分のロスとなる。

 

7:00 分岐を直進気味に進み谷を横切るのが正しいルートであった。

お馴染みの赤と黄色の中電の鉄塔標識

88号鉄塔を目指す。

左足首にチクッとした痛み、ヒルだ

私はゴムサンダル(バンド付き)なので、ヒルも付きやすいのだろうと覚悟したがそれっきり遭遇しなかった

 

かなりな急登を征し88号鉄塔に至る。

初めての展望を得てしばらく解放感に浸る。

画像中央が89号鉄塔だが、本当に作業道が付いてるのだろうか?とこの時は思った。

しかしこの後、10分ほどで87号鉄塔に接近するに従いチェーンソーの音が高くなり、

       2人の作業員が鉄塔周辺の下刈り中であった。(7:55)

手を止めた彼らとしばし懇談したが、彼らはもう一つの林道大内山線から登ってきていた。

聞けば、すごい岩場があったり危険この上ない険路ということであった。

だいたい作業道は山頂を目指していず、

ハイカーは入らないから荒れ放題が普通で、修復しながら鉄塔に至っているようだ。

彼らと別れて少し戻り分岐を左に進む。

自然林の急登は、枯葉が積もっていてサンダルでは少し辛いが、この時以外、ハンディーは感じなかった。

むしろ足元軽く、足の裏マッサージを受けているようで疲労減退効果アリ、かな?)

天保尾根と言えば、犬戻ノ高山頂から犬戻峡までつるべ落としのようなイメージだった。

所が大小のアップダウンを繰り返し、

3度目のコブ越えが一番きつかったが、その後にも2度ほど記憶している。

木陰の先に除くのは、今度こそ山頂のシルエットか!? と難度思ったことか。

9:00 水分補給 1回目のレスト 

次第に植生が変化し、シャクナゲ林となってきた。

初めて左手の視界が開け、紀伊長島の海が見えた!

 

2020年9月28日、

約7時間の縦走で午後3時頃、犬戻ノ高に着いた。

予定では、山頂から一気に天保尾根を下るつもりだった。

秋の日はつるべ落としだが、2時間あれば日没前に降る自信があった。

さあ、下山を始めようと山頂付近で下山口を探すが見つからない。

180度すべて急斜面が谷に落ちている。

濃く深い雑木林が人の侵入をシャットアウト!

私の決断は早かった。

無理は禁物、

しかし同じ無理なら時間はかかるがこのまま縦走を続け、

一度登った南亦山登山道へ鳥越峠から合流する手段を選んだ。

結局、どのみちその日の下山は絶望的だと観念していた。

(スマホ電源切れ!ヘッドランプ不携帯!ハンディーランプもケースだけで中身なし!)

90号鉄塔から滝や谷に下り、日は沈みかけ谷間の危険性を避けて、

山腹をどうにか登り切ると勝手知ったる南亦山登山道に出たが、日没との競争となり

近道だと思えた初めての鍛冶屋谷ルートを駆け下りている途中、

完全な暗闇となり杉の大木の下で夜を明かすことになった。

一方、私と連絡のつかない妻は、娘夫婦と相談して遭難届の提出に至る。

 

やがて広場のような平坦な太尾根となり、右方向に緩斜面を辿るうちにテープが見つかる。

そこで、

もし、あの日、仮に下山道が見つかったとして、果たしてこの広場のようなところから、

正確な方向に下山道を発見できただろうか!?

しかも暗闇迫る黄昏の中で、、、

シャクナゲアーケード

少し不自然な明るさと、岩磐に心の高鳴りが!!! 

9:40 犬戻ノ高 ピークだ

視界は相変わらず閉ざされているが、登ってきた道はポッカリと開いているではないか

 

1年8か月前とは大違い、というか私の件があって整備されたと考えるのが普通だろう。

「大紀の山」の著者、小野さんが尽力してくれたのかもしれない。

大紀町、大台町の山々の登山道を整備してくれた方だから。

今回の山行の目的はほぼ達成されたので後は、おまけで南亦山へ回ることにした。

右尾根が天保尾根で、左は中ノ又の頭への尾根だ。

間の谷の先が犬戻峡で駐車地だ。

天保尾根が覗く

あの山も越える

台高山脈や迷岳など

88号鉄塔から見えた稜線上の鉄塔NO90だと思う。

向こうの山が南亦山だ。

この後、山頂展望台で昼食を食べて

12:00  下山開始

下山中雨となり、持参したアルミのシートを使用し無事

14:12  下山完了

赤線が今回のルート

青線は前回のルート

いずれも時計回りで青線の切れたところがビバーグ地点

 

満足いく山行となりました。

 

 


茶臼山高原

2022年04月25日 20時47分19秒 | 登山

2022/04/25 豊田ライフ最終日

午前中、孫Mは学校、娘は出勤、婿は出張中、仕方ないので二人で茶臼山ハイキングに出かけました。

豊田から1時間半ぐらい、長野県との県境の高原です。

帰路、つぐ高原と面の木園地にも立ち寄りました。

香嵐渓から稲武のどんぐりの湯を経て道の駅アグリステーション名倉から茶臼山高原道路に入ります

 

途中、カーナビに碁盤石山が登場 注意して走っていると、それらしき山が( ^ω^)・・・

茶臼山高原の広い駐車場

先着車が1台ポツリ。。。見渡しても人影なし。。。

 

駐車場はゲレンデの中腹に当たります。リフト乗り場やレストラン、バンガローが見えます

既にゲレンデの車道を行く妻を追いかけます。

振り返ると、駐車場と背景に茶臼山1416mが控えています。

私たちが目指すのは萩太郎山1358mです。

結構キツイ勾配に息が切れてきました

山頂展望台

ガスが流れ始めました

ここから南アルプスの眺めが良いのですが・・・

山頂周辺の立木はすべて伐採されたようです。

お陰で、見晴らしは良くなりましたが・・・😂

芝桜の丘もガスで霞んできました⁉

今回の目的は、この芝桜だったのですが、全くの見当違いでまだまだ先のことのようでした

ガスが切れた一瞬

丘のテッペンで有名なシンセサイザー奏者が演奏しているのに遭遇したことがあります。

その方とは、西穂高ロープウェイ乗り場での演奏を聞いたこともあります。

 

一帯は現在立ち入り禁止区域となっていました。

でもまもなくでしょうね。GWには間に合うのでしょうね

下山中、霧が晴れ陽ざしが出てきました

ゲレンデ内を歩きます

茶臼山には1度妻と登っています。

萩太郎山には4度目となるかな❓

高原道路を走っていたら、つぐ高原を示す標識につられ行ってみました。

道の駅でした 標高が1000mオーバーなので桜が楽しめました。

更に、面の木園地にも立ち寄りました。以前、見事な樹氷に感動した経験があります。

その時は、茶臼山に向かっていました。

ココからだともう10分弱なんですが、一旦、がくんと高度を下げ登りなおさねばなりません。

わつぃのプリウスはノーマル対アなので、氷結した高原道路には太刀打ちできませんでした。

道路の対面の天狗棚の案内板

中々興味深いお話です

再び道を渡り面の木園地のベンチでランチ

食後、園内散歩で出会った花

スマホでも桜の花吹雪が撮れていました

午後2時過ぎに娘宅に戻りました。孫Mが学校から帰宅するのを待って津市に戻りました。

豊田市から津市まで湾岸道と名阪道を利用すれば1時間20分ぐらいで帰ってこれます。

 

今日も一日、畑作業。

夏野菜の準備で大忙しです。