荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『トーンパーン』 ユッタナー・ムグダーサニット、スラチャイ・ジャンティマートン、ラッサミー・パオルアントー

2016-09-29 03:06:49 | 映画
 《爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン》でユッタナー・ムグダーサニット、スラチャイ・ジャンティマートン、ラッサミー・パオルアントー共同監督の『トーンパーン』(1976)が上映された。ユッタナーはむかし『蝶と花』(1985)を見ただけだが、今回は彼の初期作品を見る貴重な機会となった。
 タイ東北部イサーン地方。農夫トーンパーンの生活苦をドキュメンタリー・タッチで写し出す。あくまでドキュメンタリー・タッチであって、本当のドキュメンタリーではないのだが、画面からあふれ出す生々しく荒々しい情動は、ドキュメンタリーに勝るとも劣らない。
 タイで最も貧しいイサーン地方の出身者はバンコクなど都市部では差別されるが、タイの他地域とはまったく異なる文化を有するという。このローカルな違和感みたいなものが作品全体を覆い尽くしている。違和感によって映画自体が苛立ち、口をつぐみ、周囲を睨みつけ、声なき叫びを上げている。生活の苦しいトーンパーンは農作業だけでなく、人力車の車夫として働いたり、選手としてムエタイの試合に出場して殴られ蹴られたりしている。
 タイは1973年10月14日の学生蜂起に端を発する政変でタノーム軍事独裁政権が倒れ、民主化された。ちょうど今上映中の『チリの闘い』で見られるように、この1ヶ月とすこし前の1973年9月11日に、地球の裏側のチリでは、ピノチェット将軍による軍事クーデタが起こっている。これと入れ替わるように、タイでは逆に民主化されたのである。
 この『トーンパーン』では、文民政権の官僚が村にやって来て、イサーン地方のダム建設をめぐる討論会をおこなう。映画はトーンパーンの生きざま、芸能などイサーン地方の風物、そしてダム建設討論会を代わる代わるモンタージュし、それらの背反ぶりを強調する。とはいえ、民主政権が企画した討論会は決してまずいものではなく、誠実なものでさえある。しかし、それでも住民代表として出席を求められていたトーンパーンに発言を求められたとき、すでに空席となっている。彼の苦悩は深まり、やがて彼は画面からも消えていく。
 1976年、こんどは右翼による反動クーデタが起き、民主政権は短命に終わる。作者サイドのナレーションによれば、この映画を製作したグループも逮捕され入獄した。政治的混乱をへて、トーンパーンの足跡は摑めなくなったという。
https://www.youtube.com/watch?v=KggcuC8SQD4


WWW(東京・渋谷)にて《爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン》開催中
http://bakuonthai2016.com

『母の残像』 ヨアキム・トリアー

2016-09-22 00:56:25 | 映画
 この9日間ほど、仕事でスペインに行っていた。行き帰りのエール・フランス機のなかでは例によって未見・既見の映画を見まくったのだけれども、予備知識のまったくない状態で見た作品のなかに拾いものがあった。日本語字幕なしだったので、あくまで私の拙い語学力による理解の範囲ではあるが、これはちょっとお薦めしたい。タイトルは『Louder Than Bombs』(2015)。きょう帰国して調べてみたら、『母の残像』という邦題で11月に日本公開されることを知った。しかしまだあまりホームページもちゃんとしていない。

 私たち人間は、死別した人間と、死別という「境」によって、新しい関係を築く。築くことができる。私はみずからの経験——親の死、友の死、血縁者の死、そしてリスペクトする先達の死——を通して、その新しい関係性を知ることができつつある。私とその人は、その人が生きていた時とは別の対話をすることができる。その新たな対話の可能性を模索したすばらしい作品として、最近ではオリヴィエ・アサイヤスの『アクトレス 女たちの舞台』(2014)があった。

 『母の残像』は、3年前に事故死をとげた戦争写真家の母親イザベル(イザベル・ユペール)の不在をめぐって、そして事故死の謎、あるいは生前の母の別の顔をめぐって、残された夫(ガブリエル・バーン)と2人の息子がとまどい、揺れ続ける、そんな憂鬱さに沈潜していく映画である。監督はヨアキム・トリアー。ラース・フォン・トリアーの血縁かしら? ——図星。ただしデンマークの鬼才の甥なのに、なぜノルウェー人なのかは今のところわからない。ノルウェーで撮った2作はすでに渋谷のノーザンライツ映画祭で上映済みとのこと。今作が初の英語作品だそう。共同脚本にエスキル・フォクトがクレジットされている。この人の『ブラインド 視線のエロス』という未公開作がWOWOWで放送されたのを見たが、失明した女性の空想をおもしろく描いていた。
 『母の残像』の最初のほうで、長男(ジェシー・アイゼンバーグ)が母の回顧展の準備のために、久しぶりに実家に帰ってくる。月並みな感想だが、この長男の微妙にダメなありよう、不実さが、どこか戦前の小津映画の息子を思わせる。『ソーシャル・ネットワーク』のイメージに引っ張られた感想かもしれないが、長男役のジェシー・アイゼンバーグがすばらしい。もちろんイザベル・ユペール、ガブリエル・バーンもいいし、終盤でアメリカン・スリープオーバー(!)の帰り道、次男がひそかに恋する女子生徒と歩いて帰るシーンが絶品である。夜の闇が白んでいき、尿意をもよおした少女は、他人の家の陰で用を足す。液体の細長いスジが道路をつたい、向こうを向いていた次男の靴にぶつかって、液体は進路を変えていく。次男の目に涙があふれる。
 この涙はもちろん憧れていた少女への幻滅ではない。万感せまる涙である。


11/26よりヒューマントラストシネマ渋谷で公開予定
http://www.ttcg.jp/topics/master-selection/

『火|Hee』 桃井かおり

2016-09-07 23:31:58 | 映画
 『SAYURI』(2005)以降ロサンジェルスに拠点を移した桃井かおりだが、1本か2本アメリカ映画に出ていたようだけど、岩井俊二のロス生活と同じく、もうひとつ活動実態がよく分からない。ところがロスの自宅だけで撮りあげたという監督作がひょっこり公開されている。上映時間わずか72分の自作自演、ロケ地は自宅、衣裳も本人、劇中の段ボールもシーツもお皿も、すき焼きの肉や鍋まで自前らしい。
 「この私を見よ」。Ecce homo. ニーチェが発狂寸前に書いた著作と同じことを、桃井かおりは言っている。幼いころにみずからの過失によるカーテンへの引火で火事をおこして両親を焼き殺し、学校ではいじめられ、結婚してもあえなく離婚、現在はアメリカに渡って売春婦に身をやつした女。借金にまみれ、ろくでもない白人男とつき合っている。
 殺人事件の担当刑事の要請にもとづき、精神科医の診察を受けることになった日本人女性は、精神科医を相手に洪水のごとく自己吐露をはじめる。この売春婦の絶望と狂気を見る。それは60歳を超えてもなお「をんな」を演じつづける桃井かおりその人の、女優としての凄味と業の深さを、改めて目の当たりにすることでもある。
 この女優さんはほんとうに映画が好きなんだな、というのが随所に理解できる作品である。ここで見せる彼女の演技は、舞台で見せるものからかけ離れた、カメラが目と鼻の先にあるからこそ感知しうるレベルのもので、舞台では再現不能の種類のものだ。映画にしか感知し得ない女の絶望なのである。そして、音の使い方。選曲がよくて、この人は音楽を聴きこんでいるなと思う(選曲担当エンジニアがいたのかもしれないが)。それからゴダール顔負けの音(楽曲と現場ノイズ)の出し入れ、差し引き。これが、単純なシーン割りに終始せざるを得ない本作から、不可思議な活力を導き出している。


シアター・イメージフォーラム(東京・渋谷金王坂上)にて公開中
http://hee-movie.com

サイ・トゥオンブリーの写真について

2016-09-02 00:22:22 | アート
 過激なまでにざっくばらんな筆運びでならしたサイ・トゥオンブリーの絵画作品やドローイング作品は、一滴の絵の具の垂れぐあいが、一本の鉛筆の線が、子どもにさえ不可能なほどのたどたどしさを誇示している。ほとんど稚戯、落書きにも思えるその筆致を、しかしロラン・バルトは全面肯定した。「《子どもっぽい》だろうか、TWの筆跡は。もちろん、そうだ。しかし、また、何かが余計にある。あるいは、何かが足りない。あるいは、何かが一緒にある。」
 子どもの稚拙さは、大人に達しようと力んだり勉強したり、母親に愛されたかったりした結果だ。トゥオンブリーの筆跡にはもっとノンビリとだらしない余剰がある。「軽やかな蜜蜂の飛翔の跡」と呼ばれるその筆跡は、シュポルテ(支持体)の鉱物性を際立たせ、ジャンル間の差異を縮ませる。
 絵画、ドローイング、彫刻。そして最後に遅れて、写真が彼の表現方法に追加された。ボワボワとピントの合っていない静物や花弁、絵画や遺跡の部分写真は、ディテールの鉱物性がクロースアップされ、見る者の感覚を攪拌し、一緒くたにする。そのときトゥオンブリーは「古代ローマ」などとつぶやいて、私たちを戯れに幻惑する。では、この古代との連関を強弁する姿勢は、擬態にすぎないのか? おそらく彼は、本気で古代ローマ文明の正統的嫡子だと自認していたのだと思う。
 今回のDIC川村記念美術館(千葉県・佐倉)の《サイ・トゥオンブリーの写真——変奏のリリシズム》(2016年4月23日〜8月28日)によって、初めてトゥオンブリーの写真作品の全貌を楽しむことができた。前回、彼の写真を見られたのはいつだったか? ——それは六本木のワコウ・ワークス・オブ・アートのゲルハルト・リヒターとトゥオンブリーの二人展で、確かあれはトゥオンブリーが亡くなる1ヶ月ほど前のことだったはずだ。ヒマワリの花びらをピンぼけで撮ったドライプリントが数点出ていた。
 今回では、トゥオンブリーが亡くなる年の2011年に撮影した最晩年の作品も展示された。それは、サン・バルテルミー島の墓地を写した数点である。墓石、十字架、朝鮮アサガオの花びら、そして見上げた際にさっとシャッターを押したのだろう青空に雲の写真一葉である。


DIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)
http://kawamura-museum.dic.co.jp