銀座コアのブックファーストで、出たばかりの『木村伊兵衛のパリ ポケット版』(朝日新聞出版)を買った。1954年と55年の2度渡仏した木村伊兵衛が、アンリ=カルティエ・ブレッソンとロベール・ドアノーの助力を得て、パリの下町風景──映画『赤い風船』のロケ地メニルモンタン地区や、『北ホテル』のロケ地サン・マルタン運河の付近──を開発初期のフジカラーで撮影した写真集である。フジカラー独特の淡く繊細な色調が、パリの街頭にマッチして美しい。
2006年初版のこの写真集を初めて欲しいと思ったのは、NHK『日曜美術館』番組ホストの千住明がパリに旅し、アレクサンドル3世橋あたりで女優の緒川たまきと出逢う、そんなキザな演出で始まった木村伊兵衛の撮影地の再訪企画を見たことによる。ふだんこの番組は、制作会社による定型的な作りに委ねられているが、その回にかぎり『大停電の夜に』(2005)などを監督した源孝志によるディレクションで、かなり凝った紀行ドキュメントになっていた。コンコルド広場の夕景を前に、緒川たまきたちがライカをうれしそうに構える、という番組のクライマックスがすばらしかった。
2006年初版はその時点でとっくに売り切れていたが、番組の放送と前後して朝日新聞出版から再刷が出た。1万5000円という価格に私は二の足を踏み、ぐずぐずしているうちにこの再版も売り切れ、あっという間に古本屋でプレミアがついてしまった。
しかたないかと思って数年が経過したいま、こんどはなんとポケット版が出た。たったの1600円。しかし、ペーパーバック的な手軽さがかえって快いゴンブリッチの『美術の物語』(ファイドン 刊)縮刷版とはちがって、あの『木村伊兵衛のパリ』の縮刷版を手にするというのはばつが悪いというか、「お前さんはせいぜいこのポケット版が身分相応だ」と背中から言われている気分である。
今回出たポケット版の『木村伊兵衛のパリ』をパラパラめくりながら、「これはヌーヴェルヴァーグ以前の、詩的レアリスムのパリだ」と前々から勘づいていたことを改めて認識した。もちろんその認識がこの写真集の価値を減じさせるものではない。発売後1ヶ月の逡巡をへて、結局これを買うことにした。ミイラのごときミュージアムの展示品を指をくわえて眺めるしかない現実を、むしろ完全に甘受するためである。そしてそれが否定の身ぶりではなく、肯定の意志によるものであるという確信が、私にはある。
2006年初版のこの写真集を初めて欲しいと思ったのは、NHK『日曜美術館』番組ホストの千住明がパリに旅し、アレクサンドル3世橋あたりで女優の緒川たまきと出逢う、そんなキザな演出で始まった木村伊兵衛の撮影地の再訪企画を見たことによる。ふだんこの番組は、制作会社による定型的な作りに委ねられているが、その回にかぎり『大停電の夜に』(2005)などを監督した源孝志によるディレクションで、かなり凝った紀行ドキュメントになっていた。コンコルド広場の夕景を前に、緒川たまきたちがライカをうれしそうに構える、という番組のクライマックスがすばらしかった。
2006年初版はその時点でとっくに売り切れていたが、番組の放送と前後して朝日新聞出版から再刷が出た。1万5000円という価格に私は二の足を踏み、ぐずぐずしているうちにこの再版も売り切れ、あっという間に古本屋でプレミアがついてしまった。
しかたないかと思って数年が経過したいま、こんどはなんとポケット版が出た。たったの1600円。しかし、ペーパーバック的な手軽さがかえって快いゴンブリッチの『美術の物語』(ファイドン 刊)縮刷版とはちがって、あの『木村伊兵衛のパリ』の縮刷版を手にするというのはばつが悪いというか、「お前さんはせいぜいこのポケット版が身分相応だ」と背中から言われている気分である。
今回出たポケット版の『木村伊兵衛のパリ』をパラパラめくりながら、「これはヌーヴェルヴァーグ以前の、詩的レアリスムのパリだ」と前々から勘づいていたことを改めて認識した。もちろんその認識がこの写真集の価値を減じさせるものではない。発売後1ヶ月の逡巡をへて、結局これを買うことにした。ミイラのごときミュージアムの展示品を指をくわえて眺めるしかない現実を、むしろ完全に甘受するためである。そしてそれが否定の身ぶりではなく、肯定の意志によるものであるという確信が、私にはある。