荻野洋一 映画等覚書ブログ

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渡辺保・高泉淳子 著『昭和演劇大全集』

2013-02-28 02:23:40 | 
 書店や図書館に行って気づくのは、日本の近現代演劇史を平明に語る本が存在しないという点である。大部の資料本、研究書ならなくはないが、歌舞伎、新派、新劇、新国劇、宝塚歌劇、浅草喜劇、東宝演劇、松竹新喜劇、不条理劇、アングラ演劇、小劇場演劇…とおびただしいジャンルが交錯し、競い合った昭和演劇シーンについて、われわれ遅れてきた世代に端的に説明してくれる本というのが、見当たらないのである。今回出た『昭和演劇大全集』(平凡社 刊)は、その空隙を埋める貴重な存在だといえる。
 2009年までNHK-BS2で月2回放送された『昭和演劇大全集』は、NHK秘蔵の劇場中継アーカイヴをどっと蔵出ししてみせたすばらしい番組だった。久保栄 作、村山知義演出による『火山灰地・第1部』(1961年収録)がこの目で見られたことにいくら感謝してもし足りず、京劇の梅蘭芳(メイ・ランファン)の来日公演『貴妃酔酒』(1956)には「堪能」という言葉以外に思いつかず、黒テントの『翼を燃やす天使たちの舞踏』(1970)の熱気もただごとではない。NHKにはぜひこのアーカイヴをソフト化してもらいたいものである。

 本書は、番組の冒頭30分ほどについてくる渡辺保(劇評家/元・東宝演劇部)と高泉淳子(女優/元・早大劇研、遊◎機械/全自動シアター)の対談を収録したもの。今でも思い出すが、この冒頭対談は非常におもしろかった。全部録画しておけばよかったと後悔していたのだが、今回こうして平凡社が活字にしてくれたのは、かゆいところに手の届く好企画である。
 この対談の魅力は、単にその日に放送される作品の解説というのに留まらず、対談者2名それぞれの、演劇に人生を投げ打ってしまった自画像を惜しげなく提示したことだ。新劇の全盛期については渡辺の講釈の生徒役に徹していた高泉淳子が、アングラ演劇、小劇場演劇以降は一転して自伝的な主体性を帯びていく。
 仙台の浪人生だった高泉が予備校の帰りに、いつもの公園に黒いテントが建っているのを発見する。抜き差しならぬものを感じた彼女が自転車でなんどもテントのまわりを回っていると、テントのなかの者から「怖くないから見ていけば」と声をかけられる。黒テントの『キネマと怪人』である。声をかけたのは斎藤晴彦らであった。この時の体験が、彼女にとって演劇を始めるきっかけとなったという。
 いっぽう渡辺保は、モスクワ芸術座の1959年の来日公演を回顧する。いまとちがって、当時は字幕スーパーが出なかったそうだ。

渡辺 ロシア語がわからない観客は、せりふは何もわからなかったんです。僕もロシア語はできないから、チェーホフの戯曲を暗記して見に行きましたよ。でも、なかなか全部というわけには行かないから暗転になったり、休憩になったら僕はものすごく忙しい(笑)。休憩中にはロビーで次のシーンを覚える。でも、おかげでこの2本(『桜の園』と『三人姉妹』)は全部覚えちゃった。
高泉 舞台監督さんみたいに?(笑)
渡辺 身分不相応なお金を払った上に、かなり辛い体験でしたよ。

『塀の中のジュリアス・シーザー』 タヴィアーニ兄弟

2013-02-26 01:18:15 | 映画
 17~18世紀フランスの歴史家・音楽学者フランソワ・ルグネは、1702年の段階で早くも「イタリア人がみんな生まれつき俳優である」と喝破している。この説は、その後も「カイエ・デュ・シネマ」誌のインタビューにおけるジャン・ルノワールに至るまで永遠に唱え続けられてきたのだが、昨秋の東京国際映画祭で上映されたマッテオ・ガッローネの『リアリティー』の主人公が辿った危険な末路が、そのもっとも現代的な証左となっているのではないか。

 葛生賢氏のツイートに「半信半疑で見たところ傑作だった」とあるのを読んで、さっそくタヴィアーニ兄弟『塀の中のジュリアス・シーザー』を見るために銀座テアトルシネマに駆けつけてみたが、これが駆けつけ甲斐あって余りあるすばらしい作品であった。
 たった76分の小品とあなどるなかれ。ローマの刑務所に服役中の囚人たちが演劇実習で、シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』を上演することになる。その稽古のようすを虚実の境界線上で舞い狂うように追っていく。狭い刑務所の廊下や階段がそのまま稽古の場所となる。ドキュメンタリーではなく、あくまでフィクションだが、起用されているのは本物の受刑者たち──それも麻薬売買容疑やマフィア対策法などで逮捕された、懲役10年以上あるいは終身刑の重罪者たちばかり──だ。それでもやはり、イタリア人はみんな俳優なのである!
 興味深いなと思ったのは、演者たちがイタリア語のセリフをしゃべっていること。ひとりのアルゼンチン人を除けば、全員イタリア人なのだから当たり前であるが、シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』はイギリス英語による戯曲であるため、イタリア語翻訳本を使用しているわけだ。
 ジュリアス・シーザー、つまりラテン語でユーリウス・カエサル(B.C.100-B.C.44)は、共和政ローマの終身独裁官(ディクタトル)であり、イタリア語の源流たるラテン語、ないしは当時のインテリの共通語である古代ギリシャ語をしゃべったと思われるから、いわば戯曲の言語体験が、期せずして先祖返りをはたした格好となったのだ。「Et tu, Brute?」(ブルータス、お前もか?)という有名なセリフは、ユーリウス・カエサル(現代イタリア語ではジュリオ・チェーザレ)を演じた囚人によってイタリア語で発せられ(ひょっとするとカエサルはこれを流ちょうなギリシャ語で発したかもしれないとされる)、シェイクスピアの戯曲がよりいっそう原初的なリアリティをまとっていくかのようである。


銀座テアトルシネマ(東京・銀座一丁目)ほか全国主要都市で上映
http://heinonakano-c.com

『ザ・マスター』 ポール・トーマス・アンダーソン

2013-02-23 02:07:44 | 映画
 ポール・トーマス・アンダーソンはもう『ブギー・ナイツ』や『マグノリア』のような、スコセッシ風群像劇にせつない香辛料をまぶした、グダグダの青春映画は撮らないのだろうか? 今回の最新作『ザ・マスター』も、前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の路線につらなるコワモテの作品となった。
 『マグノリア』でマッチョ・セミナーの教祖(トム・クルーズ)、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』では粘着質のカルト牧師(ポール・ダノ)と、自作内に宗教的カリスマを登場させてきたP・T・アンダーソンだが、今回は1950年に誕生したサイエントロジーの創始者の伝記からイメージを広げて、孤独な者たちの奇妙な友情をたどる浪々たるロマネスクへと織り上げた。

 太平洋戦争から凱旋帰国したものの、出征中に覚えた自家製密造酒のためにアルコール依存症を患った主人公(ホアキン・フェニックス)は、タダ酒にありつこうと忍びこんだナイトクルーズの客船で、新興宗教の教祖(フィリップ・シーモア・ホフマン)と運命的な出会いをはたす。たがいの何に感応したのか、二人はすぐに意気投合するけれども、教団内の誰も、この二人がなぜ仲がいいのかを理解できない(映画を見るわれら観客にも、本当の仲はよくわからない)。
 ただ、この二人の男が何かにすがりつき、何かに依存しなければ立っていられない性質であることだけは、画面の隅々から伝わってくるのである(大勢の信者が見学する前で、教祖が主人公に目をつむって歩行訓練させるシーンの、ヒリヒリするような危うさ…)。

 本作は、1950年代ハリウッドで活用されていた65mmという大型サイズのフィルムで撮影された。たしかに、『めまい』『北北西に進路を取れ』のあの過度にゴージャスとも言える、あでやかな画調がこの『ザ・マスター』で再現されている。追放された左翼インテリなんてひとりも登場しないし、迷えるあわれな子羊たちしか登場しないにもかかわらず、なぜか赤狩りの同時代だということが、濃厚に意識にのぼるようにできている。
 そして劇中で何度かかかる、フレデリック・ショパンの『別れの曲(エチュード第3番ホ長調)』(『ゴダールの探偵』でしょっちょう聞こえてくるあのメロディ)をカバーした女性ジャズ歌手ジョー・スタッフォードの『No Other Love』が泣ける。船が波を蹴る海面の俯瞰ショットにスタッフォードのボーカルがかぶさるあたりは、大島渚『夏の妹』(1972)のタイトルバック、船上から見た水面に武満徹の甘美なメロディがかぶさる究極の抒情に匹敵すると思う。『No Other Love』は、1950年のビルボード年間チャート10位。


3月22日(金)よりTOHOシネマズシャンテ、新宿パルト9ほかで公開予定
http://themastermovie.jp

『東京家族』 山田洋次

2013-02-19 23:47:30 | 映画
 詳細はいざ知らず、一般的に考えるなら、『東京物語』がパブリック・ドメインとなるのは公表後70年が経過する2023年であり、共同脚本の小津安二郎と野田高梧の著作権が切れるのは2018年のはず。山田洋次が最新作『東京家族』を表向き『東京物語』のリメイクとせず、あくまで「脚本 山田洋次・平松恵美子」のオリジナル作品としたのは、どうにも釈然としない。
 木全公彦氏が「映画芸術」誌に次のように書いている。「観ている間の居心地の悪さがエンドタイトルを見た途端、はっきりとした憤りに変わった。原作もしくは原案に小津安二郎と野田高梧とクレジットされてしかるべきなのに、それがないのだ。プロットはもちろんセリフまでそのまま流用しておいて、オマージュといって言い逃れ、先人の作品を盗んでよいものか」。
 これは木全氏でなくても、双方の作品を見た観客なら、誰もが感じる不信感であろう。大ラスに筆文字で「小津安二郎監督に捧ぐ」と大書しているのが、どうも慇懃無礼に見えてならない。松竹ほどの名門企業がコンプライアンスの隙間を縫う行為をしでかすわけはない(と思いたい)し、まさか小津家と野田家への著作権料を出し惜しみするための工夫をしたなどとはとても思えないから、きちんとした事情があるにちがいない。ただし法的に違反はなくとも、道義的な公明正大さが感じられないのである。

 山田洋次は1960年代末以降、松竹大船の親分に出世し、大船の正統的嫡子を自他共に任じているが、それは大先輩や才能ある同僚が松竹を去ったための棚ボタである。まず大島渚、吉田喜重ら才能ある山田の同年代監督が相次いで退社してライバルが消滅し、大巨匠の小津が1963年に死去。その数年後には、エースの木下惠介までが独立してしまった。松竹映画創業時の功労者・野村芳亭の息子である野村芳太郎の弟子として研鑽を積み、目立たない若手監督にすぎなかった山田洋次は、寅さんシリーズを通して大船調の延命と図式化に心血を注ぎ、今日の地位を得た。またそのプロセスで、芳太郎の門下仲間である森崎東のアナーキーさを、撮影所内の傍流に留めることにも成功した。
 ようするに何が言いたいかというと、山田洋次が小津にオマージュを捧げることに対して、噓臭さしか感じないのである。そもそも代々木系文化人としてならした山田にとって小津映画の世界は、打倒すべきアンシャン・レジームでしかなかったはずではないか。それがここへきて唐突に、新派で『麥秋』『東京物語』舞台化の演出を担当し(2010年1月、2012年1月 共に三越劇場)、さらに今回、リメイクを名乗らぬリメイク作品『東京家族』を発表してみせた。しかしそこには、おのれの映画人生と小津映画の関係性をめぐる総括がなされていない。これは、大船の新年会で生前の小津と衝突した経験をもつ吉田喜重が、自己の映画人生の総括も兼ねて『小津安二郎の反映画』(1998 岩波書店刊)を著したのとは、正反対の姿勢だと言えるだろう。

 山田は、おのれが図る大船調の延命と平準化作業の総仕上げとして、小津映画をノスタルジックに利用している。老父母が田舎から東京に出てきて子どもたちに会って回り、最後には老母が死んで、二男の嫁が義父と心を通わせるという、なんらストーリー的に小津版と大差がなく、今さらネタバレでもなかろうから書いてしまうけれども、母(吉行和子)の葬式が終わったあとの精進落としの席上で、父(橋爪功)が次のようなセリフを吐くのは、本作にとって最大のオリジナリティだ。
 曰く、「もう二度と、東京なんぞには行かん」。
 このセリフを受けて、子どもたち(西村雅彦、中嶋朋子、妻夫木聡など)がバツの悪い反応に終始するのは当然だからいいとして、小津版でもし、笠智衆が同じセリフを子どもたちに吐いたとしたら、どうなるか? 作品が保ってきた平穏だが厳しい緊張感がいっきに崩れ、単なる恨み節と都会否定のルサンチマンに堕落していただろう。
 ふるさと礼讃と大都会否定という貧しい図式に収まらない、曰く言いがたい絶望と空虚を薄笑いの気味悪さで覆い尽くした点に小津演出のすごみの一端があるわけだが、平成版を作った山田洋次と平松恵美子のコンビは、それを理解できていないか、理解していても貧しく安直な図式化に堕する感性の持ち主だということになる。私が先ほど、「法的に違反はなくとも、道義的な公明正大さが感じられない」と言ったのは、以上のような理由が作品の節々で、幾重にも重なったからである。


丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか全国で上映中
http://www.tokyo-kazoku.jp

『蘭蕙同芳図』と共にしばし時を過ごす

2013-02-16 04:37:50 | アート
 一幅の絵を見るだけのために美術館を訪れる、ということがあってもいい。

 もちろん、いま話題となっている展覧会をたくさんの客に混じって見て回るという体験も捨てたものではない。満員の映画館で映画を見ることに人は華やいだ気分を味わうのと同じように、人混みに文句をつけながら、ああでもないこうでもないと感応するというのも楽しい行為だ。
 ただ、たとえば上野公園の東京国立博物館、いつもの空いた常設展示空間のなかを突っ切り、目当ての作品に直進し、それを凝視する行為のもたらす充実感は、それを重ねたものにしか分からない(「常設」といっても頻繁に展示替えがおこなわれている)。

 南北朝-室町時代の禅僧、玉畹梵芳(ぎょくえん・ぼんぼう 1348-? 「えん」は田偏に婉の旁)の水墨画『蘭蕙同芳図』。大阪・泉南の正木美術館蔵になるこの名品が、人知れず東京に遠征に来ていた。以前にも書いたが、正木美術館というところは所蔵作品を大々的に披露しない。ぽつぽつと思い出したように出して来るのみである。だから、見られるときに見ておかねば、後悔と共に平気で数年間が過ぎてしまう。私が本作と再会できたのも2008年初秋以来のことだ。東新橋の東京美術倶楽部でおこなわれた正木美術館40周年記念〈禅・茶・花〉展でお目にかかって以来のこととなる。東京に居ながらにして正木の至宝を一望できた同展に駆けつけたのは、いまでも本当によかったと思う。
 玉畹梵芳は京都・南禅寺の住持を歴任した高僧で、詩・書・画にも才を示した。将軍・足利義持に重用されたが、応永27(1420)年に怒りにふれて隠遁し、以後の消息は不明とのこと。ギョクエン・ボンボウという名前の歯切れがいい。
 蘭蕙同芳の図の意味について、作品を所蔵する正木美術館が編纂した『水墨画・墨蹟の魅力』(吉川弘文館 2008)に明快な説明がある。
 「蘭(春に咲く蘭)と蕙(秋に咲く蘭の一種)が同時に咲き、『同芳』同時に芳香を放っている様子を描く図のことである。春と秋という異なる時空を超越して、同時に咲き薫る蘭二種を水墨で描きおこす。禅の問答にも似たこの画題は、禅僧たちの墨戯の主要なテーマであった」。
 春と秋が無根拠のうちに同居するという荒唐無稽のなすがままに、わが目玉をあそばせる。なんたる贅沢なる空間であろうか。パリで早起きし、テュイルリー公園のオランジュリー美術館で、クロード・モネの『睡蓮』によって視界を埋め尽くすのに匹敵する贅沢さである。