荻野洋一 映画等覚書ブログ

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京都・上七軒の石田民三

2012-09-30 11:23:19 | 映画
 先日、友人Hから郵便が来て、慶応大学院社会学研究科の紀要に中原逸郎氏の「花街の芸の再創造──京都上七軒における石田民三の寄与を中心に──」という論文が出ていたとコピーを送ってくれた。前に拙ブログで、石田民三が序文を書いた「さのさ節」の歌詞集成本について触れたり、『夜の鳩』(1937)の竹久千恵子を激賛したのを覚えてくれての厚意であろう。

 戦前こそ初期東宝の銀幕を妖しく彩った石田民三の情感に満ちた映画群であるが、戦後は吉本興業がプロデュースした『縁は異なもの』(1947)以外はぱったりと監督作が途絶えたと思ったら、京都五花街のひとつ上七軒でお茶屋の主人に収まって、その地で四半世紀におよぶ長い長い晩年を全うしたのである。
 今回の中原氏の論文を読むと、上七軒の芸妓・舞妓をあつめ、北野天満宮の奉納行事として1952年に始まった「北野をどり」が、じつは「元映画監督」石田民三の指導・演出のもとに実現し、毎春の恒例行事としてさまざまに趣向を凝らし、改良を重ねて今日の「北野をどり」へと発展していったことが詳しくわかる。創始して20年後、石田は1972年春の「北野をどり」演出を病のために辞退し、上七軒の芸の行く末を最後まで案じていたそうである(その年の秋に永眠 1901-1972)。
 石田の考案した「北野をどり」の演目は、たとえば同じ京都・祇園の「都をどり」や東京・新橋の「東をどり」とはちがって、立方と地方が日頃の鍛錬をオーセンティックに発表する場ではなく、戯曲があり、セリフがあり、役柄がある。言わば和風レビューの観を呈しており(時には、芸妓がフランス人形の衣裳をつけて踊る、宝塚顔負けの年もあったらしい)、京都の通人たちのあいだでは、親しみの情といささかの揶揄をこめて「北野歌舞伎」と仇名されていた。戦前あれほど若き名匠の名をほしいままにした人が、戦後はお茶屋の主人として無為に老いさらばえる図には、非常なる侘びしさを覚えていたが、これはどうやら余計なお世話だったようだ。

 石田が没して2年後の1974年には、京橋フィルムセンターで清水宏とのカップリングでレトロスペクティヴが開催されている。しかし今になって、アカデミズムからこうした論文が登場するというのは、真に石田再評価がなされるのはこれからということを、証拠立てているようにも思える。
 存命者で映画監督としての石田を知る最後の人は、おそらく女優の加藤治子ではないか。彼女は16歳のとき「御舟京子」の芸名をもって、石田の代表作のひとつ『花つみ日記』(1939)の高峰秀子のクラスメイト役でスクリーン・デビューを果たしている。加藤治子が元気なうちに誰かが彼女に訊いて、石田についての思い出を語ってもらうべきだろう。

五反田団+ASTROV『アンダスタンダブル?』

2012-09-27 01:42:00 | 演劇
 フランス、ベルギー、スイスなど西欧諸国でのツアーが成功を収めている五反田団の最新作『アンダスタンダブル?』(作=前田司郎 演出=ジャン・ドゥ・パンジュ)が、彼らの根城である東京・東五反田のアトリエヘリコプターで上演されている(写真はロビー)。

 フランス・メッスで活動するASTROVのジャン・ドゥ・パンジュが前田戯曲の演出を試みたこの日仏合作は、日本人の男女3人組とフランス人の男女3人組、計6名のあいだで交わされる言語不通による奇天烈な騒動のみで構成されている。構成、などとシャチホコ張って述べるまでもない。最初に登場人物の誰かが、相手の心を直撃する領海侵犯のごときワンセンテンスをぶざまな英語で発してみせ、これがスイッチとなってナンセンスなから騒ぎが、1時間15分というB級映画のような上演時間内で演じられる。大島渚『絞死刑』の中の空想的な寸劇を思い出させもし、往年のコント55号を思い出させもする。
 ひたすらバカバカしい会話がくり返され(フランス男のひとりは「これはカンバゼーションでさえない」と当たり前の見解をまくし立てるが、当然そうした指摘は無視され棚上げされる)、ここで支配的な言語はたとえば「私はあなたを愛している」「なぜ?」「なぜなら私はあなたを愛しているからだ」といったトートロジカルな遊戯である。
 日本男Aはフランス女Aを映画に誘う。「どんな映画がお好き?」「戦争映画」。成り行きからしぶしぶ男女は客席に腰かけ、われわれ観客と同じ目線から「戦争映画」を眺め、さらにみずからも溶け込んでいく。チェーホフ『かもめ』における無残に失敗したトレープレフの前衛劇のごとく転覆し座礁する「戦争映画」。その「映画」で発せられる言語はもはやフランス語でも日本語でもなく、発声されることのみを目的としたでまかせの(彼らに言わせればフェアな)言語(のなれの果て)である。
 「この演劇は原初の演劇の感動を色濃く残していると思えてならない」と、前田司郎は配布されたペーパー内で自負しているが、まったくもって同じことを私も感じた。

『ライク・サムワン・イン・ラブ』 アッバス・キアロスタミ

2012-09-25 07:45:18 | 映画
 アッバス・キアロスタミの映画であらわとなる、現実の禍々しさをありのまま写し取ったかのようでありつつどこか浮世離れした、油断のならぬ瞬間が、いかなる環境で可能なのか、それは現代映画の七不思議のひとつであった。
 そして、キアロスタミ映画の極意を暴きたてる好機が、ついに私たち日本の観客の手の中に転がりこんできたのだろうか。マリン・カルミッツの「mk2」社とユーロスペースの合作であるこの『ライク・サムワン・イン・ラブ』は、日本国内でロケされ、日本の俳優陣によって演じられたキアロスタミ映画である。したがって、イランという地形特有のユニークさを剥ぎ取って、より純粋にキアロスタミ的なものとは何かということが、日本的風土にローカライズされることによって、より赤裸々に露出するのではないか。そう期待したわけである。

 結果は意外に、というか当然というか、本作は単にキアロスタミ映画であって、上で「七不思議」と呼んだものは依然として七不思議のままである。作品に写っている風景は東京に見えて、地方都市にも見える。地図の連続性に対してまったく頓着しない、高速道路沿線に広がる(やや嫌悪をもよおす無味乾燥な)街並みが写り続け、それはキアロスタミ的斜面の変相である。前作『トスカーナの贋作』(2010)では、中部イタリアの風景のむせかえる美しさに完敗を喫したキアロスタミが、ここではイラン時代の斜面風景に対するサディスティックな扱いを取り戻しているのだ。
 最寄りのドラッグストアがどれほど遠いのか、消毒薬ひとつ買いに行くのに駐車したばかりの車をすぐまたバックで発進させる空気の不快さ──この駐車場から車が発進するたびに幼稚園児などの通行人が出会いがしら停止を余儀なくされる──を、エキストラもふくめた登場人物のうち誰かが当然感じているはずだが、それを的確に描写するのは作者の仕事ではないと言わんばかりのサディズムが、この作品の基調となっている。
 人は、嘘を不本意にも信用し、真実を不本意に斥ける。この苛酷さはつねにキアロスタミの画面に、田舎のロケーションが醸す素朴さとは裏腹のストレスを焼き付けてきた。その禍々しさが今回、日本語によるダイアローグという願ってもない優位性を得た日本観客の眼前についにあらわとなるのか、と思わせつつ、それでもキアロスタミ映画は、またしても動物的な単刀直入さでストレスフルな状況に観客を追い込むのみである。
 この動物性を、現代の観点から名づけるなら「コメディ」と名づけてもいいのではないか。説明してほしいところで口をつぐみ、要らぬ場で饒舌となる、油断のならぬ映画機械が、キアロスタミのしかけたCrazy little thing called loveだろう。


ユーロスペース(東京・渋谷円山町)他、全国で順次公開
http://www.likesomeoneinlove.jp

NHKラジオ『まいにちフランス語』10月号

2012-09-21 03:57:13 | ラジオ・テレビ
 NHKラジオ第2放送のテキスト『まいにちフランス語』10月号が発売された。フランス語という言語に興味があってもなくても、あるいは第二外国語でいやいや履修した薄れゆく記憶しか呼び覚まさないとしても、これは購入すべきテキストだ。

 10月から来年の3月まで番組のホスト講師を梅本洋一がつとめる。これはただのフランス語講座ではない。フランソワ・トリュフォーの「声」を毎週木曜と金曜に聴くという僥倖に恵まれるのである。1982年4月、渋谷のパルコ・パート3(だったと思う)で開催されたぴあフィルムフェスティバルのフランソワ・トリュフォー全作品上映のために来日したトリュフォーに、若き日の梅本洋一がインタビューした。その貴重な「声」の記録が30年の時をへて目を覚ます。
 「まだ20代で駆け出しの映画批評家だったぼくは、フランスから帰国直後で、傲慢な自信だけは持っている、恥ずかしい未熟者でした。」
 と、本テキストの「講師あいさつ」で書く梅本洋一だが、私は彼がすばらしいインタビューアであることを肌で知っている。ティエリー・ジュスがおこなった北野武へのインタビュー、シャルル・テッソンがおこなった大島渚へのインタビュー…そうした場における通訳者としての、まるでスタジオシステム時代のショット切り返しを見ているかのような小気味いい言葉の刻み。
 あるいは、バスティーユの新オペラ座の裏の路地(忘れもせぬブール・ブランシュ路地……)にあったころの仏「カイエ・デュ・シネマ」社屋でセルジュ・トゥビアナ(当時の社長兼編集長)およびその弁護士と日本版刊行に関する商法的な交渉を終えて、やれやれといった表情で軽口を叩く氏の「声」。それらのひとつひとつを、私はすぐそばで聴いていたからだ。
 したがって私個人にとってこの番組を聴くことは、生前のトリュフォーの貴重な「声」に耳を傾ける体験であると同時に、「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」時代以来長らくご無沙汰だった梅本洋一のじつに小気味のいいフランス語による映画作家との会話を追憶する体験ともなるだろう。

 10月号には、元カイエ共同編集長で現レ・ザンキュップティーブル編集長のジャン=マルク・ラランヌがゲスト・コメンテータとしてトリュフォーについて語るほか、梅本氏本人からちらっと聞いた予告では、今後、セルジュ・トゥビアナも登場するらしい。
 若き日の2人のセルジュ(ダネーとトゥビアナ)が1970年代半ばにポンコツ寸前の「カイエ」を引き継ぎ、ナルボニ、コモリの毛沢東主義時代にすっかり退潮し縮小した「カイエ」を再建するために、まずは(五月革命のあと「カイエ」とは絶交状態となっていた)トリュフォーに会ってみようと決心する。「レ・フィルム・デュ・キャロッス」の事務所を2人の青年が緊張しながら訪問し、その結果、雑誌の大先輩であるトリュフォーからどういうことを言われたか、そうした20世紀フランス映画のきわめて重要な裏面史がトゥビアナの「声」によって披瀝される予定だという。また、トリュフォーゆかりの女優も登場するらしい。
 「しょせん語学番組だし、ファーストランは朝早いし、気が向いたらポッドキャストで聴いてくれればいいよ。ただし、音楽についてはトリュフォーゆかりのいい選曲ができていると思う。JASRACで許可が下りない曲が多くて困るけど」と梅本氏は照れ隠しに言うが、この番組は、ヌーヴェルヴァーグの真髄にリタッチするための絶好の機会となるだろう。

NHK出版

『デンジャラス・ラン』 ダニエル・エスピノーサ

2012-09-20 01:47:43 | 映画
 監督のダニエル・エスピノーサは初耳の名前だが、南米系スウェーデン人で、母国スウェーデンや隣国デンマークを中心に数本の映画を作ってきたらしい。今回の『デンジャラス・ラン』がハリウッド進出第1作のようだが、確かな力量の持ち主であることは、誰もが数カット見ただけでわかるだろう。『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフンがある種のシネフィリーにおいて疎んじられたのはわからぬでもなかったけれど、同じ北欧に出自を持つアクション映画の作り手でも、エスピノーサの野心はウィンディング・レフンの(アメリカ映画とは別種の)異臭を放つマニエリスム(これを私は評価するのだが)に比して、はるかに慎ましいものである。

 元CIA工作員の裏切り者(デンゼル・ワシントン)は犯罪映画の悪漢を地でいくような神出鬼没の登場人物で、窮地に追い込まれると、周囲の状況をうまく利用し、時には群衆の流れに身を任せながら姿をくらますのが得意である。彼は、マイクロチップだかデータカプセルだか忘れたが、その手の「こけ猿の壺」を握っていて、このマクガフィン(泥棒ならダイヤのネックレス、スパイなら極秘書類といった、逃走劇を動機づけるための小道具のこと)のために彼は全世界の諜報機関から命を狙われるのである。
 これに対して、作者がデンゼル・ワシントンのお守り役として用意した主人公──イェール大学出身で経験不足の新米エージェント(ライアン・レイノルズ)──としては、南アフリカ・ケープタウンの隠れ家の管理人という閑職に耐えていたところに、大魚を釣るチャンスが巡ってきたわけだ。彼の得意技はずばり “待つ” こと。隠れ家の管理人として彼はチャンスを待ち、「客人」(たとえば参考人の尋問者など)を部屋にお通しするのが役目だ。
 彼は突然訪れたパニックに面食らいつつも失敗からすぐさま学び、自分にふさわしい振舞いが待機であること、場合によっては四駆のバンで先回りして、大事な「客人」を自分の空間へと誘導することが、いかに自分に有利な状況を呼び込みうるかを体で体得していくのである。ライアン・レイノルズとデンゼル・ワシントンのカップルはこうして、ホテル、アジト、サッカースタジアム、貧民窟と、ケープタウン市内のあらゆる場所で何度も罠にかかろうとも、行く先々に敵よりも早く到着することを心がけ、待機と誘導が絶体絶命の自分たちに幸運をもたらすことになるはずだと、声に出さずとも忠実に実行していくようになるのである。
 ラストに登場する、南アの荒れ地の中の一軒家──それは不意に西部劇にワープしたかのようだ──ほど、待機と誘導の原理に裏打ちされた彼らにふさわしい空間はないだろう。


TOHOシネマズ有楽座(東京・有楽町 ニュートーキョービル)他、全国で公開中
http://d-run.jp