荻野洋一 映画等覚書ブログ

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本谷有希子 著『本谷有希子の この映画すき、あの映画きらい』

2012-08-31 02:48:26 | 
 雑誌における映画レビューの連載というと、私はなぜか途端に不寛容なる頑固老人χと化して、書店で立ち読みしながら心の中で毒づいているのが常である。「どうしてこの書き手は少なからぬ(?)ギャランティをもらって、この程度のことしか書けないのか?」などと、おのれの不明を省みずに無言で毒づくのである。「キネマ旬報」誌における浦崎浩實の連載「映画人、逝く」のような例外は、過去にも決して数多くはない。
 私自身、一度だけ連載をもったことがある。1990年代後半から2000年代前半の「図書新聞」紙における「映画の現在」なるものがそれで、何を書いたか今ではまるで覚えていないけれども、わがAlter egoたる頑固老人χの毒づきを免れ得るかといえば、そうでもあるまい。
 たとえば津村記久子の「en-taxi」誌における連載「えいがてくてく」などは、客観的にみれば脱力系映画評論としては悪くない連載なのかもしれないが、これは頑固老人χの醸す不寛容の典型的な被害者となっている。じっさい、この小説家の物言いはなぜ毎度こうでしかないのだろう?と不思議でしかたがないのだ。津村本人からすれば、本職でもない雑文でごちゃごちゃと姑じみた小言を言われるのは、まことに余計なお世話であろうが。

 そこへ行くと、劇作家・演出家の本谷有希子の「日経エンタテインメント!」誌における聞き書きの連載をまとめた最新刊『本谷有希子の この映画すき、あの映画きらい』(日経BP社)は、その見解がことごとく頑固老人χのそれと異にし、またその異なり方が〈書き手-受け手〉のがっぷり四つの感覚を限界なく高めてくれ、これはこれで頑固老人χの出動のし甲斐があるというものである。
 なにしろ、クリント・イーストウッドのあの素晴らしい『チェンジリング』(2008)が彼女にかかると、述べるべき感想によほど難渋したのか、すさまじくデカイ文字でたった8行をもって済まされ、「本当の事件がベースだから変に演出しなくても充分におもしろいことはできる、ということなんだろうな」とあっさりと締めくくられてしまう。文中の「変に演出しなくても」というところに多大なる含蓄があるのかもしれないが、頑固老人χにとってイーストウッドは(たとえキャストには何の指示も出さないとしても)ただただ偉大なる「演出」の人なのであって、「演出しなくても充分におもしろい」などと無手勝流に放言されるスジアイはないのだ、というふうに、あらぬ興奮を掻き立ててくれる。
 その他つれづれに列挙すると、「人間を描けるダニー・ボイルですらそうなんだ」(『スラムドッグ$ミリオネア』)…へえ、ダニー・ボイルは人間を描ける人でしたか。「見終わったあと30分くらいしたら何が描かれていたか忘れちゃう」(『それでも恋するバルセロナ』)…どうぞ心置きなくお忘れください、頑固老人χが記憶力を代行します。「アニメを真似したアニメに見えてしまった」(『サマー・ウォーズ』)…ああそうですか、貴女は演劇を真似した演劇を作ったことは一度もないですか。「今はまだ “すごいもの生まれろ!” という監督の願いを一緒に見ているよう」(『しんぼる』)…お付きあいを大事になさいますね。
 以上、この人の投球は頑固老人χにとって、すべて打ち返しやすいコース。もちろん、わが意を得た完全同意の作品評も数多くあったが、それは挙げてもつまらないだろう。この本から繰り出される投球はキャッチャーとしてでなく、バッターとして付き合ったほうが元気よく読める。

『THE GREY 凍える太陽』 ジョー・カーナハン

2012-08-28 01:59:14 | 映画
 この監督の「最高傑作だ」という藤井仁子氏のブログ記事に煽られてジョー・カーナハンの最新作『THE GREY 凍える太陽』を見に行ったら、その壮絶なる単調さ、厳しいシーンの連鎖に視線が釘づけとなってしまった。徹夜作業あけのままトボトボと上映場所の錦糸町楽天地に足を向けたが、だるい体調が一片に吹っ飛んでいった。
 旅客機の墜落、アラスカのマイナス20度の酷寒、人喰い狼の恐怖などと、主人公(リーアム・ニーソン)ら7人の生存者は、災難に次ぐ災難を経験しなければならない。大雪原でのサバイバル劇というと過去にもいろいろあったが、主人公をはじめ本作の登場人物が面白いのは、救出への希望と生への執着とは別の回路──茫洋とした、真空管的な、たぶん子どもの時にプールの中で死体を演じた体験に似た、他人の目も憚らずに “呆然とする技術” ──を隠し持って、生死の境でもジュクジュクと育てていることだ。
 一行は、狼の声におびえながら雪山で焚き火を焚いて一夜を明かす。焚き火を囲む寝床は、西部劇の旅程で現れるアメリカ映画史の深淵へと降りていく符牒となっているだろう。一行は精一杯わずかな空隙を見つけて、ナイーヴな一面を晒してみせるものの、それが生きるための力となるのか、死への甘辛い扉となるのかは判然としない。

 私にも、こうした道行きを思い出させるちっぽけな体験がある。7年前、あるドキュメンタリー・ビデオのディレクターを務めたとき、真夜中にカメラマン1名およびAD2名、制作担当1名と共に山登りをして頂上からの日の出カットを撮影しようとした際、真っ暗な山道の両脇からウーウーという不気味な野犬のうなり声が聞こえてくるのに耐えながら、懐中電灯であたり一面を必死に照らしつつ(藪の中ゆえ、いくら懐中電灯をあてても、鬱蒼とした草木と足下の斜面のほかは何も見えないのだが)、努めて強がって登ったものである。
 あの作品の撮影ではたしか、別の日の登山でぞっとする超常現象に出会った。あいにくの雨にたたられながらも山頂に達したとき、われわれロケ隊のほかに周辺には誰もいないというのに、なぜか複数の女たちの会話がかまびすしく聞こえてきたのである。その後も、あの時のスタッフと会う機会があるといつも「あの不気味な女たちの会話は、何だったんだろうね?」と語り合ってしまう。

 「俺はアイルランドのクソ野郎の息子だ。そして父は俺を愛していなかった」と、リーアム・ニーソンがいくぶんか緊張を緩めた無表情を焚き火の火で赤く染めながら、遠慮がちに告白しはじめる。一行のメンバーは、生死の先が見えない中、いったいどんな心境でこの無愛想な不良中年の個人的追憶に耳を傾けたのだろうか? 旅客機墜落事故の発生するつい前夜までは、愛する女性の喪失と内なる絶望を最終地点まで突き詰めて自殺を試みようとした男が、一転してサバイバルに精を出さなければならなくなる。それでも果敢にリードをとっていく姿の哀切さは、人喰い狼が産みだすモンスター・ムービー的恐怖を丸ごと呑み込むほど痛々しかった。
 ちなみに本作は、リドリー・スコットのプロデュース、製作総指揮は先ごろ亡くなったトニー・スコット。兄弟で産みだした最後の作品である。


丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか全国で上映中
http://grey-kogoeru.com

ボリス・ヴィアン 著『サン=ジェルマン=デ=プレ入門』

2012-08-25 09:24:38 | 
 私は先日の記事の中で、〈小百科〉なるジャンルへの愛について、性懲りもなく何度目かの言及をした。しかしながら、あいにく江戸=東京の演劇地誌というくくりではどうもしっくりと迫ってこないという諸賢もいらっしゃると思うので、より広範な理解を得られるだろう重要な例を出させていただきたいと思う。ボリス・ヴィアンの『サン=ジェルマン=デ=プレ入門』(2005 文遊社)がそれで、原書は1974年にエディシオン・デュ・シェヌ社から刊行されたが、ヴィアンがこれを書いたのは1950年とのこと。

 ヌーヴェル・ヴァーグの勃興より十年ほど遡ったパリの文明地誌が、本書で改めて浮き彫りとなる。サルトル、ボーヴォワール、カミュや著者自身をはじめとして、ジャック・プレヴェール、オーランシュ&ボスト、メルロ=ポンティ、レーモン・クノー、ジュリエット・グレコ、ジャン・グレミヨン、ジャコメッティ、ジュネ、コクトー、アンヌ=マリ・カザリス、アレクサンドル・アストリュック……といった人々がどのカフェを書斎代わりとし、誰と待ち合わせ、どのビストロで何を喰い、どの〈穴倉〉(地下クラブ)でジャズを聴き、泥酔し、踊り狂い、どの通りで夜中の痴話喧嘩を演じているのか、そのようなことが微に入り細に入り、ヴィアンの裁量で記録されている。
 「地理的条件」「住民」「伝統的な事実と伝説的な神話」「本当の事実と神話」「名士(人物辞典)」「街路」「薬量学と用法(教理問答)」などといった章立てがなされている。中でも異色なのは「伝統的な事実と伝説的な神話」で、この章では、サン=ジェルマン=デ=プレの風俗をよく思っていない新聞や雑誌の記者たち(著者に言わせれば「駄文書き」たち)が不十分な取材と理解で書き散らした憶測と悪意と捏造に満ちた記事がたくさん引用されている。引用しつつ、ヴィアンは彼ら「駄文書き」の名を挙げて毒づいているのだが、それにしては本書の前半およそ80ページものスペースがそうした「駄文」と、それに対するヴィアンの憎悪と悪態で占められている。むしろ単なる事実以上に「駄文」の列挙とサン=ジェルマン=デ=プレという土地の関係が、生彩を帯びていってしまうのである。これは、著者の意図した逆説的ユーモアであり、土地のもつ神話的な厚みの証明ともなっているのだろう。

 〈小百科〉にはこの逆説が必要な気がする。網羅しているふり、あるいは事実を懇切に叙述しているふりをしつつ、じっさいには偏在とアイロニー、メタフィクションの混入してくる余地が、〈小百科〉には狡賢く残されている。大通りの理路整然よりも、短い小径や行き止まりの路地の混濁が生彩を帯びるための装置が、〈小百科〉というジャンルの正体であると思う。

『Virginia/ヴァージニア』 フランシス・F・コッポラ

2012-08-22 03:35:03 | 映画
 自身何度目のそれなのかはわからないが、とにかく時ならぬ黄金期を迎えたフランシス・F・コッポラの、こうした真の巨匠だけに許されているとしか思えない投げやりな律儀さは何なのだろう? 『胡蝶の夢』『テトロ』とスピード感を早めたと思ったら、こんどは釣り橋の上で立ち往生する。
 夢魔にみずからはまっていきつつ足下の渓流を見下ろすと、ヴァージニア(≒自分の不注意のために水難事故で亡くなった娘)の青白い顔が、渓流の水面に大写しされる。狂信的な牧師に殺害される処女──それは『狩人の夜』でR・ミッチャムによって殺され損なったハーパー兄妹が、もう一度魔の手にかかったかのようだ──は、処女地(Virginia)の墓の下で静かに凍えている。耳面刀自(みみものとじ)を慕いつつ非業の死を遂げた大津皇子が柩の中で寒さのあまり凍えているところを藤原郎女(いらつめ)がその嘆きを感知してしまうことによって曼荼羅が作動しはじめるのに似て、主人公ホール・ボルティモア(ヴァル・キルマー)は処女地の薄い皮を次々に剥いでいくことで、娘の死による罪と罰の観念に正面から対峙することになる。吸血少女ヴァージニア(エル・ファニング)が名乗ってみせるイニシアルの「V.」、これはニコライ・ゴーゴリの妖婆か、それともトマス・ピンチョンか。
 この正面性は映画作家の名誉に属する。オリヴェイラのじつにアンニュイな傑作『アブラハム渓谷』(1993)が示す高貴な正面性に、コッポラは限りなく近づいている。きょう本作を見たのだが、わが脳内は今夜、甘美な悪夢を見てしまう予感が濃厚に漂っている。


ヒューマントラストシネマ有楽町での公開終了後、シネマート六本木でムーブオーバー
http://virginia-movie.jp/

なくなった店・覚書

2012-08-19 12:28:42 | 味覚
 浅草の居酒屋「松風」、深川のどじょう屋「伊せ㐂」、日本橋蛎殻町の座敷「前田」、銀座の蕎麦「利休庵」などなど、ここ数年で暖簾を下げた店を拙ブログでは(余計なお世話であるが、私なりに悲痛な思いで)たびたび名残惜しんできた。
 錦糸公園のショッピングモール「Olinas」に入っているTOHOシネマズ錦糸町で映画を見た帰り、「Olinas」に入居する食べもの屋は悪いけれどまるで口に合わないので、総武線ガードをくぐって、江東橋の天ぷら屋「よこやま」へ向かって歩き、着いた瞬間ガクゼン!である。なんと「よこやま」閉店らしい。閑古鳥の鳴く店に意地で通いつめて、それでも「閉める」と言われればこちらも「致し方なし」とあきらめがつくけれど、閑古鳥でもないのに旨い店が勝手になくなるのはどういうわけなのか。私は墨田区民に責任をなすりつけたい、彼らの怠惰のせいにしたい、とそういう手前勝手な八つ当たりの気分にべたりと浸るのだった(先ほどまで江東区民と私は書いていたが、これは冤罪で、江東橋はぎりぎり墨田区である)。たしかに、隅田川以東としては値段も高くそうしょっちゅう入れる店ではなかったけれど…。主人はどこかで従業員として働いているのだろうか。
 こうなったら、日本橋人形町で最近見つけた隠れ家的に食べ物も酒も旨い店「W」、それから夜遅くまで(朝早くまで)旨いカクテルを出してくれるバーテンダーのいる「A」はなんとしても潰れないように死守しなければ。さらに、小網町の鰻屋「K」も人形町の寿司屋「K」(「き」ではないほう)も繁盛店とはどうしても思えないので、私設応援団的にある程度は定期的に食べなければ。
 ところで人形町といえば、金座通りに昔からあるざっかけない蕎麦屋「翁庵」も、このところ店を開けているのを見ない。おそらく廃業かと思われる。往時は故・藤田まことをはじめとして、明治座出演中の演者たちの空腹を満たす名物店だったが、その歴史がついに閉じた。それと金座通り近辺でいえば、喫茶界の名門「越路」の追悼も以前に書いた覚えがある。往時は、芳町芸者と末広亭(現・ぱぱすドラッグ)出演中の噺家、力道山ジム(現・NTT茅場兜ビル)のレスラーなどといった奇妙な取り合わせの客層が、思い思いに一息つく場所であったという。
 北京宮廷料理の免許皆伝、いわゆる「正宗」の料理を出す赤坂の「涵梅舫(かんめいほう)」も忘れてはならぬ。映像制作会社オムニバス・ジャパンの道を赤坂小学校のほうへ歩いた角地のビル1階に入居していたが、再開発工事とやらで移転先さがしのため一時休業中である。一時休業という文言が本当ならいいのだが。「涵梅舫」には、友人Hに誘われて一度だけ食べに行ったことがある。最初に出た五種冷菜もさることながら、松茸と絹傘茸入りの澄まし汁が絶品で、あれはぜひ再び味わってみたいものである。北京ダックも最後の温かいデザートも旨かった。移転なら移転で、この際もっといい場所をさがしてもらいたいものだ。正直なところ従来の店内は内装がくたびれていて、「きたなくても旨い店」などという考え方は大衆店ではまかり通るが(私はそれも疑わしく思うが)、この店はそれに該当しないのである。