荻野洋一 映画等覚書ブログ

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篠山紀信写真集『GINZA しあわせ』

2012-04-30 08:38:04 | アート
 少年時代、よく銀座の街をほっつき歩いていた記憶があるが、いつも一人の記憶だ。とぼとぼと路地という路地をほっつき歩き、時間になると映画館へ入る。あの時代は銀座・日比谷・有楽町の映画館でプログラムを買うと、表紙に劇場名がエンボスの金文字で彫り込まれていて、プレミアム感があった。べつに他人に自慢できる品というわけでもないが、それでもときどきは買った。一人で外食する楽しみを最初に覚えたのも中学時代、東銀座のナイルレストランにおいてである。風邪をひいた身体で銀座へ出かけ、『地獄の黙示録』を見終えると発熱していて、ふらふらとビルの壁に掴まりながら歩いたりもしたのも印象深く、とにかく少年期の思い出が一杯つまっている街ではある。
 まあそんな些末な極私的記憶はともかく、銀座という街は、いまも昔も人を晴れやかにする空気が流れている。銀座はさまざまな作品に登場し、手垢にまみれたモチーフのはずであるが、パリなどと同じくモチーフとしての耐性は尋常ならざるものがある。

 篠山紀信がこのたび、銀座の老舗を撮った。現代日本の写真家で一番偉い人は、なんだかんだ言って篠山紀信である。この人の撮る作品が、放射するエネルギーという点でも単に技術力という点でも他の追随を許さないことは、どこにでも転がっている彼のヌード写真を見れば明らかだろう。
 すごい篠山のすごくない写真集『GINZA しあわせ』(講談社)。このすごくなさ加減に、なんとも言えない安逸感が漂う。銀座の老舗とその経営者たちにカメラ目線で笑顔をたたえさせながら撮りあげた30枚ちょっとの写真。そこには、浅薄な才気や自我をまったくまとわないことを体得した商人たちの自信に満ちた微笑が写っている。私のような育ちの人間には、一生かかっても出せない微笑である。
 登場する30軒あまりの店とそこの人たち。このうち私が出入りしたのはせいぜい日動画廊、Miyuki-kan、うおがし銘茶、銀座とらや、和光、伊東屋くらいか。クラブも料亭もテーラーも無縁の人生であるが、これはしかたがない。築地市場に本店を構えるうおがし銘茶の茶は亡父が生前好んでいたため、以前はよくこの店の茶葉を買ったし、そんな誼(よしみ)もあって父の四十九日の香典返しもここで贈答セットを見繕ってもらったりしたが、最近はめっきり買わなくなった。ようするに、茶葉を買いにわざわざ銀座・築地まで足を運ぶ余裕みたいなものがなくなったのであり、そんな細部から人は変わっていくということだろう。その代わりこんど、二葉鮨の暖簾をくぐってみようか。写真に写る内装も店主夫妻の笑顔も素敵だから。

『女妖』 三隅研次

2012-04-25 01:41:52 | 映画
 このところ仕事が忙しく、映画を見ない日々が続いていた。べつに業界御用達評論家じゃなし見なきゃ見ないで済んでしまうのだが、それもひどく味気ない身の上だ。結局、録り貯めたまま放置してあるHDDの中の膨大なタイトル数を、眠い目をこすりながら早朝鑑賞するのが関の山ではあるが、こういう時期はふだんの鈍感さが奇妙に払拭され、敏感に映像=音声が五官に響く印象が出てくるのである(それもしょせん幻想ではあるのだが)。
 今回たまたま初見となった三隅研次の『女妖』(1960)が、そうしたナチュラル・サイケデリックな映画体験のよき友となった。週刊誌に人気連載をもつ流行作家(船越英二)をめぐる3人の女──山本富士子、野添ひとみ、叶順子。オムニバス形式で語られる彼らの出会いと別れが、あっさりと、そしてそこはかとなく切ない。絶妙に抑制された抒情だ。原作者・西條八十の実体験が元になっているのだろう。浅草やくざの女親分の跡取り娘(山本)であるとか、セレブ専門の女詐欺師(野添)、上海住まいの情婦の忘れ形見(叶)などと、軽薄なる荒唐無稽を語って平然とした物語が3つも連続するのだが、妙な現実感がごそごそと物音を立てている。三隅研次は時代劇がすごいけれども、現代劇もやっぱりいい(『とむらい師たち』を見よ!)。
 ラスト、行方不明となった叶順子が白紙の日記を郵送して寄こしたことに対し、船越英二が芝か高輪あたりの高級マンションで、週刊誌の編集長相手にたそがれた感慨を述べあっている(またこの編集長が、あり得ないほど完璧な理解者なのである)。編集長は、船越を慰めるように詩を暗唱する。「賢者は 砂上に城を築く いっさいが 永遠の前には 無駄であると知りながら 愛さえも 風の吐息 空の色よりも 儚いと知りながら なおも城を築く」。ソファに力なく腰かけた中年男2人をカメラがベランダからとらえ、窓ガラスには東京タワーがあざやかに映り、レースのカーテンが男たちの表情に微妙な紗をかける。いまはもう滅んだ昭和の文士らしい一場面であった。

浦崎浩實 著『歿 映画人忌辰抄』

2012-04-19 00:38:20 | 
 キネマ旬報の連載コラム「映画人、逝く」が、『歿 映画人忌辰抄』と改題され単行本になっている(2010 ワイズ出版)。「幽明界を異とせず! すべての映画人を “死者” から解放しよう」なる帯の惹句もおどろおどろしく、墓石のような柄の装丁、そして「歿」などとなにやら縁起でもない書名をもつ本書は、著者・浦崎浩實の映画人への敬い、そして慈しみの心情が丹念に跡づけられる。A・ラットゥアーダからジューン・アリスン、松川八洲雄まで、追悼の連載記事をまとめたわけだから、ほとんどこれは閻魔帳そのものだが、そのことがある種自虐的な可笑しみにも転化している。

 たくさんの人がブログやツイッターなどネット上の個人媒体を通じて、有名人の死去に際し、思い思いの追悼のつぶやきを日々書きこんでいる。そして逆に、そんな世間でどうしても生起しがちな付け焼き刃の惜別ムードを、分別くさく糾弾してみせるご意見番も登場する。ご意見番諸氏の公憤もわからぬではないが、私は別にかまわないのではないかと思う。このネット時代はピンからキリまで、専門の研究者から単なる野次馬まで、種々の追悼が乱反射し、あの世に赴く才人たちを騒がしく送り出す。その中には少ないながらもすぐれた追悼がきっとあり、心ある読み手は、それを他意なく賞讃すればいいだけのこと。
 その点、浦崎の筆致は、私のような輩がつい書いてしまう陳腐な追悼文などとは180°違って、豊富な知識と交流、取材経験に裏打ちされており、なおかつきれい事に終始せず、ピリリと辛口の批評意識も置き忘れてはいない。たとえば谷口千吉のページでは、「女性を犠牲にご自分はいい思いをしてませんか、それも映画監督の器量なるや、と私は嫉視して前倒しの墓参りをしていた」(08年3月下旬号)などとずいぶん手厳しいというより、嫌がらせに近いことを書きつけている。これは極端な例。ベルイマンなど北欧映画の研究紹介で知られた三木宮彦に向け、「映画ジャーナリズムの喧噪に終始距離を取りえた幸福な批評家」と追悼文を閉じるあたり(07年5月上旬号)、その一見平凡な文言の中に多くの思い至るところを読み取り、私などはつい過剰に感じ入ってしまうのである。

 故人が生前に到達し得なかった潜在的願望、あるいは心残りの事情、言いしれぬ矜持を、図星で書き起こしてみせる。これに溜飲を下げて冥界に旅立った故人もかなりいらっしゃるのではないか。一人を除いて…。じつは本書は若干1名、生者を追悼してしまっている。蒸発して久しい曾根中生である。「曾根監督が人知れず手厚く葬られているか、ある日ひょいと現れるのを祈りたい」(09年3月上旬号)。曾根中生がその後、去年の湯布院映画祭に「ひょいと現れ」て各紙の取材に応じ、世間をあっと驚かせたのは記憶に新しい。

中川幸夫の死、そして重森三玲の志

2012-04-16 08:07:14 | アート
 讃岐出身の華道家、中川幸夫が3月30日、93歳で他界した(1918-2012)。草月流の勅使河原蒼風(映画作家・勅使河原宏の父)とならぶ生け花の革命児で、そのどぎつい作風は、生け花をして現代美術の重要な座席を占めさしむる一翼を担った。私は残念ながら作品をじかに見る経験をついに持たなかったが、その代わりにおびただしい数の写真や紹介番組が残されている。土門拳との協力をはじめとして「写真・映像で見る生け花」というジャンルを創始した人と言えるかもしれない。
 池坊の丸亀支部に学ぶ無名の中川を一躍、革新運動の担い手へと扇動した人物がいる。作庭家の重森三玲(1896-1975)である。京都五山の東福寺にしつらえた方丈庭園の苔と砂利による市松模様のモダンさ。光明院の波心庭のとぎすまされた孤高。「20世紀の夢窓疎石」などと陳腐な形容を吐くのは私くらいか。
 この巨人は、20歳あまり年下の気鋭を讃岐の田舎で見出し、京都の自宅に出入りさせた(生け花革新集団「白東社」)。そして1951年、ついに中川は恩ある池坊を脱退し、東京で独創の道へと突き進むのである。

 その重森三玲であるが、じつは先月末まで回顧展《北斗七星の庭》がワタリウム美術館(東京・外苑前)で開かれていた。もとより彼の作品は各地の枯山水なのであって、ワタリウムの狭っ苦しい空間が重森のすごさをほんの1%とて理解するための空間たり得ぬことは、この回顧展に訪れたすべての客が百も承知だっただろう。それでも好事家にとどまらず、デザイナー志望風、建築家志望風の若い人々が大挙して会場に押し寄せ、まばたきもせずにゆかりの備品などに釘付けになっているのを見ると、重森が再び注目されつつあることをまざまざと実感せざるを得ない(ワタリウムにおける会期はすでに終了)。
 展示中、私がもっとも感銘を受けたのは、重森作品の図版展示やパネルではなく、重森がその活動初期の1936年からずっとおこなってきた各地の庭園の実測調査にかかわる遺品、写真のたぐいである。重森は、庭園の維持管理、意匠研究、災害後の復元といった意義を国に説き、実測調査事業の発足を主張するが、二・二六事件直後のきな臭いムードに包まれた当時の国家に、庭園の実測調査などというのんきな事業を始める度量があるわけがない。そこで彼は作庭の受注という本職の合間を縫ってチームで全国を回り、過酷な調査を生涯にわたっておこないつづけたのである。
 その成果は1976年発行の『日本庭園史大系』全33巻など数多くの結実をみるが、たとえば、昨年の東日本大震災の被害を受けた東北地方各地の庭園復旧が、いまなお重森三玲の調査研究資料に負うところ大、という事実はきわめて厳粛なものである。

蓬莱竜太 作『まほろば』再演

2012-04-13 00:47:40 | 演劇
 2009年岸田戯曲賞受賞の喜劇『まほろば』が再演されている(新国立劇場小劇場 作・蓬莱竜太 演出・栗山民也)。評価の定まった作品に似つかわしく、じつによく考えられた戯曲、ワンセットに凝縮させた周到なる演出設計に舌を巻く。
 喜劇から悲劇まで、セクシーな商売女から生真面目な女傑、しとやかな主婦まで、縦横に変容可能な現代の名女優・秋山菜津子を筆頭に、中村たつ、魏涼子、前田亜季、三田和代、そして子役の大西風香の6人の女優たちによるけたたましいアンサンブルが場のすべてを奪って離さず、まさに日常の祝祭化を興しうる火種がまだこの没落日本に残されていたか、と自嘲気味に感嘆するほかなかった。とりわけ秋山菜津子は、田舎の実家の居間でごろごろと怠けきっているだけで生の躍動を逆説的に醸し出してみせるのだから、さすがとしか言いようがない。
 また前田亜季は、映画『リンダ リンダ リンダ』(2005)ではペ・ドゥナ、香椎由宇の後塵を拝していたが、一昨年の舞台『ロックンロール』(トム・ストッパード作)では作者の心理を代弁するかのような、晩年のシド・バレットをボランティアで看護する女子大生役を好演し、今作では家庭のある男とのあいだに子を宿し出戻ってきた姪の役を演じる中で、彼女の置かれた定まらぬ揺れを静かに伝えている。達者で出しゃばらない名脇役へと、前田亜季は人知れず進化しているように思える。いずれ何か別のものへと移行していくかもしれない。
 しかしながら、村祭りの日の女たちが経験する動揺のすべてが、もっぱら男たち(祭りの最中のため男どもは留守でいっさい登場しないが、それゆえに厳然たる存在を示している)のためのファンファーレとしてのみ鳴り響かないことを願うのみである。ラスト、夜闇の山を真っ赤に染める祭りの火を迎え入れるかのように、観客に背を向けつつ縁側で立ち尽くす6人の女たちを見守りながら、そうした危惧を一瞬でも感じなかったと言ったら嘘になる。資生堂化粧品の軽やかなPR映画のはずが、「産めや殖やせや」を謳って時代錯誤の愚作となりはてた『FLOWERS』(2010 監督・小泉徳宏)と相通じる気配を、今をときめく若手劇作家たる蓬莱竜太から嗅ぎ取ってしまうのだが、この危惧が単なる勘違いであればいいと思う。