荻野洋一 映画等覚書ブログ

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シューベルトの『弦楽五重奏 ハ長調』について

2011-09-30 02:54:31 | 音楽・音響
 ついさっき、深夜の居間でフランツ・シューベルトの『弦楽五重奏 ハ長調』を2ヶ月ぶりくらいに聴いたら、つい落涙しました。悲しい時、寂寞感を感じた時、または逆に浮き浮きしている時など、本ブログを読んで下さっている皆さんにもぜひお薦めしたい曲です。「ロマン主義」という19世紀的思潮のもっとも混じりっ気のない形がここにある。私としては、ジャン=ユーグ・アングラード主演の『インド夜想曲』で使われているので知った曲です。

 シューベルトには大切な思い出があります。小学1年生の夏休み前、校内の図書館で、初めて本を借りるという経験をしました。それはなぜか「シューベルト伝記」でした。幼児雑誌や絵本以外で生まれて初めて読んだ本です。
 『弦楽五重奏 ハ長調』(D956)は1828年に書かれたのですが、それはその作者であるフランツ青年が、生涯で一度だけコンサートを開催できた歓びの年であり、急病のためにわずか31歳で亡くなった年でもあります。私は子どもながらに「天才芸術家というものは早死にしたり、幸福な人生を送れないことも多々あるんだ」というような観念を心に刻んだ記憶があります。では、我々のごとき凡人ならば長生きも幸福な人生もなんとか確保しうるのか。そのあたりの結論は寿命の尽きる日までのお楽しみ、としておきましょうか。

S・カンドウ 著『永遠の傑作』

2011-09-28 00:01:00 | 
 このところ仕事上の必要があって、S・カンドウ神父の著作をいろいろと漁っている。フランス軍に従軍していた第二次世界大戦期をのぞいて、戦前・戦後を日本で宣教師として過ごし、卓越した日本語力でラジオ出演、ホール講演、上智大学の講義で聴く者を魅了しつつ、雑誌のエッセーや朝日新聞のコラムでも健筆を振るった。また、東京日仏学院の創立にも尽力し、創立当初はフランス語講座も担当した。
 カンドウ神父(1897-1955)の文章は、死の2ヶ月後に出版されたエッセー集『永遠の傑作』(1955 東峰書房)の序文で哲人政治家の安倍能成が書いているように「先づ好い意味の常識又は良識の持主を感じさせる」ものであると同時に、ぴりりとフランス的なエスプリがかなり辛口に効いている。手厳しい洞察力の中に包容力がある。

 フランス領バスク地方のサン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポー出身である彼がかくも日本を愛し、日本人を慈しんだのにはさまざまな理由が考えられるが、そのひとつに、バスクの先達でイエズス会の聖人フランシスコ・ザビエル(1506-1552)の影響があることは、まずまちがいないだろう。聖ザビエルが「私がこれまで見てきた異教徒の中でもっとも優れた民族」と、戦国時代の日本人を高く評価する書簡を書き残していることは、バスクのカトリック教徒なら誰でも知っている事実である。
 この点についてカンドウ神父本人はまったく触れていないようであるが、司馬遼太郎は、「あまりにも本人の中で重要すぎる事柄であるため、他言できかねたのではないか」と、じつに美しい推測を披露したことがある。戦前はファシズムに傾く日本を愁い、戦後は敗戦に傷ついた日本人に寄り添った彼のイニシャルSは「ソーヴール(Sauveur)」であり、「救い主」という意味である。彼は生まれながらに聖職者として生涯を捧げる運命にあった。ヴェルダンの戦線でナチスドイツの戦車の下敷きとなるという瀕死の重傷を負いつつも、戦後3年目に執念の再来日を果たしている。

 彼の良識主義、精神主義は意固地なカトリシズムゆえでなく、同時代の思想との突き合わせの上に立っている。サルトルとカミュの論争においてカミュに一定の共感を寄せている一方、メルロ=ポンティ、ハルトマン、フッサールについて論評を加えつつ、ベルナノスを絶讃した。
 旺盛な活動とは反比例して健康はつねにすぐれず、高度経済成長期に入ってまもない1955年、日本の土となった。葬儀は東京・四谷、上智大学の聖イグナチオ教会でおこなわれた。堂からあふれた人々の、白い雨足の中にひざまずいている姿が見られた。

フォルクスビューネ、ベルリン『無防備映画都市』

2011-09-25 11:05:57 | 演劇
 「フェスティバル/トーキョー11」の一環として来日したフォルクスビューネ、ベルリンによって、《ルール地方三部作》第二部である『無防備映画都市』が、東京・豊洲の春海運河わきにつくられた野外特設会場にて上演されている。作・演出ルネ・ポレシュ、美術ベルト・ノイマンによる秀逸な作品。
 初日、二日目と台風15号によって上演中止となったことを思えばいっそう、肌寒いほどの秋の浜風に晒されながら、このひとときの哄笑に包まれたから騒ぎに立ち会えた観客は幸福だと断じておこう。ルール工業地帯の産業社会の終焉と再生事業の行きづまり、そして労働運動をめぐるディスカッションが、なぜかローマの映画撮影所チネチッタに移管されている。これは、ゼロであり終焉でもあったロベルト・ロッセリーニの『ドイツ零年』(1948)がブリッジとなっているだろう。
 登場人物たちは必死に『ドイツ零年』を再現しようと努めるのだが、どうしてもから騒ぎに移行してしまい、完遂することができない。そしてチネチッタからの連想ゆえ、『8 1/2』や『そして船は行く』のフェリーニが接ぎ木され、から騒ぎは切れ目がなくなっていく。
 200人程度を収容する観客席の頭上に、村祭りのような大テント。そして舞台はというと…。広大な空き地に建物の書割り、乗用車2台、パトカー1台、ケイタリングカー、メイク車、ロケバスがときどき無造作に発進し、猛スピードで土ぼこりをあげながら円を描いてみせる。俳優たちは時に観客の目の前で絶叫し、時に豆粒になるほどずっと奥の方へ──つまり春海運河の方角へ──立ち去ってしまい、舞台上は無人となる。スクリーンでは、撮影クルーが映し出す芝居が遠隔での集散を、かろうじて私たち観客のもとに報告し続けてくれるのだ。ロケバス内の登場人物とメイク車の登場人物がなんの問題もなく会話を交わす。つまり、2カメで撮影されているため、スイッチングによって切り返しが別空間を飛べ越えているという案配である。
 いくら野外劇とはいえ、舞台(?)の面積はざっと観客席の10倍はあるにちがいなく、とんでもなくふざけた、素晴らしく広大な芝居だ(写真は、終演直後の会場)。

 それにしても、この特設会場のすぐ隣に、「がすてなーに」(ガスの科学館)が建っている。建築の外観は子ども相手のフレンドリーなデザインだが、ようするに東京ガスの工場跡地である。何年かしたら、強力な反対運動にもかかわらず、私たちがいま腰かけているこの空き地には築地市場が移転し、仲買人の掛け声がこだましているのだろうか。国の環境基準を大きく上回る有害物質(ヒ素、鉛、六価クロム、ベンゼンなど)だらけのこの土の上でいま上演がおこなわれているという事実を、フォルクスビューネ、ベルリンの面々は知っているのだろうか? これはきわめて皮肉な状況だ。

『ザ・ウォード/監禁病棟』 ジョン・カーペンター

2011-09-24 00:00:10 | 映画
 ジョン・カーペンター10年ぶり新作の公開という事態に、トークショーでの青山真治監督ならずとも、ただひたすら「感無量」とならざるを得ない。そして、人に何かを推薦するにあたって「騙されたと思って見ておくれ」とはよく言うけれど、この『ザ・ウォード/監禁病棟』ほどそんな常套句にふさわしい作品はお目にかかることはないのではないか。いや、これは、むしろみずから進んで騙されてみせるという高度な才覚を受け手側に強要しているという点では、非常なる峻厳さをたたえている作品である。
 ヒロインのクリステン(アンバー・ハード)が監禁されることになる精神科病棟の正面玄関には、まがまがしく「1926年創設」などと表札が掲げられたりして、古典的なサイコ・ホラーであることを強調するかのようだ。だが、主体的に罠にはまることの悦楽を現代の観客に叩きこむコーチとして、カーペンターはカメラの背後に立っている。
 入院中に不慮の死を遂げたらしいタミーなる女性患者の部屋に入室することになるクリステン。看護婦が病室の名札「Tammy」の文字を荒々しくこすり消し、代わりに「Kristen」と書き換えるとき、さして広くもない隔離空間は一変し、激しく歪んでいく。鉄のドア、廊下、冷たいナースステーション、少しは心なごむデイルーム…。しかし実は、ここで歪んでいくのは空間の設えそのものでなく、どうやら見る側の瞳なのである。『ゼイリブ』(1988)でエイリアンの正体を判別できるサングラスという特殊な小道具が、それまで見慣れた風景を一変させ、主人公に抵抗運動を強いていったように、クリステンの抵抗は、名前の書き換えによる風景の一変をトリックのヒントとするところから始まり、絶えることなく続く。これを見る者は、かくのごとき抵抗の継続の果てに、「騙された!」と叫べるだけの真に能動的な才覚を身につけなければならない。


銀座シネパトス(東京・三原橋下)ほか、全国順次公開
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ポツドール『おしまいのとき』

2011-09-21 01:34:19 | 演劇
 快作『愛の渦』における高級マンションの一室で繰り広げられる乱交パーティの解放感と、宴の翌朝の幻滅の余韻がどうにも忘れられず、その後も三浦大輔(ポツドール主宰)の作・演出を、欠かさずとは言えないが見る時間のあるときには見てきた。映画作品の『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(2010)、それからプロデュース公演の『裏切りの街』、そして今回の『おしまいのとき』(ザ・スズナリ)と見続けて遅まきながら確信に至ったのは、三浦という作家がセックスに対する、とくに不貞や乱交に対する飽くなき探求をどうしても続けなければならない粘着質な動機を有しているということだ。私をふくめ、観客の100%がその探求の野次馬になりたいと思って、切符を手配するのだ。
 篠原友希子が、自分と家族に降りかかった不幸を逆手にとってエゴイズムの権化に変貌するヒロインの主婦を一心不乱に熱演している。また、きれい事ばかりを巧みに並べてみせる同じマンションの住人を演じた松浦祐也は、やはり最高である。この人はものすごい名優になるのではないか。すぐれた映画作家にどんどん使われていってほしいと思う。

 と同時に、ますます確信を強めるのは、物語の語りに対する平穏無事な信頼につつまれていることである。不貞や乱交を通して三浦は、現代人のいい加減さ、不実さ、残忍さ、滑稽さを容赦なくえぐり出す。性悪説に準じた戯曲である。また、その性悪ゆえに人間は愛おしいものでもある、とも静かに言い足しているようでもある。
 ところがこの容赦のなさは、三浦自身の語りのありようそのものに対してはじゅうぶんに向けられない。劇が終わって幕が下りても拍手ひとつ出ずにぼう然とした面持ちで退出してゆく超満員の観客の背中を舞台袖の影からそっと眺めながら、作家はひとり悪魔的な笑いをこらえているのだろうか? あるいは重労働を終えた後のように抜け殻となっているのだろうか? それもいいかもしれない。しかし、女優や男優にあれほどの痴態を演じさせ、観客をふしだらな野次馬に仕立てた上に、作者が作者自身に向けられるものが何なのかを考える時期がきているのではないか。「終わってる」「自信があるんだね」「まだ諦められないの」といった他人を封じる捨てゼリフが三浦の戯曲に頻出する。これらの次にくる言葉を、もっと広い場所から、語りへの信頼とは無縁の場所から見つけられるといい、などと野次馬のひとりは勝手に考えさせてもらった。