荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

auoneブログの旧記事、復刻のお知らせ

2011-04-29 02:30:30 | 記録・連絡・消息
 恒例の〈auoneブログ旧記事・復刻プロジェクト〉。きょうは、2008年11月分を復刻いたしました。お時間ある時にでも、ご一読いただければ幸いです。

 この月に登場する人名は、ふるかはひでたか、ジョン・ウー、北野武、西谷弘、古厩智之、三隅研次、益田鈍翁、森川如春庵、アニエス・ヴァルダ、フェルナンド・メイレレス…といった人々です。この月に見た作品として、『アキレスと亀』『ブラインドネス』の2本も入っています。共に大好きな作品です。

兪弘濬 著『書聖・金正喜評伝』

2011-04-27 02:34:53 | 
 在日の文学研究者・安宇植(アン・ウシク)が東京・中央区の病院で死去したのは、昨年暮れのことだった。1930年代に日本語を使って作品を書いていた金史良(キム・サリャン)の諸作、とくに『駑馬万里』といった帰国後の名高い名文に出会うことができたのも、安宇植(1932-2010)の尽力ありきのことなのだから、この大家の死去に際し、即座にこのあばら屋ブログで哀悼の意を表したかった。しかしそのまま礼を失し、大震災も起こり、一季節を経ることとなってしまった。
 ところが、新宿ピカデリーで映画を見る前に、三越上階のジュンク堂で立ち読みした際、韓国文化財庁長官の兪弘濬(ユ・ホンジュン)という人が書いた『書聖・金正喜評伝』(草風館)が目に飛びこんできた。安宇植晩年の訳業である。パラパラとめくり、この本がいかに生き生きとした筆致で貫かれているかを思い知り、ようやく購入したというわけである。
 そして読了したいま、私は心の中に、ひとすじの清流が流れるのを感じている。このような好著を、ずっとアマゾンの〈ほしい物リスト〉に格納したまま読まずにいた愚を、私は悔いずにはいられない。

 本書でその生涯が論じ尽くされている金正喜(キム・ジョンギ 1786-1857)という人物は、李氏朝鮮最高の書芸家で、「秋史」「阮堂」などと号した。朝廷の中枢にまで出世した政治家で、書のほか、詩・画・文・儒・仏・金石にも長けた。書家としては、楷・行・草・隷・篆のすべての書体に通じ、とくに隷書の到達点においては、遠く北京や江戸からも、その書を求める人が後を絶たなかった。「字が詩であり、詩が絵である」という「秋史体」を完成させている。
 私は以前、ソウルの国立中央博物館へ遊びに行った折、《秋史 金正喜 學藝》展の会期に間に合わなかったことを、地団駄踏んで悔いたことがあった。その代わりに、厚さ4cmに達する豪華な大判カタログを、真夏の蒸し暑いソウルで、抱いて帰ってきたものだ。後にも先にも、金正喜についてのあれほど大規模な展覧会は、催されていないようすである。

 私は、金正喜という才能は、小国に付きものの事大主義が生んだ産物であると考えている。しばしば、芸術や学術の世界では、本場や大国よりもむしろ、辺境や、模倣的な環境で、真の才人が生まれるケースがあるのだ。フランスで、アメリカ以上にアメリカ映画についての批評眼が花開いたのは、やはり事大主義のなせる業だったのではないか。金正喜が書芸と金石学において実現したことを日本に当てはめるなら、小津安二郎がハリウッド映画との係わりにおいて、そして雪舟が中国山水画との係わりにおいて実現したことと同じことなのだ、と本書を読み終え、改めて思い至った。
 安宇植が本書の翻訳を通じて、私たち読者に届けたかったことは、もっと高潔な思想だったと推測できるが、あいにく受け手の意識というものはいつの世も、送り手の思いどおりとはならない。金正喜、それから金史良、安宇植については、またいつの日か、もう少し実のある見識を書き残したいものだ。

『渡り鳥いつ帰る』 久松静児

2011-04-26 02:20:54 | 映画
 清水宏に『都会の横顔』を撮らせたプロデューサー佐藤一郎の企画による『渡り鳥いつ帰る』(1955)を、『都会の横顔』に引き続き見る。こちらも初見。
 東京・向島の赤線地帯「鳩の街」を舞台に、娼婦たちの哀しい生きざまをグランドホテル形式(と、喩えるのは、だいぶ滑稽な気もするが)で時間差的に描き分けたという点では、ちょうど「鳩の街」に対して隅田川の対岸となる吉原を扱った翌年公開の溝口健二の遺作『赤線地帯』(1956)と似かよった内容である。蛇足だが、グランドホテル形式というのは、特定の場所(同じ町内、同じホテル、同じ酒場、同じ寝台列車などなど)にたくさんの登場人物がそれぞれの事情で集まり、それぞれの小さな物語を同時多発的に交錯させる説話形式を指す。ハリウッドで生み出された映画話法である。

 また、森繁久彌の役どころが、娼家「藤村」の左うちわの主人という点は、その後の森崎東『喜劇 女』シリーズにおけるストリッパーの派遣事務所「新宿芸能社」の主人を演じた時の愉快そうな森繁を思い出させる。ただし、森崎作品が呼び起こす鄙びた哄笑とは正反対に、このスタジオシステム全盛期のメロドラマは、「原作・永井荷風」という看板も手伝って、古女房役の田中絹代をはじめ、住みこみの遊女たちに高峰秀子、桂木洋子、淡路恵子、久慈あさみ、遊女から足を洗ったお節介娘に岡田茉莉子、森繁が捨てた先妻に水戸光子というふうに、あまりにも豪華な女優陣が大集合し、賞狙い作品のような構えとなり、かえって原作者・荷風ごのみの場末の風味は希薄となってしまった。たしか『日乗』でも、この映画の出来については、あまりよく書いていなかったのではなかったか。このあたりは非常に難しいラインであって、神代辰巳の登場まで待たねばならない。
 そんな中、一番いいと思ったのは、腺病質な遊女を演じた桂木洋子。ストーリーの発端と終息を占め、陰の主役とも言える。この作品の時点ですでに時代錯誤ともいえる竹久夢二的やるせなさを醸し、服毒自殺をはかるラストまで、ほとんど全編を苦悶の表情しか浮かべない。「鳩の街」の女というより、戦前の「玉の井」から化けて出た亡霊にしか見えないのである。こういうのを「凄絶な脆弱さ」とでも呼べばよいのだろうか。

『都会の横顔』 清水宏

2011-04-22 03:12:33 | 映画
 貧乏暇なしのわが身ゆえ、猫の手も借りたい惨状のなか、貯まっていたHDDで、清水宏の『都会の横顔』(1953)を見る。初見。
 この作品は、転向左翼の右翼監督・渡辺邦男と組んで東宝の組合潰しに奔走したプロデューサー佐藤一郎が、戦後は松竹大船のエースの座を追われすっかり零落した名匠・清水宏を起用しての、2作目の作品(初コンビ作は、その前々年の『桃の花の咲く下で』)。佐藤一郎はその後、森繁久彌の才能を徹底的に活用し、日本映画史に輝く『夫婦善哉』(1955)を企画、さらに『駅前』シリーズを創始するなど、東宝-新東宝の保守反動路線で一大勢力を築いた。この人はまた、『夫婦善哉』から『千曲川絶唱』にいたる豊田四郎の最良の作品群を生み出し、川島雄三に晩年の傑作『花影』『とんかつ一代』などを撮らせるなど、いわば作家主義的な着眼点も持ち、同時に今井正、山本薩夫、五所平之助、熊井啓といった左派・社会改良派とも組むなど、単なる反動ではなかった。

 前置きが長くなってしまった。さてこの『都会の横顔』であるが、物語も内容もこれといってなく、銀座を舞台に、迷子になった幼女の保護者を、サンドイッチマンの池部良と、数寄屋橋で靴みがきを営む有馬稲子(おそらくふたりとも、戦災孤立者だろう)が協力して探しまわる、というだけのスケッチ的な作品。人物たちの歩行を正面からトラックバックで長回しするスタイルは、蒲田・大船時代からの清水宏の十八番だ。もはや形式の形骸化と呼んでも差し支えないかもしれないが、戦後8年目の活気に溢れる銀座の街の表情が写実される。
 このたびの震災後、放射能汚染をおそれた中国人観光客の激減によって、閑古鳥が啼く現在の銀座と180°ちがって、芋を洗うように大群衆が闊歩する銀座である。このすさまじい活気は、私が幼少期に初めて銀座を訪れた1970年代には、すでに失われていたような気がする。若き森繁久彌がプレイボーイとして少し顔出しするほか、娘とはぐれてしまう母親を演じた木暮実千代の在りようが、なんといってもすばらしい。

ウィリアム・インジ 作『帰れ、いとしのシーバ』

2011-04-18 22:50:21 | 演劇

 東京・南新宿の紀伊國屋サザンシアターにて、ブロードウェイの劇作家ウィリアム・インジの初期作品『Come Back, Little Sheba』(1950)が、劇団民藝によって上演されたため(演出は『峯の雪』の兒玉庸策)見に行ってみたのだが、やはりすぐれた作品である。夫婦というものの苦渋、虚無、孤独、そしてなんとか気を取り直していく感覚…。ここには、人生の練習がぎゅーぎゅーに詰まっている。この延長上で先鋭化された地点に、ジョン・カサヴェテスの夫婦ものがあるのではないか。

 というのも私は、インジの脚本が大好きなのである。ジョシュア・ローガン『ピクニック』『バス停留所』、エリア・カザンの最良の作品『草原の輝き』といった代表作ももさることながら、私が初めてインジを知ったのが、マーヴィン・J・チョムスキーの『さよならミス・ワイコフ』(1978)をテレビで見た時だった。これはじつを言うと、作品の出来はあまり記憶にないのだが、“Violet Pretty” ことアン・ヘイウッドのオールドミスぶりがずいぶんと扇情的だったのが、強く印象に残っている(女教師の彼女が放課後、黒人生徒と関係してしまう)。
 NY派の演出家ダニエル・マンが初メガホンをとった『帰れ、いとしのシーバ』の映画化『愛しのシバよ帰れ』(1952)は、わが偏愛作品のひとつ。このフィルムで関係の冷却した中年夫婦を演じたシャーリー・ブースとバート・ランカスターの2人は、ラオール・ウォルシュの『いちごブロンド』(1941)におけるジェームズ・キャグニーとオリヴィア・デ・ハヴィランド、あるいはまた、F・W・ムルナウの『サンライズ』(1928)におけるジョージ・オブライエンとジャネット・ゲイナーと並んで、アメリカ映画史上でもっとも美しい夫婦といっていいだろう。殊に、妻ローラ役のシャーリー・ブースのすごさといったら…。

 今上演における樫山文枝と西川明は、Sh・ブースとランカスターの名演のイメージに引っ張られ過ぎているように思われたが、実際にはどうだったのだろう? とはいうものの、アルコール依存症の夫ドク(西川明)がウィスキー・ボトルを隠すために、わざとらしく小脇に抱えてみせる、季節はずれのレインコートが醸し出す焦燥感、「シーバ…シーバ…」と、失踪した愛犬の名前を毎日弱々しく叫び続ける妻ローラ(樫山文枝)の声から漏れ出す寂寞感は、蕭々たる劇的効果を生み出していた。