荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『四畳半物語 娼婦しの』 成沢昌茂

2011-02-24 02:09:28 | 映画
 神保町シアターにて、『四畳半物語 娼婦しの』(1966)を見る。永井荷風の作になる擬古文『四畳半襖の下張』(1916)を、脚本家・監督の成沢昌茂が綿密に翻案している。
 田村高廣の清新さ、露口茂の鬱屈、木暮実千代の薄情さもさることながら、当時24才にして、美貌の絶頂期にある三田佳子(ただし個人的には、その10年後の豊田四郎、市川崑共同監督の『妻と女の間』の時の方がもっと綺麗だと思うが)が絶品である。若くして人生に諦めを宿した「大正の女」を、彼女が気迫で演じている。とはいえ同じ「大正の女」といっても、『朧夜の女』(1936)における飯塚敏子のはかなさ、『四畳半襖の裏張り』(1973)における宮下順子の情の厚さ、『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』(1976)における潤ますみの悲壮感にくらべるならば、その表現性は、若干落ちるような気もする。
 不忍池のほとり(ナレーションでは「上野七軒町」の廓と言っていたから、現在の不忍通り、横山大観記念館か東天紅のちょっと北側あたりという設定だろう)に面した廓のために豪勢な一軒家セット、日本庭園、果ては不忍池の一部まで造りあげる懲りよう。さすがは名匠・溝口健二の愛弟子・成沢昌茂ならではの重厚なるワンシーン・ワンカット、そして緩やかなカメラ移動は、見応えじゅうぶんであった。

 上映後、御年86となる成沢昌茂その人が、若き夫人に付き添われて劇場に現れ、素晴らしいトークを披露した。本作の撮影エピソードはもちろん、師匠である溝口健二のこと、彼が依田義賢らと共同で脚本を担当した『噂の女』『楊貴妃』『新・平家物語』、そして最終作にして彼が単独で脚本を書いた『赤線地帯』への軽い言及も、非常に貴重なものに思われた。数多くはない監督作のひとつである本作に関して印象に残ったのは、「大正の女を表現するのは、ほんとうにむつかしい」という言葉である。それはおそらく、昭和の動乱のなかではかなく踏みにじられ、永遠に失われてしまったものであるという、愛惜の念なのだと思う。


神保町シアター(東京・神田)の特集〈文豪と女優が作るエロスの風景〉内にて、ニュープリントで上映
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/

『苦悩』(シアターχ)

2011-02-23 00:52:03 | 演劇
 東京・本所両国のシアターχにて、マルグリット・デュラス作、パトリス・シェロー演出による『苦悩』を見る。なんでこんなに豪華な上演が、ひっそりと大した宣伝もなく2日間だけやっているのだろうか。とにかくドミニク・ブランのぴんと張りつめた演技を堪能した。この女優は、『王妃マルゴ』(1994)をはじめ、パトリス・シェローの映画作品にもいくつか出演している。デュラスによる独特なモノローグの奔流が、美しいブランの声の音響と共に生々しく観客の五官に響いてくる。彼女の苦悩、何度かの叫び、そしてダッハウの捕虜収容所からの夫の帰還。ダッハウは、フランス語ではダショーというのだなあ。そして、ラストでどっと押し寄せる生命の再生への祈り。おそらくわが人生でこの上演を見るのはこれが最初で最後、という緊張感と共に時間を過ごした。ちょっと前に邦訳が出た、本作のテクストの一部をなした『戦争ノート』(河出書房新社)は未読で、早く読まねばと思う。
 じつはシアターχ(カイ)を訪れたのは、もう15年以上くらい前だったか、劇団円が岸田今日子主演、大橋也寸演出でスタニスワフ・ヴィトキェヴィッチの戯曲『母』(1924)を上演したのを見て以来のことで、ずいぶんと久しぶりにここを訪れた。いや、その後も訪れた記憶があるが、何を見たのか覚えていない。たぶん山本健翔の芝居を2、3度見に行ったのだったと思う。過去の上演レパートリーを読むと、それ以外にもなかなか渋いプログラムを組んでいて、見ておけばよかったというのが結構ある。

P.S.
 終演後、たまたま居合わせた梅本洋一氏、濱口竜介監督(『The Depths』は傑作)、nobodyの松井宏君らと共に両国の焼鳥屋に入り、熱燗を何合か。とても暖まり、愉しい早春の晩を過ごさせていただいた。私としては、どじょうの「桔梗屋」が閉まっていたのが残念だったが。
 浅草橋で一同と別れ、夜の柳橋を渡って、徒歩にて帰宅。左写真が柳橋だが、右側の写真は、橋桁に停泊中の屋形船である。柳橋を渡ると、台東区から中央区に変わる。この橋には、依然として成瀬巳喜男作品の濃厚な「映画的記憶」(汝勿笑)が心霊のごとくべったりと宿っている。『流れる』(1956)における山田五十鈴の置屋は台東区側、栗島すみ子の料亭は中央区側にあるという設定だった。柳橋花柳界は全国でも珍しく見番が橋の両側に2つ、両区にそれぞれあったのだそうだ。京都の祇園にも甲部、乙部とあるが、ああいうのと似た感じであろうか。

2050年の経済予測

2011-02-22 00:23:53 | 身辺雑記
 およそ40年後となる2050年、日本の総人口は2005年より25%超減って、人口が半分以下になる地点が全国の6割以上にのぼる、との国土交通省の統計が2月21日に発表され、将来の国力衰退に歯止めがかからない模様である。つまり、東京、大阪、名古屋の3大都市圏だけには人間はある程度残っても、それ以外の地域はすべて過疎地域となってしまうだろう、との予測である。しかし、今だってすでに地方都市は、もう恐ろしいほどスカスカに見えてしまうのであるが。
 そして、米ゴールド・マンサックスの経済予測では、日本はその2050年に、GDPで世界7位から9位のあいだを行き来する中堅国に落ちぶれるとのことである。この時代、1位はもちろん独走で中華人民共和国というのは、間違いない。これは国の規模から言っても仕方がないことだろう。今日すでに中国国内には、1億円以上の資産をもつ人が5000万人もいるのだそうである。それでは銀座の高級ブランドが中国人ツーリストに占拠されている現状も、ごく当たり前のことだろう。中国が世界のすべてのルールを、ホワイトハウスを無視して単独で取り仕切る時代はもうそこまで来ている、といって過言ではない。
 さらに、2位にインド、3位アメリカ。先日、日本が中国に抜かれて2位から3位に転落する報道が、じつに静かに、かつ冷淡になされた。将来、アメリカが中国に抜かれる歴史的な瞬間が、大々的、象徴的に報じられることになるであろう。以下は、ブラジル、メキシコ、ロシア、インドネシアという、意表を突く順位となり、もうこうなると私たち20世紀の人間にはよくわからなくなってくる。日本は、イギリスと8位か9位の座を争うのが、立場的にせいぜいだそうである。ちなみに、現在はまだベストテン内の経済先進国に名をつらねているドイツ、フランス、イタリア、スペインといった欧州主要国は、2050年にはきれいさっぱりランク外にはじき出されてしまう、というのがもっぱらの評価である。
 とはいえ、そのころの日本の人口は25.5%も減少し、現在の1億3000万人から9500万人となっているわけだから、稼ぎも少ない代わりに、負担の方も次第に少なくなって行くわけである。こうなってくると、現役世代にとってここ20~30年後のみが、まさに正念場になるといったところだろうか。

『ウォール・ストリート』 オリヴァー・ストーン

2011-02-18 01:12:35 | 映画
 かつて物語の世界にとってニューヨークの金融業界は、「世界を、俺が動かしてみせるのだ」というような大仰な青雲の志を劇化するための、格好の舞台だった。欲望、野望、謀略、栄光、挫折といったことがらである。ところが、サブプライム問題、リーマン・ショックを経験した今日、それはすでに「あとのまつり」の様相を呈して、どこか空々しい空気がどうしても映りこんでくる。ウォール街が破綻する時、本作の登場人物の誰かが恐れおののいていたように、それがはたして「世界の終わり」を意味してしまうのだろうか。それは、私のような素人には見当もつかない。とにかく、払いのけることができない終末感が、冒頭から登場人物たちをおののかせていることだけは、間違いないようである。
 「金もいいが、愛こそがすべてだ」「どうせ世界が終わるのなら、ボクたちはわが家で、愛する人と最期の瞬間を迎えたい」とかいう諦念、そして興隆と衰退の環流に対するしずかな感傷みたいなものを、本作に感じてしまった。それでもなお、ゲームは終わらないといった不敵な姿勢を崩さないイーライ・ウォラック、マイケル・ダグラスがじつに頼もしい。オリヴァー・ストーンの独り言が聞こえてくるかのようだ。「ああいう人たちは映画の住人だ。そういう場所へなんとかお連れせねば。」
 そういえばマイケル・ダグラスは、すこし前にステージ4の咽喉ガンであること、妻のキャサリン・ゼタ=ジョーンズが夫の病状の進行について、医師の誤診に怒りの声をあげたりしたことなどが報じられ、とても心配であった。本作は、闘病前に撮影を終えていたのだろう。しかしつい先月、「無事克服した」という報道が入った。今後も「悪オヤジ」を元気で演じていってもらいたいものである。


TOHOシネマズ日劇ほか、全国で公開中
http://movies.foxjapan.com/wallstreet/

中央区のふたつの写真展から

2011-02-15 00:24:12 | アート
 連続して、好対照のふたつの写真展を訪れた。ひとつは、BLDギャラリー(銀座二丁目)で会期延長され、話題の中心となっている中平卓馬の新作展《Documentary》。昼寝するホームレス、野良猫、幟、店の看板、植物といった、いわばお馴染みの被写体が、神奈川県内に限って撮影され、カットバックの要領で並べ替えられている。ギャラリー全体が、あたかも山水長巻のごとく、3面にもわたって一続きとなっている。とりとめもない「風景」の連鎖が万有引力を持ち、そして隙間なき連続体を形成していて、この連続性をもって一個の展示を成す。作風的には、4年前の春に清澄町のSHUGOARTSで見た『なぜ、他ならぬ横浜図鑑か!!』と同一の流れだった。

 もうひとつは、日本橋人形町、内村修一主宰の壱粒舎ギャラリーで開催された、嶋津勝治の写真展《炎・生命・人》である。ギャラリー片隅に掲げられた、一羽のアカゲラの写真、これは巣作り前の光景なのだろうか、大いに引き込まれる。嶋津は、2002年に悪性リンパ腫を宣告され、医師から「治療法はない」と絶望視されたが、以来、温泉治療などでガンと闘いながらカメラを握ることを、生きるための柱とした。命を賭して撮影された各地の祭りには、圧倒的な生命力が宿っている。それは、作者が自然治癒力を高めようという心理で獲得してきた、祈るようなイメージの噴出であろう。
 だから、この写真展は写真そのものもさることながら、キャプションと写真家自身による解説が重要となる。2008年3月、京都の清水寺で撮影された、舞妓と芸妓という2人組の女のスナップ。この作品のキャプションで、この2人が母子であること、そして母である芸妓がガンを患っていることを知る。だが、この説明を聞かされない場合、写真はいったいどこに向かうのであろうか。ここは、議論が分かれるところであろう。私は、この女2人組の写真を一生懸命に凝視した。結論が湧かなかった。