神保町シアターにて、『四畳半物語 娼婦しの』(1966)を見る。永井荷風の作になる擬古文『四畳半襖の下張』(1916)を、脚本家・監督の成沢昌茂が綿密に翻案している。
田村高廣の清新さ、露口茂の鬱屈、木暮実千代の薄情さもさることながら、当時24才にして、美貌の絶頂期にある三田佳子(ただし個人的には、その10年後の豊田四郎、市川崑共同監督の『妻と女の間』の時の方がもっと綺麗だと思うが)が絶品である。若くして人生に諦めを宿した「大正の女」を、彼女が気迫で演じている。とはいえ同じ「大正の女」といっても、『朧夜の女』(1936)における飯塚敏子のはかなさ、『四畳半襖の裏張り』(1973)における宮下順子の情の厚さ、『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』(1976)における潤ますみの悲壮感にくらべるならば、その表現性は、若干落ちるような気もする。
不忍池のほとり(ナレーションでは「上野七軒町」の廓と言っていたから、現在の不忍通り、横山大観記念館か東天紅のちょっと北側あたりという設定だろう)に面した廓のために豪勢な一軒家セット、日本庭園、果ては不忍池の一部まで造りあげる懲りよう。さすがは名匠・溝口健二の愛弟子・成沢昌茂ならではの重厚なるワンシーン・ワンカット、そして緩やかなカメラ移動は、見応えじゅうぶんであった。
上映後、御年86となる成沢昌茂その人が、若き夫人に付き添われて劇場に現れ、素晴らしいトークを披露した。本作の撮影エピソードはもちろん、師匠である溝口健二のこと、彼が依田義賢らと共同で脚本を担当した『噂の女』『楊貴妃』『新・平家物語』、そして最終作にして彼が単独で脚本を書いた『赤線地帯』への軽い言及も、非常に貴重なものに思われた。数多くはない監督作のひとつである本作に関して印象に残ったのは、「大正の女を表現するのは、ほんとうにむつかしい」という言葉である。それはおそらく、昭和の動乱のなかではかなく踏みにじられ、永遠に失われてしまったものであるという、愛惜の念なのだと思う。
神保町シアター(東京・神田)の特集〈文豪と女優が作るエロスの風景〉内にて、ニュープリントで上映
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/
田村高廣の清新さ、露口茂の鬱屈、木暮実千代の薄情さもさることながら、当時24才にして、美貌の絶頂期にある三田佳子(ただし個人的には、その10年後の豊田四郎、市川崑共同監督の『妻と女の間』の時の方がもっと綺麗だと思うが)が絶品である。若くして人生に諦めを宿した「大正の女」を、彼女が気迫で演じている。とはいえ同じ「大正の女」といっても、『朧夜の女』(1936)における飯塚敏子のはかなさ、『四畳半襖の裏張り』(1973)における宮下順子の情の厚さ、『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』(1976)における潤ますみの悲壮感にくらべるならば、その表現性は、若干落ちるような気もする。
不忍池のほとり(ナレーションでは「上野七軒町」の廓と言っていたから、現在の不忍通り、横山大観記念館か東天紅のちょっと北側あたりという設定だろう)に面した廓のために豪勢な一軒家セット、日本庭園、果ては不忍池の一部まで造りあげる懲りよう。さすがは名匠・溝口健二の愛弟子・成沢昌茂ならではの重厚なるワンシーン・ワンカット、そして緩やかなカメラ移動は、見応えじゅうぶんであった。
上映後、御年86となる成沢昌茂その人が、若き夫人に付き添われて劇場に現れ、素晴らしいトークを披露した。本作の撮影エピソードはもちろん、師匠である溝口健二のこと、彼が依田義賢らと共同で脚本を担当した『噂の女』『楊貴妃』『新・平家物語』、そして最終作にして彼が単独で脚本を書いた『赤線地帯』への軽い言及も、非常に貴重なものに思われた。数多くはない監督作のひとつである本作に関して印象に残ったのは、「大正の女を表現するのは、ほんとうにむつかしい」という言葉である。それはおそらく、昭和の動乱のなかではかなく踏みにじられ、永遠に失われてしまったものであるという、愛惜の念なのだと思う。
神保町シアター(東京・神田)の特集〈文豪と女優が作るエロスの風景〉内にて、ニュープリントで上映
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/