濱口竜介の最新作のワールドプレミアが、きょうの午後、東京フィルメックスで行われた。東京藝術大学と韓国国立映画アカデミーの合作であるこの『The Depths』については、語るべきことがもろもろあるだろうが、ともかくこの作品を規定している最大の固有性は、韓国人キャストと日本人キャストの圧倒的な体格差にあると私は思う。
キム・ミンジュンをはじめとする韓国人俳優たちは、背がとても高く、貴族のように優雅に歩き、野太くセクシーな声を発するばかりか、芸術への野心と才能に満ちている役がふられている。一方、少年のようにナイーヴで小鳥のように小さく、ジャリ餓鬼のような男娼を演じる石田法嗣(あの塩田『カナリア』のヘッドギアをした少年だ)、そして彼のボスであるヒステリックなやくざの兄貴分・村上淳というふうに、日本人俳優たちはことごとくこぢんまりと肉体を縮こまらせて、右往左往している。感情表現も前者たちには正当性が感じられるが、後者のそれは薄っぺらで、意味が相手にほとんど伝わらず、突発的になにか乱暴なことをしでかす。
おそらく本作は、日本映画史上で初めて、朝鮮半島から来た隣人を差別意識ではなく、さらに被害者への謝罪意識でもなく、ましてやアイドル的な偶像崇拝でもない、日本人の道徳的な堕落に大きな手を差しのべる庇護者として描いた作品であろう。おまけに経済的にも、つねに前者が恵み与え、後者がおこぼれに預かるという極端な構図が反復される。
では、石田も村上も、手をこまねいて肉体的、精神的未熟さを晒すほかはないのか、というと、それはまったく違うのである。貧弱であること、道徳的に墜ちていくこと、滅びようとしていること、つまり(映画マニアたちがやたらと嫌っていることになっている)詠嘆こそが、彼らの武器だ。おのれの死に場所を探すための右往左往。それが生そのものであるという。その現場を韓国人が目撃し、瞠目する。フォトグラファーである韓国人主人公は、なんとか理解に努め、その瞬間にレンズを向ける。だが、はたしてその移ろいゆく詠嘆的存在を、フレームにおさめることができたのだろうか。
本作は、有楽町朝日ホールなどで開催中の〈第11回東京フィルメックス〉で、特別招待作品として上映
http://filmex.net/2010/