1970年代に暗渠化される以前の「浜町川」「箱崎川」が映り込み、日本橋蛎殻町と日本橋中洲を結んでいた「女橋」もその在りし日の姿をとどめている点で知る人ぞ知る作品、松林宗恵監督・新藤兼人脚本の『ひかげの娘』(1957)を私が改めて見ることにしたのは、ノスタルジックかつ軽薄なタウン・ウォッチング的な興味からに過ぎなかったが、さすがは松林宗恵、一筋縄ではいかず、いざ画面に相対してみると、これがどうにも薄気味悪く、夢見の悪い作品なのである。
祖母の代から芸者屋を営む家に生まれた主人公(香川京子)が、自分の体内に流れる淫蕩の血に極度におびえ、男性との接触に潔癖となり、しかしそれが裏目となって、精神のバランスを失い、立て続けに複数の男性に身を委ねる格好となってしまい、堕胎手術を受ける苦境に陥る。
主人公が帳場を手伝う待合の馴染み客らしい文芸評論家の役で中村伸郎が出演しているが、作品の中盤で、なんと中村と香川の濃厚なラヴシーンがある。あまつさえ事後の、半分だけ折り曲げた敷布団をソファ代わりに、隠微なピロートークさえ交わされる。
すっかり虜になったふたりはその後も逢瀬を重ね、中村は香川に吸い付きながら、「もう、この体なしには生きられない」などと苦しげに語りかけたりもする。だが、その時にはすでに女は、不愉快そうに男から顔を背けるばかりである。
全体を通して登場人物たちの造形が奇妙にねじ曲がり、矮小化され、風景が醸す叙情はそらぞらしく人物から遊離してゆく。まるで同時代のアメリカ映画のように。
祖母の代から芸者屋を営む家に生まれた主人公(香川京子)が、自分の体内に流れる淫蕩の血に極度におびえ、男性との接触に潔癖となり、しかしそれが裏目となって、精神のバランスを失い、立て続けに複数の男性に身を委ねる格好となってしまい、堕胎手術を受ける苦境に陥る。
主人公が帳場を手伝う待合の馴染み客らしい文芸評論家の役で中村伸郎が出演しているが、作品の中盤で、なんと中村と香川の濃厚なラヴシーンがある。あまつさえ事後の、半分だけ折り曲げた敷布団をソファ代わりに、隠微なピロートークさえ交わされる。
すっかり虜になったふたりはその後も逢瀬を重ね、中村は香川に吸い付きながら、「もう、この体なしには生きられない」などと苦しげに語りかけたりもする。だが、その時にはすでに女は、不愉快そうに男から顔を背けるばかりである。
全体を通して登場人物たちの造形が奇妙にねじ曲がり、矮小化され、風景が醸す叙情はそらぞらしく人物から遊離してゆく。まるで同時代のアメリカ映画のように。