荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ひかげの娘』 松林宗恵

2009-03-31 07:33:00 | 映画
 1970年代に暗渠化される以前の「浜町川」「箱崎川」が映り込み、日本橋蛎殻町と日本橋中洲を結んでいた「女橋」もその在りし日の姿をとどめている点で知る人ぞ知る作品、松林宗恵監督・新藤兼人脚本の『ひかげの娘』(1957)を私が改めて見ることにしたのは、ノスタルジックかつ軽薄なタウン・ウォッチング的な興味からに過ぎなかったが、さすがは松林宗恵、一筋縄ではいかず、いざ画面に相対してみると、これがどうにも薄気味悪く、夢見の悪い作品なのである。

 祖母の代から芸者屋を営む家に生まれた主人公(香川京子)が、自分の体内に流れる淫蕩の血に極度におびえ、男性との接触に潔癖となり、しかしそれが裏目となって、精神のバランスを失い、立て続けに複数の男性に身を委ねる格好となってしまい、堕胎手術を受ける苦境に陥る。
 主人公が帳場を手伝う待合の馴染み客らしい文芸評論家の役で中村伸郎が出演しているが、作品の中盤で、なんと中村と香川の濃厚なラヴシーンがある。あまつさえ事後の、半分だけ折り曲げた敷布団をソファ代わりに、隠微なピロートークさえ交わされる。
 すっかり虜になったふたりはその後も逢瀬を重ね、中村は香川に吸い付きながら、「もう、この体なしには生きられない」などと苦しげに語りかけたりもする。だが、その時にはすでに女は、不愉快そうに男から顔を背けるばかりである。

 全体を通して登場人物たちの造形が奇妙にねじ曲がり、矮小化され、風景が醸す叙情はそらぞらしく人物から遊離してゆく。まるで同時代のアメリカ映画のように。

『パッセンジャーズ』と『ダイアナの選択』

2009-03-28 02:22:00 | 映画
 『パッセンジャーズ』と『ダイアナの選択』を立て続けに見たが、これがどうにも似たような作品で、両作共にミドルクラスのハリウッド映画であり、罪のない標準作だとは思うが、美女の無意識的魂の彷徨といったプロットが『レベッカ』(1940)を薄口シロップでうめたような作りで、少しばかり辟易とさせられた。
 前者はラテンアメリカの文豪ガルシア・マルケスの息子ロドリゴ・ガルシアが、後者は旧ソ連ウクライナ共和国出身のヴァディム・パールマン(ウクライナ名はヴァヂム・ペレルマン)が演出しているのだが、まあ実力的には互角といったところか。
 出演者という面では、前者が色白で可憐な顔を持つアン・ハサウェイの孤軍奮闘で終始するのに対し、後者の方がユマ・サーマンと新鋭エヴァン・レイチェル・ウッドの二頭立てである分、優勢だと思う。しかしロケーションという点では、前者における常に曇天のバンクーバーがなかなか悪くなく、後者における人工的・メルヘン的なコネティカットのスモールタウンよりも町の息吹が感じられた。


『パッセンジャーズ』はTOHOシネマズみゆき座ほかで公開中
http://www.passengers.jp/
『ダイアナの選択』はシネスイッチ銀座で公開中
http://www.cinemacafe.net/official/diana-sentaku/

亀田鵬斎《墨陀梅荘記碑》

2009-03-25 00:10:00 | アート
 曇天寒空の中、東武玉ノ井(現・東向島)で下車、向島百花園に遊ぶ。柴門を入ってすぐ左側の植え込みに、亀田鵬斎(ぼうさい)の《墨陀梅荘記碑》がある。この碑のことは、先月5日に脳腫瘍で亡くなった渥美國泰の旧著をかつて読んで詳しく知るところだったが、これまでじかに見る機会に恵まれなかった。
 碑の中に次のような一節が見えた。

一夕月下、酌酒賞之、遂酔而寝、忽夢一大姫自称花嬢、率一百美女而來

(意味)
ある夕月夜、酒を酌み交わして花を賞で、つい酔って、園内で寝てしまったことがある。たちまち夢を見た。一人の美姫が「花嬢」と名乗り、百人の美女を率いてやって来たのだ。

 狂想逸脱の儒者、亀田鵬斎らしい文である。このあと、夢の中で鵬斎は「花嬢」なる姫と会話を交わすが、咳払いが聞こえて目を醒ますと、園主が花々の手入れをする後ろ姿が暗闇の中にぼんやり見えるばかりで、他に誰もいない。「先生はこの世ならぬものをご覧になっていたのではないですか。長いこと呻いておられましたが」と園主が鵬斎に問う。鵬斎は夢の中で、「花嬢」という姫に「梅花顛」というあだ名をもらったが、「廃人になるほどに梅花を愛してやまない人」という意味のこのあだ名は、私よりもむしろあなたに相応しいのではないですか、と園主に告げて帰った、とのことだ。

 この園主こそ、一代で財を築き、向島百花園を文化元年(1804)に開園した、佐原鞠塢(きくう)のことである。

『ワルキューレ』 ブライアン・シンガー

2009-03-24 01:36:00 | 映画
 『ラストサムライ』(2003)に続いて、トム・クルーズが再び、第二次世界大戦時に敵側だった国家の良性部分の精神性を強調した作品に出演した。明治維新直後の日本で滅びゆく武士階級に、同情たっぷりの眼差しを送ってやまなかった南軍退役軍人オールグレンは、ナチス崩壊前夜のドイツに飛び、ヒトラー暗殺計画の首謀者シュタウフェンベルク大佐となる。

 どうやら貴族階級出身であるらしいシュタウフェンベルク大佐は、旧プロイセンの古き良き保守的伝統を受け継ぐという意味で、ルノワール『大いなる幻影』(1937)でシュトロハイムの演じた、やはり貴族出身の捕虜収容所所長フォン・ラウフェンシュタインの精神的子孫と言える。
 トム・クルーズ演じる独眼の暗殺者は、『ワルキューレ』という単調きわまりないこの作品において、事あるごとに「祖国の神聖なる伝統を守る」ために決起するのだと述べる。しかし同じような台詞を吐いて権力を奪取したのもヒトラーだったわけだが。単純な反転のからくりである。

 朝鮮半島、ベトナム、中米、イスラム過激派。この半世紀に起こした戦争との悪縁に疲れきったアメリカ合衆国が、誘惑についつい勝てないのが、この単純な反転のからくりであったのだろう。「日本、そしてドイツ。第二次世界大戦の時には、憎きごろつきだと思っていたが、現在の訳の分からぬ敵どもに較べれば、なんと正々堂々とした、あっぱれな敵であったのだろうか」……『硫黄島からの手紙』(2006)に共和党支持者たちが最大級の讃辞を送ったのも、疲労の果てに生まれたイメージ反転のからくりゆえではないか。そしてそれをトム・クルーズはいま、自らの「芸の肥やし」なるものに使っているのである。あっぱれである。


3月20日(金)より全国公開中
http://www.valkyrie-movie.net/

Monthly Hair Stylisticsの完結と、〈桃まつり〉

2009-03-20 01:39:00 | 音楽・音響
 きょうboidレーベルより、月1枚ずつ新譜を1年間にわたってリリースし続けるという企画〈Monthy Hair Stylistics〉の完結編となるVol.12『Big Audio Dynamite Shit』のCDが届いた(左写真)。これが実に素晴らしい。壮大というか波長が合うというか。この1年、なんだかHair Stylisticsばかり聴いていたような気がするのだけれども、濃密なる作業をやりおおせた中原昌也に月並みながら「お疲れ様」と声を掛けたい。

 渋谷ユーロスペースにて、若手女性監督の作品ばかりを集めた企画〈桃まつりpresents Kiss!〉の中から、篠原悦子監督『マコの敵』、矢部真弓監督『月夜のバニー』、瀬田なつき監督『あとのまつり』の3本を見たのだが、実に面白く、心が躍った。『マコの敵』の女の嫌らしさ、『月夜のバニー』の田舎の猟奇、『あとのまつり』の小気味よい編集、愛くるしいしぐさ、ロケーションの魅力など、見逃すべからざるオムニバスとなっている。
 先日見た『PASSION』の濱口竜介も含め、変革の胎動を確かに感じるし、世の既存の監督たちは安穏していてはならないだろう。