荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

新刊『フランシス・F・コッポラ』

2008-08-30 17:55:00 | 
 10年ぶりの監督作『コッポラの胡蝶の夢』の日本公開を記念して作られた『フランシス・F・コッポラ Francis Ford Coppola & His World』という本(エスクァイア マガジン ジャパン刊)がそろそろ店頭に並び始める頃のようである。
 この本の参加者の豪華さは相当なものだ。蓮實重彦によるコッポラへのインタビューや、万田邦敏と青山真治の対談、さらに藤子不二雄Aや村上龍などといったセレブ(死語?)まで書いている。映画の本というとやたらに分厚く重たい重量のものが出来がちで、読書途中で放り出したくなるものが少なくないが、それにしても珍しく薄い本だなというのが第一印象だ。おそらく上映劇場でパンフレットなどと並べて買ってもらうためには、これくらいの持ちやすさが的確だと判断されているのだろう。
 青山真治は万田との本書対談の中で、中学3年の時に『地獄の黙示録』を見て映画監督になろうと決心したと語っているが、私はその気持ちを共有しうる人間だ。公開当時、あの作品を大人たちが随分批判していた記憶があるが、中学生の立場であれを見ると想像していただきたい。それが素晴らしい刺激とならなかったはずはないのである。

 そんな中、私も本書の末席を汚し、『ランブルフィッシュ』(1983)『アウトサイダー』(1983)のフィルムレビューを担当させてもらったわけだれども、それにしても改めて見ると、この2本の映画もすごくいい。昨今は「泣ける」映画というものがヒットの条件なのだそうだが、泣くならこういう映画で泣くべきである。


版元の本書紹介サイト
http://www.esquire.co.jp/books/(サイト失効)

“勝ったものが強い” について

2008-08-25 00:07:00 | サッカー
 オリンピック野球日本代表監督の星野仙一が、成田市内での記者会見で、「強いものが勝つのではなく、勝ったものが強いという五輪の難しさをしみじみと感じた」と語ったらしい。ざっと各メディアの見出しを眺めてみると、この「勝ったものが強い」というフレーズがこぞって使用され始めている。ひょっとすると、敗軍の将による名言として、マスコミ史に残るかもしれない。
 しかしこれは、スポーツファンなら誰でも知っているはずだが、フランツ・ベッケンバウアーが西ドイツ代表の主将として1974年ワールドカップで優勝した際に述べた、「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」というフレーズからの丸々引用なのである。当時、トータル・フットボールで革命をもたらしつつも決勝で散ったオランダが「美しき敗者」と称えられていた現状に対する、勝者の側からの抗弁だったのだ。
 したがって、このフレーズは出自から言って、決して敗軍の将による失意の表明として語られるべきではなく、徹頭徹尾、勝者の口から出るべきものだと言える。

スペイン版カイエ・デュ・シネマの創刊について

2008-08-22 01:56:00 | 
 Cahiers du cinéma Españaは、フランス本国の記事と現地オリジナル記事を50/50ぐらいに織り交ぜている点で、かつてのカイエ・デュ・シネマ・ジャポンと同じ編集方針を採用しているように思える。

 ただし異なる点は、ジャポン誌が、日本語という言語特性や日本の出版事情を鑑みた結果、誌名ロゴ以外はまったく独自のデザイン・コンセプトを採用したのと反対に、フランス語とスペイン語のフォント上の親和性ゆえか、ほとんどフランス本国と同じ誌面デザインを採用している点である。

 最新号(創刊14号)では、「シネ・インビシブレ(不可視の映画)」という名の特集が組まれているのだが、要するにスペイン国内で見ることが困難な映画を列挙してくやしがるという企画なのである。特集の最後に「見るのが困難な50本のフィルム」というカタログ記事がある。
 デプレシャン『L'Aimée』、タル・ベーラ『ヴェルクマイスター・ハーモニー』、侯孝賢『珈琲時光』、アサイヤス『Clean』、トッド・ヘインズ『アイム・ノット・ゼア』、ソクーロフ『太陽』、賈樟柯『世界』、コッポラ『胡蝶の夢』など、意外な有名作品や、日本ではとっくに見ることのできた作品が取り上げられている中にあって、黒沢清『回路』、諏訪敦彦『不完全なふたり』がリストアップされていた。

スパンエア機事故と、喫茶「越路」の閉店

2008-08-21 09:08:00 | 身辺雑記
 マドリーのバラハス国際空港で20日昼(日本時間で夕べ)、同国の航空会社「スパンエア」の旅客機が離陸に失敗し、乗客乗員173人中153人が死亡する大事故が起きたらしい。
 まさに1日違いの差で命拾いした思いだ。私が同空港から帰国便で使ったのもスパンエア機だったからである。もちろん事故機は、カナリア諸島ラス・パルマス行きだから便が違うし(機内はバカンスに向かう楽しい乗客で一杯だっただろう)、私が乗ったのはMD87型、事故機はMD82型という違いもある。
 とはいえ根が臆病であるせいか、飛行機に乗るときは普段いつも、事故の可能性を一瞬でも考えずに乗るということはないのである。

 きのうの午前中に海外出張から箱崎ターミナルに帰ってきた私は、人形町の街に繰り出した。昼食で旨い日本料理でも食べようとしたのだ。ただ、この界隈で「旨い日本料理」などと本格的に考え出すと、出費面でキリがなくなってしまう。
 小網町の某割烹の穴子丼ランチで手を打ったのだが(旨し)、食後にコーヒーでも飲もうとして行った喫茶「越路」に、なんと店じまいの貼り紙を見つけて呆然となった。

 人形町通りを「うぶけや」の角で曲がった路地にある、1956年創業のこの「越路」ほど、人形町、堀留町、小伝馬町界隈の大人たちに愛された喫茶店はないだろう。広々として迷路のような店内では、ロートレックの絵画ポスターを張り巡らしたり、しゃれたランプで各席を照らしたり、シャンソン歌手の肖像をカップにあしらったりと、「間違ったフランス趣味」の横溢に誰もが苦笑を禁じ得なかったのだが、そういう可愛さ余る点も愛された理由だった。力道山門下のレスラーたち、旧「末広亭」に出演中の噺家たち、さらに芳町の芸者衆などが昼間にコーヒーを飲みに訪れ、往時は大いに繁盛したのだという。
 巷の声によると、団体の役職を歴任するなど、喫茶店業界ではリーダー的な存在でもあったと聞いた。

 人形町界隈は、大正創業で文士御用達の「喫茶去 快生軒」や、江戸時代から馬具屋として始まった「ロン」など、古株の喫茶店がまだがんばっている街ではある。馬具屋ではおそらく、旅人に自慢の茶と菓子でも振る舞ったのだろう。しかし米国系(シアトル系)グローバル企業の浸食は他の街と同様、やはり深刻なものになりつつある。

エドワード・スタイケン@レイナ・ソフィア芸術センター

2008-08-19 08:49:00 | アート
 マドリー・アトーチャ駅前、『ゲルニカ』で有名なソフィア王妃アートセンターで今、エドワード・スタイケン(エトヴァルト・シュタイヒェン 1879-1973)の個展が開催されている。史上初のモード写真家として知られているが(初期VOGUE)、渡米直後に撮影された米中西部の風景写真に宿る詩情に引き込まれてゆく。グリフィスの映画を好む人なら気に入るであろう。
 また、初期ハリウッドのスターを撮った一連のシリーズ、そこには美貌の絶頂にあるグロリア・スワンソンやグレタ・ガルボ、ポーラ・ネグリ、ディートリッヒらの官能的な姿態を目にすることができる。ロートレックやロダン、ブラッサイらパリの芸術家との親密かつ神話的なポートレイト。

 だが、第二次世界大戦が近づくにつれ、スタイケンの写真はマンハッタン型資本主義に、やがて権力の中枢に近づくことになる。MoMAの学芸員を経て、広告写真、モード写真への進化はスタティックな美学への移行であり、グリフィス的な荒々しい牧歌性は薄れていく。そしてついに、《ROAD TO VICTORY》。太平洋上で活動する米国兵士の日常をとらえたこのシリーズはもはや、あまりにもアメリカ的なプロパガンダの世界である。

 晩年、彼の撮影行為は、内向き(家族の肖像)へ、そして反対に外部(アジアや中南米など第三世界のスナップ)へ引き裂かれていく。しかし私には、これらの引き裂かれが、初期のミルウォーキーの田舎をとらえた何げないショットへの原点回帰に思えた。

P.S.
同館の書籍売り場「LA CENTRAL」ではためしに、Cahiers du Cinéma España(昨年に創刊された)の最新号を購入してみた。


Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía (MNCARS) 公式サイト
http://www.museoreinasofia.es/