荻野洋一 映画等覚書ブログ

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アカデミー賞

2008-02-28 10:34:00 | 映画
 アカデミー賞の受賞結果については、特にこれといって感想らしきものはなく、というよりこの手の賞の行方にはさして関心を持ったことがないのは、ボックス・オフィスの興業ランキングに関心がないのと同様なのである。
 月曜の日中にやっていたWOWOWでの生中継は、仕事の合間にちら見したが、全体に出席者の表情がすぐれないと感じられたのは、穿った見方をすれば、ストライキ回避への悔恨が念頭にあったからだろうか。

 ただ今回の授賞式に関して、友人Hから電子メールをもらい、ちょっとばかり同感しながら読んだので、引用する。

“ オスカーでティルダ・スウィントンが受賞したが、80年代シネフィル世代にとっては、デレク・ジャーマン映画の女優が『ナルニア国』に出ていた時も感無量だった。デレク・ジャーマンは別段好まなかったものの、嬉しい出来事ではある ”

『牡牛座 レーニンの肖像』 アレクサンドル・ソクーロフ

2008-02-28 07:59:00 | 映画
 偶さか、共産主義の顛末を語る2本の映画を立て続けに見た。先に見たのはアレクサンドル・ソクーロフの『牡牛座 レーニンの肖像』(2001)であるが、これは〈歴史4部作〉の中の第2作に当たるもので、日本公開は、昭和天皇を主人公とする第3作『太陽』(2005)より遅れる形となった。革命初期において、あれほどの知性と指導力を発揮したレーニンが、右半身麻痺とまだらぼけ、発狂の疑いで、静養を余儀なくされた1922年の、無惨な一日にスポットを当てている。

 ソクーロフは実在の有名人をしょっちゅう取り上げてきたが、それらはいつも興味深い。パブリック・イメージを剥ぎ取り、個人的な呟き、精神の惑いにのみ狭く狭く沈潜し、それがかえって大文字の歴史性へアクロバットのように接続されるコンセプトは、今回のレーニンより、その後で試みられた『太陽』における昭和天皇の方が、一段と磨きがかかっている。伝記映画の分野では今日、この人の右に出る者はいないだろう、などと述べても、それは矮小化した賞讃となってしまうだろうか。

 また、レンフィルム出身のソクーロフとしては怒るかもしれないが、『牡牛座 レーニンの肖像』には、ニキータ・ミハルコフが彼の全盛期に作った『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』『愛の奴隷』(共に1976)『オブローモフの生涯より』(1979)といった反動分子の滅びを描いた諸作に滲み出ていた、黄昏れつつもどこか懐かしく甘美な感触があるように思う。
 これは、いわゆる「ダーチャ」の映画であることが理由だろう。帝政期から共産主義時代、そして現代にまで健在なのがこの「ダーチャ」(ソビエト・ロシアにおける党幹部のための田舎の別荘と菜園)文化で、ここでのうのうと晩年を送るレーニンこそ赤色貴族の元祖である、というソクーロフの皮肉でもある。


渋谷円山町 ユーロスペースで公開中
http://www.laputa-jp.com/taurus/

梅花

2008-02-24 21:15:00 | アート
 冬の厳しい寒さの中、梅は、百花に先駆けて開花し清香を放つことから、中国では、松、竹ともに「歳寒三友(さいかんさんゆう)」と称えられ、また、蘭、菊、竹とともに「四君子(しくんし)」と称えられた” そうな。





上の写真は、金農(清)筆「紅梅図」(1760)

『ラスト、コーション 色|戒』 アン・リー

2008-02-22 10:42:00 | 映画
 徹底したリアリズムの中に幻視を見出す『長江哀歌』の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が、現代中国のアベル・ガンスであるとすれば、李安(アン・リー)は、華人社会にとってのマルセル・カルネだろう。

 親日傀儡政権のお偉方イー氏を肉欲で虜にしたあげく、その隙を狙って暗殺してしまおうという、実行性があるのかないのか判断しかねる壮大なプランを考案するのが、ただ単に香港大学の演劇サークルの素人臭い男女グループに過ぎない点が、まずブラック・ユーモアとなっている。
 抗日を題材とする最初の芝居が、観客の愛国意識をほどよく刺激して成功裏に終わった数ヶ月後の朝、舞台に姿を現したヒロインは、劇団のメンバーが自分を残しみんな天井桟敷に上がってしまっているのを発見する。この辺りから、映画は《擬態》の様相を呈する。

 このヒロインを貴婦人〈マイ夫人〉に変装させて、敵の屋敷に潜入させるというプランはあっけなく成功し、〈マイ夫人〉は首尾よくイー氏と恋仲となるが、暗殺計画はどうということもない理由で、再三延期され、なかなか実行に移されない。その間に〈マイ夫人〉とイー氏の恋愛は、単なる化かし合いの段階から、破滅的な不倫メロドラマの様相を呈するに至る。
 こうして、映画ファンであるヒロインがかねてから涙を絞りながらスクリーンに視線を投じたメロドラマは、生身の肉体である自分自身を担保に入れた象徴的な《擬態》となって、反復されるわけである。

 抗日ゲリラ・グループの打ち合わせの席上でも、彼女は最初のうちこそ、意地らしい《女優》として振る舞っていたものの、徐々にこの計画の主導権は彼女が握るところとなり、彼女はむしろ《演出家》として振る舞うようになる。抗日ゲリラ・グループの幹部でさえ、自分たちの練る暗殺計画をよそに、《擬態》によるメロドラマの行方を固唾を飲んで見守るばかりで、身動きが取れないかのようである。

 こうした《擬態》が現実を浸食し、1つの愛が街角の中心となり、歴史の中心であるかのごとく傍若無人に一人歩きする状況は、マルセル・カルネ監督の名作『天井桟敷の人々』(1945)のものだ。この映画におけるマイ夫人とはアルレッティであり、この映画で大々的に建設された1940年代上海の日本租界およびフランス租界のセット(このセットの素晴らしさ、規模の大きさには、素直に感動せざるを得ない)は、1840年代のパリ犯罪大通りそのものだ。
 私が本文冒頭で、『ラスト、コーション』の映画作家に、「詩的レアリスム」の巨匠の名を当てはめたのは、以上のような理由からである。


日比谷シャンテシネなど、全国で公開中
http://www.wisepolicy.com/lust_caution/

浅井忠

2008-02-20 07:21:00 | アート
 江戸・木挽町生まれで、維新後の洋画第1世代のひとり、浅井忠(1856-1907)の「高野コレクション」を、よく晴れ上がった火曜日に見に行った(一昨年に大きな回顧展があったが)。

 下の画像に見えるように、ミレー『落穂拾い』『晩鐘』やドービニー、デュプレの影響下に連なる「後期バルビゾン派」に含まれるわけであるが、浅井の画風であるところの「土の匂いのするリアリズム」を、たった7点ながら『春畝』『屋後』『グレー風景』『房総御宿海岸』などから堪能することができた。

 幕末から水墨による南画を学んでいたこの佐倉藩士の息子に、逆光を多用した油彩風景画のリアリズムを叩き込んだのは、アントニオ・フォンタネージだと言われる。このイタリア北部レッジョ・エミリア出身の風景画家は、伊藤博文の肝煎りで開校した工部美術学校の教授として招聘されたばかりであった。
 師からの教えが、のちに、郊外イル・ドゥ・フランスの緑豊かな小都市で生活していく中で、血となり肉となり、熟成していったものと思われる。仏滞在から帰国した浅井に、たった5年の時間しか生命が与えられなかったのは、いかにも惜しまれることであるが、これは言っても仕方のないこと。彼は後進を育成しつつ、死の床につくまで、名もなき寒村風景の中に、一瞬の光の差し違い、偏光、時の移ろいを、油彩、水彩で描き残してくれた。

 また、フォンタネージの出身地からの連想によってだが、北イタリア寒村の営みを、同じく「土の匂いのするリアリズム」と逆光の多用で描いたエルマンノ・オルミ監督の映画『木靴の樹』(1978)を思い出した。

P.S.
 帰途、日本橋の茅場町に立ち寄り「お多幸」にておでん食す。美味也。


特集陳列「浅井忠(高野コレクション)」は、東博本館 第18室で3月2日(日)まで開催