荻野洋一 映画等覚書ブログ

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【i-D Japan】プッシー・ライオットの宅録スペシャルムービー

2020-05-15 01:18:34 | 音楽・音響
蟄居の時代に生きる私たちが、腐らないための、苦しみを断ち切るためのパンク。
立ちこめるファッショにむけ、いつも心にキッチンナイフを。

【i-D Japan】プッシー・ライオットの宅録スペシャルムービー

作曲家の個展2013 権代敦彦(@サントリーホール)

2013-10-13 01:50:59 | 音楽・音響
 愛知県岡崎で開催された「あいちトリエンナーレ2013」の向井山朋子+イリ・キリアン(正しい名前はイジー・キリアーンなんだけどな…)による、ベケットに想を得たダンスアート『EAST SHADOW』は仕事の都合で行けず残念だったけれど、その代わりに12日夜、向井山朋子も参加するサントリーホール(東京・赤坂)のサントリー芸術財団コンサート〈作曲家の個展2013 権代敦彦〉を聴きに行くことができた。
 1965年生まれの現代音楽作曲家・権代敦彦(ごんだい・あつひこ)の近作4曲の披露。教会音楽で培った神秘主義的な色彩の濃い楽曲群(時に「東洋のアルヴォ・ペルト」と呼ばれるそう)である。

 1曲目の『母 コーラ/マトリックス』はパイプオルガンと笙(しょう)の二重奏。この2つの楽器は、時に非常に似かよった音色を出す。加圧した空気をパイプに送る原理からいってそれは当然のことであるが、やがてオルガンが天上の神の怒りを、笙が地上の人間の嘆きと生への執着を表現するかのように強弱が明確となる。
 2曲目『デカセクシス』はサイトウキネンオーケストラとNYカーネギーホールの委嘱によるオーケストラ作品。山下一史指揮、都響の演奏。デカセクシスとは死に臨んだ際の静かな無我の境地であると、作曲家みずから登壇して説明してくれた。いかにもカーネギーホールが似合いそうなニューヨーク的な響きの豊潤さ。
 インターミッションを挟んで3曲目『子守歌』は豪華な布陣。都響に加え、向井山朋子のピアノ、メゾ・ソプラノはふくよかでエスニックな音作りの得意な古楽アンサンブル「ダブラトゥーラ」の波多野睦美、そしてNHK東京児童合唱団が加わる。2001年に大阪・池田市で発生した小学生無差別殺人事件で亡くなった女児の母が書いた手記をもとに作られた。作曲家は、事件のむごさや悲惨さに向かい合うことまでは無理だった、と述べている。母親のテクストとのみ向かい合った。委嘱者側からは「鎮魂歌を」との依頼だったそうだが、やはり鎮魂歌を作る心境にはどうしてもなれず、子守歌になったのだという。しかし実際に聴いてみると、「眠れ、眠れ」のリフレイン、「永遠に、ずっと、いっしょにいるよ」という歌詞に続く「ずっと、ずっと、ずっと」のリフレイン、それに呼応する向井山のピアノの高音階の連続的なくり返しが、レクイエムの成立を思わせる。このあたりの一筋縄でいかぬ逆説が、曲全体をいっそう厳しく哀切なものにしている。ただし、音の要素が多すぎて、一音一音がぼやけるシーンがあったのも確か。布陣の豪華さが仇になっている面もある。
 最後の4曲目、この日が初演となる新作『デッド・エンド』はオルガンとオーケストラのための協奏曲。ズーンという爆音的な低音と、グロッケンシュピールによる高い倍音の高低差が、ダイナミックな音圧となって客席に襲いかかる。この夏、FREEDOMMUNEで聴いたボアダムスの90台ドラムを思い出す。オルガンはパイプオルガンと、小型のポジティフオルガンの二頭立てで、最後はポジティフオルガンがすべてを引き取り、臨終の際の心電図波形モニタが出すあのピー、ピーという音を模倣して、無音となる。

FREEDOMMUNE

2013-07-14 02:38:27 | 音楽・音響
FREEDOMMUNE(千葉・幕張メッセ)にて、ボアダムス、GOTH-TRAD、Tei Towa、ペニー・ランボー(元クラス)、大友良英&あまちゃんスペシャルビッグバンド、そして2:40AM現在は灰野敬二。ど迫力(下写真)。ボアダムスは90人ものドラムスによる圧巻のセッション、1曲で1時間50分。
3:10AM現在、灰野敬二が終わったと思ったら、すでにとなりのスペースでEP-4が始まっている。EP-4はずいぶんと久しぶりに聴いたけれど、昔とぜんぜん違う音を出している。同一グループとは思えない。
ステージ上の大友良英いわく「今週の『あまちゃん』はクドカン渾身の出来で、相当クる」とのこと。視聴している方はお楽しみに。ちなみに「『潮騒のメモリー』の音源を発売できない理由は、著作権の問題とかではなく、ネタバレを含んでしまっているため」らしい。「少しばらすと、古田新太がその曲を歌うことになる」のだそう。なんのことやら私には見当もつかぬ。

シューベルトの『弦楽五重奏 ハ長調』について

2011-09-30 02:54:31 | 音楽・音響
 ついさっき、深夜の居間でフランツ・シューベルトの『弦楽五重奏 ハ長調』を2ヶ月ぶりくらいに聴いたら、つい落涙しました。悲しい時、寂寞感を感じた時、または逆に浮き浮きしている時など、本ブログを読んで下さっている皆さんにもぜひお薦めしたい曲です。「ロマン主義」という19世紀的思潮のもっとも混じりっ気のない形がここにある。私としては、ジャン=ユーグ・アングラード主演の『インド夜想曲』で使われているので知った曲です。

 シューベルトには大切な思い出があります。小学1年生の夏休み前、校内の図書館で、初めて本を借りるという経験をしました。それはなぜか「シューベルト伝記」でした。幼児雑誌や絵本以外で生まれて初めて読んだ本です。
 『弦楽五重奏 ハ長調』(D956)は1828年に書かれたのですが、それはその作者であるフランツ青年が、生涯で一度だけコンサートを開催できた歓びの年であり、急病のためにわずか31歳で亡くなった年でもあります。私は子どもながらに「天才芸術家というものは早死にしたり、幸福な人生を送れないことも多々あるんだ」というような観念を心に刻んだ記憶があります。では、我々のごとき凡人ならば長生きも幸福な人生もなんとか確保しうるのか。そのあたりの結論は寿命の尽きる日までのお楽しみ、としておきましょうか。

ベルリン時代のチェリビダッケ

2011-06-02 00:05:17 | 音楽・音響
 独auditeレーベルからリリースされたばかりの、“まぼろしの巨匠” セルジュ・チェリビダッケの3枚組を聴き始めたところなのだけれど、既知の曲については意外とテンポが遅くない。初期はそれほど極端でもなかったようだ。本作は、1948年から1957年のあいだにライヴとセッションで収録された全音源を集めたもので、録音嫌いのチェリビダッケのベルリン・フィルは、これで全部ということだろう。

 ナチス協力を問責され、謹慎となったフルトヴェングラーの代役として、戦後のベルリン・フィル復興に尽力するとともに、フルトヴェングラーの「非ナチス化裁判」で巨匠の名誉回復のために奔走しながら、団員たちをエネルギッシュに煽動するルーマニア青年の勇姿を、この音からはっきりと思い浮かべることができる(フルトヴェングラーに代わってベルリンの主席指揮者となったのは、まだ33歳の時)。
 ようするにチェリビダッケは、私に言わせれば「マリア・ブラウン世代」だ。フルトヴェングラーが無事に復帰をはたすと、貢献者のはずの若造は逆に、その厳しすぎる指導と、鬼才気どりのパフォーマンスが嫌われてベルリンと衝突し、離別した。マリア・ブラウンのように馬車馬のごとくがんばった戦後混乱期の音が、このCDなのだろう。生意気な若造が去ったあとは、カラヤン的な戦後(「金ぴかオケ」と揶揄されながらも人気を博す)がやってくる。
 ガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』とラヴェル『ラプソディ・エスパニョール』という、彼らしい2つの狂詩曲、それからナチ政権下では演奏禁止だったヒンデミットやゲンツマー、あるいはチェリビダッケ自身の師匠であり、ナチスに弾圧された表現主義者の生き残りハインツ・ティーセンによる『ハムレット組曲』『ザランボー舞踊曲』など、当時としてはどれほど異端的な選曲だったのだろうか。