独auditeレーベルからリリースされたばかりの、“まぼろしの巨匠” セルジュ・チェリビダッケの3枚組を聴き始めたところなのだけれど、既知の曲については意外とテンポが遅くない。初期はそれほど極端でもなかったようだ。本作は、1948年から1957年のあいだにライヴとセッションで収録された全音源を集めたもので、録音嫌いのチェリビダッケのベルリン・フィルは、これで全部ということだろう。
ナチス協力を問責され、謹慎となったフルトヴェングラーの代役として、戦後のベルリン・フィル復興に尽力するとともに、フルトヴェングラーの「非ナチス化裁判」で巨匠の名誉回復のために奔走しながら、団員たちをエネルギッシュに煽動するルーマニア青年の勇姿を、この音からはっきりと思い浮かべることができる(フルトヴェングラーに代わってベルリンの主席指揮者となったのは、まだ33歳の時)。
ようするにチェリビダッケは、私に言わせれば「マリア・ブラウン世代」だ。フルトヴェングラーが無事に復帰をはたすと、貢献者のはずの若造は逆に、その厳しすぎる指導と、鬼才気どりのパフォーマンスが嫌われてベルリンと衝突し、離別した。マリア・ブラウンのように馬車馬のごとくがんばった戦後混乱期の音が、このCDなのだろう。生意気な若造が去ったあとは、カラヤン的な戦後(「金ぴかオケ」と揶揄されながらも人気を博す)がやってくる。
ガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』とラヴェル『ラプソディ・エスパニョール』という、彼らしい2つの狂詩曲、それからナチ政権下では演奏禁止だったヒンデミットやゲンツマー、あるいはチェリビダッケ自身の師匠であり、ナチスに弾圧された表現主義者の生き残りハインツ・ティーセンによる『ハムレット組曲』『ザランボー舞踊曲』など、当時としてはどれほど異端的な選曲だったのだろうか。