ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

朗報

2022-09-30 | 

朝刊では 国道210号線から湯平温泉までの道が 本日17時から開通とありました。

 

2020年の大水害の時は ずいぶん時間がかかりましたが 今回は約二週間で開通です。

 

午後1時半にふれあいホール外に立っている防災無線から なにか放送されていますが 声がこもって聞き取れません。

 

 

 

そばの家の人に聞いたら「声が大きくて わんわ、わんわ言って聞き取れない」と言います。

ではと 他の人に聞いたら

『通行開始時間が3時間早まって 午後2時になった』と。

 

組長さんからも連絡がありました。うれしい連絡です。

 

明日は 湯布院の卸屋さんに商品を取りに行こう。商品がすっかすかで みっともないです。

 

街(大分方面)にも行って 買いたいものがあります。

 

久しぶりに朗報でした。

 

 

 

 


2度目の大水害(⑥温泉場の被害状況)

2022-09-29 | 

日が経つに連れて 被害の場所が増えて来ます。

「よしの元橋」は 復旧していましたが
今回 再び通行禁止です。足元の護岸が傷んでいます。
足元の穴をのぞくと 川の流れが見えて怖いです。


うちの横の護岸も ガタガタです。




以下は夫が撮ってきました。
ひとつ上の橋の『再逢橋』の足元の護岸も崩れ通行禁止です。左の家は無人です。
の湯の源泉周囲も 崖崩れがありました。しかし銀の湯の源泉は生きていました。源泉の上の朝日通りの小道は崩れて通れません。好きな裏道でした。
砂湯橋から上流も 被害が大きく
右の傾いた公衆トイレは2年前から そのままです。重機が入れないから作業出来ないのです。
石畳通りから 傾いた建物が見えるのが嫌ですね。


旧いなば屋の護岸は前の水害で、2年前に とりあえず土嚢を積んでいましたが
今回の台風で その土嚢が流れました。二年間で費やした作業が水の泡です。


中の湯の上に設置した 大きな赤提灯が ふたつ無くなっていましたが

夕方のニュースで修復する様子が出ていました。写真はオープンの時です。



ふれあいホール側から対岸を見ると一般の住居と住居兼商店の裏側が・・・言葉も見つかりません。心中お察しします。

きのうのテレビでは 全壊扱いになると報じていました。旅館とパン屋さんもやっている女将さんが
『なんとも言えないですね。でも命があっただけよかった・・・家はまた どうにかなるので・・・』
という言葉は 2年前の私の気持ちと一緒でした。周囲の応援や励ましが力になったことを思い出します。
一日も早い 護岸工事と家の復旧を願います。





改めて 水の強さを感じます。

2度目の大水害(⑤水道編)

2022-09-28 | 

避難先から自宅に帰って心配なのがライフライン。

 
電気は大丈夫でした。上の方は一部停電中だそうです。
 
 
ガスは普通に使えます。
 
 
電話 携帯も使えます。
 
 
問題は水道です。最初はボコッボコッと空気を吐き出しながら、そして弱い水流で 出るには出ました。
 
しかし水源地付近が停電のため 塩素の供給が出来ないので飲まないようにとの連絡がきました。
 
 
今回は すぐ市から給水車が来ました。組長さんが すぐ連絡してくれ、広報車も回ります。2年前は道路状況が悪くて 自衛隊の給水車が来てくれました。
 
 
 
 
消防車も回ります。
 



 
 
 
 
とりあえず これだけ確保しました。

 
 

 
 
食器を洗う水が もったいないので、ワンプレートで それにラップを敷いて 食器を汚さない工夫をしました。
 



 
 
トイレの水は雨水をためました。前回は山水を汲んできました。だんだん賢くなります。
 
次の日も給水車は来ましたが そのうち水源地の停電が直り 塩素が供給され 飲めるようになり 量も充分でありがたいことです。
 
最初の方に飲んだ人が下痢をしたと言っていました。やはり早目の情報伝達が大事です。うちの地区の組長さんは当初より素早い連絡をしてくれるので助かります。
 
 
区長さん組長さんを通じて 道路が9月30日17時から通れると印刷したものが 各戸に配られました。今回は道路の通行開始が速くてうれしい。復旧したら 買い物に行かなくてはなりません。閉ざされた 山の中ばかりにいるのは 気分が晴れません。 
 
あそこと あそこと あそこで あれを買おうと 妄想しています。
 
 




2度目の大水害(④下り編)

2022-09-28 | 

置きっぱなしにしている車を取りに行きました。歩いて帰った2日後のことでした。

前回は山下池回りで車を取りに行き大変でした。その時は湯布院の友人が助けてくれました。
 
今回は幸いにも歩いて車まで行けます。帰りは山下池回りで 無事帰って来て下さい。
 


修復作業のトラックは盛んに行き来しています。見えないだけで 道路の下が えぐれている場所もあります。道路の復旧のために頑張ってくれているのがわかります。
 
入口の警備員は作業車だけを通し、一般車両はUターンさせています。見ていると けっこうな数の車がUターンさせられています。上の方に この先通行止めの看板は立てているはずなのですが、見過ごすのでしょうね。
 
 
ともあれ、夫は警備員さんに理由を告げて通させてもらい 下りはじめました。無茶で無鉄砲な所がありますから、写真を撮るために危険な場所に行かないか 心配です(私は いつから夫の母親になったのでしょう)
 
 
 
 
下る道すがら 夫も写真を撮っていました。『俺の写真も載せろ』と・・・はいはい わかりました(はいは 1回でよい)
 
私と見方、撮り方、写真の切り取りかたが違います。夫は川の中の石にも目を向けました。
 
 川の中の巨岩。2年前のものか、今回のものか 昔からあったものかは区別はつきません。
 













コーンの左側の下は 護岸が削られていて危険だそうです。
 




崩れた岸壁の下には 昔の石垣が見えます。道路が砂利道の時の石垣です。コンクリートで補修したはずですが、コンクリートは流されても  昔の石垣は無事だったのです。





 

あちこち アスファルトが盛り上がっています。アスファルトって 意外と もろいのですね。

 
 
 
空がきれいです。5日ぶりの青空です。

 
 
 
木が道路に倒れかかっています
 
 
 
 
 
右の木は2年前に傷んだ木で、左の木は今回傷んだ木で黄葉しているのか?枯れているのか?




濁流に倒れずにいた光景。『奇跡の5本杉』とは 言い過ぎだな。

 
 
 
旧 湯平小学校の校庭には たくさんの木材が見えます。作業員に聞いたら木で型枠を作り、川の底に埋め、その中に石や砂利を入れて その上にコンクリートを入れるそうです。
 
 
 
 
 
重機が落ちています。両側の護岸が落ちて、この辺が一番痛手を受けた場所です
 




護岸の外側が すっぽり抜けています。




無残 トラック
 
 
 
 
ようやく車のある場所に戻り着きました。2日前に ここから歩いて登ったのです。
 



湯布院で用事を済ませ、山下池回りで 無事湯平に帰り着きました。やはり そばに車が無いと不安なものです。
 
 
 
 
県道537号線(湯平温泉線)は 2年前は今回より被害が甚大で 片道通行まで ずいぶん日数が かかりましたが、今回は9月30日17時から一方通行で通れることになりました。約半月で通れるようになりました。
 
 
下までの道路の被害状況を見ているだけに 復旧が早いことにびっくりしました。現場の作業員さん達のおかげです。ありがとうございます。
 
 
このスピードで湯平温泉内の護岸工事や復旧作業も進んでもらいたいものです。しかし、二度目の大水害で 当初の計画が大幅に遅れることは明白です。
 
 
生きているうちにお願いします。

2度目の大水害(③上り編)

2022-09-28 | 

夫が すたすた歩いて行く。待って 待って 私を置いていかないで~

 

 
 
 
 
 
通行止めのバリケードの脇をすり抜けて行く帰宅への道。まだ雨が降ってないので 両手の二つの傘を山登りのステックのように突いて歩く。
 
 



 
崖から水が小さい滝のように落ちてくる。
 
 
 
 
道路は土砂と石ころだらけ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


川向こうに新しい崖崩れ
 

 
 
 
 

 
 


重機は無事ですが 重いはずの黄色いタンクは倒れている。

 
 
 
 
 
この辺りの護岸は無事のようだが巨大な石が道路上に。
 



トラックがあると思ったら

 
 
 
 
実は 潰れていたという事実。安全な場所に置いてはずなのに 自然の猛威に安全な場所はないようだ。

 
 
 
 
 
 
ここらの護岸は維持されている。
 
 
 
 
 
 
 
平原橋は無事だが この先の平原地区の方々は 奥に う回路が無く、平原橋を渡って歩いて湯平駅方面にいくしかないわけで 不便であろう。生協も届けられないと聞いた。
 



 
 
平原橋を渡った右側の作業現場から 重機が転落。護岸も かなり落ちている。
 
 
 
 
 
 
 
川の中に築かれた堤防が半分崩れている。技術を上回る自然の力。
 
 
 
 
 
旧湯平小学校のそばのW家の前の道路が完全陥没。ここが道路で一番酷い崩れ方。手前からW家の駐車場に入らせてもらい、避難から帰っていたWさんと話す。

 
 
 








 
 
 
随分昔の水害後に築かれた小さなダムから水が流れ落ちる。その水害の時はWさんの右の家の お一人が流され亡くなっている。
 
 
 
 
 
 
 
小学校前の崖崩れ。

 
 
 
 
小学校のグラウンドには木材で組んだ枡のようなものが。後から聞いたら これを川の中に埋め、それに石や砂利を詰め、その上からコンクリートを流し込んで川底にするらしい。
 
 
 
 
 
 
 
いつもは無い場所に滝が現れる。

 


大雨の時だけに出現する滝です。
 
 
 
 
 
地区公民館入口が右手に見える。その向こうのMさん宅も二年前同様 地区公民館に避難。今度は床下浸水と裏には土砂が流入。
ちょうど奥さんが居て「お互い頑張ろうね」と励ましあう。
 
後日 大分大学の学生やボランティアがバケツリレーで 家の裏の泥を掻き出す様子がテレビで出ていた。
 
 
 
 
2年前、うちの庭も 多くのボランティアの皆さんが作業してくれたことを思い出す。
 
 
 
 
 
 


話を戻そう。
地区公民館への入口
 
 
 
 
 
 
 
前回崩れた場所は土嚢がおいたままの措置で 上から水が流れ落ちている。

 
 
 
 
 
 
 
川の中の杉は右が二年前に傷んだもの。左が今回傷んだもの。
 
 
 
 
 
 
杉が倒れて電線に ひっかっている。

 
 
 
 
 
 
削られた木や、折れた木が

 
 
 
 
 
この辺りから 道路のアスファルトが壊れ、剥がれだす。

 
 
 


 



 
 
 
 
 
 
 
皮が削られた木が倒れ 足元には重機が おし潰されている
 
 

 
 
 
 
 
 
架替え途中の熊橋(正しくは熊尾橋)が見えてきた





 
 
 
 
 
 
先の方に作業員三人と車が見える。山下池回りで来たようだ。
 
 
 
 
 
『熊の坂の供養碑』は以前は もう少し上にあったけど 工事のために 少し下に移動して鉄板の上にあった。享保8年(1723年)に大地震があり、被災者の遺体がこの場所に多数流れ着いたという 。その4年後に供養碑が建てられたそう。大分中部大地震が1975年、熊本(大分)大地震が2016年、2020年の大水害は 約300年ぶり(正しくは297年)ということになる。そして また2年後にもまた・・・
 
 
 
 
 
 
 


後ろを振り返ると 杉の葉。
 
 
前も杉の葉の道路。どんだけ風が吹いたのだろう。

 
 
 
 
 
この先にいた作業員さんと話したが、歩き始めの時 警備員が電話した相手だった。
 
さらに行くと 若い二人の作業員さんが 高齢者二人が歩いて上がっているのを見て不憫に思ったのだろう、作業車で橋本橋まで乗せてくれた。大変な時に優しくされると うれしくて何度もお礼を言う。
現代版『しぐるゝや 人の情けに 涙ぐむ』(昭和5年 種田山頭火 作)
 
 
そういえば、二年前も歩いた最後の方で 地元の軽トラの後ろに乗せてもらったことを思い出す。私も 湯平駅の行き帰りに歩いている人を見ると、声をかけ 乗せるようになった。
 
 
 
湯布院の避難先に写真や動画を送ってくれた方々のおかげで 家や隠居は無事なことはわかっていたけど やっぱり実際に立っていたのを見て安心する。みんな ありがとう。帰ってきたよ。
 
 
 
1日たって 嘘のように水は引いて 緩やかに流れている。ツイッターで見た 荒れ狂う川と同じとは思えないほど 流れは静かだ。
 
 
 
 
 
 
 
夫が心配していた店奥の出窓の雨漏りは ギリギリセーフ。うまいこと 漏れた水を引き込みました。
ここは普通の雨なら漏らないが、風雨の強い日は天井から漏れるのです。継ぎ足しの古い家です。
 
 
 
 
 
 
近所の家の板壁に張ったトタンが はげている。
 
 
 
 
 
お隣の畑の野菜も かなり倒れて
 
 
 
 
楽しみしていた コキアも倒れてしまった。



 
 
さてさて やっと たどり着いたはいいが 下に置いてきた車を回収に行かなければならない。もちろん夫が。
 
 
 
日記代わりの記録と記憶の場所なので 長々と書いてしまった。少し時間がかかった。
 
こんな道中だったが 2年前に歩いた時と比べたら だんぜん楽だった。2年前は危険がいっぱいの道中であった。終わり。