ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

サトウのさとちゃん(笑)

2024-05-25 | 
我が家のクローバー畑の形が

『太った九州』に見える?

『見えない❗️』





それよりか

『サトウ製薬のマスコットのサトちゃん』に似てはいないか?



目と眉を入れてみようか

昔は こんなこと考えなかったけど…暇な人間です。

バカバカしい お話ですみません。



目に青葉の季節です

2024-05-24 | 
暑かったり寒かったり お天気が定まりません。

少し前から喉にいた『エヘン虫』が『ゴホン虫』に なり、今は『ゼーゼー虫』になり 熱まで出てきました。少し前に 夜暑くて寝相が悪かったせいかもしれません。

置き薬は契約をやめたので 期限切れの薬ばかりで、夫が隣街まで薬を買いに行ってくれました。


少し前に下書きをしていたので 今回はそれを載せます。

アジサイが小さなつぼみを付けています。姉からもらった苗です。







河岸のアジサイにも つぼみが見えます。


石垣にはたくさんなシダが生えています。夫はシダは取るなと言うけど 私は取りました。だってすぐ生えますから。


緑がきれいといえば きれいです。


二種のブルーベリーの花の後に実が見えてきました。植えたのが去年の10月10日あたりです。いつ頃食べられるでしょうか。ブルーベリー摘みは初めてです。




新しい雑草は『トウバナ』というようです。なるほど 塔のように咲いています。



クローバーも どんどん広がりました。雑草が見えなくてうれしい。





ここは4年前の水害で流される前は こんな光景でした。いろんな花が咲いて お仏壇の花も買わずにすんでいました。今は飾る花がありません😢












誕生日と母の命日

2024-05-23 | イベント
奇しくも 私の誕生日と実家の母の命日が一緒です。七年前の今日です。去年は姉夫婦とささやかな法事をしました。

予定では 夫と阿蘇の納骨堂に参り、道の駅巡りか 又はどこかでランチしようと話していましたが 天気が悪いのと、私の喉にエヘン虫が発生したので延期となりました。咳が止まりません。

よって 夕食は手作りの『豆腐ハンバーグ』と『ローソンの冷凍ヒレカツ』のワンプレートと これで乾杯しました。可愛いもんです。


お仏壇には バナナとバウムクーヘンと、庭から むりくり 葉や花を採ってきて 洋風な お荘厳です。気は心です。




アラセブンティになり、歳をとったせいでしょうか、昔のことを懐古してしまいます。特に亡き母のことです。

昭和三十年前後に姉と私が産まれました。当時は社宅に住んでいました。

七輪で『塩サバ』や『とうじんぼし』をよく焼いてくれました。『サンマ』を食べた後、残った骨をカリカリに焼いて食べさせてくれました。おかげで今でも骨は丈夫なようです。

当時、肉は高価でした。我が家の肉といえば 安い『ホルモン』でした。七輪に炭をおこし、ジンギスカン鍋のようなドーム型の鍋で焼いていました。

私は幼くて ホルモンが気持ち悪かったのですが、大人になって姉から『一番安いホルモンを固まりで買って お母さんが 一生懸命処理をして食べさせてくれたんだよ。高い肉は買えなかったんだよ』と聞きました。幼い私は そんなこととはつゆ知らず『気持ち悪い』などと…ごめんなさい。

『たれ』も母の手作りでした。リンゴや玉ねぎを すりおろしていた記憶があります。

母は高齢になってもホルモンが好きでした。車椅子で焼肉屋さんに連れて行ったものです。


食べるものも豊富ではなかった社宅時代は 畑を借りて野菜を作っていました。人様方のお茶摘みを手伝う代わりに、茶の葉を少しわけてもらい、鍋で炒った茶葉を 手を真っ赤にして揉んでいた姿を思い出します。熱かっただろうね。

山や野に行き わらび、ぜんまい、うど、タラの芽を探し、田んぼで芹を取り、野いちごでジャムも作ってくれました。

たくあんや白菜漬けや高菜漬けも自分で作り 古い高菜漬けを塩抜きし 油で炒めた母の味は忘れられません。

大豆を一晩水につけて ふやかし、茹でて 半分は豆乳、半分は味噌汁に入れて『ご汁』を作ってくれました。

小豆を茹でて 布で濾して こし餡を作り、おはぎも手作りでした。昔の親は既製品ではなく ほとんどが手作りでした。

にんにくと卵の黄身を練り合わせ小さく丸め乾燥させる『にんにく玉』は 栄養を考えてくれたのでしょう。

手作りのキャラメルは一個一個 赤や黄色のパラフィン紙で包み可愛く仕上げてくれました。母の性格や所作は姉に引き継がれました。

梅や クコの実をザラメと一緒に焼酎に漬け込み これは大人用ですが、3歳くらいの私が甘い梅酒を 原液で飲んで大変なことになったのも思い出です。

洗濯機が無い時代は 山から湧き出る清流の川で洗濯をする母のそばで水遊びする私。冷たくて すぐあがります。あんな冷たい水で洗濯していた母。

昔は姉と私の洋服は ほとんど手作りでした。足踏み式のミシン たぶん捨てたと思われますが、残しておきたかったな…今は 裁縫箱が手元に残っています。


子供に手がかからなくなると 近くの病院の厨房で働きはじめ、早出をしながら 弁当を作り、高校生の娘二人を 朝一番の列車に送り出してくれました。送り迎えは たいていは父でしたが、母のこともありました。おかげで 高校は皆勤賞でした。

家を建て社宅から卒業し、父の退職後、また家を建て引っ越しました。 その後は両親とも病気の連続で入退院が続きました。看取るまでの生活が姉と私の親孝行でした。

今思うと 私の子ども時代の母は、苦労の生活でしたが、子供にそれを感じさせませんでした。幼い私は それが普通の生活だと思っていました。

母の日や誕生日に プレゼントする母親は 私も夫もいません。寂しいですね。

誕生日は母を偲び、母に感謝する日です。

長々となりました。歳をとった証拠です。















孫の草取り

2024-05-23 | 
孫が来た時 クローバーの冠を作っていると、孫女が『ばぁば 草をとってあげるね~』と、どこからかスコップ(正しくは 泥すくい)を持ってきて
『よいしょ よいしょ』と ほじくり始めた。



『草取り』というより『砂遊び』のよう。

次の日 残った草を ばぁばは取りましたよ。


草取りは大変だけど、結果がすぐ出るから嫌いじゃない。でも草取りは いたちごっこ。


心の中の雑草も抜けたら良いのに 根が深くて なかなか抜けないのですわ。



孫とクローバーの冠

2024-05-23 | 
温泉まつりで帰って来た二人の孫に

『クローバーで冠を作らない?』と提案したら 乗ってくれて 庭にすっ飛んで行きました。

二人にクローバーの花を摘んでもらいました。長いまま 上手に抜いてくれました。




編み方を教えたけど なかなか締め方が難しくて 結局ばぁばが作りました。

二人で仲良く冠をかぶってくれて ばぁばは大満足でした。


5歳の孫女のピースサインのポーズ…押しのグループの真似だそうで…5歳の押しは

『Aぇ!groupでーす!!』と。見たことも 聞いたこともありません。これで『ええグループ』と読むそうです。


前は『なにわ男子』と言ってたのに。5歳の孫女 末恐ろしい気がします。


nicoドーナツ

2024-05-22 | イベント
『湯平温泉まつり』に駆け付けてくれた湯布院のnicoドーナツさん。湯平の旅館の次女さんの店です。

今回は初めて 可愛い『キッチンカー』で登って来てくれました。いつも大人気です。デザインも素敵です。ナンバーも25(nico にこ)です。




奥の方では地元の出店があったようです。真ん中にはイオンの販売車が来てくれました。


じぃじが孫のためにドーナツを買ってきてくれました。売り切れになる勢いだったそうです。夏バージョンのひんやりしたタイプのドーナツでした。


皆様 出店ありがとうございました


第145回 湯平温泉まつり②

2024-05-22 | イベント

お湯の恵みに感謝する温泉祭りですから 献湯祭(けんとうさい)が必須です。

コロナ時でも 他の行事はしなくても 献湯祭は行われました。読経の後 焼香もあります。




献湯祭の後は 湯布院自衛隊の音楽隊の演奏です。毎年必ず来てくれます。これまでは 石畳を演奏しながら登るのですが、今回からは 舞台で演奏をしてくれます。

午後からは全国的にも有名な『ゆふいん源流太鼓』が始まりました。下部組織の『ゆふいん源流子供太鼓』は3月に埼玉県であった第26回日本太鼓ジュニアコンクールで優勝・内閣総理大臣賞を受賞し日本一になりました。

下流の橋本橋にトラックから太鼓などを下ろして舞台まで坂道を運びます。

その手際の良さは キビキビして礼儀正しく 心が洗われます。

舞台上でも同じことが言えます。感動します。


その後 『Mr.シュガー変面ショー』が行われましたが、すみません写真がありません。湯平の旅館の女将さんの弟さんと聞いています。


その後 子ども30組限定の『大宝釣り大会』は申し込み順です。じぃじ が申し込んでくれて、ギリギリセーフでした。

くじを引く前にラムネを飲み干さなければなりません。子どもには苦行です。その時は兄弟姉妹や親御さんが代わって飲みます。

うちの孫はお兄ちゃんが飲んでいました。



ラムネを飲み終えたら 紐を引きます。100円から1万円くらいのお宝がありました。去年は結構 良いものが当たりましたが、今年は花火とスライムでした。



最後のプログラムは『湯平子供神楽』です。湯平子供神楽は大人が子どもに、先輩が後輩に、お兄ちゃんが弟に指導し、町内のイベントにひっぱりだこです。

題目は『大蛇退治』で、二匹の大蛇が出て壮観です。



最後は区長の代理で観光協会長の挨拶で終了しました。

…と すべて見ていたような表現ですが、写真や内容は夫と娘からの情報です。

夫は 商売を辞めて観光協会も抜けましたが 『ゆのひらんプロジェクト』の一員として協力しました。

私は人波に酔い(笑)夫は いろんなことで(?)疲れたそうです。

プログラムは減り、賑わいも少なくなりましたが、祭りを続けられることに感謝しなくてはなりませんね。















第145回 湯平温泉まつり①稚児行列

2024-05-20 | イベント
5月19日、朝は曇り空でしたが、第145回湯平温泉まつりが始まりました。

プログラムは




朝の10時に花火の号砲で祭りがスタートです。いつも この音にびっくりします。

10時の釈迦稚児行列からスタートです。

(今年のご案内ですが、写真は去年のものです)




①釈迦稚児行列
地域のお寺の住職を先頭に 稚児~お釈迦様~市長他 地名士の方々が会場に向かって しずしずと石畳を登ります。今年の お稚児さんは7名で、ほとんどが外孫さんや 下湯平のお子さんです。

うちの孫女も大分市から二回目の参加です。着付けのお姉さんから『先頭を歩いてね』と言われました。今回が最後の参加になります。



飾られたお釈迦様を持つ人が決まっていないので 夫が慌てて 近くにいた保護者や見学者にお願いして持っていただきました。皆様 快く持って下さいます。



昨年はお釈迦様を三人で持ったので お釈迦様が前から見えなかったという反省をもとに 今年は四人で持ちました。あくまで お釈迦様が主役です。


出発です。


市長をはじめ地名士が続きます。



家族が後を続きます。


足元は享保年間に作られた石畳です。



私は孫女を見送って帰るつもりでしたが、走って行った お兄ちゃんが『ばぁばも行こう』と戻ってきました。



孫を杖にして、会場まで付いて行きました。

石畳を登ると 久しぶりの方々に声をかけられ、その度にストップしてお話します。お兄ちゃんは ずっと待ってくれます。
『ばぁばは おしゃべりだな』と思っているでしょう。

舞台と献湯祭会場に着きました。



今年から場所が変わりました。稚児の集合写真を撮り、稚児は解散です。稚児行列の参加者は写真が外に出ることを了承されています。



その後 解放され(笑)お着替えします。


参加のご褒美のお菓子をいただいてゴムまりのように帰ってきました。

稚児行列も入学前のお子さんが対象ですから 孫も今年が最後です。参加してくれてありがとうね。









出たっ トノサマガエル

2024-05-19 | 
カエルを嫌いなかたはスルーして下さい。

私も嫌いですが ブログネタです。

きのうは暑い一日でした。県内の日田市が31度で日本で一番暑かったとの情報です。


そんな中 庭の隅の草むらで動くものが…

目を凝らして見ると

出ました、トノサマガエル。


あちらも驚いて石垣の中に逃げ込みましたが…こちらを うかがっています。

『オレは殿様だぞ、頭が高い ひかえおろー』



トノサマガエルは環境省による準絶滅危惧だそうです。早くも4月末にカエルの鳴き声が聞こえていましたが このお方だったのでしょうか?

温泉まつりに帰ってきた孫二人は トノサマガエルを見たいと庭を探し回ります。





もうすぐ 嫌な梅雨がやってきます。

車輪を飾ろう 完成編

2024-05-18 | 
昭和の車輪に


防腐剤を兼ねたペンキを塗り



狭い花壇を作り



倉庫で車輪の後ろにあった 古い小窓もガラスを抜いて使うことにしました。私はガラスを割ろうと言いましたが 夫が 上手に抜きました。『入れたんだから 抜けるのだ』と(なるほど そうか)



午前中は日差しが当たります。



車輪にはキンレンカ(ナスターチューム)を下げました。


足元には ツワブキ、ギボウシ、(ホスタ)、ヒューケラドルチェ、ワイルドストロベリーの葉類を。



昔のフットライトのミニ見本も2本並べました。


2日がかりで 車輪を飾ることが出来ました。買ったのは苗と土とペンキだけで 後は昔のものの再利用です。






グリーンが延びると 素敵な景色になると思います。足元には今後 少しづつ植えていきます。

言い出しっぺは私ですが、私がしたのは ペンキ塗りと苗を植えただけで、夫がほぼ 私の思い通りに作ってくれました。感謝です。

完成が嬉しくてハイタッチを要求する妻に 渋々応える夫であった。



庭に車輪を飾ろう 準備編

2024-05-17 | 
きのうは 風の強い一日でした。庭に出ると体がもってかれそうになるほどです(嘘です、重さはじゅうぶんあります)

倉庫にあった古い車輪を庭に出して『車輪を庭に飾ろう作戦』の場所が決まりました。


壁側に小さな花壇を作り そこに立て掛けることにしました。ここには地面にタマリュウを植えていたのですが、上に軒があるので雨が当たらず枯れてしまいました。

夫が深く穴を掘り花壇を作ってくれました。周囲は昔のレンガの再利用です。


苗を植えるスペースは あまりありません。内側の石柱やブロックは 後でのけます。



土は20リットル袋が5袋。けっこう入りました。夫が花壇をつくっている間に 私は車輪に防腐剤入りのペンキを塗ります。

『手袋をはめろ』『服につかんように』『伸ばして塗れ』『真ん中は塗るな』…などと。


表裏 塗り終わりました。ペンキ塗り 楽しいです。



一日乾かしました。重い車輪を立て掛けて 苗を植えたりハンギングしたりします。花より葉物を中心に植えます。



車輪を 真ん中に置くか、中心をずらして置くか 意見が分かれています。

きっと私の意見が通ると思います。(ぬはははは…😁)




日本郵便の配慮

2024-05-17 | 日常
商売を辞めたら郵便物も少なくなりました。来るのは通販のカタログや物品購入のお勧めや旅行社からの お誘いetc

今の時期は税金の通知書も増えていて、年金生活者としては嫌な時期です。

前日 通販のカタログが届きました。なぜか透明フィルムの上に張り紙が貼ってあります。

てっきり 引っ越し後の住所に関する事かと思ったら 違います。



なんと 大分東郵便局が
『外装が破損したまま到着したので補修しました。大切な郵便物を このような状態でお届けしますことを深くお詫びします』

と 汚れた袋を新しい透明フィルムに入れて、お詫びを添えて配達してくれました。

破損といっても このくらいのことです。なんの問題もありません。最後は捨てますし…



破損は大分東郵便局のせいではない?のに お詫びする必要も無いのに 腰が低いです。

そういえば商売をしていた時、こちらが悪くなくても『申し訳ありません』と言うことがありました。先方も それで気持ちが落ち着くようです。

大分東郵便局さま 丁寧な対応ありがとうございました。

まごわやさしい

2024-05-16 | 料理
『まごわやさしい』は『孫は優しい』ではありません。和食の理想の素材を表現する言葉の頭文字です。

ある日 渾身の和食を作りました。私も素材があれば作るんです。見るからに健康食です。


●田中農園のコシヒカリ
●鯖の煮付け
●ほうれん草とカニかまのウニあえ、ごま
●味噌汁(ワカメ、豆腐、油揚げ、豆苗)
●カニカマとキュウリとワカメの酢の物 ごま
●冷奴(ネギ、大葉ソース、ごま)

『ま ご わ や さ し い』
●➡️まめ類(豆腐、味噌も可)
➡️ごま
➡️わかめ(海藻)
➡️やさい
➡️さかな
➡️しいたけ(キノコ類)
➡️いも類

渾身の和食でさえ キノコ類と、いも類が足りません😖

味噌汁に干椎茸と里芋を入れたら完璧でした。

毎日は 無理、絶対無理。

祭りの設営

2024-05-15 | イベント
きのう『第145回 湯平温泉まつり』の舞台の設営が ありました。

145回って『どんだけー…』ですが…とにかく歴史はあるのです。

もちろん 戦時中は中止です。コロナ中は縮小して実施されました。

昔は 舞台が2ヵ所あり 2日間朝から晩まで『ワンワワンワ』やっていました。今は一日のみです。

今回から じん平食堂の前の空き地です。これまでで 一番広い場所です。旧『いなばや旅館』です。



これから 周囲の幕や飾りをします。キッチンカーも来るとか。

そばの石畳は






夕方七時前、赤提灯の灯りがあるだけで人は見えません。軒ビラが少ないように思います。


昔の賑やかな温泉祭りの光景を知っている者にとっては いささか寂しい光景ですが、これも時代の流れということで片付けるしかありません。

朝刊に チラシが入っていました。これまでは 石畳の赤提灯の写真を使っていましたが 今回は地元のデザイナーの女性が作りました👍️




朝見たら 温泉祭りの旗が立っていました。4日前に立つなんて 過去最速です。




どうぞ 雨になりませんように😇






夫は設営 私は剪定

2024-05-15 | 
暑いくらいの陽射しの中 山々の木々も深緑色になり 少し鬱陶しくなりつつあります。


5月19日(日)にある『第145回湯平温泉まつり』の舞台設営に夫は朝から出掛けました。

その間 私は『スノーボール』の剪定をしました。

ポストに新聞や郵便物が入れづらくなってます

⬇️



その後 小さな坪の草取りとアオキの剪定をしていたら



タイミング良く夫が帰って来ました。

溝の掃除を指示し、草取りを手伝わせ、出た草枝を捨てさせました

立ってる者は 夫でも使えるようになりました。これまでは きつくても 一人でやっていました。

70歳前になって ためらい無く、頼むことを覚えました。夫も応えてくれます。感謝です。