ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

雑兵物語 やまさき拓味

2024-06-07 09:26:47 | 

果たして私は生き延びことが出来ただろうか。

表題の作品は今流行りの転生ものではない。戦国時代末期に戦争に巻き込まれ、生き延びるために雑兵となった二人の若者が描かれたものだ。

農民として慎ましく生きてきたのに、戦により村は焼かれ、家族は惨殺され、とりあえず生き残った。これからどうする。よく分からないが、とにかく偉そうな人に連れられて、戦場で働く雑兵とされてしまった若い二人。

武勇に秀でる訳でもなく、人脈もない。商才もなく、なにより知識と経験が不足しているため、今日の敵は明日の味方となり、次の月には逆の立場になることもある。それも雑兵として出世を夢見て必死で生きる。

時は天正13年といった大変換期の直前であり、二人は生き延びることができるのだろうか

この漫画を読みながら、私だったらどうであろうかと思わずにはいられなかった。私も二人同様、武もなく、人脈もなく、経験により培った見識もない未熟な雑兵であろう。

後世の人間だからこそ松平に付くのが一番出世の王道だと分かるし、なんなら今川氏真のもとで蹴鞠を覚えて江戸時代まで平穏に過ごす可能性も分かる。しかし、なんの予備知識もなく、学識もないしがない農民の流浪兵ともなれば、賢明な生き方なんて出来るはずがない。おそらく生き延びることが出来れば、ただそれだけで大成功なのだろう。

二人の雑兵の未来を憂いつつ、平和な昭和の世に生まれ、安穏と平成を過ごし、晩年を令和で終えるはずの私は、きっと相当に恵まれているのだろうと妙な感慨に浸れる漫画でした。興味がありましたら是非ご一読を。

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百舌の叫ぶ夜 逢坂剛

2024-06-06 12:21:36 | 

誰だって犯罪者になる可能性がある。

これを少し捻って書くと、世の中には犯罪者と、これから犯罪者になる人間の二種類しか居ない。私は小学生の頃、警官から面と向かってそう言われた。

じゃあ、お前はどっちだよと内心思ったが、それを口に出すほど世間知らずではなかった。もっと幼い頃、砂川闘争という争いがあり、近所のお兄さんが警官に頭を警棒でぶん殴られ、脳みそが傷口から覗ける状況で病院送りにされた。

さすがに現場を見た訳ではなく、そのお兄さんの妹さんが私たち子供たちの世話を焼いてくれる人だったので、その話を疑う理由なんてなかった。そして数か月後、そのお兄さんは一度も意識が戻ることなく亡くなっている。多分、幼い私が警察を敵だと認識した最初の契機であったと思う。

両親が離婚して以降の数年間、小学3年生ごろが一番不安定で、必然的に警察の世話になることが多かった私である。警官が全員悪い奴だとはさすがに云わない。でも、大半の警官はひねくれ者の私を将来の不良児童だと看做していることは知っていた。いや、気が付かずにはいられなかった。

外出するときは、常にズボンのポケットに入れておいたお靴下を使ったブラックジャックに気が付く警官は稀だったが、ボクサーリング替わりにポケットに入れておいた角を丸めた穴あきボルトは露骨に疑われた。最後までしらを切ったが、苦労して入手したそれらの武器を横取りされた悔しさは忘れがたい。

私はもっぱら少年課の警官、刑事たちに睨まれていたが、中学に上がる頃になると警官とは別の警察。すなわち公安警察があたりをうろちょろしていることに気が付いた。親に勧められたキリスト教の集まりに来る若いメンバーには、左派学生とりわけ過激派と呼ばれた人たちが紛れていた。

最年少の参加者だった私は、わりと公安警察の目をくぐりやすかったので、しばしば伝令役、情報伝達役を頼まれた。伝言をいれたお弁当をもって自衛隊病院に入り込んだこともあるし、246号線沿いにあった機動隊の基地にある車両の種類を調べたこともある。

私の周囲にいた過激派の左派学生たちは、自衛隊や機動隊の内部に同志を作り、やがて来る革命蜂起の日に向けてそれなりに準備をしており、幼いながらも自分がその一端を担っていることを誇りに思っていた。あのままだったら私は過激派学生の仲間入りをしていたかもしれない。

しかし私を読書会に誘ってくれたシスターの女性は、それを危ぶみあれこれと手をうってくれたおかげで、私自身が内心疑問に思うようになり、左派学生運動から抜け出すことが出来た。ただ喧嘩別れは嫌だったので、受験や登山を理由にして徐々に距離を置くようして、高校卒業と同時に転居して完全に手を切った。

距離を置こうと思うようになって冷静になってみると、いろいろとおかしなことが見えてきた。学生たちを支援しているはずの和菓子屋の若旦那やパーマ屋さんのお兄さんたちが、時折妙な動きをしている。最初は分からなかったが、彼らの周囲をうろつく人間が怪しかった。幼少期からの筋金入りの警官嫌いであった私は、警官らしからぬスーツに身を包み、暗がりに身を隠すような彼らの振る舞いが疑念を抱かせた。

普通の警官でないことはすぐわかった。私は警察独特の人を犯罪者扱いする目線に敏感だったので、ある種の経験であることは察することが出来た。だが私服のセンスが堅苦しく、そのくせ体を鍛えていることが分かる体形と、同業であるはずの制服の警官を見下す雰囲気から、どうやら公安警察だと気が付いた。

さすがに中学生だった私を疑うようなことはしなかったが、安易に近づくことを許さない酷薄な雰囲気は、そこいらのヤクザ屋さんよりも危うかった。確証はないのだが、おそらく和菓子屋の若旦那たちは彼ら公安にスパイをやらされていたと想像している。

もう左派学生運動からは遠ざかった私だが、あの公安警察の厭らしいほどの酷薄さには近づく気持ちはなかった。そんな公安警察の裏面を描き出した表題の作品は、質的に同様な海外のミステリーには劣ると思うが、日本的な陰湿さや情のどす黒さを見事に表現できていると思う。

あまり積極的にはお勧めしたくない作品なのだが、これもまた警察という巨大組織の一面であることは知って欲しい。多分、ある程度は事実を元にしていると思うのですよね、証拠はありませんがね。

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型式認定

2024-06-05 09:23:33 | 社会・政治・一般

守られるべき形式認定制度が守られていない。

現在、トヨタ、マツダなど5社が国土交通省の立ち入り検査を受けて、慌てて対応に終始している。それを叩くマスコミ様は、まるで鬼の首を取ったように騒ぎ立てる。

あぁ馬鹿らしい。

悪法であっても法は法。守らねばならないことぐらいは分かる。しかし、よく考えて欲しい。形式認定制度を十分に守っていないが故に発生した事故は、どれだけおったのか。あるいは、形式認定制度をも持ってもなお車両の構造的欠陥で消費者が害されたケースはどれだけあったのか。

行政の在り方として、事前指導型と事後対応型がある。日本は長年、厳密な事前対策をすることにより国民を守ってきたとされている。だが、厳密な車検制度を守っていたにも関わらず、車両そのものの欠陥による事故が起きた場合、国はその責任の一部たりとも負ったことがあったのか。

あるとしたのならば、公害による健康被害や、予防接種による健康被害ぐらいではないか。これは因果関係がかなり明白なうえ、裁判での判決があったからこそ賠償が行われたに過ぎない。交通行政においては、ほぼ皆無ではないかと思う。

実例を上げよう。三菱のトラックのタイヤが走行中に外れて、暴走したタイヤにぶつかり母娘が死傷した事故がかつてあった。形式認定制度を守り、車検制度を通過していたにも関わらず起きてしまった事故である。

この時、国(国土交通省)は死傷した母娘の遺族に対して、自分たちは関係ないとの態度を崩さず。自分たちには責任はないと逃げまくった。では一体なんのために形式認定制度や車検制度はあるのか。そう噛み付いたのは、辛口の自動車評論で知られた故・三本和彦氏であった。

それにたいして大手のマスコミ様がやったことは、三本氏を干しただけだ。もちろん誰の意向を汲んだのかは明白だったが、そのことさえ無視したのがマスコミ様だ。おかげで矛盾だらけの車検制度は生き延び、実情に即さない形式認定制度はメーカーに無駄な努力を強いる。

もちろんメリットもあった。先細る退職役人の再雇用先に確固たる天下り先を確保できた政府のお役人様は老後の心配が減った。また国土交通省の記者クラブという出世コースを確保できたマスコミ様も安泰である。

え?消費者の保護、国民の知る権利?

そんなもの役に立ちはしない。大メーカーを叩いて自分たちの偉さを痛感させて、今後も天下り先の席を用意させれば良し。自動車事故と型式認定制度の有効性なんて曖昧な検証は面倒だし、そんな手間暇かけたくない。これが実相だと私は考えています。

ちなみに霞が関でも、行政の在り方を事前対策型から事後対応型へ変えようとの意見はあり、安倍政権の時には水面下で激しいやり取りがありました。しかし安倍氏の死後、若手の優秀な官僚を集めた官邸主導型の政治は姿を消し、変わって岸田のように役人の言う事は良く聞く政治にすり替わっています。

私は自動車業界とは無縁ですが、それでも税務、会計の世界で事前に提出せねばならぬ書類の多さから、相も変らぬ事前指導型が息を吹き返していることを実感しています。悪法であっても法は法。それが分かっているので仕方なく・・・ですけどね。

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情報統制自主規制

2024-06-04 13:05:15 | 社会・政治・一般

5月最終週は体調が著しく悪く、風邪に加えて小学生の時以来の結膜炎にまで罹患する始末であった。

だから週末も家にこもって安静に勤め体調回復を目指していた。さすがに暇なので、寝っ転がってのネット視聴で時間を潰すことが多かった。そんな最中の5月31日に日本テレビが、原作者を死に追いやった「セクシー田中さん」事件についての調査報告書を発表した。

正直結果は分かっていた。普通ならば弁護士等を入れての第三者委員会による調査なのだが、日本テレビは社内で調査委員会を立ち上げた。子供のいじめ問題と同様に、内々で調査をしたふりをしてやり過ごそうとしていることが見え見えである。

調査内容はほぼ予測通りで論じるに値しない。要はいちいち原作者の意向に沿った変更など時間的、物理的には出来ないといった言い訳をご丁寧に書いているだけだ。

私が驚いたのは、日本テレビ以外の大手マスコミ各社の報道姿勢で、これまた呆れるほどの金太郎あめ。臭い物に蓋をするが如く、当たらず触らずの簡便な転載記事が大半であり、一部マスコミ退職者のコメントで多少色を添えた程度のものであった。

私は漫画のアニメーション化についてフジTVやテレ東京などは比較的良心的だと思っていますが、やはり過去を遡ればひどいものも少なくない。明日は我が身との想いが報道を抑え気味にしてしまうのだろうと思います。

それにしても気になるのが、原作軽視の風潮。小説だとここまでひどくないと思いますが、漫画が原作となると改編当たり前で、原作者の意向など騒音としか思っていない。漫画をネタにして自分たちが映像化しやすく変えてしまうのは朝飯前。ひどい場合、スポンサーと出演タレントが第一でシナリオ変更は当然だとの傲慢さ。

それでいて日テレなんざオリジナルの脚本でドラマを作る能力は無くなっている。このぬるま湯に安住したいが故に、今回の調査報告書で幕切れにしたいとの思いが切々と匂ってくる醜悪な文章でしたね。

以前から書いてますけど、一人の漫画家を自殺に追いやった主犯たる番組プロデューサーは未だ表に出ず、当然に謝罪もない。まぁ自分が悪いとは思っておらず、むしろ被害者ぶっていることは既に知られてしまっている。

日本のテレビが次第に衰退していくのは必然かもしれません。実際、私はほとんど視てませんから。

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ケンタッキー・フライド・チキン

2024-06-03 09:17:36 | 健康・病気・薬・食事

心配だなぁ、心配だな。

報道によると日本KFCの大株主である三菱商事が保有する株式が、アメリカの投資ファンドに売却されたらしい。

COCO一番もそうだったが、投資ファンドに経営が移った場合、どうしても配当を増やすために値上げするなどあれこれと画策してくる。おそらく問題になるのは、三菱商事が仲介している国産鶏の取り扱いではないかと私は予測している。

私の友人で海外旅行経験が豊富な奴がいるが、KFCは世界中にあるので、日本食がない地域でも安心して食べられるそうだ。しかし、カリカリのクリスピーなチキンは海外も十分美味しいが、日本国内のKFCで食べられる肉汁豊富な柔らかいフライドチキンは、やはり日本のものが一番美味しいそうだ。

カロリー制限を穏やかにやっている私だが、それでもKFCのチキンは時折食べたくなる。たしかに油が多いが、それにも増して肉汁の豊潤さ、バランスのよりスパイス配合などは高く評価している。その秘訣はといえば、やはり三菱商事が仲介して厳しい基準を満たした養鶏農家の努力の賜物だと思う。

実際、飼料の配合、餌の管理、薬剤採取などち密なマニュアルに基づき鶏の育成を求めているようで、養鶏農家もかなりの負担となるが、それなりの収入ではあるらしい。アメリカの投資ファンドが新たな経営主体となる、このあたりのコストダウンを求めてくるのではないか。

肉質を維持したままでコストダウンを図るのは至難の業である。なにせ日本のから揚げは、来日した外国人観光客が皆絶賛するほどの肉質の良さが売りであり、本来同じ味であるはずのKFCでさえ日本のものは一味違うと言わしめる質の高さを誇る。

私にとってはたまの贅沢がケンタッキー・フライド・チキンなので、叶うならばこの味は変わらずにいて欲しいと切に願うのです。

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