ちょうど10日前の今頃撮影したものです。
たまたまくまモン車両が通ってくれて、桜とくまモン車両、海浦駅、蜜柑山、海浦湾、不知火海、樋島、竜ヶ岳、倉岳と望むことが出来ます。
ここも芦北の好きなスポットです。
昨日アップした猫の家族が、心配そうに遠くから監視しています。
しばらくすると、猫が2匹に。
そして、またしばらくすると、3匹に。
屋根の上にはたてがみのある猫が鎮座していました。
毎年撮らせていただいてるエビネ蘭。
元々の持ち主が、数年前にお亡くなりにならて、少しづつ減っていっています。
寂しい限りですが、仕方のないことですね。
それでも綺麗に咲いているエビネ蘭を撮って来ました。
昨日の夕景です。
最近時間がたくさん出来て、撮影許可がおりたので撮影に行けました。
私が愛する芦北の自然は、ウイルスなどに関係なく、優しい景色を見せてくれています。
自然の偉大さを感じながら、そのなかで生かされている自分を感じることが出来ます。
「日はまた昇る」
必ず蘇る人生にしたいと思いながら、撮影しました。
芦北町佐敷は、元々県南では八代に次ぐ町として繁栄していました。
南北朝時代には、菊池氏ゆかりの兼丸城があり、戦国時代には相良藩の城(佐敷東の城)があり、
安土桃山時代には、加藤清正が造った佐敷城(現在の佐敷城跡)がありました。
また1772年に書かれた肥後国史に描かれている佐敷の地図の道が今でもほとんど残っています。
今でこそシャッター街になっていますが、肥後藩の五ケ町に次ぐ準町として栄えていました。
そんな佐敷の町歩き的なスポット紹介記事にします。
最初の画像は、川端通から見る夕方の佐敷城跡です。
手前の蔵と佐敷城跡の石垣と夕陽のコラボです。
町案内のついでに撮ったものです。
続いては福島屋さん。
とても大きな商家で、多い時は蔵が11戸あったそうです。
残念ながら、少しだけ残っていたなまこ壁が最近傷んできました。
明治時代に建てられた母屋はしっかり残っています。
なぜ明治時代かといいますと、明治時代の佐敷の裕福なお宅の家の造りが、
屋根の下に飾り瓦を装飾として付ける造りが流行ったそうです。
明治42年創業の岩永醤油屋さんのお城口。
自動販売機の脇に石造りのベンチが備えていらっしゃいます。
ホッとする光景だと思います。
新町の勝延寺(しょうえんじ)さんの裏には、種田山頭火の歌碑が建ててあります。
種田山頭火も昭和5年9月13日に、佐敷の川端屋という旅籠に泊まられたそうで、
旅日誌に書かれていた内容は、「昭和5年9月13日佐敷の川端屋に泊まる。主人、女将、息子が1人、内容は中の下。」
と、書かれていたそうです(笑)
また明治時代の建物が道を挟んで2件並んでいる路地には、7人の小人が並んで待っています(笑)
昨日は朝から肥後うららの山田良介駅長から、「黄金柑の入荷がありましたよ。」とのご連絡をいただき、買いに行って来ました。
黄金柑は鹿児島の市来地方が原産の蜜柑で、3月から4月にかけて出荷されます。
酸味もあるのですが、さわやかな上品な香りのある蜜柑です。
今の時期だけしか食べられなくて、芦北では田浦の道の駅肥後うららでしか買えません。
キャンセルされたお客様が、わざわざ稀少な芋焼酎をお詫びとして送って頂いたお礼に贈るために、
「入荷したら教えてください。」とお願いをしていました。
朝1番に教えていただき、買いに行ったので、まだお客様は少しだけしかいらっしゃらなかったのですが。
芦北町漁協の牡蠣部会の方々が試食と芦北真牡蠣の販売をされていらっしゃいました。
芦北真牡蠣をホットプレートで焼いて試食。
私も1個食べさせていただきました。
しばらくの間、肥後うららにて土曜、日曜と販売をされるそうです。
試食をしているのは、肥後うらら駅長の山田良介氏。
また、甘夏生絞りジュースや晩柑生絞りジュースなども販売されています。
お目当ての黄金柑です。
個人的には、黄金柑は小さいほうが甘くて味がぼけていないように思います。
先日桜と不知火海と肥薩おれんじ鉄道を撮りたくなって、芦北町波多島地区へ。
ここはリアス式海岸の典型的な地形で、山が海までせり出していて、短いトンネルが点在します。
トンネルも含めて撮りたくて、軽自動車がやっと通れる狭い道を行かねばなりません。
でも、行かないと撮れない景色があるんです。
昨日は久しぶりにお客様を夕陽ツアーにお連れしました。
桜の花も今年は長持ちで、昨日でも見る事が出来ました。
明日は雨の予報なので、今日までかと思います。
太田の浜にて。
夕日の沈む方角がだんだん変わって北の方へ移って来ました。
ちょうど鷺が飛んできて、光の中へ入ってくれました。