野坂屋旅館

自然の豊かな小さな町で、不知火海で獲れた天然の美味しいお魚をメインに、四季折々のお料理をお客様にお出しします。

薩摩街道を歩く赤松太郎編8

2011-01-21 13:07:11 | Weblog
薩摩街道を降りて行くと、小さな川があります。
コンクリートで造成されていますが、水は流れていませんでした。
脇から小川に降りて、上ります。




茂った雑木の中を歩いて行きます。
でもこれくらいの山道の方が、歩くのが楽しいです。

案内の票木がありますが、ここからは砂防ダムがあって少しだけ迂回します。



水によって倒れた竹の中を通って用水路沿いに進みます。

数メートル進むと下に降りて、また竹のトンネルをくぐります。

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薩摩街道を歩く赤松太郎編7

2011-01-20 07:00:10 | Weblog
赤松太郎の峠を越えるとすぐに票木があって、旧国道から薩摩街道に入って行きます。



ようやく薩摩街道らしいっていうか、山道らしい道になります。



あきらかな石畳が見て取れます。



芦北町(旧田浦町)側は曲がり角には、必ず票木が立っています。
そしてそこには



お地蔵さまがいらっしゃいます。

赤松太郎が一番お地蔵さまが多いように感じました。



そして水仙の花が咲き始めていました。
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薩摩街道を歩く赤松太郎編6

2011-01-19 05:56:43 | Weblog
いよいよ赤松太郎の峠に到着です。

ここまでは全部舗装道路を歩いてきて、全然きつさを感じませんでした。




峠には。蛇紋岩の採石所がありました。

ガイドをしていただいた、倉永さんの説によると、この蛇紋岩の地層はここから田浦を通って天草へ、
北は大分の杵築を通って、愛媛、和歌山、静岡まで通っているそうです。
この地区は全部蜜柑の産地で、この蛇紋岩の地層と関係があるのではと仰ってました。


峠のお地蔵さんです。



峠から田浦方面を眺める事が出来ます。

今は高速が通って随分変わったでしょうが、昔の人は峠にたどり着くとほっとしたでしょうね。
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薩摩街道を歩く赤松太郎編5

2011-01-18 05:26:23 | Weblog
薩摩街道の赤松太郎の特徴は、登りは急傾斜はないのですが、石橋を多く見る事が出来ます。

この石橋は、小薮眼鏡橋でやはり嘉永5年(1852)頃に架けられた橋です。
長さ12・9m 幅3・6m 高さ4・3mの石橋ですが、自動車が通るためコンクリートで補強してあります。





ここは今は公民館になっていますが、元は小学校の分校跡です。
国道3号線のすぐ下にあります。

その先から右の方に国道からそれて、高速道路の下を通って対岸へ行きます。



しばらくは旧国道を歩いています。
本来の薩摩街道はたぶん川に添って谷を登って行ったと思いますが、現在は開墾されて個人の畑や、田んぼになっているようです。



旧国道から見た現在の国道3号線の方の眺めです。
下の谷の部分にはもう一つ石橋があるそうです。
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薩摩街道を歩く赤松太郎編4

2011-01-17 00:07:17 | Weblog
国道の対岸を歩いています。

建物がある向こう側に国道3号線が走っています。
ここからも棚田を見る事が出来ます。
もちろん手前も棚田です。



ここにも石橋があります。
大平(おおひら)眼鏡橋で、やはり嘉永5年頃架けられています。
長さは4・1m、幅2・5m、高さ3・7mあります。



大平眼鏡橋を渡ると、時代劇に出てきそうな風景が、ただ電柱と電線、トタンが邪魔ですが(笑)
舗装は土を上に乗せると、時代劇に使えそうです。




その先に右へ登る道が、石畳が見えます。
本当の薩摩街道みたいですが、残念ながら先の方が畑に開墾されて、途切れていましたが、

道自体は、石垣が組まれて、石畳になっていて、明らかに人の手によって造ってあった道だと確認出来ました。

そのまま行けば、御籠据所までつながっていたものだと判りました。



その御籠据所を示す表木です。
その辺一帯は登り上がってそこだけが平な地形になっていました。
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薩摩街道を歩く赤松太郎編3

2011-01-16 08:40:35 | Weblog
新免眼鏡橋を渡って、国道を縫うように走っていた薩摩街道ですが、
国道に添って歩きます。

国道から対岸の赤松地区を望む景色です。
上の方には九州自動車道、西周り線を見る事が出来ます。
いつもは、上の道を通っていますので、歩いて見るこの景色も新鮮に感じます。



国道からそれて民家の裏を通って行くとヒノキの並木が見えてきます。



並木を抜けると嘉永5年頃に架けられた赤松第一号眼鏡橋があります。
ここは長さ12・3m、幅3・8m、高さ4・7mあります。



石橋の先には、棚田があります。
昔ながらの丸石(河原の石)を使って石垣が組んであります。
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薩摩街道赤松太郎編2

2011-01-15 12:52:24 | Weblog
さあいよいよ出発です。

肥後二見駅駅を出発して国道3号線を歩きます。

途中で見つけた小さな春。




もう桜が咲いていました。



君ヶ淵では尺はありそうな寒鮒を見る事が出来ました。

3号線から、右に入り山の裾野を歩いて行くと


新免眼鏡橋が見えてきます。
以前アップした事がありますが、
嘉永6年頃に架けられていろそうで、長さ14・4m、幅3・8m、高さ4・6mあります。



石橋の上で記念撮影「ハイ、チーズ」










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薩摩街道を歩く赤松太郎編1

2011-01-14 10:34:49 | Weblog
昨日仕事の合間に(午前中歩いて、午後から仕事)赤松太郎を歩いて来ました。

出発は田浦の浜町八幡宮(鳩八幡)集合で、肥薩おれんじ鉄道で、肥後二見へ向かいました。




肥薩おれんじ鉄道の車窓からの眺めです。
船は朝日を浴びて輝いていましたが、画像では表現できませんでした。

線路沿いの海岸はリアス式海岸で、風光明媚な景色が続きます。
肥薩おれんじ鉄道での眺めは、この海岸沿いと、袋~泉間や、阿久根を過ぎてからの海岸線(西方海岸など)がお勧めです。



短いトンネルがいくつもあり、小さな漁村があったり、昔は鉄道での移動が多かったので、
海水浴場跡がいくつか見る事ができます。



ここは田浦の波多島地区の矢具神社を見る事が出来ます。
この矢具神社は祭神は火火出見命(ほほでみのみこと)で、山幸彦として知られる神で、
神武天皇の祖父にあたられる神様だそうです。
昔は楠が海岸を覆うように栄えていたそうです。



肥後二見駅に集合した私以外の9名のメンバーです。

薩摩街道案内人の会8名とお世話役で、振興局の方がお1人です。

天気にも恵まれてさあ出発です。
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会席料理

2011-01-13 07:01:59 | Weblog
先日書き込みをしましたが、コース料理を載せる事にしました。

ただ、内容(もちろん毎日同じじゃありませんが)や金額は個別にお問い合わせください。

基本的に昨日はお客様は、地元のほとんど女性のお客様へお出しした料理です。

品数は11品です。

評判はおかげさまで(感謝)
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薩摩街道案内人スキルアップ講座第1回

2011-01-12 18:51:15 | Weblog
今日は午後から薩摩街道案内人スキルアップ講座が開講されました。

第1回の講座の講師の先生は肥薩おれんじ鉄道の社長でいらっしゃる古木圭介氏でした。
観光や、地域おこし、またリサーチの目的、それに人としての在り方や、学び方など内容が濃くて、本当に勉強になりました。



本当にエネルギッシュで、68歳に見えないパワー溢れる方でした。



佐敷にお越しになる時に、肥薩おれんじ鉄道でいらっしゃると、いつもと違った風景をお楽しみいただけます。
夕方は特に夕日が綺麗です。
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