芦北町白岩に被災した空き家があります。
ここのお宅の住人は芦北町の他の場所で酪農をされていらっしゃいます。
ここの亡くなったおじいちゃんと私の祖父はとても仲が良くて、ここで酪農をされていた頃。
私が小学生の頃おつかいで夜、1升瓶を2本下げ袋に入れて、自転車のハンドルに下げて牛乳をいただきに行っていました。
自転車で5~8分くらいなのですが、山の麓を自転車の灯りだけで行くと、怖がりの私はびくびくしながら通っていました。
ここには私より少し年の離れたお兄さんが2人、私の1歳上の女の子がいらっしゃって、たくましいお父さん、優しいお母さんがいらっしゃいました。
私が牛乳をいただきに行くと、お菓子を出してもらったりして可愛がっていただきました。
梅の木の下には、池があり錦鯉が泳いでいました。
夏になると、せせらぎにスイカが冷やしてあり、食べさせてもらった思い出があります。
スイカを冷やすだけではなく、洗い物などもされていました。
以前の水害で鯉は逃げたりして、私も中学から佐敷を出て熊本で学生時代を過ごしたので、いつの間にか変わっていった経緯は把握しておりません。
それでも、このお宅を見る度に、小学生だったビビりの自分を思い出すと同時に、ここの皆様に優しくしていただいた思い出が沢山あふれだします。
今回の水害のゴミが梅の木にまだ残っていて、それでも咲いている梅の花が、「ここにいるよ。」って言っているようで、写真にして、ブログに残したいと思いました。
今日のブログはその思いを綴らせていただきました。
もちろん今でもその年の離れたお兄さんとはお会いしますし、法事などでもご利用いただいています。
個人的な懐かしさだけでアップしますが、佐敷の人々の優しい想い出でした。
枝の向こうが洗い場で、スイカが冷やしてあった所でした。
その日の帰りに、たまたま肥薩おれんじ鉄道の列車と遭遇して、菜の花とのコラボを撮りました。