女島神社のいわれが出ています。
本社は神功皇后(しんぐうこうごう)を摂社に武内宿禰(たけうちすくね)を祭る。
皇后は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の崩御(ほうぎょ)後、
熊襲征伐に武内宿禰や大友氏など従え
芦北の鷺浦(さぎのうら)に行在所(あんざいしょ)を設け滞在された。
その際の軍船や兵器、兵糧の準備に村人が大いに協力したのを喜ばれ、
その労に報いて鏡と鉾を授けられた。
村人は神社を建ててそれを祭り、女島八幡宮と称したと伝えられている。
そのご、この神社は美景を添える歌会所(うたかいどころ)として京の都に聞こえ
九条大臣尚実公(なおざねこう)の口添えにより
次のような短歌が奉納されている。
詠み人は短歌の達人 風早公雄(かぜはやきみお)
年古(としふる)や女島の松のふか緑
下枝(しずえ)は浦の波にひたして
以上です。
本社は神功皇后(しんぐうこうごう)を摂社に武内宿禰(たけうちすくね)を祭る。
皇后は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の崩御(ほうぎょ)後、
熊襲征伐に武内宿禰や大友氏など従え
芦北の鷺浦(さぎのうら)に行在所(あんざいしょ)を設け滞在された。
その際の軍船や兵器、兵糧の準備に村人が大いに協力したのを喜ばれ、
その労に報いて鏡と鉾を授けられた。
村人は神社を建ててそれを祭り、女島八幡宮と称したと伝えられている。
そのご、この神社は美景を添える歌会所(うたかいどころ)として京の都に聞こえ
九条大臣尚実公(なおざねこう)の口添えにより
次のような短歌が奉納されている。
詠み人は短歌の達人 風早公雄(かぜはやきみお)
年古(としふる)や女島の松のふか緑
下枝(しずえ)は浦の波にひたして
以上です。