長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

右脳のヒト

2022年08月27日 05時55分34秒 | マイノリティーな、レポート
 気がつけば月暦の七月が往き、夏休みのなんと短いことよ…と、蝉の声がタイムスリップの鍵となって、少年時代に気持ちが還っている私は、サマータイムを謳歌している世上の皆さまに同情するのですが…

 今日はなんとまぁ!
 江戸シンパには忘れ得ぬアニバーサリー、正しく八朔、旧暦令和四年八月一日です。

 …と、このところの塞ぎの虫(ふさぎのむし)をつらつら綴ってみるか…と重いパソコンの蓋を開けたのに、何やら書いているうちに愉しい気持ちが蘇ってしまいました。
 何でしょう、私の根っからの朗らかな性根は、昭和という時代が育んでくれた、明日に対する希望、という漠然とした安心から由来するものに違いありません。 
 
 昨今、日本人で自らの命を殺めてしまう方が年単位で4万人、国際的基準の統計の試算法によれば10万人ぐらいに換算されてしまうらしいのですが…いらっしゃるというのは、本当に残念で悲しいことです。

 たしかに、明日は今日より素晴らしい…という成長期の日本にいた私たちより、現在の日本には絶望の種しかないように思える分、今の若い人々…学生さんも社会人の方々も…にはツライことが多すぎるんじゃないか、と、このような社会をつくってしまった大人はこうべを垂れます…

 しかし、このコロナ禍に見舞われた3年余り、ベランダ栽培の檸檬の樹についた青虫たちの生態からつらつら鑑みるに、人間が真実の成虫(いえ、成人)へと生長するのは、たぶん、60年ぐらいかかるのではなかろうか、ということでした。

 斯く申します私、還暦を迎えまして、ようようやっと、人並みな人間になれたのではないか、と、お約束の時間に余裕をもって参集することが出来るようになったり、カチンとする目に遭っても心の中で反芻して対処できるようになったり…という体験から実感する今、

 人間は本能だけで生きている生き物ではなく、精神的修養があって、完成された一個人、人間…ヒトとして初めて認められる存在になるわけで、生き急ぎたもうな若人(わこうど)よ、長生きしてやっと判ることが人生には多すぎます。
 ワカモノとは馬鹿者の転語であろう、と、一歩街へ出れば、日々実感する事柄に出逢いますが、大人たる我々は、まだ至らぬ彼らを導く役割があってこその年長者であります。

 少年法を、私は、長唄絵合せの活動でお馴染み、大学時代の恩師・横山實先生から学びましたが、彼らを希望のある生活へといざなうのは、罰ではなく愛です。
 江戸時代の少年法も、八百屋お七の事例から鑑みましてもお分かりのように、年端のいかぬ若者は、とかく考えの至らぬ未熟者であるから、吟味や取り調べは成人とは区別しなくてはならぬ…という施政者も仁徳の行き届いたものであったのです。
 大岡政談を現代の価値観で測ったら、悉く(ことごとく)を左脳で事務的に計る方々には、ハナで笑ってしまう判例かも知れません。
 しかし人間は機械ではなく、生き物なのですぞ。

 もう20年以前、アメリカ合衆国での少年院に収監された未成年者を新たな方向性で指導するのに、行き場がなく処分するために施設に集められた野良犬たちが力を貸している、という話をニュースで見ました。
 少年院の少年たちは、野犬の保護施設に赴き、自分が世話する犬を選びます。そして犬たちの世話をすることによって、命の大切さと自分ではない他者への思いやりと、生きることと何かを育てることとは手間のかかること、という実際を体験し学びます…というような施策でした。

 体験者の少年が目を輝かせて「こいつは僕と同じなんだなぁ、と最初この犬に逢ったとき思いました。誰にも必要とされていなくて、独りぼっちで、行く当てもなくて拗ねていたんです」という言葉に、私は涙腺が決壊。
 (今思い返して、ふたたび滂沱の涙に見舞われ、鼻水が…しばしティッシュペーパーにて顔を直すお時間を下さいませ…)

 愛とは共感です。
 好き嫌いとか恋愛とか、そんな瞬間的なものではなく、日本における愛とは慈愛です。

 インターネットで瞬時に、社会の出来事と、人々の心情が分かるツールが登場しましたが、まだ未完成型のヒトという生命体が犯した罪に対する対処の方法は、罰ではなく愛です。

 左脳で理論的に事務的に能率的に処断する方策は、日本人に合いません。
 なぜなら我々は右脳のヒト、理屈で割り切れない自然という神々に、常に理不尽に蹂躙され続ける宿命を持った、日本列島という苛酷な自然環境の土地に生まれ育って、営々と存在してきた種族だからです。

 ですから、われわれ日本人が編み出してきた音楽も、左脳で割り切れる理論的なもので構築されているのではなく、右脳=感情、そしてまた言語で現せない精神的な事象を司る部分を刺激、働かせる手法によって編み出されたものであり、それによって人々を安寧せしめ、悼む性質を持っています。

 グローバル化が進み、文化の特性が失われつつある…いえ、喪われてしまった今、ヒトが自分の存在を肯定できる特効薬は、根生いの文化にしかない、しかしそれは土着的な民族音楽でなく、都市生活という洗練された時代を経て醸造された昭和文化にはあったことを、21世紀に生きる皆さまはお忘れではなかろうか…

 ひとまずここに記して、朝のひと時を失礼したいと思います。
 今日もお健やかに。
 
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ひとり。

2022年08月21日 10時55分22秒 | 近況
 今日の予想最高気温36℃…を知り、東京脱出を決行したのが8月16日㈫午前9時半。
 檸檬樹に暫しのいとまを、複眼が王冠の宝玉のように並ぶ新顔の蜘蛛ちゃんがひとり。
 終齢間近の幼虫が一人、青い檸檬とアオムシがお留守居番。







 エレベータホールに至る、武蔵野の雑木林に面した非常階段踊り場に、何を思うか一人佇むカマキリ先生。



 とても毅然とした立派なうしろ姿。21世紀の昆虫界の行く末を想い、外界を見下ろしておられるのか…
 蟷螂の斧とはこれ如何に。背なで泣いてる唐獅子牡丹…的哲学的趣きに心を打たれる。



 土用過ぎの海は鬼門である。
 都下西域に住む者は自然と甲州路に足が向かう。





 青春18きっぷを準備する気の利いた計画性もないので、小淵沢止まりの中央本線から、イルフ児童館のある武井武雄ゆかりの岡谷を目指すつもりが、1時間待ちの前に発車する臨時の小海線中込行きに乗り込む。







 外気温21℃! おお、いいじゃないですか。わが旅の目的は達成されたり。
 佐久平の開けように驚き、小諸なる古城のほとり…を目論むも、急な雨に遇い、しなの鉄道に飛び乗る。



 懐かしい窓枠に出逢う。20世紀の車窓から…の額縁はこんな感じだった。



 終着駅の線路に、セキレイか、オナガか、野鳥がひとり。

 そういえば…



 あまりの暑さに耐えかねて、盆休みの金曜日の昼下り。
 海岸沿いの道端で、みゃぁみゃぁ…と騒がしく啼く声が聞こえて、見上げれば巣立ったものの上手く羽ばたけない幼鳥がひとり。



 津久井浜は明日襲来する台風で、海が鉛色に濁っていた。

 そしてまた…



 8月になって間もなくの水曜日、井の頭線の車内にて、ジャノメがひとり。



 十粒ほども蒔いた八朔の種が、一本だけ芽吹いて2カ月目。



 二人いたみどり君が蛹化の旅に出て、残った鯨組のおチビちゃんが、みどり君になってひとり。



 ところで、8月20日は、チェブラーシカの誕生日だったとか。
(年は訊くまい。)
 同日、何の弾みか、室内でばったり倒れて傍らの三味線のネジを破壊した私は、一人しょぼくれておりましたが、打ち身のためドクトル・ブラックジャックのお顔のように二色構造になった我が左足の甲を眺め、そうか、昨日はバッタリ倒れ屋さんの日だったのだ! と、独り腑に落ちまして安堵。

 いえ、何かの予兆だったらイヤだなぁ…けんのん、剣呑…と思っていたので元気が出ました。
 お隣のウサギさんは、可愛いお弟子さんが3年ほど前、手作りで下さったものです。


 
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