長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

こどもの神様

2022年07月31日 07時57分30秒 | きもの歳時記
 三つ子の魂百まで…こどもの頃、目にしたものは生涯忘れられないものである。
 記憶の何処かに潜んでいて、上層に様々なものが沈澱して、すっかり忘れていたのに、ある時ひょっと眼にしたものが、あっ、これを私は知っている、昔とても好きなものであったはずだ…と、自分でも吃驚することがある。

 二つになるかならないかの子ども時代、私は絵本を読んでもらうのが迚も好きだったらしい。
 母の話では、目の前に絵本を拡げて読んでいて、ふと、分かっているのかしら…と思って読むのをやめると、まだ口がよく利けないのに、本を手で示して続きをうながしたそうである。

 熊田千佳慕先生の『おやゆびひめ』は、私のとても大好きな絵本だった。
 熊田ちかぼ先生は、ファーブルに影響を受けた昆虫の画家としても有名である。
 たまたま数年前、「バースディカード」という、1970年代に撮られた水谷豊主演のTVドラマを見たことがあり、劇中ロケの北海道のとある都市の街角の本屋さんの店先のブックラックに、私が好きだったあの本の表紙が覗いていて、とても驚いた。
 あの頃(このドラマが作られたころ:1977年と、その後の調べで判明)も、まだ書店に並んでいたのだ…!

 その後、コロナ禍になって、母のアルバムを整理していたら、従姉妹のチアキちゃんと一緒に写っている私が出てきた。
 ビックリしたことに、つい先日目にして想い出した、熊田千佳慕・絵の、おやゆび姫も一緒に納まっていた夏の庭でのスナップだった。
 気に入っていたカトレアの柄の浴衣。二つ半ごろだったので、肩上げをしている。

 その時撮ってくれたのは誰だったか覚えていないのだが、傍らにいたチアキちゃんのお母さん、つまり父方の叔父の連れ合いの叔母さんが、お互いに持っている本を交換して持ちましょう、と、当時は何かよくあった趣向で撮影したのだった。

 私が手にしているのはチアキちゃんのシンデレラである。
 チアキちゃんは聡明で機知に富んだ同学年のいとこで、盆暮正月、親戚が集まるたび、早生まれで幼く何かと覚束ない私には思い付かない、面白い遊びを考える名人で、憧れの人物であった。

 あるとき…この写真よりだいぶ後年、たしか小学生に上がって間もない年齢だったと思うが、4コマ漫画を描いてみよう、とチアキちゃんが言った。お盆だったか、暮れからのお正月だったか、とにかく親戚が集まって宴席をしていた時だった。
 凄いなぁ、自分でマンガを描いてみるなんて…と思いながら、私はその頃常々考えていた、人気のお伽話へのアンチテーゼを形にしてみた。

 1コマ目は、明日はお城の舞踏会だわ~!と、子供の手になるヘタウマ以前のシンデレラ擬きがタノシミだわ~とウキウキするシーンから始まる。
 次のコマで万難を排し宮殿へ到着、すると3コマ目、見るからにバカ殿らしき王子さまが出現…あたし帰る、という4コマ目のオチである。
 これが親戚に意外とウケた。

 チアキちゃんはシンデレラとは全く違う生き方で、名門大学を卒業後、大手新聞社に入社し、記者として活躍した。

 このコロナ禍でインターネットで調べ物をすることが増えたところ、記憶の底に沈んでいた幼稚園に上がる前の、私の神様(絵本作家)たちを改めて知るという現象が齎された。

 『長靴をはいた猫』というペローの有名な御噺がある。私の世代には、“ながねこ”の略称で忘れ得ぬ映像作品でもある。東映アニメーションのイメージキャラクターにもなっている。
 とても好きだった私の絵本『ながぐつをはいたネコ』は、黒い紙にパステル画で描かれたものだった。
 思い起こすにつれ、現在世の中に流通して販売されているどんな長猫よりも、オシャレで芸術性に富んだ絵本であると感じた。
 作家は誰だったのか、とても気になっていたが、半世紀も前の子供向けの絵本がまだ残っているとも思えなかった。
 それが、インターネットの検索で明らかになったのである…ありがたい。 

 わがまぼろしの長猫は、三好碩也…みよしせきや先生の手になるものであると知った。

 小学2年生の時、理科学習漫画シリーズ『人体の神秘』のとりこになって…それは、本屋さんで皆が立ち読みしてカバーが襤褸ぼろのほぼ本体だけの書籍が平台に出ていて、お店の人が、すみませんねぇ、今この現品しかなくて、と謝るのを、でもどうしてもその本が欲しくて買ってもらったものであるのだが、それを口切りに、そのシリーズを一冊ずつ揃えてもらった。
 その中に『動物の王国』があり、その表紙絵を担当していたのが太田じろう先生であった。
 それを私は2020年に開催された、氏の回顧展の、SNS上の情報で知った。

 行きたかったなぁ…と思いつつ、この3年間で、行けなかったり中止になった催し物の数々に思いを馳せたところで、なんと…!!
 太田じろう先生の世界展が今年、2022年8月6日から開催されると今知った。
 うれしい。(秋葉原のフォーラム・ダンクとは何処に在りや…)
 うれしい。
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しもきた三味線プレイス

2022年07月24日 07時10分11秒 | お稽古
 コロナ禍も3年越しとなりました。
 7月の歌舞伎座が公演中止とは…お見舞い申し上げます。
 平成の歌舞伎座では、7月というと、先代澤瀉屋の独壇場(どくだんじょう)でありました。
 澤瀉屋の芝居という家業に対する気高い精神性…お客様に対するサービス精神には、贔屓でない者も胸が熱くなる思いでした。
 何より、三階席の、天井桟敷の人々っぽい我々は、狂熱のライブに喝采したものです。

 さて、日本列島に生まれ育った者のDNAを慰めるために、日本の伝統音楽は生まれ、洗練され、発展して参りました。
 世情が不穏で人心が掻き乱される日常となった不幸な時代、古典に携わる者として皆さまのお心を安らげ、なごみへとお誘いするのがつとめでは…と気持ちを新たに、新しい考え方の下、三味線スタジオを設けることといたしました。

 三味線は、奏でる者の体が楽器の一部である、理屈ではなく実践でたのしめる性質の楽器です。楽譜などは要りません。
 しかし、三本の糸の調子合せが出来ないと、弾いて嬉しい境地まではたどり着けません。
 そこで、あらかじめ調子を合わせた三味線を、気が済むまで弾いていただける、ゴルフの打ちっぱなしのような、三味線の弾きっぱなし道場を始めました。
 イメージとしては三味線のバッティングセンターや釣り堀…のようなもの、で、“行けば弾ける”が合言葉です。

 その名も【しもきた三味線プレイス】でございます。
 次のようなサイトを設けましたので、ぜひご覧になって下さいませ。

https://shami-place.com/

 完全予約制で、感染症予防対策も万全を期しております。
 酷暑の夏は心静かに、三味線の音色で魂を燃焼させて下さいませ。
 よろしくお願い申し上げます。

 
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波はみどり

2022年07月18日 11時12分33秒 | 折々の情景
 一昨日より初伏に入りて蒸す。海の日なり。
 旧友のご実家よりの賜りものの八朔の、最後の一つを食せし折り、ふと、種を蒔いてみむとす。
 ふた月ほどがそのままに過ぎ、やはり無理かと忘れたころ発芽し、双葉が三段目ほどに出ずる。

 ユリ科の雑草の一種と思われるひと本の植物の間近に生え、先に生ふるものは立ち枯れてきたが実を結んだ。
 アールヌーボー調の曲線が、何とも言えぬ風情を醸す、不思議な景色である。
 芳年の新形三十六怪撰の何か…にも似ている。

 12、13、14日と、連日羽化続きの庭に静寂が訪れたものの、未だ檸檬樹に居残っているサナギ二頭が気になるので、朝七時半、様子を見に行く。
 と、一頭のさなぎの周りに俄かに細かい羽虫が群がりて騒がしい。
 余りに恐ろしい風景なので、霧吹きで水攻めを試みるも、どうやらサナギの中から湧いて出てくる。
 …アオムシコバチの誕生。
 彼は寄生されていたのだった。

 大魔神が山から出でて、鬼と化す。
 生育中の幼虫も居ないので、これから来訪せし新たなる幼なごたちの揺籃となることは諦めて、とても久しぶりに殺虫剤を撒く。

 略奪スルモノ サレルモノ ソノ又カタキヲ討トウモノ… 

 世はすべて事も無し…と思えるのはほんの一瞬だけ。


 
  …波はみどり 月はこがねに砕けつつ 
  みなちりぢりの昔かな…

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罠~トラップのある家

2022年07月10日 22時34分35秒 | 折々の情景


2022年7月1日 6:45
 ベランダの片隅で無事に羽化し、大空へ飛び立つものがあれば、また、支障ありて一隅を仮りの寓とするものあり。
 酷暑はただ自然のままでありたいとするものから多くのものを奪う。



 炎熱の床に彼の体から剥がれた翅の一部が残り、本体を恋しがるのか、しきりと蠢くを恐る恐る眺めてみると…



 彼もまたこの世界の片隅でいのちをつなぐものであった。




2022年7月2日 7:22



 半夏生。早朝から既に熱い。暑いのではなく熱い。
 青虫も物憂げに枝上で吐息をもらす。



 レモンの真白き花は香華。
 右手ベランダ床に目をやり、愕然とする。
 昨日とまったく同じところに、羽化直後と思われるアゲハチョウが居る。
 しかし彼もまた、太功記十段目の登場人物のように、既に満身創痍の態である。
 翅全体が白茶けて、右後翅の尾翼が既に欠落していた。
 こは如何なることか…
 我がベランダは呪われているのだろうか。
 それとも時空のはざまで、激闘の末のランボーが地獄の脱出口が、我がベランダ床上なのか……



 昨日からの賓客のお隣に一先ず避難させて、西瓜を補給する。
 苛烈な日差しの下で育ちゆく幼虫たちもまだあるというに…
 猛暑よ、彼らを如何にせん…
 そして、我がベランダよ、汝は如何なるものなるぞ…



 蝶が出現した床をしけじけと眺め、考えを廻らせる。
 そこで、ふと脳裏に浮かんだのが、同じ床材の裏で蛹化して巣立っていった月暦六月朔日の先達のことである。
 この暑さで、彼らは思いも寄らないところで蛹化しているのであった。
 我がベランダは高床式の二重構造になっていて、奈落の上に簀の子、そのまた上にウレタンフォームが敷いてある。
 ……!!

 ひょっとして、このウレタンフォームの下で蛹になって羽化してしまったのかも…
 怖すぎる憶測であったが、次なる悲劇を避けるためにも、真実を知らなくてはならない。

 ペリペリペリ…と捲ってみたが、何もついておらず、ホッとした。
 嫌な予感は的中しなかったが、簀の子の木枠についていたのかもしれない…しかし、それは檸檬の植木鉢台下まで支える板材なので、幼虫やサナギが未だ棲息している現在、すべてを取り除けて真相を追究するわけにもいかなかった。


同7月2日 10:25 



 ここ数年、アゲハチョウたちの生長を愉しく観ていたが、生まれ育った木立でサナギにならんとしている様子は初めて見た。
 さなぎ生活の安寧なることを期して幼虫たちの徘徊する様や、想像を絶する移動範囲であるのに、この酷熱地獄ではさもあろう。

同日午後 16:24



 解決しない謎は新たなる事象を呼び、隣接する植木鉢と植木鉢の間に、前蛹化するものを見つける。

同じく 18:04



 その場所に蛹ありて。



 こちらでも前蛹から脱皮するもよう。


2022年7月3日 8:41










2022年7月4日 6:10

 ここ三日ばかり、朝起きると植木鉢から零れてベランダの側溝や空の植木鉢の中で、面目なさそうにバタバタしている第一の賓客が行方知れずになった。
 側溝除けに伏せておいた植木鉢をひょいと上げると、意外なところに…



 彼もまた酷暑からの避難虫。
 ゼロ・グラビティの如く、視界から消えたものは諦めるしかないのだろうか。



同じく7月4日 13:52



 用事から戻り、再び諦めきれず捜索隊を…と、眺めたベランダの簀の子の端から、行方知れずだった賓客№1が顔を出していて驚く。
 これぞ正しく奇跡の生還、あなたはもしや別名をシルベスター…いや、ジャッキーとおっしゃる御方では。
 背中の翅がぼろぼろの母衣のようになって、あちこちにぶつかり、反動で思い掛けないところに落っこちる賓客を掬い上げるために開発した小道具、レモンの小枝を挟んだピンチの輪っかに摑まらせて檸檬の根方へ。

 当家ベランダの床下はリュブリャナの洞窟なのかもしれなかった。
 賓客はさらに翅を細くし骨骼ばかりが尖り、ガーゴイルにも似てきた。
 彼らは蝶なのである。飛ぶことを本能として生まれた。

 ふと、そよそよとした風に吹かれさせたくなって、檸檬の枝にいざなった。
 すると、翅の浮力に助けられて上方へ登っていく。





 彼は翔び上がることは出来ないのだが、ひらひらとグライダーのように下降して飛べるのだ。
 翼の損傷が激しい第一の賓客は、それでも目を輝かせて風に吹かれているような…
 水分補給中の瀕死のショットより、男っぷりは格段。



 後刻、彼らの様子を覗くと、遅れてきた賓客は緑の叢たる檸檬の葉陰に紛れ込んで、夕風に翅を広げるうしろ姿が宵闇のなかにあった。




 新暦7月4日は今年、旧暦六月六日にあたっていて夜21時、皓々たる月を西の空に見た。



 
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花がるた 七月 萩・桔梗

2022年07月06日 07時04分10秒 | きもの歳時記
 今年はどうしたことでしょう、新暦の六月下旬から摂氏三十度超えの日が続き、二年続いて継続中のコロナ禍下も小康状態とて、少しづつ仕事を復活させる機運が街なかに広まりつつありますが、大好きな薄物を身に纏う喜びも半減いたします。

 生地を見ているだけで、その透け感にうっとりしてしまう明石縮は、雨に遭うとチリチリチリ…としぼんでしまうので、こんな急変する天候の時はもってのほか、十年ちょっと前、知り合いの呉服屋さんがお店をたたんでしまった折、一級河川…東京に於いては多摩川と荒川なんですが…一級化繊でもあるポリエステルの絽小紋を何着か仕立てて頂いたことがありまして、これが夏場は非常に重宝致します。
 しかし、この暑さはもう、如何ともし難く…。

 久しぶりに小千谷縮を取り出してみました。
 同じ“ちぢみ”でも、明石は正絹、長唄・越後獅子の歌詞でもお馴染み、小千谷は麻です。
 袖を通しただけで、ひんやりとして、ぉぉうれし。



 紺とグレーの幅広の縞に、矢羽根柄が織り出してあるこの小千谷ちぢみは、もう三十年以前に、今はなき渋谷の東急プラザにあった越後屋さんの、例によって夏物の売出しで求めたものでした。
 帯も麻の、染め名古屋帯です。
 生成り地に、淡い灰色で障子に見立てた格子を取り、秋草がそこはかとなく、達者な筆致で描かれています。
 前帯は、桔梗と白萩の二種、落款は"紫香"とありました。
 本職の、手慣れた職人さんの、量産品ではありましょうが、素晴らしい芸術品です。
 
 昭和から平成の前半にかけて、我々一般的日本人は、このような品々に囲まれて日常を彩っていたのでした。
 令和の現在の、産業構造の推移が残念です。

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キヘンのひと、リターンズ。

2022年07月03日 03時22分44秒 | 折々の情景
2022年6月30日
 節電に協力するために、午前中に出掛ける。
 最寄り駅までの吉祥寺通りは、どうした方針か何年か前、立派な欅の街路樹の枝を払って、棒状の木立に直接、葉っぱが枝葉末節的に芽吹いた小枝が申し訳程度についているばかりで、日陰もなく涼しくもなく、炎天下にさらされた、これまた炎熱地獄に拍車をかけるイマイチ趣味の悪い三色タイル張りの舗道を歩くのも気鬱。
 生死にかかわるので遠慮して、文化園内を突っ切って井の頭公園駅まで歩く。
 さぞかし快適、涼しかろうと思いきや、あにはからんや…妹でも弟でもハカランヤ。
 これまた、一見オシャレ風な煉瓦様タイルを敷き詰めた歩道が整備されているお蔭で、チイとも涼しくありゃしない。

 公園の木々も整備されてしまったようで、春ごとに美しさを誇った桜樹の枝ぶりも今いづこ、灌木も疎らである。
 手の込んでないゲームの中につくられたテーマパークのようなナンチャッテ公園の如き、風景も幼稚で荒んで見える。
 日本の作庭の伝統を忘れ去った、精神性の貧しさを表象するようなデザインなのだった。
 見てくれだけの二次元世界のパースは、三次元として世に現れる時、四次元の時空に晒された感覚を盛り込むことを忘れているので、魂が入っていないのである。
 魂が入らない仏像と同じく、虚構の都市は人々を不幸にする。

 神宮外苑の再開発で樹齢百年にも及ぼうという美しい樹木たちを、千本余りも伐採するという、恐ろしい計画が推進されつつあるというが、何たること。
 木蔭が出来る木に育つまで、いったい何年かかるか判断できないのだろうか。
 少子高齢化で人口も減るというのに、今後、各種のインフラや都市機能が存続できなくなることは織り込み済みであろうに、こまごまとした人力でのメンテナンスが出来ないような、大規模な構造物を建てることになぜ固執するのか。
 目先の利益に追従して、人間としてあるべき見識・仁徳を失くしてしまったのだろうか。

 東京都がかくも苛烈な熱帯かつ無法地帯になり下がったのは、誰のせいか…還暦を迎えた大人の一人として、未来ある子どもたちに謝らなくてはならぬ…
 それにつけても、この暑さはどうだ。酷熱が怒りを増殖させる。
 アオスジアゲハが一匹、私の気を紛らせるように、熱風のなかをすり抜けて行った。

 
2022年7月1日
 猛暑というとマ行音で可愛らしい感じさえするが、はっきり言って酷暑である。
 今朝も5時半前に目が覚めてベランダに出て見れば、どうしたことか、ベランダ右手の床にバタバタと仰のけになって足掻いているものがある。
 アゲハの大紋を背負った蝶であったが、羽化不全で翅がくしゃくしゃになり、上翅は両方とも折り畳まれたままだった。
 いつの間に、そしてどこに在ったサナギから生まれたのか…狭いベランダの四方八方を見回したが分からなかった。
 とにかく、彼が育った檸檬の根方に…木片を差し出すと掴んだので、移動させた。
 どういう不幸がこの揚羽蝶を見舞ったのか…原因は分からないが、要因の一つはこの酷暑であることは疑いない。
 鳥の嘴や寄生虫や、その他多くの災厄から逃れて羽化できたというのに、不憫である。
 霧吹きで水分を与えると口吻を伸ばしてきた。すかさずスイカの切れ端を足下にしのばせると、吸い続けた。
 自力で飲めるならもう大丈夫。

 やれやれ、朝一番から気が揉めることだなぁ、と、哲学的な思惑に気持ちが沈みそうになったが、
 そういえば…と目を左へ向けると、昨日まで夢見ていた蛹虫、三番手がすでに羽化していた。







 2時間も経ち早や7時50分、網目の上から飛び立ちかねて、機を逸したか…


 
 陽射しは苛烈さを増し、



 なんという素早いフェイント!
 上端を潜り抜けるのかと思いきや、
 下へ急降下すると、
 自分が育った檸檬の垣根の隙間から、しゅばっと中空へ飛び立った。



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