長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

武蔵野に降る雪

2022年01月06日 23時55分14秒 | 折々の情景
月暦令和三年極月四日。
小寒の候。
朝方の鉛色の空から、昼頃より初雪となった。



寒さの余り、家に籠って稽古に励もうとも思ったが、年越しのバタバタで失念していた社会的責務の遂行に赴く。
思い掛けなく様々な憂き世の現象に出会ったので、雪も降っていることだし、久しぶりに公園を突っ切って帰ることにした。







井の頭公園、七井橋を渡る。
ボート乗り場の白鳥さんたちは大人しやかに湖面に浮かぶ。





鴨かカイツブリか、水鳥たちもしめやかに泳ぐ。







工事中の柵さえ雪化粧して美しい。





振り向けば、舫ったボートの群れが整然として、これまた美しい。







いずれを見ても水墨画の風情。







弁天様のお堂は修理中で、緑の網に囲われていた。
この月ずえの弾き初めの会で、竹生島で勿体無い唄のお役を仕るので、詫びる。





夜、43年遅れで、昭和53年度芸術祭参加作品である深作欣二監督の「赤穂城断絶」を見る。
冒頭のクレジットで唖然茫然の凄まじいオールスターキャストに笑う(歓喜のわらい)。
序盤、京都殺人案内の最強キャラ・遠藤太津朗が八島を舞う。
武家の宴会で謡曲を肴にしたシーンを描く時代劇は意外と少ない。嬉しい。

さすが深作欣二、分かりやすい。
手垢のついた忠臣蔵外伝エピをそのまま使わず、現代(20世紀)の社会派群像ドラマに仕上げてある。
そして何より錦ちゃんと千葉真一がカッコイイ。
綺羅星の如く揃った俳優たちがそれぞれ見せ場を持っているのも、深作監督の心憎い気遣い…いや、制作者たちの心意気でありましょう…しかし、これはオールスターキャストを旨とする忠臣蔵というドラマをきちんとなぞらえている本道でもある。

よく作り込んだ虚構の世界であるのに、とても現実的である。
ラスト、萬屋錦之介as内蔵助のセリフに思わず泣きそうになってしまった。
昭和5年、水戸出身の深作欣二監督ならではの武士道観といえるかもしれない。
また、昭和9年生れの高田宏治脚本は、戦前の価値観に戦後のドライさを加えて本質を曲げることなく、赤穂浪士のドラマを再構築させている。

もう見ることもあるまい…と思っていた忠臣蔵の時代劇映画だったが、何も知らない若い時ではなく、いろいろ観尽くした挙句にこの映画に出会えてとてもよかった。

めぐり逢いは偶然の顔をした必然かも…雪の夜。

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まだ初夢は見ない

2022年01月03日 13時13分00秒 | 折々の情景
 おお、そうだ…と暦を捲ったら、今日は師走のお朔日なのだった。
 月ごよみ、旧暦のお話です。
 コロナ禍も二年越しともなりますと、世の中の不景気さも深刻度を増し、一般庶民の巷には終末観が帳(とばり)を下ろし、21世紀になってここ十年ばかりでしょうか、10月末のハロウィーンが過ぎると、これしかないのか、日本の歳時記にはもっといろんな行事があったのに、欧米化ここに極まれりだな…と憂国の思いやまぬ新年までの2カ月間、街じゅうをこれでもかと、柊と小鐘のリース、躍る赤と緑の色彩、銀粉を纏う装飾品の数々、そして無理にでも盛り上げようというXmasソングのBGM…etc.に代表されるクリスマス・フィーバーが訪れていたものでしたが、ついに力尽きたか、商店街も駅ビルもひっそりとしていました。

 そんなわけで、なんだかなぁ…と年越しの実感もわかぬまま、秋末の緊急事態宣言解除の余波で、1年分の年度行事が圧縮され、幾つ目かのパンドラの箱をワッと飛び出す浮塵子の如き(ここは雲霞でなくてよいのです)諸々の事どもの妖精さんの持つ針に背中をどやされながら、人間というものは生きていくうえで、実に様々な生業以外の細かい地味な仕事に支えられているものなのですね…と呟きながら、気がつけば三が日が過ぎようとしていた。

 あかん、あきまへんがな、初夢を見忘れてしもうたがな…
 初夢は枕の下に七福神の御座ある宝船の絵を敷いて、恭しく二日の晩に見るものである。

 令和3年の年の暮れに、憧れの心の師匠、文楽義太夫三味線の野澤錦糸師に、なんで来なかったの?と年来の不義理を優しく質され、申し訳ありません、大好きなお師匠さんにお教えを頂きながら、私は長唄を棄てることは出来ないのです…と号泣しながら詫びている、自分でも衝撃的な夢を見た。

 思えば昨年一年間、錦糸師匠のオッカケも、スケジュールの都合が合う限り切符争奪戦に何とか勝ち残り、とてもとても楽しみにしていたのだが、すべて行けずじまいだった。
 有馬記念の馬券の如く、チケットはただの紙屑となり中空に舞った。

 





 空よりほかに見るものもなし。





 ほんの瞬きの間に、富士山の影が溶明する空の色も変わる。

 昨年末は、あまりにも春の来るのが待ち遠し過ぎて、冬至の一週間前の水曜日に、今日は冬至だね、明日からやっと明るくなるのね、などと、お弟子さんに吹聴してしまった。
 みな、えっそうですか…と絶句していたが、私の嬉しそうな顔にギョッとして度肝を抜かれたのか、遠慮して師匠の過ちを正すでもなく、素直にお稽古して帰って行ったのだった。
 ごめんなさい。

 …しかし、よかった、まだ暦は暮れのうちなのだ…と私は胸をなでおろす。
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私たちの居た場所

2022年01月02日 23時28分39秒 | 旧地名フェチ
この時季ならではの必然的な用向きで、宮益坂の渋谷郵便局へ向かう。
渋谷のまちは私の学生時代、明治通りが長いこと工事中だったが、それから40年余りたった現在も大工事中である。

ことに、この度の大改造は…何かというとmy休息の場所であった東急プラザが建て替わり、そして今また屋上から地下街まで自分の庭のように思っていた東急東横店(井の頭線コンコースから階段を使わずにデパート内のエスカレーターだけで東館へ抜ける道筋を知っていたのは私の密かな自慢でもありました)を失うに至り…自分の体のように感じていた場所を一つ、また一つと喪って、“逆どろろ”現象とでも申しましょうか、
「この場所に85年間、東急東横線渋谷駅がありました」という看板を見るたび泣いていたのだが、その看板すらなくなってしまった。

2019年暮れの地下鉄銀座線渋谷駅最終日は、偶々青山1丁目に用事があったので立ち会うことが出来た。
宮益坂から、以前取引先の関係でよく立ち寄った三菱信託銀行の脇を入って、ヒカリエを抜けて銀座線の高架通路沿いに井の頭線へ至る帰り道、通るたび変わってゆく景色と工事の進捗状況に、しばし感慨に耽る。
明治通りの中空に出来た新しい銀座線渋谷駅の、まだ工事中である西片の旧東急東横店遺構内のレールの先に、かつて私たちが佇んでいた、旧銀座線渋谷駅のホームが見える。

あの場所から、むかし、押上の住民だった"整いました"の友と浅草へ出掛けた。
半蔵門線が半蔵門駅までしかなかった昭和の学生時代、神保町の古書店街へ行くのも、あのホームからだった。
平成ヒトケタ時代に勤めていた虎ノ門の会社や、新橋、銀座、木挽町の歌舞伎座、三宅坂の国立劇場へ向かうのも、あの場所からだったのだ。
あのホームに立って電車を待っていた人々は、今はどうして居るのだろ…

渋谷の街角はこのところ我が愁嘆場と化していた。
 …われ 人と とめゆきて 涙差しぐみ かへりきぬ……
圓歌師匠も泉下へ赴かれた。
談志師匠のお誕生日に往古の念にとらわれるのも因縁でありましょうか。

20世紀の渋谷の街は、もっとずっと、お洒落で明るい生き生きとした日常生活と風情のある、活気にあふれた美しい街だったのですよ…
無機質でただただ巨大な建設中のビル群は、もう何世紀か経つとパルテノン神殿かストーンヘンジに似た廃墟への未来を予感させて、人間の寸法で出来ていた温もりのある街並みを懐かしみ、我々にとっての幸いとはどこに在ったものだったのか、と、独り顧みる。


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壬寅、或いは令和長短。

2022年01月01日 14時29分29秒 | 近況
 “みずのえとら”の年がやって来た。
 昔、私が生まれた年と同じ干支である。
 なるほど、十二支十干とは、生きているものの時を数えるのに分かりやすい便利な指標である。
 短いようで、しかし悠久の暦日を表記するのに、人間の尺で出来ている。
 


 昨年暮れの強風から、揚羽蝶のお母さんが当家の檸檬樹に託した葉付きの卵のうち、一つだけが残った。









 我が家の四人の越冬サナギ。ファラオの墓におわすミイラにそっくりである。
 昆虫すごいぜ!の香川照之に教えられるまでもなく、人間の歴史における昆虫の存在は切っても切れぬものであるのだ。



 新年早々、台所仕事の耳のおともに、志ん朝の芝浜をかける。
 なんて巧い、そしてなんと面白い藝でありましょう。
 さげの、よそう、夢になるといけない…で、思わず泣きそうになってしまいました。

 20世紀中、私は談志のオッカケをしていて、生前の志ん朝には冷淡な落語ファンでありましたが、お二方が故人となった今、CDを何度聴いても面白い、飽きない、唸る(その上手さに)のは、志ん朝でありました。
 贔屓とは愛ですから、身びいきである余り、ほかの芸人に対してバイアスが掛かったり、目が曇ったりするのでしょう。

 思い入れが過ぎると、自分自身や贔屓の藝に対する、客観的な評価が出来なくなります。
 キャラクターに魅せられた贔屓というものは、対象者の存在だけで、また存在するものと空間を一とするだけで嬉しいと思ってしまう、私も含めて御目出度い人々なので、その魔法が解ける…ご本尊と同じ美意識・価値観を共有できなくなると離れていきます。
 普遍的な藝の力、というものは、誰が見ても聴いても、心をとらえ、感心させるものであるのです。

 それにつけても同じ文言だのに、どうしてこんなにも違うものか。
 長唄だって、おんなじ曲を弾いてるのにねえ…という思いはよくする。
 伝統芸能の恐ろしさよ。

 …志ん朝はなんであんなに早く死んじゃったかねぇ、
 「稽古のし過ぎじゃないの」 
 「ぅぅむ、落語に魅入られちゃったんだねぇ」
 「そうか、命懸けの芸だったんだね…」
 あーぁ、因果とアタシは長生きだ……
 
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