長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

名前

2020年10月10日 10時24分13秒 | 直球でいこう
 芸術の秋がやって参りましたが、例年と些か(いささか)趣きを異にしております。
 学校巡回が徐々に再開されましたのは、わたくし共にとりましても嬉しいことです。
 授業時間の合間を縫って調弦するほかに、三味線および付随する小物類の消毒・除菌作業が加わったのが、令和二年度ならではの特記事項でありましょうか。
 そのような手間を凌いで余りある感動…瑞々しい可能性に満ちた若人(わこうど)たちが、新しい知識や体験を吸収して、成長し羽ばたいてゆく(それが今すぐ、目に見える形でないとしても)…自分たちの蓄積を次世代に移し繋いでいくことは、人間として冥利に尽きることでもあります。

 そこで近年増えました質問、伝統芸能における名前、芸名ということについて、ごくごく簡単に、お話ししたいと思います。

 杵屋は、長唄(三味線含む)に携わる者の芸名です。
 苗字帯刀…つまり、身分制度によって人民が区分けされておりました時代、苗字を持っていたのは特権階級の者のみでした。
 ファーストネームだけでは、その者の人と成りが分かりません。
 そこで、屋号などで、どこに属するものか、ごく簡単に申せば、何の職業をしている者か即座に分かるようにしたのが、屋号や芸名、号名です。
 それぞれの業界で、特徴のある名称や漢字を使い、またどの師匠筋(教わった先生の系統)か、判るようになっております。
 昭和のころは、三河屋(みかわや)さんといえば(木挽町界隈を除いて)酒屋さん、越後屋さんと言えば呉服商でした。

 21世紀になってから、国が国民を管理する観点で、税務関連に於いて本名を必ず書類に記載する…という様式が採られるようになってから、この、わたくし共の芸名に対する認識が少しずつ失われ、ずれてきたように思います。

 名取、つまり芸名を持っている者のことですが、
 名前は栄誉称号ではありません。
 やっと、自分が精進してきたその道で仕事をしていいよ、という、許認可を与えられたということです。

 お医者さまで言えば、国家試験に受かって医師免許を得た、という免許状であります。
 スタート地点にすぎません。
 名取になってこそ、得られる体験、研鑽するべき局面に至れる状態になった、入山の許可を得、登山道の入り口に立てたということです。

 ですから、名取になってから…いえ、名取になったからこそ勉強することは沢山あります。
 山に登ると、上るごとに景色が変わる、そこで対応すべき事柄も変わり、対処する方法も変わります。
 自分の仕事に対する責任感、提供できる品質向上、という点では他の職業と何ら変わりません。

 芸名は、素人とプロフェッショナルの境界線です。

 その名前で仕事、商売をしている者を、本名で呼ぶのは失礼にあたります。
 また名前のない素人(つまり、師匠のお墨付きを得られていない、芸道半ばのもの)が、勝手にその道で商売、つまり報酬を得るのは反則、ルール違反です。

 特に、伝統芸能に於いては、欧米式の、均され(ならされ)多人数での学校教育では修業することができない、経験則が必要です。
 音楽は、また、紙に印刷された譜面から学べるものは一割…いや、1パーセントにも充ちません。

 …ということを、常々感じておりましたので、昭和で言えば体育の日に、つらつらと綴ってみました。
 言葉足らずで失礼いたします。
コメント
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